07

「あなたがベルに聞かせた怪談、『死者の花畑』は、興味深いですね。遠目で見ると赤い花畑なのに、近づくと血塗れの手首だとか」

「……何がいいたいのでしょうか?」


 歩みを止めた保険医が振り返る。

 見下ろす位置にあるリヒトが、不敵に笑って手首を持ち上げた。


「リコリス、彼岸花、曼珠沙華、死人花、地獄花……。たくさんの異名を持つ花も、真っ赤に濡れた人間の手のような形状をしていますね」

「……」

「確か全草がアルカロイド系の有毒植物で、症状は吐き気、腹痛をともなう下痢。重症になると中枢神経のマヒだとか」

「……ははっ」


 片手で顔を覆い、フィニールが笑う。

 くつくつ喉奥で笑みを転がし、三日月を描いた目を覗かせた。


「近づくなと何度も警告したのに、首を突っ込む彼が悪いんですよ」


 おどけるように両手を広げた保険医が、柱に寄りかかる。

 そこには普段の無表情はなく、楽しげに歪められた笑みが貼り付けられていた。


「リヒト、きみは『対立』が何でできているか、知っていますか?」

「……いいえ」

「歪みですよ」


 にっこりとやさしく囁き、フィニールは続ける。

 これまで一方的に話し続けていたリヒトは口をつぐみ、その動向をうかがった。


「生まれた魔術師はその性質から恐れられ、迫害を受けます。生まれた歪みは天秤を沈ませ、対立が生まれる。対立は恐れられ歪みは増し、対立が生まれる。そして対立と対抗するために魔術師は生まれ、恐れは歪みを増やし、また対立を生む」

「……」

「まるでタマゴが先か、ニワトリが先かの論争のようで、不毛ですよね?」


 例えばきみのお友達の……。保険医は言葉をつなげる。


「1年のノエル・ワトソンくん。彼は優秀な魔術師であるにも関わらず、家族から白眼視され、離縁を言い渡されました。

 例えば1年のアルバート・コードくん。虐待を受けていたのは彼であるはずなのに、問題児とされ里子に出されました。

 何よりきみたちケルビムも、強大な力を持つがあまり、母親はきみたちを見放した」

「ッ、いい加減にしてください!!」

「おかしいと思いませんか? 対立戦では真っ先に起用される我々魔術師は、重宝されるほどに世間から孤立する。まさにこの学園のように!」


 これまでの物静かさが嘘のように、フィニールは朗々とした声を発している。

 彼を『やさしかった兄、セドリック』だと呼んだリヒトの顔は苦々しく歪み、かたく手のひらを握り締めた。


「きみも承知の通り、この学園は魔術師を閉じ込めるための檻です。目の届く場所に置き、必要になった際に用いる道具箱。……馬鹿げていると思いませんか?」

「都合のいい道具箱だとして、あなたはどうしたいの? エリーの服毒と関係ある?」 


 取り繕っていた敬語をかなぐり捨て、リヒトが睨む。

 くつりと笑ったフィニールは、おかしそうに口元を押さえた。


「ええ、ありますよ。私は私を捨てたこの国に、同じことをしてあげたかったのです」

「……セドリック兄上」

「残念ですね。もう少しだったのに。もっとあなたたちが狂っていれば、私の勝ちだったのに」


 名残惜しげに嘆息し、左右に首が振られる。

 保険医を演じた男は、利き手を肩の高さまで掲げた。


「私たちも対立戦に参加したのに、犠牲を出しながら貢献したというのに、……何故、お前たちは狂わなかったんだ」

「……ぼくたちは、それぞれ配られたカードが最高だった。ただそれだけだ」

「私たちが劣っていただなんて思いたくない。けれども思うのです。……お前もこちら側へ来いと」


 うっそりと微笑んだ銀髪の男は、からりと保健室の扉を開く。

 暗く蠢く影が無数に揺らめき、遠近を歪めた。


「きみのはじめの質問に答えましょう。解1、怪談をばらまいた理由は、エリーゼに悲劇的な妄想をまとわせたかったため。解2、エリーゼに毒を盛ったのは、私の計画に必要だったため。解3、これはきみが答えましたね」


 なおも楽しげな男は背筋を正し、からかうように、優雅な礼をした。


「解4……は飛ばして、解5。ご名答、私がセドリックです。ところでリヒト。きみはひとつも証拠を出していませんが、このことをどのように証明しますか?」


 その姿は舞台に立つ道化師のようで、リヒトの目には滑稽に映った。

 渋面の少年が低く言い放つ。


「ベルを証人に、『郵便屋さん』を検挙する」

「ふふっ、では、もう手遅れかもしれませんね」

「……なんで?」


 一層くつくつと笑い出した『セドリック』は、暗く歪んだ廊下を指差した。

 未だ肩は震わせたまま、彼の唇が開かれる。


「何故私がお前を毒殺しなかったのか、考えたことはありませんか?」

「……それはエリーの方が、保健室に通って都合がよかったからでしょう」

「いいえ。私ならお前であろうと手を下せた。そうしなかったのは、お前の方が都合がよかったからだよ、リヒト」

「……どういうこと?」


 胡乱な目で男を見遣り、リヒトは閉口する。

 セドリックは笑ったまま、手のひらで外を示した。


「エリーゼは破壊力はあるが、持久力はない。この王都を滅ぼすには力不足だ。しかしリヒト、お前の情緒は不安定で崩れやすく、些細な刺激で激昂する」

「……まさか」

「解4、オレンジバレーくんの周囲は本当に安全だろうか? 彼は確実にお前たちの元へ戻ってくるだろうか? 私は言ったはずだ。『お前もこちら側へ来い』と」

「ベルになにしたの!?」

「あははははッ」


 腹を抱えて笑い始めたセドリックはそれ以上語らず、焦燥に駆られたリヒトはその場を駆け出す。

 廊下へ飛び出した彼の背へ、歪んだ言葉が投げかけられた。


「私はどこへも行かないよ、ここにいるさ。私はこの檻から出ることを禁じられているからね。そして次はお前の番だよ、リヒト。お前の席はここだ。次はお前がここに座るんだ!」



 *




 乗り捨てた馬車から引きずり出され、ベルナルドは大人しく引かれる腕に従って歩いていた。

 道中、配達員の男はずっとご機嫌で、にこにこと鼻歌を混じらせながら話をしている。


「ねえ、覚えてる? きみとはじめて出会った日のこと。あの日もこの日なんだよ」


 相槌がなくても気にならないのか、興奮した様子で喋る声は止まらない。


「だからね、この日が近づくと堪らなくなっちゃって、きみに会いたくなるんだ!」

「ほら、きみってかわいいものがすきだろ? きっときみの頭の中にはメルヘンなものがいっぱい詰まっていて、引っ張り出したらやわらかくって、キラキラしてるんだよ」

「前にきみ、星とウサギとネコとイヌとアヒルの形のクッキーを食べてたよね。リボンを結ぶのも丁寧になって、あの黒髪の子の髪を結んであげてたよね。すっごく上手にできてたよ! きみは手先が器用だね!」


 喋る声は止まらない。


「まさか学生寮に入っちゃうなんてなー。あーあ、おれも在学中だったらよかったのに。そしたらきみとずっとずうっと一緒にいられたのにね? そうしたらこんな回りくどいことなんかしなくてよかったのに」

「ううん! でもこうしてやっと一緒になれたんだ! おれ、今すごくうれしいよ。きみとずっとこうしたかったんだ。ずっと! ずっとずっと前から! 今日はなんて素晴らしい日だろう! あははっ、世界に祝福を!!」


 祈りの言葉を口にし、ひとつの扉の前に立った男が、ドアノブをひねる。

 遠く聞こえる収穫祭を祝う楽曲が、引きずり込まれた扉の開閉音によって遮られた。


「ここはね、ずっと前まで人が住んでたんだけど、あれから貰い手がなくて、ずっと空き家のままなんだ」


 薄暗い玄関ホールは広く、吹き抜けの窓から差し込む陽光が唯一の光源だった。

 うすく埃の積もった床に外靴をのせ、ご機嫌に「こっちこっち」と笑った男は、少年の手を引く。


 そこはかつて、残忍な殺人事件の舞台となった屋敷だった。

 今では壁紙も床も全て張り替えられ、当時の名残を全て取り払っている。

 しかし、青年の言葉通り貰い手はつかず、廃墟らしく至るところにクモの巣を張りつけ、歩くたびに軋み音を鳴らしていた。


「おれも前に来たことがあって、いいところだったから、きみの部屋を用意したんだよ」


 くるくると指先で鍵を回し、「博覧会、なくなっちゃったなー」廊下を歩く男がつぶやく。

 階段をくだる足は迷うことなく地下へ向けられ、重たい扉の前で止まった。

 手にした鍵を差し込み、えへへと照れたように微笑む。

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