十六話 尼と救援

 白羽さんに手を引かれ、家の前まで戻ってきた。

 不愉快なくらいに生暖かい風が、ゆらりと細い枝を揺らす。空には切れ切れの雲が流れていく。

 彼女は門の前まで来るとピタリと立ち止まった。

 こちらに向き直ると、突然頭を下げる。

「さっきはごめんなさい。その……少し動揺してしまいました」

 束の間の沈黙。澱んだ空気が頬を舐める。

「……まぁ、とりあえず家に入ろう。話は後で聞くよ。委員長の耳にも入れといた方が良いだろうし」

「……はい」

 門をくぐる。ほんの少しだけ、違和感を覚えた。家を囲う結界を抜けるとき、僅かにピリッとしたのだ。まるで静電気のような微かな痛み。だが、それは家を守る結界の変質を意味する。

「なぁ、いま――」

 違和感の正体を確認すべく、声をかけようと振り向く。

 彼女は、暗がりの中に音も無く崩れ落ちていた。

「――は?」

 頭の中が真っ白になる。

 うつ伏せに横たわる彼女に触れようと手を伸ばし――

 ぐわり、と脳を掴まれるような錯覚。

 僕の中へと侵入はいりこんでくる。

 倒れた彼女がぐにゃりと歪んで見える。徐々に視界を瞼が覆っていく。


 暗転。







 私が結界の変質に気付いたのは偶然だった。

 部屋で呪符を作っていると、術式を仕込んだ紙から火花が散った。

 術式の干渉。強力な呪力が、微弱な私の呪力を侵食したのだ。

 薙刀を手に取り、表へ出る。

 不気味なほど生暖かい風。玄関先は薄暗く、物がよく見えない。

 門の下に、二人が倒れていた。

「二人とも!」

 咄嗟に駆け寄ろうとする。

 刹那。異質な空気を感じ、立ち止まった。

 呼吸が浅くなり、ひたいには嫌な汗が滲む。

 倒れた二人のそばには一人の女が立っている。時代にそぐわぬ尼僧の格好は、古い武家屋敷の門前ではとても馴染んでいた。

「……二人に何をしたの」

 薙刀を構える。

「あらあら、いきなり切っ先を突きつけるなんて。品がないこと」

 彼女は妖しげに微笑む。

 黄色く光る薙刀からは、莫大な力が流れ込んでくる。

 私の薙刀の術式は『相手と自分の実力差の分だけ自分の能力を底上げする』というものだ。相手が強ければ強いほど強化率は上がる。

 彼女と対峙したときに流れ込んできた力は、学ランと戦ったときの数倍はある。

 細身な上に武器も見えない。だが、油断したら間違いなくこちらが食われる。

 唇を噛む。

 ジリジリとした睨み合いが続く。

 手の内が読めない以上、あまりこちらから仕掛けたくない。

 この女が屍とすると、こちらの攻撃は何の意味も無い。実力差が埋められるとはいえ、結局のところ薙刀で斬りつけるしかできない。私にできるのは、せいぜい彼女を押し止める程度だ。

 とはいえ、後ろの二人を抱えて逃げる隙も無い。

 無為な睨み合いにゆっくりと時が過ぎていく。

 耐えきれずに仕掛けようかと考えていると――


 カッ


 それは刹那の事。一本の青く光る矢が、女の足元に突き刺さる。

 矢は張り詰めた空気を切り裂き、思考を乱し、対峙した私たちに一瞬の隙をつくる。


 ぐわり、と矢が膨れ上がる。反射的に飛び下がり、顔を覆う。

 閃光。衝撃と爆風が私を襲う。腕がジリジリと熱に犯される。強化していなかったら、皮膚がただれ落ちていただろう。

「――っ!」

 ほんのコンマ数秒の出来事だ。

「こっちだ!」

 必死に声の方へ駆けていく。右も左もわからない。

 再び爆発。

 続いて、巨大な何かがのたうち回るような震動が地面を揺らす。

「お前が戸部舞だな」

 特徴的な渋い声。

 声の主はフードを目深に被り、大弓を背負っている。筋肉の盛り上がりが服の上からでもよくわかる。

「はい。連合の方ですか?」

 よく見ると、二瀬くんと白羽さんを両脇に抱えている。

 後ろでは、短機関銃のような連続した発砲音がする。

「そうだ、とだけ言っておこう。今はとにかく逃げる。ついてこい」

「えっと……銃声がするんですけど……まだ戦ってる人たちはどうするんですか」

 様々な考えが脳内を駆け巡る。二人は何故意識を失っているのか。今戦ってる彼らは信用していいのか。

 銃器を持つ彼らは法律的にどうなのか、などと余計なことまで気になってしまう。

「我々には殺せないのだから、火力で制圧するしかなかろう。今は生き延びることが最優先だ。安心しろ、あいつらだってプロだ。ヘマはせん」

 静かに告げると、彼は民家の屋根に易々と飛び乗った。

 今、場の主導権は彼らにある。仮に罠だったとしてもついて行くしかないだろう。

 薙刀を強く握り締め、彼の後を追った。

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