05
喧騒の飛び交う周囲を無視して、アーリアは駆ける。
彼女を追う警備を俊敏に避け、ひるがえるメイド服はただ一室を目指していた。
城内は広く、ようやく目的の扉を見つけた彼女は、普段怠らない礼節をかなぐり捨てて、叩きつけるようにそれを開け広げた。
「失礼!! ミスターオレンジバレー!!! 火急の用にございます!!」
室内にいた、収穫祭に追われる実行委員たちは、飛び込んできたアーリアの張り上げた声に動きを止めた。
その切羽詰まった訴えは、ペンを持つもの、書類を運ぶもの、話し合いを行うもの、全ての目を集める。
時計が止まったかのような静止を見せた彼らは、各々が言葉の意味を咀嚼し、その視線はゆっくりと実行委員長であるサマビオン・コードへ向けられた。
アーリアの『旦那様』であるサマビオンが、静かに傍らの執事へ目を向ける。
微笑を携えた老執事は一度優雅に主人へ腰を折り、無駄のない動きでアーリアの元へ歩み寄った。
「アーリア。ここをどこだと心得ているのかね?」
「御子息御息女が襲撃され、ベルナルドが誘拐されました!!」
凛と響き渡るアーリアの声に、ざわりと周囲がざわめき立つ。
ぴくりと片眉をひそめた執事ヒルトン・オレンジバレーは、流れるような所作で老眼鏡をたたんだ。
アーリアを捕らえようと動く警備兵へ断りを入れ、凪いだ顔で口を開く。
「……御子息御息女のご容態の報告を」
「ッ、ミスター!!」
「わたしたちの優先順位を間違えてはいけないよ、アーリア」
淡々とした声音で断ち切り、ヒルトンは無言で報告を促す。
皺の刻まれた顔は表情が読みにくく、焦燥に駆られるアーリアは苦渋をのんだ。
慣れた報告作業であるにも関わらず、言葉が逸る。
「……ミュゼットお嬢様が魔術攻撃を受けておられます。外傷はありません。ベルナルドが身代わりとなり、コード邸の馬車によって連れ去られました」
「そうか」
ヒルトンの応答は、いつもと同じだった。
しかしそこには感情も抑揚もなく、アーリアは下げていた目線を持ち上げた。
ゆるく首を振ったヒルトンが、米神を押さえる。
老執事は静かにため息をついた。
「きみの処分については、追って伝える。まずはお嬢様に休養を」
「ッ、ミスター!! ベルナルドが!!」
「下がりなさい。……とんだご無礼を、申し訳ございませんでした」
見本のような角度で頭を下げ、ヒルトンは会議室にいる貴族たちへ謝罪した。
目の前の応酬から現実へ引き戻された実行委員等が、困惑したように顔を見合わせる。
とりわけ視線を集めるサマビオンは、耐えきれないとばかりに咳払いを挟んだ。
大股でドスドスとヒルトンへ詰め寄り、「あーまったく!!」腰を折る老執事の前で仁王立ちになる。
「火急の用だといっているじゃないか、ヒルトン!」
「ですが旦那様、ベルナルドは使用人です」
「うちの子であることには変わりありません!! それに今年の収穫祭実行委員の顔ぶれを見てくれ。昨年からのレギュラーメンバーが勢揃いだ! これがどういうことかわかるかい、ヒルトン」
コード家当主が腕を広げる。
示された貴族たちは悪い顔で笑い、あるものは地図を広げ、あるものは情報局へ駆けて行った。
ひとりの実行委員が手を振る。「こういうことを『水臭い』というのだろうね!」快活な言葉だった。
「全員、昨年はベルナルドに助けられたものたちだよ」
「コードさあん! 今年もですよ、今年もー!」
「殿下から聞いていますよ。今年も大役が待ってるのだとか!」
わっとわき起こる歓声が、「お嬢さん、それはどこで起きたんだい?」「いつ頃起こったのかね?」アーリアへの聴取を始める。
目を瞠ったアーリアは、これ幸いとばかりに、彼女たちを襲った出来事を全て話した。
聴衆が帳簿を取り、地図に赤いバツ印が書き込まれる。
「……恐れ入ったよ。あの子はいつの間に、これほどにまで抱き込んでいたのだろうね」
「さあ観念するんだ、ヒルトン。反対派はきみだけだよ」
頭痛に耐える顔で、ヒルトンは目頭をもむ。
爽やかな笑みを浮かべたサマビオンは、自身の頭の上に立てた手のひらをのせた。
「それとも、ウサギ男が必要かい?」
辺りの喧騒にかき消されてしまいそうな小声の質問に、ヒルトンが僅かに息をのむ。
『ウサギ男』はその昔、コード家を襲撃した悪者の通称だった。
精巧なウサギの頭をかぶり、フロックコートをまとったふざけた装いで、ミュゼットを襲撃し、ベルナルドへ重傷を負わせた。
しかし、そのウサギ男の中身はヒルトンであり、そのことを知っているのは、その謎を解いたベルナルドただひとりだけのはずだった。
ベルナルドは自身の養父を告発することができず、これまでずっと黙秘を続けている。
口外する可能性は、ないに等しい。
長年仕えてきた執事の鉄壁の澄まし顔を崩したことが、大層うれしいらしい。
サマビオンは底意地の悪い顔でにやにや笑った。
「私を侮らないでおくれ」
「……失礼いたしました」
「きみのことだ。このあと離席して、ひとりでベルナルドを探すつもりだったのだろう? アテでもあったのかい?」
きみ、昔私の娘を襲ったよね? と断定した口で、飄々と話を続ける雇用主に、ヒルトンはますます頭痛に耐える顔をした。
何を言っても仕方ないだろうと判断した老紳士は、この思考力をもっと有意義なものへ使おうと意識を切り替えた。
ため息をひとつつき、「馬車だよ」疲労感に満ちた声を絞り出す。
「市街地は収穫祭へ向けて混雑している。裏道は、そもそも公爵家の馬車では走り切ることはできないだろう。あの車体は、あまりスリムとは言い難いからね」
「うっ、その、……一年のうちに王都にいる期間が限られているからだね。……その、王都の流行は先進的だね!」
「うちの娘も、最新型の馬車をねだってましたよ……」
腹心の執事から「うちの馬車の型が古くて、狭い道を走れないんです」と暴露され、コード家当主はゴホンゴホンっと咳払いした。
同じく年頃の娘を持つ貴族が、彼の肩をぽんとたたく。
ヒルトンは止まらない。
にっこりと清々しい晴れ切った笑顔で、とん、と地図を指差した。
「だから大通り沿いに、相当量のクレームが寄せられると思ったのだよ。コード公爵家にね」
*
「つまり、馬車の目撃情報がたくさん上がるということね」
「ああ」
街路を駆けるミュゼットは、アルバートの推測にふむ、と得心した。
同時に、この場合、窃盗にあった馬車の行った処罰は、誰が請け負うのだろう? とゾッとする。……しかるべき処罰を受けさせよう。
大通りは予想通り人が溢れ返り、子どもの泣き声や誰かの金切り声が響いていた。
一時中断していたらしい、楽団はそれぞれの楽器を構え、収穫祭を祝う楽曲を奏ではじめる。
警備にあたる騎士団員はしきりに周囲を警戒し、苦情の先にも聴取を行う騎士団員がいた。
息を切らせたアルバートは、彼らの元へ駆け寄った。
——馬車が、店を壊された、うちの子が怪我を、被害が……流れる単語を聞き取り、声を張り上げる。
「その馬車はどちらへ行きましたか!?」
「あっちだよ! 大通りからお屋敷通りの方へね!!」
「ありがとうございます!」
全く迷惑するよ! 響く苦情を無視して、アルバートは示された方へ爪先を向けた。
かつてない義弟の能動的な姿に、義姉は驚愕に震える。
「アル、あなた、そんな大きな声が出せたのね……!」
「必要があれば出すさ」
「丁寧な言葉遣いもできたのね! お礼も言えて偉いわ!」
「義姉さんは、僕を何だと思っているんだ?」
肩で息をするアルバートが、キッとミュゼットを睨む。
『……だってあなた、リヒト様にも敬語を使わないじゃない』浮かんだ正論をキュッと飲み込み、彼女はえへんと咳払いした。
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