#15 それは殺人に等しいこと
宣告を受けた彼の表情は、固まる。その後表情は融解して、笑い始めた。その笑いは、上っ面だけの寒々しいものだった。
そうか、人って、絶対に暴かれたくない秘密を知られると、こういう態度を取るんだった。『先生』がそうだった。嫌なことを、思い出したよ。
「くくく、くくっ、ははははははははっ!」
「い、五百蔵くん…………?」
後ろで、鴨脚さんの声が聞こえる。彼女の声は、震えている。ガチガチと歯がぶつかり合う音も聞こえる。きっと今の彼女の体感温度は、夏服で南極に放り出された時と同じだ。
僕にとっては、ここからが難局なんだけど……と、しょうもないことでも言わないと、少し僕も、挫けそうだった。
「おいおい、俺が犯人だって? そいつは無いぜ。お前、自分が犯人の可能性が一番高いって分かってて、そんなこと言うんだろ? なあ、本当はお前が犯人なんじゃないのか? 今までのお前の推理、実は全部でたらめでさあ。いや笑っちゃうよ。いや笑えねえ。こんな冗談があるかって――――」
「五百蔵くん。今の君の喋り方は、かつて犯人だったある人と同じだよ。表情が固まって、笑い出して、お喋りになるところまで、そっくりだ」
君の言葉はもう、僕の心に響かない。そんな冷めた声は、ぬるい言葉は、僕の凍りついた心を溶かさない。
僕が挫けそうなのは、失敗という過去に、だ。三年前の失敗を繰り返すんじゃないかと、あの時の光景が頭をよぎる。
そのフラッシュバックを切り捨てて、僕は進む。
「…………どういうことだ!? 九くん、雲母さん、僕たちにも説明してくれ!!」
遊馬くんが堪りかねたように大声を上げる。そうか、他のみんなには、まだ説明してなかったな。傍目には、雲母さんの言う証拠品が『靴』だと分かった瞬間、僕が犯人は五百蔵くんだと言い切った、何とも話の繋がりが分からない会話だっただろう。少し悪いことをした。
雲母さんは目を閉じて腕組みをして、じっとしているだけだ。口も横一文字にきつく結んで、何かをこれから話そうという様子は無い。僕に説明は譲ると、そういう意思表示みたいだ。
「……………………僕が本当の犯行手順を説明する際に、ひとつ落としていたことがあるんだ。犯人が視聴覚室に向かうまでの経路だよ」
「ああ………………っ!」
抱さんは、膝から崩れ落ちる。僕の言葉で、もう分かったみたいだ。御手洗くんは拳を握りしめて、声を発することなくただ五百蔵くんを睨んでいる。このふたりは、今の僕の言葉で気づくと思っていた。
「遊馬くん。君が犯人だったら、どうやって視聴覚室まで行く? 体育館へは一度、顔を出したと仮定して考えてみてよ」
「……そう、だな。まず校舎へは、東側昇降口から入るな。体育館から校舎へ戻るところを、女子の誰かに見られても言い訳ができるようにしたい。東側昇降口から入れば、保健室に寄った上で、鴻巣先生を探して校舎の中をうろついていたと言えそうだ。
ただ、実際は保健室にはすぐ戻れない。保健室には九くん、君がいた。保健室に戻って君に『一緒に探そう』なんて言われると困る。君は体調不良だったから、何とかベッドに寝かしつけることも可能だが、怪しさは残ってしまう。
そこで保健室には戻らず、東側階段を使い二階へあがって、視聴覚室を目指す。手縄くんを殺害したら、東側階段から戻って保健室に寄る。これが一番、怪しまれずに済みそうだ」
さすが遊馬くん。遊馬くんの犯行経路は五百蔵くんの犯行経路を考えるうえでの布石でしかないのに、そこまで綿密に説明してくれるとは思わなかった。僕も、そこまで細かく彼の行動ルートを考えなかった。
そう、ふたりを犯人だったと仮定して、行動ルートを見極めることが重要だ。その思考で、犯人も、雲母さんの証拠も分かった。
ヒントは中央昇降口だ。
「うん。遊馬くんの言うとおりのルートが、一番適切だと思うよ。遊馬くん、少し面倒かもしれないけど、今度は五百蔵くんの立場に立ってくれないかな? 彼のルートを考えてほしい」
「………………? 分かった。……五百蔵くんは、僕とは反対の方向へ向かったんだったな。つまり、五百蔵くんには中央昇降口と西側昇降口のふたつが、視聴覚室へのルートとして用意されているわけだ。しかし五分程度の時間しかないとなると、西側昇降口を使うなんて回りくどいことをする暇もない。必然的に、五百蔵くんが取るルートは中央昇降口だ。中央昇降口から校舎に入り、階段を上って視聴覚室まで向かう。手縄くん殺害後は、同じルートを逆走し昇降口を出て、運動場へ向かう。ああ、そういえば、もし五百蔵くんがこのようなルートを取っても、運動場にいるクラスメイトには気付かれないな。木が壁の様に植わっていて、視界を遮ってしまう。…………と、これでいいのかい? でも、まだ僕には分からない。君はどうして、五百蔵くんが犯人だと分かるんだ?」
「…………そこまで行けばあと一息だよ。思い出すんだ。君が手縄くんの死体を発見する直前の行動こそ、今回の事件を説く鍵だった。僕も君の行動を思い出して、やっと雲母さんの示した証拠に気付いた」
「僕の行動? 中央階段を上ったことか?」
「違う。その前だよ」
「その…………前…………………………っ!?」
そこでようやく、遊馬くんは到着したらしい。五百蔵くんがどうして犯人なのか。雲母さんが示した『靴』という証拠の、大きな意味に。
振り向けば、鴨脚さんがこちらを見ていた。彼女の目には、困惑の色が浮かんでいる。彼女はまだ、気づいていない。他の生徒もまだ気づかないみたいだし、説明しないといけないな。雲母さんはやっぱりまだ、目を閉じたままだ。僕に説明をさせようとする。
いいだろう。ならば僕が、真実を紐解く。手縄くんの死を悲しむためにも。
「五百蔵くんが手縄くんを殺した犯人なら、中央昇降口を通らないといけないんだ。あの、水気が残る床の上を、上履きなしで通らないといけないんだ…………」
当然、靴下は濡れる。遊馬くんはそれを嫌って、二階から迂回するなんて面倒な方法を取った。
「……中央昇降口の水は、ぼ、ぼくが撒いたんだよ。偶然だったんだ。だから、五百蔵さんは回避できなかった………………!」
「そうだよ、肉丸くん。その結果、五百蔵くんは重大な証拠を残したんだ」
それが、『靴』なんだ。
五百蔵くんが笑顔を貼りつけたまま、目の前の僕に言い寄る。正直、気味が悪い。
「おいおーい。俺の靴下は濡れてないぜ? つっても、今さら確認できねえよな。靴下はもう乾いてるだろうし。それにカリカは、俺の靴下を撮影しては無いぜ?」
「靴下が濡れているかどうかは、確認のしようが無い。雲母さんが捜査段階でそんなことをしたら、五百蔵くんを無闇に警戒させてしまう。でもね、中央昇降口を通ったことで濡れるのは、靴下だけじゃない」
そこで、モニターに一枚の写真が映し出される。見ると、雲母さんがデバイスを操作していた。
モニターに現れたのは、『靴』だ。
五百蔵くんの靴。
「無花果くんが言わなかったかしら。わたしが撮った証拠は『靴』だって。考えてみなさい。中央昇降口の靴脱ぎは、水溜りだらけだったじゃない。急いであんなところと通り抜けようとすれば、靴は水溜りに入って濡れる。事前に知っていれば回避のしようもあったでしょうけど、知らなければ慌てて昇降口に入って、水溜りに突っ込んでしまうでしょ? だからわたしは、男子全員の靴を調べたの」
雲母さんの目には、冷たさが戻っていた。刀のような鋭さを纏って、より冷徹に。その冷たさは、五百蔵くんの隣にいる僕にまで届く。
萎縮する。僕は何にも悪いことしてないのに。
弱気になった心を立て直して、僕は雲母さんの言葉に続く。
「写真でどれほどの意味があるか分からない…………って雲母さんが言ったのは、写真だと濡れているかどうか判断がつかないからだよ。だけど、五百蔵くんの靴が濡れていたという雲母さんの証言は、僕が保証できる。僕も五百蔵くんの靴に触れて、濡れているのを確かめたんだ。もっとも、抱さんを探しに運動場へ行くときに、うっかり間違えて五百蔵くんの靴を取り出そうとしちゃってね。僕が確認したのは、それこそ偶然の産物だったんだ」
今回は偶然に頼りすぎた。ま、運も実力の内だと、五百蔵くんには理解してもらおうか。
「ちなみに今日は、というかここ一週間、雨なんて一滴も降ってない。さて五百蔵くん、靴下はともかく、靴が濡れた原因については、他にもっと合理的な原因があるなら教えてよ。ないんじゃないかな?」
「て、てめえ………………」
五百蔵くんが僕を睨む。だから、その行動も含めて、『先生』が三年前にとった態度とそっくりなんだって。
「俺じゃねえ。俺が犯人じゃねえ! 犯人はお前だろ無花果!! まだ俺は納得できねえぞ。まだ返り血の処理が終わってねえ。磔は殺害より先? それは別に構わねえ。だがよお、どうしたって返り血は浴びるよなあああ! 明の口に貼ったガムテープ剥がして殺害すんのには五分もかからねえ。問題は返り血だろ! 返り血の処理まで含めれば、結局十五分くらいかかるんじゃねえのか!?」
「もういいじゃねえか返り血なんて。こいつどう見たって犯人だぞ」
心底面倒そうに、四月朔日くんが唸った。犯人の決定は多数決だ。もうここで終わったって、五百蔵くんが選ばれるのは十中八九間違いない。
五百蔵くんが、それでは負けを認めない。自分の非を認めない。僕はそれだけは、許せない。
せめて五百蔵くんに、自分の犯した罪の重さを知ってほしい。これ以上、このクラスで殺人を起こさないためにも。
「分かりました。返り血について説明すれば、武さんは罪を認めてくれるんですね?」
抱さんも、僕と同じ覚悟だった。立ち上がった彼女は、厳しく五百蔵くんを睨む。
「五百蔵さんはどうやって、返り血を何とかしたのかな? 服を着替えたとか?」
肉丸くんの言葉に、鴨脚さんが答える。彼女はもう、頭が働いている状態じゃなさそうだ。目が光を失って、ショックで立つのもやっとのように、僕からは見えた。それでも、自分の得意分野となると反射的に言葉が出てくるらしい。
「それは…………無いよ。五百蔵くんのピンバッジは、『Star7』の限定品で、五百蔵くんは…………二十個しか持ってないんだよね? それも、ジャージ、とパーカーに全部つけてる」
限界を迎えつつある彼女の言葉を引き継いだのは、御手洗くんだった。
「つまり、武の着ているジャージをもう一着用意するのは不可能ということだ。それに、たとえ用意したとしても、五分では手や顔についた返り血を洗い落として着替えるのは、時間的にギリギリすぎないか?」
そうなんだよな…………ピンバッジの数は五百蔵くんが誤魔化していたってことにもできるけど、結局替えのジャージを用意したって時間が足りない。着替えを用意するなんて普通の解決策だ。僕たちが求めているのは、五分以内にすべてを終わらせるウルトラCだ。
着替えている時間すら惜しい。
「それでは、着替えなかったと考えるべきですね。レインコートでも着て、返り血を防いだんでしょうか?」
「それも考えられる。でも抱さん、レインコートを脱ぎ着したら、服を着替えないことへの根本的な問題解決にはならないよ」
別の服を着たり脱いだりしてどうする。あれだけの出血だ。レインコートで防ごうとするなら、上下セットをしっかり着ないといけない。そんな時間は無いんだって。
「盾でも使えばいいのよ」
「はあ?」
雲母さんの言葉に、思わず変な声を上げてしまう。雲母さんは真面目な顔でこちらを見ていて、およそ冗談を言っているようには見えない、いや、冗談を言うときも真顔だけども! とにもかくにも、彼女が冗談抜きで話をしているのは分かる。
「おあつらえ向きに、視聴覚室にはその盾が堂々と置いてあったわ。使用した痕跡もね」
「その言い草からすると、もう雲母さんには見当がついているみたいだね…………」
盾か。いったい五百蔵くんは、何を使ったっていうんだ? 何を使えば、あれだけの出血を防ぐことができる……………………?
「……スクリーン」
しばらく考えても、答えは出なかった。僕の代わりに答えを言ったのは、抱さんだった。
「無花果さん。たぶん、スクリーンです。スクリーンを使えば、武さんは返り血を防ぎながら明さんを刺せるんです」
「そ、そうか…………あの破れ目か!」
きっと五百蔵くんは、包丁であの破れ目をつくったんだ。そして腕をそこに通して、手縄くんの胸目がけて包丁を振り下ろす。あの破れ目は大きかった。体の小さな抱さんなら、頭が通るんじゃないかってくらいに。
スクリーンの破れ目に突っ込んだ腕は血に染まるけど、それは洗えばいい。腕や顔に着いた返り血を洗って着替えて…………なんてことをするよりは短い時間で済む。洗うのは腕一本なんだから。
さらにおあつらえ向けに、手縄くんの鞄の中には、血の付いたタオルがあった………………!
「まとめると、今回の事件はこういうことになるんじゃないかな。基本的な流れは、僕がさっき言ったのと同じだ。スクリーンの文字は前日に用意して、今朝、君は手縄くんを視聴覚室に呼び出した。美術室から持ち出したハンマーで手縄くんを殴って気絶させた後、五百蔵くんは手縄くんを磔にした。途中で目覚めて叫ばれると困るから口にガムテープをしておいて、君は教室へ帰る。ガムテープは、手縄くんの鞄に入っていたやつだよね。君は手縄くんの鞄に、要らない物を突っ込んでおくことにしたんだ。少しでも事件を複雑にするために」
その結果、御手洗くんは手縄くんが返り討ちにあった線を考慮せざるを得なかった。捜査かく乱の効果はあった。
「包丁は視聴覚室にあらかじめ置いておいて、ハンマーは朝のうちに焼却炉へ入れてしまう。そして二時間目だ。君は途中で、肉丸くんが転んで怪我をしたのを口実に、体育を抜け出したんだ。今思い出すと、肉丸くんが転んだ原因は五百蔵くんとぶつかったからだった。君はわざと、肉丸くんを転ばせたんだよ。保健室に肉丸くんを送り届けた後、遊馬くんは体育館へ鴻巣先生を呼びに行き、君はひとりになった」
五百蔵くんの表情が、再び固まっていく。じりじりと、僕が五百蔵くんを追い込んでいるのだ。
僕の行為は、少し非人道的なのかもしれない。分かり切ったことを一から説明して、彼を重圧に押しつぶしていく。人を追い詰める行為は少なくとも道徳的じゃない。
人殺しと、いい勝負だ。
「君は運動場へ戻るフリをして保健室を去り、中央昇降口から視聴覚室に向かった。視聴覚室は中央階段を上ってすぐだから、五百蔵くんが向かうとするなら中央昇降口を通るルートが一番近いんだ。でも、そこで誤算が起きた。肉丸くんが今朝、昇降口内に水をばら撒いてしまっていたんだ。床は雑巾で拭いたみたいだけど水気が残っていたし、靴脱ぎの辺りは水溜りだらけだ。慌てていた君は確認を怠って昇降口に踏み込んだから、靴を濡らしてしまった。廊下を通れば靴下も濡れた。それが証拠になってしまうことは君も覚悟していただろうけど、もう止めることはできなかった。
動き出したら止まらない。人が人を殺さないのは、難しい」
狂いだした歯車は、歯止めがきかない。五百蔵くんがどんな理由で殺人に挑んだのかは知らないけど、狂った結果だということは変わらない。
それを言うなら、真っ先に狂っていたのは僕だ。『先生』を殺して、のうのうと生きて、その結果がこの『義務殺人』。
狂った人間を止めるには、同じくらい狂った人間がぶつかるしかない。
君が少しでも罪悪感を覚えてくれるなら、僕は狂ったままぶつかってやる。
「やめろ、それ以上言うな! 俺が、犯人になっちまう!」
そんな生易しい言葉で、狂った僕は止められない。五百蔵くんの叫びは、右から左へ抜けていく。
「視聴覚室に向かった君は、手縄くんの口元に貼っておいたガムテープを剥がす。………………いや、そうじゃないな。僕や御手洗くんは、彼の顔についた僅かな血痕が不自然な形をしているから、ガムテープが貼ってあると気付いたんだ。ならば、先に刺したんだ。君は包丁でスクリーンに破れ目をつくり、袖を捲って腕を破れ目に通した。そしてそのまま、刺した。その後でガムテープは、スクリーンの破れ目に突っ込んだ腕で剥がしたんだ。腕に着いた返り血は、垂れて血痕を残さないようにタオルである程度拭いた後、中央昇降口の水道で洗った。返り血を拭き取ったタオルはこれまた手縄くんの鞄にねじ込んで、洗った後の水滴は普段持ってるハンカチとかで拭いたんだね。そして何食わぬ顔をして、君は運動場に戻って行った」
僕がそこまで言うと、彼にはもう、反論の余地が残っていない。すべて解決した。僕は、やるべきことを全てやり切った。
五百蔵武。北花加護中学の『義務殺人』における最初の犯人は、膝をついた。
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