#12 僕にできる唯一の弔い

「それじゃ、捜査再開だ」

 手縄くんの死因も分かった。磔にされているのも分かった。そのふたつを念頭に置けば、犯行が五分や十分でできることじゃないのも分かる。でも僕は犯人じゃない。

 そうなると何か、仕掛けがあるな。

「とはいえ、仕掛けなんて…………。まずもって、どうして彼がここにいるのかも分からないのに」

 そうそう。彼は今日、学校にいないなずなのだ。それなのに、こうして視聴覚室で死んでいる。この矛盾は、どういうことだ?

「…………ああ、赤ペン先生は手縄くんが欠席なんて言ってなかったな」

 『何もないんですけどー』。それが先生の言葉だ。ははあ、そりゃ、手縄くんはこうして学校にいたんだから、欠席ではないな。死体となって発見されるまでの間、どこにいたのかは気になるけど。

「とにかく、彼が学校に来ていたということは、どこかに鞄があるはずだ」

 まさか手ぶらでは来ないだろう。大なり小なり、鞄は持っていたに違いない。教室になかったから、そうなるとどこか別の場所………………って、あ。

 手縄くんの鞄は、視聴覚室にあった。視聴覚室の机の上に、堂々と置かれていたのだ。でも、僕が最初に死体を発見した時は、こんなところに鞄なんてなかったな…………。雲母さんから探偵のレクチャーを受ける直前にも、これらしい鞄は見なかった気がするし…………。

「その鞄が気になるか? どうやら確かに、明の鞄らしいぞ」

 一通りの捜査を終えたのか、御手洗くんが僕の方へ歩いてきた。その言い草から察するに、この鞄を見つけたのは彼のようだ。

 それにしても御手洗くん、今までにないくらい目が生き生きしているような気がする。僕の気のせいだといいんだけど…………。

「御手洗くんが見つけたの?」

「ああ。ここの机の下にあったんだ。犯人は、鞄を隠そうとはあまり思ってなかったみたいだ」

 すぐに見つかるような場所にあるくらいだ。じゃあ、鞄の中に何か重要な手掛かりがあるとも思えない。犯人が手縄くんの鞄をここへ持ってきたのは、あくまで彼が欠席していると思わせるためだけだろう。

 そう思ったけど、鞄の中を覗き込んでみると、僕の予想は外れていた。

 手縄くんの鞄の中には、およそ学校生活では不必要と思われるものがあった。ガムテープだ。なんでこんなもの、鞄の中に?

 何か、必要な場面が過去にあったのかもしれない。そしてそのまま、鞄の中に入れっぱなしになっていたとか。今は、切り捨てておいても問題無さそうな不自然さだ。放っておこう。

 もうひとつ、鞄には何か入っていた。これは、血の付いたタオルだ。うわ、べったり血が付いてる。でもこれも、今は放っておくしかないのかな。

「御手洗くんの捜査は進んでいる? 熱心に手縄くんの死体を調べてたみたいだけど」

「ああ。おかげでいろいろな」

「じゃあ、教えてよ」

 捜査に置いて僕たちは、敵対する理由がどこにもない。彼は二つ返事で了解して、手縄くんの死体に残る不自然な部分について説明を始めた。

 さらに一層、御手洗くんが楽しそうに見えたのは、気のせいなのかな。僕も僕で慎ましい感情を抱けていないから、どうも指摘しにくいんだけど。

「そうだな。まず、明の頭頂部に瘤があるのは分かるな?」

「うん。それは、すぐに分かった」

 つまり、それくらい大きな瘤なのだ。手縄くんは丸坊主で髪が短いとはいえ、遠目にも瘤ははっきりと見える。思いっきり殴られたみたいだ。

「おそらくあれくらいの傷なら、一撃を受けた明自身は気絶したはずだ」

「だったら、気絶させて胸を刺して、それから磔にしたってことだよね?」

 それが犯人の、犯行手順だ。うん、それなら綺麗に胸を刺せるし、争った形跡が手縄くん自身にも教室にも残っていないのは当たり前だ。

「胸の包丁は、きっと家庭科室から失敬したんだろうな。後で確認が必要だが、耕一が言うには、家庭科室の包丁を保管する棚には鍵がなかったそうだ」

「物騒だね。普通なら、鍵はついてるものだけど」

「理科室の薬品庫にも、美術室の工具置場にも、鍵はなかったらしい。凶器は調達し放題だ」

 そういう面で、密かに生徒の殺人を促しているということか。表立って煽らない分、なんとも厄介だ。とはいえ、家庭科室で調達できなければホームセンターで買うなりするだろうから、鍵があったところで今回の事件が防げるとも思えない。

「手縄くんを殴った凶器も、そこから調達したのかな」

「そう見るのが妥当だ。もっとも、包丁と違って処分されている可能性が高いけどな」

 そうなると、手縄くんを殴った凶器は見つけるだけ無駄かもしれない。見つかったとしても、それが何か新しい手掛かりになるとは思えなかった。指紋が取れるなら、話は別なんだけど。

 指紋、どうやって採取するんだろう。取れるならそれが一番手っ取り早いんだけど、さすがに誰も指紋採取セットは持ってないよなあ。

「…………無花果、明の口元は確認したか?」

 一通り説明したかに思えたところで、御手洗くんは唐突にそんなことを言った。

「…………? いや、まだだよ」

「よし、ちょっと確認してこい」

「……あ、うん」

 どういう意向が御手洗くんにあるのかは分からないけど、この場で御手洗くんが無駄なことをするとは考えにくい。きっと、捜査の上で重要な何かがあるはずだ。

僕は意を決して、血溜まりの中に踏み込んだ。もう乾いているのは分かっているけど、それでも赤黒く染まった床に足を付けるのは生理的に受け付けなかった。その嫌悪感を振り払って、手縄くんに近づく。

 一方で、先に捜査をしていた雲母さんは視聴覚室の後方に移動していた。全体から、手縄くんの死体を見ているみたいだ。遊馬くんは、もう視聴覚室にいなかった。

 間近で手縄くんの死体を見る。遠くから見た時と同様に、その死体は磔にされていること以外に疑問点は少ない。

 どうして磔にされているのか。それも後で考えないといけない問題だ。今はともかく、手縄くんの口元を観察しよう。

 手縄くんの顔は、ほとんど返り血を浴びていない。それは特に不自然だとも思わない。ただ、顔に僅かながら付着した血痕が、おかしな形をしていた。

「……マスキング?」

 ペンキを塗る際、はみ出て余計な部分まで塗らないように保護するテープを、マスキングテープと呼んだ気がする。それが最初に思い浮かんだ。

 手縄くんの顔にはいくつか、丸い血痕が付着していた。水玉とでも言うのかもしれない。でも、口元だけは血痕が無い。

 そして左の頬骨の辺りにある血痕は、下側だけが切り取られて半円になっていた。そう。まるでマスキングテープを貼って保護したみたいに。

 口元に人差し指で触れる。ペタペタと、僕の指が手縄くんの口元に引っ付いたり離れたりする。そのベタつきは、唾液が原因のそれではない。もっと明確に、引っ付こうとする意思のある物だ。

 粘着剤。そんな気がした。左頬の不自然な血痕からも、手縄くんの口元に何かが貼られていたのは間違いない。

「もしかして、ガムテープでも貼ったのかな。口封じに」

 同時に、手縄くんの鞄に入っていたガムテープが思いつく。あれかな? ガムテープは持っていてもそこまで怪しまれるものではないけど、犯人としては隠したいに決まっている。手縄くんの鞄に突っ込むことで、彼の持ち物だと思わせたかった、とか?

 …………変だな。口にガムテープを貼る理由は、口封じくらいしか思いつかない。でも、その前に頭を殴って気絶させてるんだよね。それは二度手間というか、無駄な行為じゃないかな。頭部への殴打と口封じ、どちらが先に行われたとしても、一方が無駄な行いだ。

「ガムテープを貼った理由は、口封じで間違いないだろうな」

 御手洗くんが発言する。彼も、それ以上の理由は思いつかないらしい。

「それにしても、手縄くんはどうして授業に出席しなかったのかな?」

 結局、それが一番不思議なんだよね。欠席していると思ったら、次の瞬間には死体になっているのだ。これはどういうわけだろう。彼は、どんな思惑があってそんな行動を取ったのか。

「…………なんだ、それならすぐに分かるだろ」

「え?」

 僕の疑問が的外れであると言わんばかりの御手洗くんの口調だった。彼には手縄くんの行動について、心当たりがあるようだ。

 ……僕も実は、心当たりが無いわけではない。ただ、それはあくまで一昨日までの手縄くんのイメージに合わせた想像だ。

「明はきっと、誰かを殺そうと画策していたんだ。俺は返り討ちにあって死んだんじゃないかと思ってる。鞄の中のガムテープが良い証拠だ」

 それは違う。それだけは違うと断言できる。証拠は無くとも。

「……そう、かな。うん、それくらいしか想像できないんだよね」

 どうも僕は、一歩先どころか二歩先からのスタートをしているみたいだ。

 御手洗くんのその推測は、たぶん適切だ。僕も初日のままの手縄くんのイメージを持っていたら、そんな想像をしていた。でも、今は違う。彼は自分の口から明確に、殺人を拒否した。

 人間に心変わりはつきものだけれど、一日で意見を翻すような真似をする人間がいないのも、また事実。手縄くんが自分の意志で誰かを殺害しようと、欠席のふりをして校舎に潜入していたとは考えにくかった。

 僕が犯人なんじゃないかという疑い。手縄くんは殺人を画策していたんじゃないかという疑い。このふたつの疑いが無い分、素人ながらに僕は御手洗くんや雲母さんよりリードしている。

「ちょっと、いいかしら」

 視聴覚室にいた雲母さんが、僕に呼びかける。振り返ってみると、彼女は天井を見ていた。いや、天井というか、黒板の上あたりだ。そこには、巻き取られたスクリーンがあった。黒ずんだ赤色に、滲んでいる。

「あのスクリーンは死体を発見した時、どうなっていたの?」

「あ、ああ」

 すっかり忘れていた。発見直後のスクリーンは下りていて、赤い文字が書かれていた。目の前の死体にばかり気を取られていて、そっちは思い出せなかった。

 …………ていうか遊馬くんも視聴覚室を出る前に何か言ってくれたらよかったのに。

「下りていた。手縄くんの死体を隠すようにね。スクリーンには、血文字みたいなものが書かれてたよ」

「そう。後で調べましょう。まだ、死体を検分したい人がいるみたいだから」

 雲母さんが言い終わるか終らないかのところで、すぐ横の扉が開かれた。入ってきたのは遊馬くんと、五百蔵くんに鴨脚さん。さらに後ろから肉丸くんと鴻巣先生が続いた。

「…………うっ、これは」

 一度体育館で映像として見ているとはいえ、実物はより悍ましい。遊馬くんや鴻巣先生は別としても、残りの三人は顔を歪めずにはいられなかった。

「ひでえな…………。いったい誰が」

 五百蔵くんが呟く。その声に驚愕はあっても悲愴は無い。

「…………………………」

 鴨脚さんは言葉を発しない。吐かないのが精いっぱいという様子だ。なら何故、彼女は来たのか。もしかしたら、少しは真相に近づきたいと思っているのかもしれない。

 肉丸くんは鴻巣先生の後ろに隠れていて、手縄くんの死体がある方向を見ようともしなかった。彼こそ、どうしてここまで来たのか不思議だ。

 そして鴻巣先生。問題の鴻巣先生だ。先生からこっちに来てくれたのはありがたい。探す手間が省けた。

「鴻巣先生、ちょっと聞いていいですか?」

「うーん? わたしがどうして体育の授業を抜け出したかって? 耕一くんと守ちゃんと乙女ちゃんにも聞かれたよ」

 胸ポケットに挿していたペンライトを取り出してクルクル回す鴻巣先生。手縄くんの死体を見ても、彼女は動じない。学校医というからには医者の端くれなのか、死体に慣れているという印象が誰よりも強かった。

 見慣れたものがいつもの風景に付け足されただけ。先生がそんな風に思っているのは、表情を見て分かった。

「実はね、手紙を貰っちゃったんだよね。でも手紙のとおり会いに行ってみたら誰もいなくって」

 そう言って鴻巣先生は、懐から手紙を取り出す。ファンシーな花柄の便箋だ。字は丸っこい。女子が書いたように見える手紙だけど、そうと判断するのは早い。

 手紙には簡潔に、『二時間目が始まってから二十分後に、校舎裏の焼却炉まで来てください。相談したいことがあります』と書かれていた。

「誰もいなかったんですか?」

 あ、そうか。二時間目の体育に出席していなかったのは僕だけだ。そして鴻巣先生が「誰もいなかった」という以上、途中で抜けた肉丸くんたちは焼却炉に向かっていないということになる。

「そうね。誰もいなかったけど、焼却炉の中にハンマーがあったわ」

「ハンマー?」

 それって、もしかして………………。

「事件とどう関係があるかは知らないけど、ハンマーが焼却炉の中にあるって変よね」

 鴻巣先生がペン回しをしたまま、興味無さそうに言った。中立という立場は赤ペン先生と僕たちだけでなく、犯人に対しても同じらしい。滅多なことを言って犯人を不利に追い込まないよう、注意しているみたいだ。さっきから鴻巣先生の言葉は、普段より口に出てくるのが遅い。

「乙女ちゃんが焼却炉の方へ、そのハンマーを取りに行ったわ。後で見せてもらうといいかもね」

「乙女ちゃん…………って阿比留さんのことですよね」

 ちょっと誰だか、分からなくなるところだった。名前とイメージにギャップがありすぎる。阿比留さんは苦手だけど、事件解決のためなら仕方ない。後で見せてもらうとしよう。

「鴻巣先生が焼却炉に着いたのは、いつぐらいでしたか?」

「手紙通りよ。授業が開始されてから、二十分後くらいかしら」

 そしてそこから先、焼却炉に誰も向かっていない。そうなると、そのハンマーが事件に関係していると仮定するなら、犯人はそのハンマーを、鴻巣先生が到着する前に焼却炉へ捨てたことになる。

 なんかますます、僕の疑いが濃くなるなあ。僕が犯人なら、今のところすべての筋が通ってしまうんだから。

「ところで、この『被害者データ』を書いたのって鴻巣先生ですか?」

「そうよ。わたしが作ることになってるの」

 それなら、鴻巣先生にはそれなりの知識と技術があるということになる。僕が知りたいことを、ちゃんと教えてくれそうだ。

「ちょっと気になったんですけど、手縄くんの出血って多すぎないですか? あれで普通なんですか?」

 手縄くんの出血。僕以外の誰かが犯人だとして、どうやって殺したのかを考えると、どうしてもぶつかる問題があった。時間だ。男子だろうが女子だろうが、僕以外の生徒に一人になる時間はほとんどなかった。手縄くんを磔にして返り血も洗って、なんてそんなことを悠長にしている暇はない。

 ならばどうするか。どこか、何らかのテクで短縮できる場所があるんじゃないかと思ったのだ。磔は短縮が難しそうだけど、返り血はもしかしたらできるかもしれない。そうすれば、犯行に掛かる時間は半分くらいになりそうだ。

「致命傷の傷には包丁が刺さってますし、ああいう状態なら出血はあまり酷くないって聞いたことがあるんですけど」

 あの出血は、犯人の仕掛けなんじゃないか。ペンキや血糊で再現しただけのものなんじゃないか。そういう想像があった。しかし鴻巣先生は、それを否定する。

「まあ、そういうこともあるわね。でも、明くんに刺さってる包丁は、心臓まで到達してたのよ。包丁で傷に栓したくらいで止められる出血量じゃなかったってだけ」

「お、無花果、何か思いついたのかよ」

 五百蔵くんが茶々を入れる。それは無視するとして、他にもいろんな人に様々なことを聞かないとな。

「五百蔵くん、君は保健室を出てから何分くらいで運動場に戻った?」

「な、なんだよ。俺を疑ってるのかよ!」

 いきなり狼狽え始めた。いや、僕以外に犯人がいるとするなら、君と遊馬くんは容疑者の筆頭だよ。それくらい、すぐに理解してほしかった。

「俺は五分くらいで戻ったぞ! なあ、清司」

 手縄くんの死体を見ていてた御手洗くんがこっちを向く。彼は慎重に、五百蔵くんの言葉に答えた。

「……いや、俺はお前が保健室を出た時間を知らないから、正確な所要時間は分からんぞ。それでも往復で十分程度だったのは、確かだがな」

「往復で十分か…………」

 短いな。たとえ返り血をなんとかしても、そんなんじゃ磔にはできない。しかも往復で十分だ。保健室を出てから運動場に戻るまでにかかった時間は、五百蔵くんの言ったとおり五分くらいしかなかったのかも。

「遊馬くんは、何分くらいで保健室に戻ってきたっけ?」

「…………僕も、五分くらいだ」

「ぼ、ぼくもそう思うよ」

 遊馬くんの答えに、肉丸くんが賛同する。僕も肉丸くんに賛同だ。遊馬くんが保健室を出てから戻ってくるまで、五分くらいだった気がする。

「今のところ、一番怪しいのは無花果くんということになるわね」

 雲母さんがぼそっと言う。言ってしまう。からかい半分なんだろうけど、みんなが混乱するからやめてほしい。

「僕はやってないんだけどね。だからこそ、困ってるんだ」

 五百蔵くんたちは、いまいち信じてくれないみたいだ。僕を見る目つきが怪しい。

 五百蔵くんはジャージについたピンバッジを弄びながら、手縄くんの死体と僕を交互に見る。…………ピンバッジ、か。

「五百蔵くんって、ピンバッジ好きなの? 運動するための格好にまでピンバッジを付けてるあたり、並々ならぬ信念を感じるんだけど…………」

「これか? 俺は別にピンバッジマニアじゃねーよ。これは『Star7』の限定品だぜ!」

 うおう。急にテンションあがったな。

「『No’s』も知らなかったお前が『Star7』なんて知ってるわけないか。世代的には『No’s』のさらに前に活躍したアイドルグループだ。俺はそのグループのファンなんだよ。苦労したんだぜこのピンバッジ集めるの! コンサートの時に数量限定で発売された物で、今じゃ売ってない代物だ」

「すごいよねー五百蔵くん。二十個持ってるんだったっけ? あたしだって『No’s』のピンバッジは持ってるけど、そんなに集めなかったよ」

「へ、へえ。じゃあもしかして、パーカーとジャージに付いてるので二十個なんだね」

「おうよ。俺の自慢のコレクションだ!」

 コレクションを普段から身に着けるという感性はイマイチ理解できないけど、コレクションをどう扱うかは人によって違うのかもしれない。僕だったら誰の目にも触れないところにそっと隠しておくな。

 うーん。でもそうなると困るんだよ。手や顔についた返り血は洗えばいいけど、服についた返り血は落ちない。僕はてっきり、誰が犯人であったとしても、服は着替えているものと思っていた。全員着ている服はバラバラだけど既製品のはずだから、代わりを用意するのは難しくない。でも、五百蔵くんのピンバッジは用意できない。限定品の上に、所持数が分かっていて、パーカーとジャージで全部だ。似たピンバッジを用意すれば僕みたいに『Star7』に興味の無い人は騙せるけど、鴨脚さんは騙せない。『No’s』ではないにしてもアイドル絡みで、鴨脚さんが見落としをするとは考えにくい。彼女が何も言っていない以上、五百蔵くんのジャージについたピンバッジは本物のようだし…………。

 すると容疑者の中で犯人の可能性が一番高いのは、遊馬くん?

「…………ちょっと、阿比留さんに話を聞いてくるよ。五百蔵くんたちはどうする?」

「俺は明の死体を調べる」

「あたしも」

「………………」

 肉丸くんは、鴻巣先生の後ろを離れようとしない。つまり現状維持だ。

「無花果くん」

 視聴覚室を出るところで、雲母さんが僕を呼んだ。

「しばらくしたらスクリーンを下ろすから、必ず戻って来なさい」

「……分かった」

 それだけ言って、視聴覚室を出た。そうだな、スクリーンも調べれば、何か決定的な証拠を見つけられるかもしれない。今はまだ調べていないところを調べて、情報を集めよう。

 犯人はどうやって犯行時間を短縮したのか。それは後で考えよう。

 中央階段を下りて中央昇降口の近くまで行くと、そこに他のクラスメイト達がいた。視聴覚室に踏み込んで死体を見るのは怖い。でも、ただ何もしないのは気持ちが悪いということなのか。結局困ったみんなは、犯行現場の近くに集まっているだけだ。

 その集団の中に、阿比留さんを見つける。抱さんは、この中にいないみたいだ。

 阿比留さんも僕に用があるのか、僕が近づくより先に阿比留さんの方が近づいてきた。両手に白い布で包まれた物を持っている。

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 尋ねてきている割に、高圧的というか押し付けがましいというのか。阿比留さんは有無を言わさない口調だった。

「あんたが犯人って、本当?」

 そして僕が許可を出す前に、阿比留さんは内に秘め続けていたであろう疑問を口にしてしまう。周りのクラスメイト達がその言葉に反応してざわつき始める。

 どうせそんなことを聞いてくるんじゃないかと思っていたけど、大勢の前で言われるのは予想してなかった。否定したところで意味が――意義がないのは承知の上なので、僕はただ「さあね」と適当にはぐらかすに留めた。

「否定しないの?」

「否定したところで、阿比留さんは信じないだろ? それより、焼却炉にあったっていうハンマーを取りに行ったんだよね? 見せてくれないかな」

「…………いいけど」

 阿比留さんは少し言い淀んだあと、持っていた白い包みを開いた。

「別に、ただのハンマーだった」

 姿を現したハンマーは、煤汚れがある他は普通のハンマーだ。阿比留さんが言うように、ただのハンマー。

 手に取って細かく観察してみても、何か変わったところがあるということはない。柄の部分に『美術室』と書かれたラベルがあることから、美術室で調達された物らしいのは分かる。それだけだ。

「これが事件と関係あるの? 誰かが悪戯で焼却炉に放り込んだだけじゃない?」

「たぶん関係はあるよ。でも、このハンマーが見つかったところで確認できたのは、手縄くんを殴って気絶させるのに使った鈍器はハンマーだったってことくらいだ」

「ううん、事件と関係があるなら、どうせ焼却炉に入れたんだし燃やせばよかったのに。そうすれば発見される可能性も低かったんじゃない?」

「阿比留さん、焼却炉の動かし方分かる?」

「それは…………分からないけど」

 なら、犯人も知らなかったんじゃないかな。僕も知らないし。このハンマーは決定的な証拠にならないから、極論を言えば視聴覚室に置き去りでも問題ないはずだ。そうしなかったのは、証拠を隠さずにはいられない犯人の性だ。

 犯人からすれば、どんな証拠から悪事が露見するか分からないのだから、隠せるものは隠したい。

「そういえばさ、九。なんで犯人は、えっと、手縄を磔にしたと思う?」

 犯人になんでこんなこと聞いてるんだろあたし。心の中でたぶん、彼女はそう思っている。それでも聞かずにはいられなかったみたいだ。彼女は本当に、言いづらそうに喋った。嫌いな食べ物を無理矢理食べている時のような顔をした。

「頭を殴って気絶させたって、遊馬が言ってたっけ? それは分かるよ。殺すやつが気絶してた方がやりやすいもん。でも、磔は殺害の後でしょ? ほったらかしにすればいいのに、どうして磔にしたの?」

「それは僕が聞きたいよ」

 そのせいで僕は、有力な容疑者を絞りきれないんだから。五百蔵くんか遊馬くんかなと思っても、二人ともひとりでいた時間は五分くらい。そんな時間じゃ、手縄くんは殺せても磔にはできない。

 磔さえなければ。

「……抱さんはどこにいったか知ってる? 聞きたいことがあったんだけど、姿が見えなくて」

 磔の問題も後にして、抱さんとコンタクトを取ることにしよう。あの頭が回りそうな彼女なら、もしかしたら僕の思いつかないようなアイデアを思いついてくれるかもしれない。

 それに今、彼女がどういう心境で捜査に臨んでいるのかも知りたい。手縄くんがどういう人間だったかを、他のクラスメイトよりも知っている。そして、僕と違って彼の死を悲しむことができる。そんな彼女は、今どんな想いの中にいるのか。

 それを知ったら、少しは僕も誰かの死を悲しめる気がして。

 阿比留さんには、抱さんに逃げられたことは内緒にしておいた。それを言ってしまうと、もし抱さんの居場所を知っていても、教えてくれない可能性がある。

「運動場に行ったみたいだけど…………」

「ありがとう。じゃ」

「あ、ちょっと待ちなさい!」

 急いで中央昇降口を離れようとする僕の腕を掴んで、阿比留さんは僕を制止させた。阿比留さんの指が腕に食い込んで痛い。握力はかなり強かった。やっぱり彼女、テニスでもしてるのかな。

「な、何?」

「何じゃない! この惨状を説明しなさいよ!」

 そう言って阿比留さんが指さしたのは、中央昇降口の中、靴脱ぎの部分だ。そこに大量にできた水溜りを、彼女は指差している。

「何これ? ここだけ雨でも降ったの? よく見るとここの床も湿っぽいし! 上履き履いてなかったら靴下濡れてたわよ」

「これは僕がやったんじゃないよ。肉丸くんが正面の花壇に水を撒こうとしたら、うっかりこの辺に散水しちゃったみたいなんだ」

「ふうん。肉丸が。なら仕方ないわね」

「…………仕方ないんだ」

 納得。肉丸くんならやってもおかしくないと。たった一週間そこらで、彼もずいぶんな天然ボケ扱いだ。

 阿比留さんの手に込められた力が緩むのを感じ、振りほどいて一気に駆けた。まだ何か後ろで阿比留さんの声が聞こえるけど、もう無視だ無視。

「待て! 証拠でも捨てに行く気!?」

 そんなこと大声で言うな! もう僕は犯人確定なのかよ!

 ……と、叫びたくなるのをぐっと堪えて西側昇降口まで走り抜けた。阿比留さんを振り切ったところで走る必要は無かった。でも抱さんと入れ違いになるのを避けたい思いもあって、昇降口に着くまで走ることにした。運動不足の身には厳しい。

 息を切らしながら、靴箱から靴を取り出そうとした。靴を右手で掴んだ瞬間、まったく予想しない冷たさを感じて思わず手を引っ込めた。

「な、なんだ…………?」

 もう一度、自分の靴に触れてみる。冷たさは感じなかった。さっきの冷たさは気のせいだったのか。いや、そんなはずはない。

 何となく、隣の五百蔵くんの靴を掴んでみた。今度は、冷たかった。

 どうも僕はさっき、自分の靴と間違えて五百蔵くんの靴を掴んでしまったらしい。

「…………じゃあこの冷たさは何だ?」

 汗? 濡れているのは確かだ。ううん、汗には思えないんだよな。さっきまで体育でサッカーをしていた五百蔵くんの靴が汗で濡れていること自体は自然だ。だけど、汗ならもっと生暖かい。熱が引いて冷たくなったのかとも考えたけど、昇降口の風通しを思えばそれも不自然だ。だって中央昇降口は二時間以上が経過した今になっても、今朝撒かれた水が蒸発していない。乾く気配が無い。それくらいは風通しが悪い。基本的には同じ造りの西側昇降口だけ風通しが良いってこともないよな…………。

「ま、いっか」

 五百蔵くんの靴なんて、今考えることじゃない。僕は靴を履いて昇降口を出ると、息が切れない程度の小走りで運動場を目指した。

 抱さんは、まだ運動場にいた。運動場の真ん中で、じっと校舎の方を見ていた。遠目には、視聴覚室にいた時よりは落ち着いているように見える。さて、実際はどうだろうか。

「抱さん!」

 呼びかけてから、抱さんに近づく。今度は逃げられずに済んだ。抱さんは僕が近づく間、足を動かすこともしなかった。

「どう? 何か分かった?」

 視聴覚室で逃げられたことについては、何も言わないことにした。僕が犯人の最有力候補である以上、仕方ないことだと割り切るしかない。それより今、逃げないでくれたことに感謝しよう。

「…………あの、無花果さん」

 抱さんはじっと、僕を見た。目元が少し赤い。泣いていたのかもしれない。

 人が死んだら悲しい。人が死んだら涙が出る。そんな普通の感覚が、羨ましかった。

「すみません……視聴覚室では…………」

「いいよ。気にしてないから」

 本当は大ダメージだったけど。

「…………優しいんですね、無花果さんは」

「優しいわけじゃない。現に僕は抱さんと違って手縄くんの死を悲しめてないんだ」

「でも、優しいです」

 それだけ言って、抱さんはほほ笑んだ。違和感しかない、外側だけ作りこんだ笑い。ハリボテの笑顔は、それでも前に進もうとする強さの表れだった。

 表情はすぐに崩れて、抱さんは俯く。しばらくして顔を上げた彼女は、いつも通りに戻っていた。そんな風に、人は悲しみを隠すことができるのか。

「すみません。何の証拠もなく無花果さんを疑っても意味がありませんでした。それに、悲しんでいても、明さんが救われません」

「そんなことは………………」

 悲しむことで、救われる想いはある。そう言いたかったけど、そんな僕自身が一番悲しめていないと思うと、なんだか滑稽だった。それに、悲しみを飲み込んだ彼女の決意に横やりを入れたくない。

「無花果さん。絶対に、犯人を突き止めましょう。わたしにはそれくらいしか、明さんの悔しさに報いる方法が思いつきません。他のみなさんは明さんの死を、あまり悲しんでいる様子もありませんし…………」

「そうだね。それは、僕も思っていた。手縄くんの仇を取れるのは、僕たちしかいない」

 肉丸くんはどうかな。彼は仇を取りたいとか、そんな攻撃的な感情を抱くタイプじゃないかもしれない。それでも、手縄くんの死を悲しんでいる人物のひとりだ。僕たちと、気持ちは同じはず。

「抱さんはここで何を?」

「今回の事件は、どうも男子生徒が主軸のようでした。そこで男子のみなさんが体育の時間にいた運動場に行ってみようかと。男子と同じ視点に立てば、何か思いつきそうだったんです」

 女子はまだ、体育で運動場を使ったことがない。そこで事件当時の男子生徒になりきってみようと、抱さんはここにいたのか。僕もそうするべきだった。容疑者の筆頭たる五百蔵くんや遊馬くんも、最初はここにいたじゃないか。この視点は大事だ。

 抱さんは校舎の方を指しながら、気づいたことを説明してくれた。

「ここに来て初めて気づいたんですけど、運動場からだと校舎の一階部分が見えないんですね。それに、校舎前の道も、三つの昇降口も見えません。実際、無花果さんがどの昇降口から出てきたのか分かりませんでした」

「……木が、邪魔なんだ」

 校舎の前には、アスファルトの道がある。そしてその道と運動場の間には、木が並んで植えられている。その木は背が高く、しかも葉は低いところからびっしりと生えている。これじゃあ、まるで壁だ。保健室から運動場の様子は見えないし、こっちからだと校舎の一階部分は隠れてしまう。校舎前の道を誰かが通っても、まったく見えない。

 体育館とプールも見えないし、駐車場も見えないな。

「どうして運動場にいた耕一さんが、焼却炉に向かう鴻巣先生に気付かなかったのか不思議だったんですけど、こういう理由だったんですね」

「…………え? 鴻巣先生、わざわざ西側から迂回して校舎の裏に行ったの?」

 校舎の裏側くらい、東側からでも行けそうなのに…………。

「東側にはフェンスがあって、裏手に行けないんです。内側から鍵を開ければ通行は可能みたいですけど、鍵はかかってました」

 じゃあ、鴻巣先生は体育館から校舎の前を――――校舎と木々の壁に挟まれたアスファルトの道を通って、大きく迂回して校舎の裏手にある焼却炉まで向かったのか。犯人も焼却炉に向かいたかったら、その道を通るしかない。

「あ、そうか……。鴻巣先生が焼却炉に着いたのは、授業が始まってから二十分後くらいだった。そして、遊馬くんたちが保健室に肉丸くんをつれてきたのは授業開始からだいたい三十分後だ」

「運悪く、道で出くわすということはなかったんですね」

 彼ら三人からすれば運は悪かったけど、犯人からすれば計画通り、なのかな…………? 鴻巣先生の手紙には『授業開始から二十分後』と明確に書かれていた。

「あれ? でも、鴻巣先生に宛てられた手紙が犯人の仕業だとするなら、犯人は遊馬くんなんじゃ…………?」

「えっ? どういうことですか?」

 しまった。不用意な発言で、抱さんを混乱させてしまったかも。

「いや、遊馬くんは自分が鴻巣先生を探しに行くって言って、五百蔵くんは帰したんだ。もし鴻巣先生に宛てられた手紙が犯人の工作で、ひとりきりになるための口実作りだとするなら、犯人は遊馬くんだよ」

 そうとしか思えない。抱さんは、僕のそんな考えを否定した。

「そうとは限りません。ひとりきりになれればいいのですから、武さんも容疑は晴れません。むしろ武さんが犯人なら、耕一さんからひとりになるための口実を切り出してくれて、ラッキーだと思いますよ」

「そっか」

「それに武さんや耕一さん、枇杷くんや無花果さんに疑いを向けること自体、犯人の思惑かもしれませんし」

「……僕は偶然にしても、三人は……偶然?」

 だって、肉丸くんが転んだのも偶然だよな。ああ、頭が混乱し始めたぞ。そろそろ、素人の限界が見え始めたみたいだ…………。

「それも犯人にとっては、ラッキーだったのかもしれませんよ。自分が誰かを転ばせようとしていた時に、運よく枇杷くんが転んだということも考えられます」

「偶然を利用すると、犯人としては都合がいいのか?」

「偶然なら計画者である自分の意向や行動のリンクから外れます。偶然に頼ったら計画じゃない。推理するわたしたちは無意識に、それを前提にしています」

 その前提の穴を、偶然を利用することによって突ける。しかも無意識の前提は、推理する側の思考の外。なるほど。

「……あくまでそういうこともあるってだけで、実例は少ないんですけどね。計画は多少の誤差くらいなら修正できるように組むものですから」

「あまり可能性を詰め込みすぎても駄目か。基本を押さえた上での、応用みたいなものだよね」

「そうですね」

 その後、僕たちは互いの情報を整理してから、視聴覚室に戻ることにした。雲母さんの言葉に従おう。いよいよ調査も大詰めになりそうだ。赤い文字を、調べよう。

 視聴覚室に戻った僕たちを待っていたのは御手洗くんたちだった。メンツは、ほとんど変わっていない。鴻巣先生が消えて、雲母さんと入れ替わりに阿比留さんがいるくらいしか、変化はない。遊馬くんに聞いたら、他のクラスメイトは結局死体を検めなかったとのこと。そんな状態で『緊急HR』に入るというのか。

 この事件の真相を明らかにできるのは、僕たちしかいない。僕と抱さんは目線で、それを再確認した。

 スクリーンは既に下りていて、赤く大きく、『踏み台と成れ!』と書かれている。スクリーンと黒板の隙間はほとんど無いから、手縄くんの死体に覆い被さったスクリーンは不恰好に膨らんでいた。

 五百蔵くんと鴨脚さん、阿比留さんは既にスクリーンの調査を始めている。

「無花果、守。カリカから伝言がある」

 御手洗くんは僕たちに近づいて言った。

「天井にある、ロープが縛られているフックだが、あれは今下りているスクリーンより大きいスクリーンを吊るすためのものだと、カリカが言っていた。カリカが赤ペン先生に聞いたそうだ」

「………………分かった。ありがとう」

 犯人が設置したと思ってたけど、元からあったんだ。………………じゃあなんだ。だからといって手縄くんを磔にする時間が短縮できるわけじゃない。

 スクリーンの文字に注目する。文字は大きくて目立つから、血溜まりに足を入れなくて済みそうだ。乾いているし、必要ならやむなしだけど、できれば血溜まりには踏み込みたくない。

 見ると、文字は鮮やかな赤色だ。乾いている血溜まりがほとんど黒みたいな色になっているのとは対照的ですらある。血液が乾く条件によって、発色の具合も違うのかな。それとも、これは血文字じゃないのかな。

 あと、無駄に達筆だ。

「血文字じゃないとすると、ペンキ?」

「みたいですね」

 それにしても『踏み台と成れ!』とは、長い言葉を書く。一文字とかなら、この字を書く時間も短縮できるのになあ。ホント、嫌になる。

 どうもこのスクリーンは固定式みたいだし…………。あらかじめ書いておいて、後で付け替えるってわけにはいかないか…………。

 ううん。

「……これって、破れ目?」

 スクリーンを見ていた鴨脚さんが、何かを見つけた。彼女が指差したのは、スクリーンの一際突き出して膨らんだ部分の真横だ。丁度、『と』の字が被っている。

「そうですね。破れ目があります」

 抱さんは血溜まりの中に足を踏み入れ、破れ目に触れる。縦に走った、大きな破れ目だ。体の小さい抱さんなら、頭が通りそうだ。

「……この膨らみは?」

 抱さんが踏み込んだのに、僕が尻込みしているわけにはいかない。僕も血溜まりの中に踏み込んで、気になった場所を触る。不自然に突き出して膨らんでいる部分だ。感触は堅い。これは、人体の一部分には思えない。なんか、棒みたいだ。

「この黒い柄は……包丁です!」

 抱さんが破れ目から、中を覗き込んで言った。それで得心が行く。棒みたいだと思ったのは包丁の柄だったのか。

「なんでこんな破れ目が?」

「偶然なんじゃねえのか?」

 僕の疑問には、五百蔵くんが答える。

「この学校って、もとは廃校だったんだよな。それなら仕方ねえ。老朽化してスクリーンが破れてたんだろ」

 …………いや、でも犯人はわざわざ文字を残すくらいだ。破れ目なんてあったら書きにくいだろうし…………それくらい確認してそうだよな……。犯人はそこまで気にしなかったのかな。

 それに廃校になっていたのは五百蔵くんの言うとおりだけど、スクリーンが破れていた原因はそれなのか? 赤ペン先生のバックにどんな組織があるのかは分からない(赤ペン先生の話が本当なら政府ということになる)。しかし、これだけの計画を実行に移すような組織が、スクリーンの補修を怠るなんてあるのか?

 僕の思考をかき消したのは、頭上から聞こえるチャイムだった。授業の始まりと終わりを告げるものではない。鉄琴で奏でられたような音だった。次に、赤ペン先生の声が聞こえる。どうも今のチャイムは、校内放送の始まりを知らせるための音らしい。

「えー、みなさん。捜査進んでますかー?」

 赤ペン先生の声。合成された、男なのか女なのかも分からないその声は、人が死んでいるこの状況にはそぐわない。酷くかけ離れている。

「そろそろ調べ終わった頃だろうし、約束の三時間は与えたからね! それじゃあ張り切って、『緊急HR』しましょう! みんな、中央階段を上って四階までレッツゴー!」

 いよいよ、始まる。手縄くんはどうして死んだのか、それを僕は解き明かさないといけない。それだけが、人の死を悲しめない僕にできる唯一の弔いだから。

 手縄明を殺した極悪非道の犯人。それは、僕たちの中の誰かだ。

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