十話 二人の距離

「ふぅ……」

 僕はシャーペンを机にそっと置き、軽くのびをする。

 時計を見ると八時を回っていた。


 この家は外観は平屋の武家屋敷だが、内装は改築を繰り返して現代的になっている。

 なんでも、明治初期に建て替えたものを改装と改築を繰り返して今に至るらしい。


 夕方から降っていた雨が雪に変わっていた。

 雪の夜はとりわけ静寂が耳につく。


 何かが欠落しているような気がする。

 物足りないのではなく、足りないのだ。


 一人で住むにはこの家は広すぎる、と思った。




 遅めの夕食をとろうと立ち上がったとき、玄関の戸をコンコン、と叩く音がした。


 こんな時間になんだろう。


 玄関へ向かい、ゆっくりと戸を開ける。



 大きなスーツケースを持った白羽さんが立っていた。



「あ……こんばんは、ユウ君」

「うん、こんばんは」

 妙にぎこちないやりとり。

「で、どうしたの?」

 白羽さんはそっと俯く。

「その……やっぱり私たちは共闘状態にあるわけですよね? ってことは、一カ所に固まって生活してる方が有事の際に対応しやすいと思うんですよ……それに……」

 そこで口籠もり、頬を朱く染める。

「それに?」

 いまいち意図が汲み取れず、聞き返す。

「一応、付き合ってるわけですし……」

「そのことなんだけどさ」

 ずっと記憶が戻ってから疑問に思ってたことをぶつける。

「僕、告白を受けた記憶もなければ白羽さんに告白した記憶も無いんだよね。それって、付き合ってるって言って良いのかな?」

「あ……」

 しまった、と言わんばかりにこっちを見つめる。

「ユウ君は嫌ですか……?」

「うーん……」

 別に、嫌というわけではない。白羽さんは可愛いし、とても優しいし、ちょっとやり過ぎてしまう部分があるけどとてもいい人だ。

「そうですか……」

 白羽さんはうなだれる。

「いや、別に嫌じゃないよ!?」

 急いで繕う。

「迷う時点でわたしを好きなわけではないとわかります……」

「うっ……」

 それに関しては何も反論できなかった。

 白羽さんは僕にとって、明確に他人とは違う存在であることは間違いない。

 ただ、それが恋愛感情だと言い切るのは躊躇われた。

「わかりました……では、今からわたしのことを好きになってもらいます」

 キッパリと言い切る。

「貴方がわたしを好きではないのは前からわかってはいたこと。ならば、必ずやわたしの虜にしてみせます。

 そのためにも、どうかお側に置いて下さい」

 白羽さんは頭を下げる。

「別に頭下げなくても……わかった、わかったから顔を上げてくれ」

 彼女は顔を上げる。

 ありがとうございます、と言って微笑んだ。

 とても幸せそうな笑顔だ。

 僕もいつか、こんなふうに彼女に向かって笑ってあげたい。そんなふうに思った。

「寒いだろ、早く中に入ろう。荷物は僕が持つから」

 そう言ってサンダルを突っかけ、彼女に歩み寄る。

「それと……図々しいかもしれませんが、もう一つお願いが……」

「なに?」

 彼女の真剣な眼差しに思わず立ち止まる。

「もし戸部さんに許してもらえたら、彼女も一緒に住んでいいですか?」

 真っ直ぐに見つめられる。

 予想外の言葉に、酷く驚いた。

「いいけど……白羽さんはいいの?」

 好きな男と他の女が一緒に住むなど、普通なら嫌がるだろう。

「本当は良くありませんが……一人は寂しいですから。誰かと一緒にいれば、くしたものを思い出さずに済みます」

 思わず顔が緩む。

「優しいんだな」

「べ、べつに普通ですよ。こんなの」

「そうか」

 僕は彼女のスーツケースを受け取ると、一緒に家に入った。

 彼女は終始、顔を紅くして俯いていた。

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