#4 赤ペン先生は「人を殺せ」と言った

「えー、はい、早速朝のHRを始めます」

 誰でもいい。何か指摘しろ。少なくとも僕には三つの疑問が見て取れる。

 ひとつ、なぜ担任教師は赤いペンギンの着ぐるみなのか。

 ふたつ、なぜ教師の声がバリバリの合成音声なのか。

 みっつ、なぜ何事もなくHRを進めようとするのか。

 よっつ、なぜ羊羹を片手に登場したのか。

 ごめん四つあった。

「あ、しまったしまった」

 生徒全員の疑問が届いたのか、その担任教師と呼ぶにふさわしいのか議論の余地が有りまくる物体は呟いた。もうこいつ生物と呼ぶのも無理だよ。声からして生命の息吹を感じない。

「先生が今日からあなたたちの担任です! 赤ペン先生とでも呼んでね」

 問題はそこじゃない。全員の声が聞こえた気がした。

 まあ、全員とはいっても、実際には何人か例外がいるのだけど。

 たとえば僕の隣にいる得体のしれない(暫定)外国人さんとか。あとは、僕や鴨脚さんや五百蔵くんの座っている列の一番前にいる、いかにも委員長そうな男子とか。

「それじゃあ出席取りまーす」

「その前に、先生」

 例外その二の男子生徒が赤ペン先生の言葉を遮って立った。銀縁の眼鏡を掛けて、華奢な体つきをしている。細い、というか病弱そうだ。年齢はどうもこのクラスでは一番高く見える。中学生を越して高校生くらいじゃないか?

「率直に言って、僕たちは混乱しています。どうか、この更生プログラムについて先に説明して頂けないでしょうか?」

「君は、遊馬あすま耕一くんだね」

 教卓に置かれたノートで、赤ペン先生が発言した男子生徒の名前を確認する。

「うーん。そうだね。見た感じ全員そろってるし、みんな混乱してるっていうなら説明しちゃおうか」

 その言葉を受けて、遊馬くんは席に着いた。やけに落ち着いているのは、性格の問題か? その落ち着き方は、この場においては不自然なくらいだ。

「ちょっと待ってね。複雑だから、先生もどこから説明しようか悩むんだよね」

 持っていた羊羹を齧る赤ペン先生。こっちはまるで緊張感が無い。

「まず、君たちは全員が不登校の小学校高学年から中学校までの生徒です。そして今回の更生プログラムとは、不登校になった生徒の社会復帰を目指すための、教育プログラムなんだよね。ここまではOK?」

 生徒の年齢に関する具体的なところ以外は、根廻さんが言っていたのとだいたい同じだ。根廻さんはそれに付け足して、まだ導入試験を行っている段階のプログラムだとも言っていた。

「どうしてそういうことをするのかっていうと、最近すごく『ニート』という人が増えてきてるんです。『ニート』って、分かりますよね? 学校に通っていないし職にもついていない、ましてや職業訓練も受けてない人たちのことです。そういう人たちが増えると困るんですよ。どうして困ると思いますか? 手縄てなわくん、分かる?」

「は、はあ?」

 手縄と呼ばれたその男子生徒は、いきなり当てられたことに当然困惑した。その手縄くんは、丸坊主に日焼けした肌が合わさって、いかにもな野球少年だった。野性的とでも表現するべき鋭い目が、まっすぐ赤ペン先生の方を見ていた。

「んなこと言われてもな…………働くやつがいなくなるとかか?」

「そうですその通りです。『ニート』が増えると働く人が減るんだよ。ちょっと難しい言葉でいうなら『労働人口』とかかな? 特に少子化も進んでる現代じゃ、けっこう問題なんだよね」

「それとオレたちに、どういう関係があるんだよ」

 手縄くんはいぶかしむように尋ねた。僕は何となく、赤ペン先生の言わんとすることが分かったような気がする。

 何事もまず大切なのは初期の対策だ。『ニート』が問題視されているからといって『ニート』に直接的な対策を打つのはいささか即効性に欠ける。それよりも…………。

「風邪はひき始めが肝心って言うよね。『ニート』もそれと同じなんだってさ。つまり、『ニート』になる前にその予備軍を何とかしちゃおうって算段なんだよ」

 その予備軍が、僕達か。

「実際は不登校がイコール、ニート予備軍ってわけじゃないけどね。でもひとつのきっかけで社会生活が困難になって、そこから立ち直れずに『ニート』になるってケースも多いから、不登校になった生徒へのケアは大切だよ」

「つまり、『ニート』が増えると社会的に困る。そこで『ニート』増加を抑制するために『ニート』になる確率が高い僕たちをなんとかしよう。そういうプログラムなんですよね?」

「そういうこと、遊馬くん」

 …………まあ、確かにこういう機会でもないとそのまま引きこもりを続けて気づいたらニート、っていう可能性のまさにど真ん中にいた僕は、何も否定できないな。

「じゃあね、ここからは具体的な方針について話そうか。まず、君達には原則、絶対に学校に来てもらいます。体調不良なら仕方ないけど、仮病は駄目だよ」

 そこはやっぱり絶対なのか。登校が不登校脱却の第一歩って、かなり倒錯している気もするんだけどな。

「それで、どうやって不登校を本格的に脱却するか。これが重要だよね。そこで、ちょっと資料を拝見」

 赤ペン先生は教卓の下から、分厚い書類を取り出した。辞書ほどの厚さがある。何の資料だろうか。

 ……ところで、赤ペン先生はどうやって羊羹や資料を持ってるんだろう。明らかにあの手、翼なんだけど。

「これはこの更生プログラムを考案したある博士の資料だよ。これによるとね、君達みたいな生徒が不登校から脱却するために必要なのは、『自発的な行動』なんだって。君たちは確かに様々なきっかけから不登校になったけど、総じて不登校生活を続けている内に『何かをしよう!』って意志が薄れていくんだってさ」

 もしかして、それが根廻さんの言っていた『一年間でやるべきこと』なのか? でも、それなら根廻さんがあの場でぼかす必要はないし、何よりまだ『自発的な行動』が何をさしているのかさっぱりだ。

「でも難しいのがここからなんだよね。『自発的な行動』が不登校から脱却する方法だとして、君たちがはいそうですかと『自発的な行動』をしてくれるとは限らないでしょ。それに、先生たちが『自発的な行動』をさせようとしちゃったら、それってもう自発的じゃなくなっちゃうもんね」

 そこで赤ペン先生たちが用意した物。それが、根廻さん曰く『裏口入学』。

「そこで、先生たちは少しでも君たちが『自発的な行動』をしてくれるように、ビッグなご褒美を用意しました! それが、『環境の整備』なんだ。この資料を書いた博士曰く、環境を整備して活躍の場を広げることもまた、不登校脱却のポイントなんだって」

 赤ペン先生はここで、生徒全員の顔を見回した。今までの説明で、どれだけの生徒が食いついているのか確認しているみたいだった。僕みたいに更生する気も今のところないようなやつは、あまり期待も興奮も覚えない話ではあった。見たところ大半の生徒が、今のところ僕と同じだ。

 例外を上げるなら、手縄くんか。野性的な目をことさら鋭くして、赤ペン先生を見ている。彼からは、何か剣呑じゃない空気が漂っている。

「『環境の整備』っていうのは正確に言うなら、進学や就職のことだよ。もしこれから先生の言う『自発的な行動』を取ることができたなら、君たちの望む進学先や就職先を斡旋するよ」

「『自発的な行動』って、先生が決めるの?」

 後ろから声がした。振り返るまでもなく鴨脚さんだ。声からして、手縄くんほどじゃないにしても興奮を隠しきれていない。彼女にもあるのか? そこまで前のめりになってこんな怪しい話を聞くほど、『環境の整備』を欲する理由が。

「ええ。当然ですよ。ほら、ちゃんと基準を設けないと極論歩いただけで『自発的な行動』になっちゃうでしょ? 先生たちが求める『自発的な行動』っていうのは、そういうのじゃないんだよね」

「で、でも…………」

「そ、れ、に」

 さらに赤ペン先生が強調する。ここから先が、話の、プログラムの肝だと言わんばかりだ。合成音声では、その強調も少し弱くなってしまうのが難点だが。

「君たちはどういう理由があれ、今まで『義務』の教育をさぼってるんだよ? それなのに大したこともせずに好きなところへ進学したり就職したりなんて、いくらなんでも話が上手すぎるよね。それ相応のリスクってものがあります」

「…………リスク?」

 その言葉に、妙な引っ掛かりを感じる。言葉のニュアンスというか、センスの問題だ。今の話の流れで『リスク』という言葉が出るのに、違和感を感じた。

 リスク。それは『危険度』ということだ。しかし、『自発的な行動』と『危険度』が結びつかない。今のところは、『危険度』ではなく『難易度』、『リスク』ではなく『レベル』が入るべきじゃないのか?

 今までの話を聞いた感じでは、赤ペン先生が特別語彙に不自由するような頭の持ち主でないのは分かる。そうなると、赤ペン先生はどうしてわざわざ『リスク』なんて言葉を使うんだ?

「じゃあ発表しまーす。皆さんにこの一年でしてもらう『自発的な行動』とは、ズバリでーす!」

「………………え?」

 その違和感は、最悪の形で発言してしまった。

 教室がいつの間にか、冬を迎えている気がした。全身の血液が足先へ向かって下っているのか、頭がすごく寒い。

「それでは、今からここに不登校児更生プログラム『』の導入試験開始を宣言します! ヘイユー、!」


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