#2 根廻吾郎はけっこう気さく
「役人や官僚にはなれない名前ですね」
侵入者だった男の指示通りバンに乗り込み、男から名刺をもらった直後の僕の反応である。
名刺には会社や組合の名前などは一切明記されておらず、ただ単に『
「誠実さが美徳の日本社会じゃ、どこも雇ってくれねえよ。今じゃこうして若い連中を拉致して売るくらいしか、仕事がねえ」
「わはははははは」
「はっはっは」
自分の笑いが予想に反して乾いているのに愕然とした。
「…………冗談ですよね?」
「当たり前だろ。お前を拉致して臓器売買なんかしねえよ。言ったろ? 説得を頼まれたって」
「…………」
冗談には聞こえない。
決して冗談には聞こえない。
「……で、先に俺の出自を明かした方が早いな。俺は文部科学省の役人だ」
「へえ。そんなお偉い様がこんな僕にどんな御用でしょうか」
「態度変わり過ぎだろ。権威に弱い日本人の典型かよ。四分の一はある外国の血はどうした」
「あくまで可能性なんで」
確証が無いのが悩みだ。
「そんで、お前への要件ってのはだな、単刀直入に言っちまえば教育プログラムへの参加をしてほしいって話だ」
「教育プログラム?」
「そう。まだ導入試験段階の、不登校児更生用の教育プログラムだ。三十人弱の参加を予定している」
「そいつに出ろと?」
「ああ」
「お断りします」
そう言ってバンの扉を開こうとしたが、鍵がかかっていた。第一、このバンは走行中だ。開いたところで出られないし、出たところで僕の未来はトマトケチャップだ。
「ちっとは俺の話を聞け。つうか、本来なら参加生徒となるお前の承認はいらねえんだ。保護者の許可がありゃ、強制的に参加させられる。お前に話を通してるのは、いわばお前の親御さんの誠実さだ」
「また誠実さですか。いやな世の中ですね」
「そういう悲観は『根廻』っつう苗字を持った俺の専売特許だ」
「苗字も名前を同じ読みっていうのも地味にダメージ大きいですよ」
「すまん、もう笑いを堪えるのも限界だ」
「わははははは」
「はっはっは」
こうして人とまともな会話を交わすのも、やはり三年ぶりだった。引きこもっている間に僕がしてきた会話というのは、こっちが声を出さなくても終了するような、そんなどうでもいいものばかりだった。まず、会話する相手と正面から向き合う必要すらない会話だったのだから。扉という鉄壁のバリケードを盾にも矛にもして、のらくら生きてきた。
「どこまで話しましたっけ?」
「お前が断ったところだ。対象である生徒に断られたら参加させられない更生プログラムってなんだよ。当然本来ならお前の意志なんて関係ないんだ。だから言っただろ。あくまで俺がするのは説得だ。お前が納得するという結果が最初から見えた、な。親御さんとしては、できるだけ息子に納得してもらった形で参加してほしいんだと」
「偽善ですか」
「なにもかも偽物だ」
それはこの世の中か、僕達か。根廻さんは、僕の向こう側にある物に向けて喋っているみたいだった。
「じゃあ納得することが前提で、説明してください。どういうプログラムなんですか?」
「大したことじゃない。お前がやるのは、一年間指定された学校に通うっていう単純なことだ」
「その一年間でやるべきことは?」
「ひとつだけある。が、今は具体的な内容を明かせない」
胡散臭さ増加。説明になってない。『アルバイト募集! 時給千二百円』と謳いつつ、仕事の内容を明かしていないようなものだ。こちら側のメリットが不明な時点で、より凶悪とも言える。
「それ、本当に僕を納得させる気があるんですか?」
「納得する。お前、今何歳だ?」
「えっと、今って何月何日何曜日ですか?」
それ以前に、季節いつだよ。寒くないのは分かる。ただ暑くもなかった。これでは春か秋かも分からないし、もしかしたら初夏かもしれないし初冬かもしれない。 精々わかるのは、僕が引きこもってから三年が経過したということだけだ。それだけは、年だけは除夜の鐘が知らせてくれた。
「ほら、これで確認しろ。今日売られたやつだ」
根廻さんが渡してきたのは、一冊の雑誌だった。世間の情報を耳に挟まない僕にはそれが週刊誌か月刊誌かも分からない。表紙には僕より僅かに年上そうなモデルが写っていたけど、その人の名前も分からない。表紙の文字を追ってみると、そのモデルは『九十九有花』と言うらしいけど、だから何だ。
日付は三月十日と、表紙の隅に印刷されていた。まわりくどい確認の仕方をするものだ。
「じゃあ、十四ですね。もうすぐ十五です」
「高校、どうする気だ?」
それは、考えたことがなかった。
「どうするんでしょうね」
ひとつだけ、ある高校の名前が浮かんだ。でもそれは、口に出さない。僕がそこを目指す理由はどこにもないし、目指したところで今の僕の学力では不可能だ。
今の僕の学力じゃ、どんな高校にも受からない。なにせ中学校に一度も通ったことがないからだ。
「そこで物は相談だ。更生プログラムに参加しろ」
「つまりそれが、メリットなんですね」
「そうだ。プログラムに参加する一年間であることをすれば、お前を進学させてやる。どこでも好きな学校を逆指名しな」
「裏口入学じゃないですか」
「お前みたいなやつが高校へ行くのに、裏口入学以外の方法はないだろ」
「それもそうですけど…………」
非常においしい話で食いつきたくもなるけど、それにはふたつ問題がある。ひとつは、僕は高校に行く気があるのかどうかということだ。もうプログラムの参加は強制的だから納得しようがしまいが関係ないとして、その恩恵を受ける気があるのかということだ。そもそも更生する気もないのだから、プログラムに参加する理由は無いような気がする。
いや、そこを更生させるのが、根廻さんの言うプログラムのポイントなのだろうけど。
もうひとつの問題というのは、言うまでもなく『一年間でやること』だ。これが何なのか分からない。ただ、今まで散々怠けていた僕のような人間を裏口入学させるくらいだ。きっと、かなり難易度の高いことをさせられるはず。
そうでなければ、釣り合いが取れない。
「僕に更生する気があるかも分からないのに…………」
「お前、このままでいいのか? 今のお前って、生きてるも死んでるも同じみたいな生活送ってるだろ?」
「そうですね」
「世間の情報なんてまるで知りはしない。実際、今テレビで話題のモデルもアイドルも知らないよな」
「そりゃ、まあ」
雑誌の表紙に写ってたモデルすら、僕は知らないのだし。渡された雑誌をぱらぱらと捲ってみると、この雑誌は僕くらいの年代の少女向けに構成されていることに気付いた。記事の内容がまさに、その年代の女子が好きそうな話題で埋め尽くされていたからだ。僕は世間の情報に疎いけど、何となくそういうのは理解できた。
今話題のアイドル『No’s』のリーダー、杉下無闇に突撃インタビュー! とか言われても困る。そんなアイドルグループ知らないし、興味もない。杉下無闇って本当にアイドルの名前かよと思うのがやっとだった。
このままでいいのか?
「別に僕は、この生活を続けたいと思っているわけではないですよ。ただ逆に、この生活から抜け出したいと思っているわけでもないってだけで」
「結果が現状維持か」
どうして僕は引きこもっていたのか。たまにその理由を忘れそうになるくらい、長い間引きこもって閉じこもっていた。無論、引きこもるきっかけとなったあれを忘れられるほど、僕は太い神経の持ち主じゃない。
忘れるくらい長く引きこもっていたという、一種の比喩だ。
「どうせ現状維持が結果なら、別に変ってもいいんじゃねえのか?」
「かもしれないですね」
今でこそ惰性で引きこもっているけど、きっかけから派生した理由が最初はあったはずだ。世間が怖かったとか、人と会いたくなかったとか。
どうにもその辺が曖昧だ。
「お、着いたな。ここがお前の通う学校だ」
突然、バンが停止する。スモークのかかった窓越しに、校舎らしき建物が見えた。一直線の単純な構造をした建物で、全部で三階建てのようだ。ただし、校舎の中央だけ一階層分高くなっている。あそこには何があるんだろうか。一階部分の様子は、正面に植わった木々が邪魔して伺えない。
校舎の右側には、体育館やプールが見える。運動場が南側に作られるという学校の性質が正しいなら、体育館のある方向は東側ということになる。
西側には正門があった。正門の前には一本の巨大な木がどっしりと構えていた。僕は植物に詳しくないから、あれがどういう種類の木なのかは分からない。ただ大きいと思うだけだった。
一見すると普通の校舎だ。でも、少しだけ違和感があった。
「中学校みたいですね。でも、人がいないですよ。今日って平日ですよね?」
「ああそうだ。この学校は廃校になったからな。人がいなくて当然だ」
廃校? それなら確かに人がいないのも分かるけど、どうしてそんな場所で更生プログラムを?
「参加人数って、三十人弱ですよね? それだけの人数が使うには大きすぎませんか?」
「だから導入段階の試験なんだよ。本当なら普通の学校と同じ規模でやるんだが、今回はいろいろあってな。参加生徒への影響も考えて、廃校になった校舎を利用したんだ。いきなり人だらけの校舎ってのも、ハードル高いだろ」
僕はそう思わないけど、不登校になった人の中にはそう思う人がいるのかもしれない。更生プログラムというのなら、そういう配慮もいるのか。
「他にも、通常の学校とは違うことは多い。たとえば、生徒の年齢は今回の試験じゃバラバラだ。実用段階になれば揃えるが、今回は試験の性質上、いろんな年齢の生徒を集めたかったらしい。そこら辺は俺の知ったことじゃねえ」
「とりあえず、導入試験の段階ゆえの細かい変更点があるってことですね」
「ああ。今回の参加生徒はこの学校――
「それはないでしょう」
僕はここが地元じゃない。三年前に引っ越してきた。つまり僕がこの地域に来たのと引きこもりを始めたのは同時期。僕はこの地域に来てから、一度も外に出ていない。
ここがどういう町なのか知らない。地元からどのくらい離れた場所にいるのかも分からなかった。
とことん何も知らないな、僕は。
「中学ですか。いったいどんなところなんでしょうね」
「大人になった俺からすれば、小学校も中学校も高校も同じようなもんだったな。しかし無花果。お前、本当に更生する気は無いのか? このまま無為に年月ばかり消費して、もったいないと思ったことはないのか?」
「さあ。結局、なるようにしかならないというか、なんというか。どうせ僕がここで納得しようがしまいがプログラムへの参加は決定なんでしょう?」
「自主的に参加するか、強制的に参加させられるか。それだけでも大きな違いだと思うぞ」
「………………」
あまり大きな違いだとは、僕には思えなかった。
「僕が不登校を、引きこもりをやめることに意…………意義なんてあるんですか?」
意味なんてあるんですか? そうは言えなかった。のどに言葉が突っかかって、『意味』とは言えなかった。どうしてその言葉が出ないのか、理由は分からない。
分かるんだけど、分からない。分からない振りをした。
「無意義でしょう」
「有意義だ。少なくともお前がこれ以上の時間浪費をしなくて済む」
「僕は今の生活が時間浪費だとは」
「思ってるだろ」
確かに思っている。変わりたいとは思わない。変われるとは思わない。今の生活を続けたいとは思わないけど、今の生活を続けたくないとも思わない。
そんな僕でも時間を金銭に換えて計算することができるらしい。僕は今の生活を浪費だと思っているし、今朝も思ったところだ。
「そう思ってるってことだけで、変わる理由はあるんだよ。引きこもりや不登校を止める意味も意義もしっかりあるんだ。浪費家は止めだ。倹約家になれ」
「…………まあ、今の生活に拘っているわけではありませんから、変われと言われたら変わるんですけど」
何故か、いまいち気が進まない。いや、本当は変わりたくないとか、引きこもりのままでいたいとか、そういうことじゃない。将来に不安しかない、お先真っ暗な僕としてはこの誘いがどれだけ怪しくても受ける方が得なのは分かりきっている。裏口入学のチャンスを逃すべき無ないのは分かる。
たとえ『一年間でやるべきこと』が明言されていなくても。
たとえ未だにプログラムの全容が見えなくても。
たとえ目の前にいる人間が怪しかったとしても、僕としては受ける以外の選択肢はないのだ。それが強制的だろうが自主的だろうが、受ける以外には。
気が進まない理由は、もっと他にあった。
「………………」
「どうした? 怖い顔して」
「いえ」
嫌な予感といえばそれまでだけど、胸騒ぎがしていた。それが何に対するものなのか、僕には判断できなかった。
ひとつ言えることは、その胸騒ぎに覚えがあるということだけだ。
『先生』の死を見た、三年前に。
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