06
メティスの石橋で馬車が疾走してから、そう時間は経っていない。
ざわめく人波を縫って走り、ふたりは騒動の終着点を目指した。
大通りをしばらく走り、通称『お屋敷通り』へ入る。
大通りを離れるごとに、徐々に喧騒が遠のいた。
お屋敷通りとは貴族街へ連なる道のことで、コード家別邸はこの道をさらにのぼった先にある。
彼らのいる現在地からは、クラウスの家や、リズリットの旧邸の方が近い。
トランペットの微かな音色を背中に、ざわめく住宅街を駆ける。
比較的安定した道は走りやすく、彼女たちは周囲を見回しながら息を切らせた。
「ねえ、アル! 本当にこっちで合っているのかしら!?」
焦燥に駆られたミュゼットが叫ぶ。
額からふき出す汗を手の甲で拭い、肩で息をする。
同じく呼吸の荒いアルバートは、時折噎せながら、両手を口元で交差されていた。
解いた指先の隙間を、淡い緑の光が溶ける。
「ハイネを呼んだ。僕たちより動けるはずだ」
「ハイネさん!? そう、それは心強いわ。でもっ!」
「義姉さん、人を見つけるんじゃない。馬車を見つけてくれ」
顔を上げたアルバートは、キッと義姉の顔を見据えた。
必死に『ベルナルド』を探していた彼女は目を瞠り、口を噤む。
「あいつの狙いはベルナルドだ。馬車は手段でしかない。だから目的が達成されたとき、馬車は邪魔になるから必ず捨てられる」
「目的……」
「僕たちの動きを封じる。確実な誘拐の達成」
襟元のボタンを外し、はたはた煽いだアルバートは、淡々と答える。
ハッと息を吸い込んだミュゼットは、唇を噤んで視線をうつむけた。
「……そう、そうね。わたくしたちの馬車は大きくて見つけやすいし、それにとても見慣れているわ」
「人間は家屋に入ると外から見えないが、あれは外に放置される。焦っているなら、なおのこと冷静になってくれ、義姉さん」
「ええ、ええ。わかっているわ」
大きく空気を取り込み、呼吸を落ち着ける。
すでに先を行くアルバートは早足で、ミュゼットもその後ろを追った。
ゆるやかな曲がり角を抜け、さらに住宅街を進む。
路肩の木陰へ目を向けた彼女は、息をのんだ。
「アル! 見てちょうだい!!」
アルバートの袖を掴み、見つけたものへ駆け寄る。
ふたりの探し求めていた公爵家の馬車は、木陰に突っ込むようにして、無造作にとめられていた。
ぶるる、馬の鳴き声が聞こえる。
「グリ! グラ!」
「ここで乗り捨てたか」
「まだこんなに興奮してる……。アル! きっと遠くへは行っていないわ!」
馬車につながれたままの馬たちは、うろうろと蹄を鳴らして尾を揺らしていた。
落ち着きなく興奮した様子は、乗り捨てられてからそう時間は経過していないらしい。
ミュゼットは愛馬の背をさすり、落ち着けるよう声をかける。
手近な幹に綱を回し、愛馬の動きを封じた。
馬は帰巣本能が低く、脱走すると見つからないことが多い。
……見つかってよかった。気晴らしに馬を走らせるベルナルドの姿を思い起こし、ミュゼットはほっとした。
「……車内に手がかりはなさそうだ」
「どうしましょう! こんなに建物があっては、あの子を探しきれないわ!」
半開きの扉を開け、車内を確認したアルバートは思案した。
『お屋敷通り』の名の通り、この場所は邸宅ばかりが並んでいる。
彼らが上に行ったのか、下に行ったのか、それすらわからない。
邸宅の一軒一軒を尋ね回るには時間が惜しく、手遅れの事態になりかねない。
目的のひとりを探し当てるには、トランプ遊びのようにはいかない。
「——義姉さん、考えがあるんだ。耳を貸してくれ」
*
「では優秀な名探偵殿。その突飛な推理を、凡人にもわかりやすく説明してくれませんか?」
半壊した保健室の中、倒れた椅子を起こしたフィニールは、構わずそこへ腰かけそう促した。
銀縁眼鏡を押し上げた彼は優雅に足を組み、対峙するリヒトの気を逆撫でする。
「まず、この場で起きたエリーの服毒について」
自身の攻撃から免れた戸棚を開き、リヒトが目的の引き出しを抜き取る。
エリーゼが服毒するまでは、薬包紙に包まれた粉薬の並んでいたそこは、取り調べのため空になっていた。
——結果、この中に毒物はなかった。
「あなたが管理していた薬をノアへ渡し、ノアの手からエリーが薬を選んだ」
「ええ、そうです。私はいつも通り、王女殿下の常用薬を7日分数えて、新任の従者へ手渡しました」
頷くフィニールの口元は楽しげに緩められ、傾げた小首に合わせて白銀の髪が揺らめく。
「そして私の入れた水、……そこの水瓶のもので王女殿下は服薬し、従者がコップを洗いました」
フィニールの行動は、エリーゼを必要としているノアを経由しており、直接手を下していない。
また、水瓶は当時薬とともに調べられたが、無害のものだった。
水に細工するにも、ベルナルドたち生徒が前におり、不審な動きをすればさすがに誰かが気づく。
だからこそ、フィニールには犯行が不可能だと、こうして解放されていた。
うっそりと微笑む保険医へ向けて、リヒトが空の引き出しを振る。
「この引き出しの中には、いつもひとつだけ毒薬が紛れ込んでいた。あなたはババ抜きのジョーカーのように、エリーにランダムに毒を選ばせた。違いますか?」
「物騒なトランプゲームですね。はい、なんていうわけないでしょう、馬鹿馬鹿しい」
喉奥で笑い声を転がしたフィニールが、両手をあげる。
「第一に、証拠は?」
「ありません」
「きみは国政より、小説家の方が向いてますよ」
愉快げに笑うフィニールを見ることなく、リヒトは戸棚へ引き出しを戻す。
「次に、ミュゼットの手紙を使って、エリーに毒薬を送りつけた方法について」
ミュゼットからエリーゼへ宛てられた手紙の中身が、毒薬としおれた花へ変わっていた。
同時期に届けられたギルベルトの手紙に不審な点はなく、ミュゼットの手紙には開封された形跡もない。
このことでエリーゼは疑心暗鬼へと陥り、コード公爵家は立場を危うくしている。
続けられるリヒトの推理談義に、フィニールは片眉をしかめた。
「おや。まだ私を犯人に仕立て上げるつもりですか」
「これは簡単です。手紙の封を切らずに、中身を差し替えればいい」
「……さて、どうやって?」
強引に話を進めるリヒトに、肩をすくめたフィニールが話題に乗る。
手にした機関紙を半分に折った少年が、合わせ目を指で示した。
「封筒ののり付けは、意外と粗悪にできています。封筒の底辺を蒸気にかざすと、のりが剥がれて封を切らずに開封することができます。あとは中身をすり替え、底辺をのり付けすればいい」
「……当然のように語りますが、私に公爵家ご令嬢の手紙を手に入れることなんて、不可能ですよ」
ゆるく首を横に振る保険医に、リヒトは口を噤んだ。
ふいと視線を俯けた少年が、顎に手を当てる。
「そこで考えました。ベルは手紙を出すことが好きです。ベルの話には、度々『郵便屋さん』が登場します」
ミュゼットから賜った大切な仕事を、ベルナルドは几帳面に重じている。
ミュゼットから預かったあの手紙を、ベルナルドはどうしただろうか?
「ベルの示した『郵便屋さん』が、職業ではなく固有名詞だとしたら? 誰か特定の『郵便屋さん』と仲良くしているのだとしたら? 手紙の入手は簡単になりませんか?」
「付き合い切れませんね。その配達員と私に、何の関係があるというのです?」
「ぼくは一言も、『配達員』とは口にしていません。なぜ配達員だと思ったのでしょう?」
「……妄想による決めつけはやめにしましょう。不毛です」
嘆息したフィニールは席を立ち、崩れた保健室から出ようとリヒトの横を通り過ぎた。
淡々とした少年の声が、彼のうしろを追いかける。
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