#6 君は僕の両手の色を知っているのか

「…………さて、僕は少し学校の様子を調べておくよ」

 突然消えると阿比留さんに追いかけられかねないから、一応消える理由だけは伝えておくことにした。

 僕が学校の様子を調べるのは、雲母さんに触発されたからではない。僕もこんな得体の知れない学校で生活を送るのは不安に思っていた。調べるのなら早い方が良い。遊馬くんの言っていたことの確認と、遊馬くんが調べていない細かいところは、特に授業の無い今日中に調べるのがいいだろう。

 考えてみれば彼女は、隠しカメラと盗聴器以外では調べた情報をあまり教えてくれなかった。彼女は普通の学校と言ったけど、よくよく思うと僕たちの価値観と彼女の価値観が同じだとも限らない。たぶん違う。

 それは彼女自身も得体が知れないというのもあるけど、そうでなくとも外国人、あるいはハーフくらいの可能性はある彼女だ。鴨脚さんでなくても海外の在住歴を疑う。単純に文化の違いから見落としていることもあるかもしれない。彼女がそんな見落としをするとは、あまり考えられないのだけど、まあ人間、どんなミスをするか分からないから。

「あ、あたしも行く!」

「俺も行く」

 その僕の行動に合わせてそう言ったのは、鴨脚さんと五百蔵くんだった。だいぶふたりも手縄くんの件やさっきの雲母さんの話を挟んで、ノックダウンから立ち直ったらしい。よく見ると周りのクラスメイト達も、少しずつだが動き始めた。

「俺は遠慮しよう。これから調べものがある」

「僕も今日は帰らせてもらうよ。阿比留さんが僕を探すようならよろしく」

 御手洗くんと遊馬くんは帰るみたいだ。でも、さらっと阿比留さんのことを押し付けないでほしい。彼女が僕を追ってくるとは考えていないけど。

「よし、じゃあ行こうか」

 教室の後方にある扉から出て、そのまま中央昇降口を目指した。僕のプランとしては、まず中央昇降口を目指すだけだ。校舎の構造上まさに中心地点となるそこへ行ってから後の行動は決めようと思った。

「廊下を見た感じだと、普通の学校だな」

 五百蔵くんがそんな感想を言った。

「……雲母さんも遊馬くんも、一応そう言ってたね」

 あのふたりでは保留にしている『普通じゃない』部分が違うのかもしれない。

「あ、花壇だ」

 鴨脚さんが指さした先を見る。中央昇降口にはすぐに着いて、鴨脚さんが指さしたのはその中央昇降口の正面だ。立派な花壇があるし、花も植わっていた。あいにく僕は花の種類に詳しくないから、赤いなとか、青いなくらいの印象しか受けなかった。

 正面玄関のすぐ横には手洗い場があった。一瞬、何に使うのか不思議に思ったけど、近くに置いてあったホースを見てすぐに気付く。あのホースで花壇に散水するためか。他にも用途はあるんだろうけど、それが主なのは分かった。

「階段か……ここを上ろう」

 中央昇降口のすぐ近くには、階段があった。いたって普通の造りの階段だ。頑張って感想を言ってみれば、階段の手すりが木でできているなあとか、それくらいだ。

「あたしたちが校舎に入った昇降口の近くにも、階段あったよね」

 鴨脚さんの言葉で、僕は西側昇降口の様子を思い出す。残念ながらその時の僕は視野狭窄とまでは言わないけど視野が少し狭かったらしい。階段には気付かなかった。

「じゃあもしかしたら、東側昇降口の近くにもあるかもね」

 むしろ無いとおかしい。バランスが悪すぎる。

「耕一は階段の話をしてなかったな。どういうことだ?」

「きっと、職員室は一階にあったんだよ。あくまで遊馬くんが学校全体の構造を話したのは職員室のついでだからね。職員室の説明に引きずられて、階段の話は忘れてたのかもしれない」

 そしてここから東側昇降口の方向を見ると、確かに職員室らしい部屋の扉が目に入った。なんか雰囲気が違う。無人とはいえ、生徒にとってはやはり聖域のような場所なのかもしれない。

 職員室の向こう側には、いくつかの部屋があるみたいだ。職員室の隣にわざわざ理科室や音楽室を置くとは考えにくい。放送室か保健室だろう。

 階段を上りながら、左右を確認する。遊馬くんの言ったとおり、西側には僕たちがいたような一般教室が並んでいて、東側には理科室や音楽室といった特別教室が並んでいる。それぞれの教室は後で調べるにしても、見た感じはやっぱり普通の学校だ。

 僕たち以外に生徒も教員もいないという事実をごく自然に受け止めることができるなら、だけど。

「…………あれ? この学校で三階建てじゃなかったの?」

 最上階までたどり着いたところで、鴨脚さんが疑問を呈する。三階に僕たちはいるはずなのに、階段はさらに上まで伸びているからだ。それは逆に、僕からすると校舎の外観とぴったり一致する符号なんだけどね。

「校舎を外から見たときに、中央の部分だけ一階層分高くなっていた。たぶん、これがそこへ行くための階段じゃないかな」

「つまり、ひとつの教室だけ他の教室よりひとつ上にあるってことか? どうしてそんな変なことを」

「さあ」

 五百蔵くんに聞かれても困る。ただ、案外その答えはすぐに出そうだ。実際に上って、どんな教室があるのか確かめればいい。雲母さんが特に問題にしなかったところを見ると、たぶんこういう思わせぶりな造りの割に普通の教室があるのかもしれない。

 こんなところで考えていても意味が――――意義が無い。実際に確認しよう。

 上ると少し、開けたスペースに出た。扉がふたつ見える以外は、特に気になるようなことはない。廊下の延長線上の部分と考えて問題はなさそうだ。

 ふたつの扉のうち、ひとつは鉄製で少し錆びついたものだった。これは屋上へ出るための扉の様だ。今のところ用は無い。

 もうひとつの扉は木製の、両開きの大きな扉だ。この開けたスペースといい、無駄に広くて大きな造りなのが気になった。たぶんこの開けたスペースは一クラス分の生徒が入っても問題ない広さだし、大きな木製扉は全開にすれば一度にたくさんの人が出入りできそうだ。

 木製扉は少し高級そうなデザインをしている。会議室か何かか?

「……おい、これ鍵がかかってるぞ!」

 五百蔵くんが木製の扉を開けようと試みたけど、それは徒労に終わった。僕も扉を前後に揺すってみたけど、何かが引っかかるような感触があるだけだった。引き戸と押し戸を間違えているということはない。

「鍵、か。重要な教室なのか?」

 職員室にも鍵がかかっていたし、調べられると赤ペン先生的には困る教室なのかもしれない。そういう教室こそ調べたいというのが本心だけど、無理はできない。

 扉自体は木製だから道具を使えば壊せなくはない。でも、設備の破壊はルール六に抵触する。ここは素直に引くしかない。

 でもここまで来て収穫が何もないのではあまりに頂けない。僕は何かあったら御の字くらいの感覚で、鉄製の扉を開いた。こっちは鍵がかかっていない。錆びついているくせに何の抵抗もなく開いた。

 でも、開いたところで通じているのは屋上だ。転落防止用の柵で囲まれている以外には、特筆するべきことはない。そう思って引き返そうとしたところで、僕は見た。

 ひとりの女性が屋上のど真ん中で、横になっているのを。

「…………?」

 横になっているというか、寝そべっているという表現が正しいかもしれない。白衣を着た、二十代前半くらいの女性だ。堂々と屋上のど真ん中で寝そべっている。長めの黒髪が目元を覆っていて確認が難しいけど………………。

 うん寝てるねあれは、間違いなく。

「何? どうかしたの?」

 僕が屋上の出入り口に立ちはだかっているせいで、鴨脚さんと五百蔵くんには何も見えていない。僕がどうして硬直しているのか、その理由が分からないだろう。

 無人だと思っていた校舎で何気なく行ってみた屋上に人がいたら驚くって。

 しかもその人が、おそらく遊馬くんたちが見つけていない『教職員』というやつなら尚更だ。

 いやしかし、こうなると雲母さんは何を調べていたのか不思議になる。四階の教室は勿論のこと、ここに女性が寝ている事実をどうして隠したんだ? 目の前にいる女性に関しては入れ違いになったとか説明がつくにしても、あの会議室っぽい部屋は?

 一から十まで喋るのは趣味じゃない、か。実際に彼女が話してたのは、精々全体の三割くらいだったのかもしれない。

 とにかくあの女性に近づいて、話しかけてみないことには始まらない気がいた。やっと見つけた赤ペン先生以外の教職員だ。うまく情報が聞き出せると嬉しいんだけど…………。

「――春眠暁を覚えずとはよく言ったものだけど、それが孟浩然の詩から引用された言葉であることを知ってる人はどれくらいいるのかな?」

 僕の歩みはしかし、三歩のところで止められた。僕のものでもない、五百蔵くんのものでもなければ鴨脚さんのものでもない声が屋上を満たしたからだ。

「中学生、といっても不登校児の君たちは知らないかもね。世の中、元ネタを知らずに使ってる言葉なんて幾らでもあるわよ。知ってる? 『赤信号みんなで渡れば怖くない』って言葉を諺だと思っている人は多いけど、あれってビートたけしが最初に言った言葉よ」

 僕が三歩進んだことで、ふたりも屋上に出てくることができた。僕の隣まで来て、屋上に寝そべっている女性を見て驚いていた。

 今やその女性は寝ているのではなく、不敵に笑ってこちらを見ていた。

「……名前は?」

 それは僕に向けて発せられた質問だろうか? なにせこちらは三人いる。でもふたりは驚き中で二の句が継げないみたいだから、結局僕が答えるしかなさそうだ。

「九無花果」

「目が青い理由は?」

「不明」

「好き物は?」

「ホットドック」

「嫌いな物は」

「学校」

「よろしい」

 何がよろしいのか僕にはわからない。

 その女性は立ち上がって、こちらに向かって歩いてきた。どういう人物か分からないだけに、自然と体が構えてしまう。気づかぬ間に左足が少しだけ後ろに下がって、踵を上げていた。

「そんな警戒しないでよ。わたしは鴻巣こうのす夏子。あなたたちの副担任兼学校医ってところね」

「副担任? そんなのがいたんですか」

 赤ペン先生は何も言ってなかったぞ。

「さすがにひとりで一クラスを担当するのは辛いって。普通のクラスならまだしも、あなたたちは年齢もバラバラだしね。そこでまあ、いろいろな補助的役割を任されたのよ。あなたたちも担任があんな妙な赤いペンギンじゃ一年間やってけないでしょ?」

「それもそうで、げっ!」

 僕の言葉は途中で遮られる形となった。白衣を着た女性――鴻巣先生にヘッドロックを掛けられたからだ。いや意味分かんないですよマジで。

「ところでおふたりさんの名前も聞こうかな?」

「い、いや、離せ………………!」

「え、えっと、あたしは鴨脚紅葉です……」

「俺は、五百蔵武だ」

 おいふたりとも! 普通に会話を進めるな…………!

「ところでさっきまでいた金髪美少女はどこ行ったのかしら? うっかり話の途中で寝ちゃってさあ」

「金髪……雲母ちゃんのことですか?」

 ふうん。やっぱり雲母さんはここに来てたのか。いや、そうじゃなくて…………。

「は、はな…………!」

「あれは結構な上物だったな…………! へへ、逃がすとはわたしも惜しいことをした」

 そしてなんで先生は体目当ての野郎みたいな口調になったんだ!?

「あんな美少女まずお目にかかれないからね。五百蔵くんだっけ? あんたも機会があれば狙っちゃいなさいな。ああいう子って意外と力押しに弱いものよ」

「……俺はそうは思わないけどな…………」

 雲母さんが力押しで男に靡くようには、僕にも思えない。むしろ押し返されそう……じゃなくて!

「し…………し……」

「あーあ、わたしって人の顔と名前覚えるのが苦手なのよね。これから三十三人もの名前を覚えないといけないとなるとちょっと憂鬱」

 そのタイミングで、やっとヘッドロックは解除された。

「は、…………はあ。何するんですか!」

「あ、そういえば鴻巣先生って、誰かに似てると思ってたんですけど思い出しました。『No’s』の無意味ちゃんだ!」

 あ、あの…………、鴨脚さん、マイペースなのは良いけどヘッドロックの理由が……。

 そして誰だ。その無意味とかいうやつ。

「へえ。わたしって結構いろんな人に似てるって言われるんだよね。ついに年下のアイドルにまで似だしたか…………」

 生憎僕はその無意味とかいうアイドルを知らないから判断がつかない。でも、『No’s』の追っかけまでしていたらしい鴨脚さんが言うくらいだから、たぶん似てるんだろうな。

 ……さっきから『No‘s』の名前は無意味だの無理だの無闇だの、やたらアイドルらしくない名前ばかりだな。全員の名前に『無』の字が入っているのが『No’s』の由来なのは分かったけど。

 珍しい『九』の苗字を持つ牧原無理の存在は多少気になる、かな? なかなか今まで生きてきて、親類以外で同じ苗字の人には会ったこともないし、聞いたこともないからね。もしかしたら知らなかっただけで、親類って可能性もある。その可能性を考慮しなくてはならないほど、僕は引きこもって外の情報をシャットアウトしていた。

 もうひとつ気になることがあるとすれば、あれだ。無意味という『No’s』の一員だ。

 言うまでもなく、無意味なんて芸名だ。でも、気になる………………。

 まさか、ねえ。

「ところで鴻巣先生。先生はこの『義務殺人』についてはどれくらい事情を知って参加しているんですか?」

 それよりも重要なのは、今目の前にいる鴻巣夏子という教師のことだ。本人の言葉に合わせれば『学校医』か。保健室にいる人のことを『保健の先生』としか呼んだことが無いから、まず学校医なんてポジションが存在するのかどうか怪しむところからのスタートだった。

 現実に学校医という職種が存在しないなら、このプログラムにおける立ち位置のひとつとして認識するだけだから、そこを気にする必要はないのかもしれないけど。

「うーん。全部ってわけじゃないのよね」

 鴻巣先生は白衣の胸ポケットからペンライトらしき物を取り出して、右手でクルクルと回し始める。典型的なペン回しだが、ペンライトでやる人は初めて見た。普通のペンよりペンライトは重いはずだから難しいはずなのに、器用にクルクルと、落とすことなく回している。

 どうやら悩んでいるみたいだ。かといってどこまで話そうか悩んでいるという風ではない。どう話したら信用してもらえるか悩んでいるように思えた。

「わたしは一応、生徒と赤ペン先生の中間に立ってプログラムを滞りなく進めるって役割があるのよ。だから知ってる事情ってのは、きっとあなたたちと大差ないわ。余計な情報入れちゃうと、わたしが生徒に余計なことを話しかねないでしょ?」

「プログラムの工作員、ではあるんですよね?」

「工作員。良い響きね」

 良い響きではないと思う。決していい意味でもない。小学生の頃、工作員を図工の先生の一種と思っていた僕が言えることではないのかもしれないけど、工作員という言葉に良い響きも意味もないはず。

「そうね。志願してこの立場にいるっていう点は、あなたたちと違うわね。後は…………プログラムの考案者を知ってるくらいか。それがどれだけあなたたちの興味をそそるかは別にして」

「興味ないですね」

 聞いたところでどうしようもない情報なら、入れない方が良い。特にこういう、裏世界的な情報は聞かないに越したことはない。その情報が原因で僕の家に黒づくめの男たちが来たらどうする。

 来たけど、実際。

「あくまでわたしの仕事は学校生活を送るためのサポートだから、赤ペン先生と違って脅威になるようなことはないわ」

 中立を保つ気なら、脅威になることはない。それはそうなんだけども………………。

「このプログラムは一年間何もしなくても特に問題はないから、あなたたちが殺人をしたくないならそういう選択肢もある。結局、この一年がどうなるかはあなたたち次第よ」

「………………死なないといいですね、誰も」

 三十三人が、誰も殺さずに一年間を過ごす。普通に考えれば全然無理じゃない。出来て当たり前のことではある。そう思う人がほとんだ。

 ……誰がいつ、どこで、どんな理由で人を殺すか分からない。そんな簡単な事実を知らない人たちが思えば、そういう結論が出る。

 鴻巣先生もまた、一年間で一度も殺人を起こさないことが難しいことを知っているのかもしれない。

「心配すんなって無花果。そんな馬鹿げたこと、あのクラスの誰がするってんだよ!」

「…………五百蔵くん」

 じゃあ君は知っているのか。

 君の隣にいるこの僕の両手が、既に血に染まっているという事実を。

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