十一話 襲撃と覚醒

 前日までの雪が嘘だったかのように晴れ渡っている。

 冬の低い太陽は教室の中央部まで差し込み、生徒達を睡眠へと誘っていた。


 曖昧模糊とした予感。

 それに従って窓の外へ視線を移す。


 校庭に、一人の男の子が立っていた。歳は15,6といったところだろうか。学ランを着た姿は、どこにでもいそうな中学生だ。


 悪寒。


 突如、彼を囲うようにドーム状の光の膜が現れる。


 煌々と光る紫の膜は急速に拡大し、校舎を呑み込む。

 

 突如として、校舎全体が静寂に呑み込まれる。


 ガタン、と音をたて、先生が膝から崩れ落ちた。


 クラスメート達は泡を吹き、机に突っ伏している。

 僕は立ち椿を手に駆け出した。


 校庭では、既に白羽さんが学ランと対峙していた。

 彼女に駆け寄り、柄に手をかける。

「白羽さん、この結界は?」

「少しずつ生命力を吸い取る類ですね。規模が大きいので効果はかなり弱まっていますが、呪術師でない者を殺すには充分かと」

「無効化するには?」

「術者を斬るのが早いでしょう。結界を斬っても張り直されて終わりですから」

「わかった。それと、なんで体育着なの?」

 体操服に扇子を持つ白羽さんは、あまりにちぐはぐだ。長い髪を後ろで一つに纏めているところもなんだか違和感がある。

「……体育でバレーボールしてたんですよ。似合わないとか言わないで下さい」

 少しだけ頬を紅く染め、俯く。

「お喋りは終わったかー?」

 存外に低い声が校庭に響き渡る。

「あなたの顔など、二度と見たくなかったのですけれど」

 白羽さんは明らかに敵意を剥き出しにしている。

「まぁまぁ、同じ真人のよしみじゃないか」

 サッパリと切り揃えられた短髪は明るい茶色に染まっている。よく見ると、腰に立派な太刀を下げている。

「なぁ、マヒトってなんだ?」

「屍と死人の中には、自らを人間の上位互換、あるいは進化形態だと考える者たちがいまして……そいつらは屍や死人といった名称を嫌い、真なる人間『真人』だと名乗るのです」

 過去に何かしらの因縁があるのだろう、酷く憎々しげに吐き捨てた。

 彼は、昨日対峙した死人とは段違いだと一目見てわかる。

 奴は不敵な笑みを浮かべ、校庭の真ん中に陣取っていた。

「では、わたしも」

 口許でバッ、と扇子を開く。

 彼女を覆うように四角い術式が現れる。

「ハッ!」

 かけ声と共に扇子を高く掲げる。


 術式は拡大し、結界となって学校を覆った。

「これは……?」

「わたしの呪力を下回る味方への攻撃を全て無効化する結界です」

「……すごいな」

 僕はゆっくりと刀を抜く。

「曲がりなりにも屍ですから」

 ゆっくりと扇子を下ろし、パチン、と閉じる。

「厄介なことしてくれンなぁ……」

 学ランは呟くと、顔の前でパチン、と手を合わせる。

 足元に伸びる影がグニャリと歪み、無数の人形ひとがたが湧き出でる。刀、槍、中には鎌を持っている者もいる。

「影使いか」

「ええ。それと、結界は未完成品です。数で押されたらだいぶ不利です」

「僕は影を斬る。君は結界に集中してくれ」

「……ご武運を」


 僕は冷たい空気を切り裂き、一気に距離を詰める。

 黒く染まった影を叩き切る。

 気持ち悪い手応え。

 スポンジを斬ったような感覚に襲われる。

「いいねぇ!血気盛んで!」

 学ランは太刀の鞘を勢いよく払い、斬りかかる。

 立ち椿を当てて弾く。

「まだまだァ!」

 生身の人では到底耐えられない衝撃。

 身体強化を重ねがけする。

 一撃が重い。

 ともすれば刀が吹き飛ばされてしまいそうだ。

「クソっ……」

 防戦を強いられる。

 捌き、いなし、弾く。

 が、相手の連撃は止まらない。

 思わず歯軋りをしていた。








 校庭に響く金属音。次々と湧き出す影の人形。人の域を超えた一騎打ちは緩やかな衝撃波を伴い、窓ガラスを震わせた。

 私はぼんやりと校庭を眺めている。

 自席に置いた薙刀が鈍く光る。


 控えめに見ても二瀬くんたちが不利だ。

 太刀の男はその妙技で二瀬くんを翻弄する。

 男は二瀬くんが息を吸う瞬間を狙って斬りかかっている。そのため、二瀬くんは上手く呼吸できてない。

 日本刀というのは、構造の関係で押し当てただけでは斬れないようになっている。

 いくら立ち椿といえど、それは変わらない。何でも斬れるとしても、防御のために当てるだけでは斬れないのだ。

 相手はそれを承知の上で、二瀬くんに攻撃の隙を与えぬよう攻撃を続けている。

 それは、圧倒的な経験差による技術の暴力だった。


 無数の影が、白羽さんへ襲いかかる。

 結界は白羽さんには効果がないらしく、ところどころ血を流し、綺麗な黒髪は乱れていた。

 結界に呪力を回しているため、ろくに応戦出来てない。今や、影は1000を超える軍勢へと膨れ上がっている。



 

 なんで二人とも戦っているのだろう。

 勝ち目なんてない。あれじゃジリ貧だ。


 二瀬くんは吹き飛ばされ、窓を突き破って校舎内へ消えた。学ランも校舎内へと消える。

 無音の校舎に響く金属音。轟音と共に壁の崩れる音がする。

 また逃げる?

 漠とした囁き。自らの声。

 逃げてどうなるというのか。


 少しずつ音が近づいてくる。



 私は、教室の真ん中の自席に戻る。


 こうして昏倒したクラスメート達の真ん中に一人座っていると、なんだか自分が彼らを殺したみたな気分になる。

 ……いや、このままにしたら彼らは間違いなく死ぬ。

 彼らを見棄てた私は、彼らを殺したと言われても仕方がない。



 首の無い父の姿が、胸に穴のあいた母の姿が――背中に薙刀の刺さった妹がよぎる。


 騒がしい教室を思い出す。

 さっきまで無邪気に笑っていた彼等は、昏倒し少しずつ生命力を吸い取られている。


 また私は逃げ出すのだろうか。



 相変わらず鳴り止まない金属音。壁がビリビリと衝撃に震える。きっと、隣の教室で斬り合っているのだろう。



 白羽さんの結界に、綻びが生じたことを感じ取る。

 屍は生の概念と融合した存在。いわば生そのものであり、立ち椿で斬る以外は決して殺せない。致命傷を負った屍には因果の歪曲が起こり、致命傷そのものが無かったことになるからだ。

 ただし、因果の歪曲が発生している瞬間は結界に呪力を送ることができなくなる。

 彼女が致命傷を負い続ければ、いずれ結界は呪力不足で自壊するだろう。

 突然轟音と共に黒板が吹き飛び、二瀬くんが転がり込んでくる。

 机やクラスメートを巻き込みながら、教室の後ろまで転がっていった。

 私は思わず立ち上がる。


「あれ、薙刀娘じゃねぇか。てっきり逃げたもんかと思ってたが」

 瓦礫を踏みしめ、学ラン姿の男の子が入ってくる。

「委員長は……逃げたりしないよ」

 呻きながら立ち上がる。呼吸が荒い。たび重なる呼吸阻害の打ち込みが明らかに効いている。

「なんでそんなこと言えるのよ……」

 呟く。

 私は弱い。にもかかわらず、なぜ逃げないと断言するのか。

「私がいたところで足手纏いでしょ」

 つい、本音が漏れる。

「否定はしないけどね……」

 そう口にしながら、彼は立ち上がる。

「でも、あの日僕は、戦うと約束したんだ」

 彼は肩で息をする。刀を持つ手は小刻みに震えている。

 その目には、まだ光が宿っていた。

 ふと、強烈な殺気に鳥肌が立つ。

 目の前で振り上げられる太刀。

 ガチャン

 二瀬くんが立ち椿で弾きとばした。

「委員長!薙刀を!」

 とっさに手を伸ばし、掴み取る。


 そう、私はあの日、部室棟で彼にお願いしたのだ。失くした物を取り戻すために。

 でも、それは二度と戻らない。

 少し考えればわかることだ。仮に仇討ちを成し遂げても、殺された人が生き返るわけではない。




 ならば。



 それならば、せめて。

 せめて、今あるものだけでも守り抜く。



 私は、ゆっくりと薙刀をかまえる。



 弱いから立ち上がってはいけない、なんてことはない。力が無いからと諦めていては、いつまで経っても失い続けるだけ。



 そんなのは、ごめんだ。



 例えどんなに弱くても、私は立ち上がる。どれだけ負けても、この命が果てるまで。

 もう二度と、あんな思いをしないために。



 そして、過去あのときと決着をつけるために。



 黄色い稲妻がほとばしり、薙刀の中に術式が出現する。

 ありったけの呪力を込める。

 私は、力強く地面を蹴った。








 僕は、思わず見とれていた。

 彼女の一撃はくうを震わせ、地を穿つ。

 純粋な力より放たれるその一振りは、あらゆる困難を薙ぎ払う、強者の力。

 否。弱者であることを認め、それでもなお立ち上がらんと決意した者にのみ差し伸べられる、救済の力。

 弱肉強食のことわりを覆さんとするそれは、彼女の想いに呼応した。

 彼女の薙刀は学ランを両断した。

 軽々と動き回り、重力を活かした重厚な一撃で翻弄する。その一振りは一陣の風を巻き起こし、荒れ狂う。

 彼女の名に相応しく、舞い踊るかのような美しい薙刀の捌き。鮮やかな筋。しかし、交わるごとに太刀を吹き飛ばす圧倒的な力。

 学ランは窓を突き破り、外に放り出される。

「クソッ!」

 懐から呪符を取り出す。

 が、彼女のほうが速かった。

 呪符をもつ左腕が吹き飛ぶ。

 そのまま、太刀をもつ右腕も切り飛ばされる。

「二瀬くん!」

 こちらを向いて叫ぶ。

 ありったけの呪力を振り絞り、縮地で距離を詰める。

 学ランは後ずさり、逃げようとする。

「逃がさない」

 呪力を纏った立ち椿を、叩きつけるように振り下ろす。


 手応え。


 肉でも骨でも無い、けれど確かな何かを斬った感触。


 奴は短く断末魔を上げると、塵となった。

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