第5話



 パネルの横には館の見取り図があった。今会話を聞いた警備員室は館1階の東、書斎は北、そして浴室が西。寝室は北西にある。

「ウィリアムはどこにいるのかしら?」

 呟きながら、見取り図を指でなぞる。

 時刻は夕方になっていた。この寒さなので、もう入浴していてもおかしくはない。この広さなら、自分の専用のサウナもあるに違いない。

 2階の見取り図も見てみる。客人用の寝室が西に何部屋か並び、遊戯室が東に一つ、そして2階にも浴室がある。さて、どうしたものか。ひょっとしたらウィリアムはこの書斎に戻ってくる途中かもしれないし、遊戯室で一人遊びにふけっているかもしれない。けれど下手に動き回りすぎたら、いくら警備員がサボっているとはいえ、ウィリアムを殺す前に誰かに見つかってしまうかもしれない。

 けれどやがて、そんなことを考える必要もないと気づいた。誰でも眠るときは、寝室に戻る。ということで、私は寝室に向かった。


 寝室に入り電気を点けてみると、そこはひどく散らかっていた。床に雑誌が積み重なり、飲みかけのお酒の瓶がそこら中に置かれている。至る所にホコリが溜まっていて、掃除が行き届いているとはとても言いがたい有様だった。

「これじゃサンタクロースもドン引きね」

 私は電気を消し、部屋の隅にあったクローゼットの中に隠れた。

 隠れてしばらく経った頃、寝室のドアが開く音がし、誰かが部屋に入ってきた。足音はベッドの方で止まり、スプリングのきしむ音と毛布を被る音がし、そして静かになった。

 クローゼットから出て、ベッドの脇に立ち、眠っている男の頭に銃口を向けた。

「せめて安らかに眠ってね、ウィル」

 引き金に指をかけ、撃つ。念のため、二発撃つ。彼の身体は全く動きもせず、悲鳴ひとつ上がらなかった。


 私が死ぬほど驚いたのは、再び部屋の電気を点けたときだった。ベッドに横たわる、血に塗れた男の顔は、見るも無惨になっていたとはいえ、明らかにあのウィリアム・レッグとは似ても似つかないものだったからだ。

「なんてこと…………」

 私は思わずそう呟いたが、さほど混乱してはいなかった。なぜウィリアムの寝室に知らない男が眠っていたのか、なんてことは、私には関係ない。問題は本物のウィリアムがどこにいるかだ。死んだ男が誰かなんて、世界の果てまでどうでもいい。

 けれどひとつわかってきたことがある。ウィリアムは、この街に来る前から確実に誰かから命を狙われていて、それを恐れていたということだ。なにせ、自分の寝室に替え玉を眠らせるほどの警戒心なのだ。彼はよほどの恨みを買っているに違いない。そしてそれはきっと、前妻との諍いに関わることなのだろう。おそらくあのサンタクロースも、これに関係しているはずだ。

 そのとき私の頭に、ふと閃くものがあった。


****


 クリスマスだっていうのに、なんで男同士で酒なんて。

 そんなことを繰り返し愚痴りながら、俺は警備員仲間と酒を飲んでいた。この屋敷の主は病的に疑り深く、傲慢な男だった。警備員に振る舞い酒のひとつさえない。なので、警備員の一人がこっそりと持ち込んだウィスキーを、みんなで飲んでいるというわけだ。

 これでつまみがありゃあなあ、とぼやいたとき、トントン、と警備員室のドアを叩く音がした。

「誰だ?」

 誰かが大声を上げた。ここの警備員で、わざわざ丁寧にノックをするような奴なんていない。ウィリアムはそもそも俺らを嫌っていて、近寄ろうとなんてしない。だから皆不審に思い、銃を構えてから、ドア越しに尋ねる。

「おい、誰だ? 答え次第では攻撃するぞ」

 すると、こちらの背筋をぞぉっと震わせるような涙声が返ってきた。

「お願い、撃たないで頂戴! 私は、ただ、夫を……ウィリアムを探してるの……」

「夫?」

「ウィリアム……私のウィリアム……」

 俺達は皆で顔を見合わせた。ウィリアムは離婚していて独身だし、新しい妻もいない。というかその前に、彼女はここへどうやってやって来たのだろう? 入り口にはロックがかかっていて、見張りもいたはずだ。

「おい、なんなんだよ。誰か、覗いてみろよ」

 誰かが小声で言った。仕方なく、入り口に一番近かった俺が、ドアの隙間から向こうを覗き見た。


 一瞬、真っ赤なサンタがいるのかと、そう思った。


 けれど違う。


 血で真っ赤に染まった服を着て、顔まで見事に血にまみれた小柄な女が、涙ぐんでこちらを見ていたのだ。


「ひっ!」


 俺は思わずドアから顔を離した。

「ウィリアムはどこ……? 私、彼に会いたいの……」

「あ、あんたは、誰なんだ!」

「お願い会わせて……天国に行く前に、彼を一目でいいから、見たいの……クリスマスプレゼントだと思って、お願いよ……」

 警備員仲間がどよめいた。

「おい、なんだよ、誰がいたんだ!?」

「ち、血塗れの女だよ!」

「ゆ、幽霊じゃねえのか……」

「ウィリアムに会いたいって言ってるが、まさか、前の奥さんが死んで会いに来たんじゃないだろうな!」

「そ、そんなわけあるか!」

「でも、でも夫って言ってたぞ!」

 そう話している間にも、向こうからはしくしくと泣き続ける声が聞こえてくる。

「クリスマスだっていうのに……あの人は私に、プレゼントひとつくれたことはなかった……でも、それでも私はあの人を愛してたの……」

「あ、ああ……」

 皆思わずしんとなって、女の声を聞いていた。ここまで哀れな声もなかなか聞いたことがない。ついつい引き込まれる声だ。

「ねえ、お願いよ……あの人は会いたくないっていうかもしれないけど……私はあの人に、最期に会いたいだけなの。お願い。会って、愛してたと伝えたいだけなのよ……」

 俺らはまた互いに顔を見合わせた。皆、ほとほと困った顔をしていた。武器はみんなとっくに下げていた。なんていったって、今日はクリスマスなのだ。たとえ幽霊でも、こんな悲しげな女に銃を撃つような野暮は、すべきではないだろう。

 俺はなるたけ優しい声を出そうと努めながら、ドアの向こうに話しかけた。

「わかったよ。それなら教えるよ。あんたにゃ少し気の毒な話かもしれないが、ウィリアムなら、今、外出してるんだ。この街のどこかのホテルに泊まって、今日は帰らねぇって話だ。こんなこと言って、俺たちを恨まねえでほしいんだが、まあ、きっと……女と一緒なんだろうよ」

 女はしばらくしんとしていた。俺達は女の様子が気になって、身じろぎひとつできずにいたが、やがて「……わかったわ。ありがとう」という少し悲しみの和らいだ声を聞いて、ほっと息をついた。

「メリークリスマス、ご婦人」

 誰かが悲しそうに言ったのを皮切りに、次々と俺達は同じ言葉を呟いた。返事はなかった。しばらくして、ドアの隙間から廊下を覗くと、彼女はいなくなっていた。

 

 

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