04

 猫の子のようにつまみ上げられたノエルは、真顔で途方に暮れていた。

 彼は鬼教官と名高いジルに捕まっていた。

 これから校舎を吹っ飛ばした上、辺り一面を焦土に変えた理由を説明しなければならない。

 さらには「反対側から行く!」と声高に宣言したまま失踪したギルベルトと、その従者のことも説明しなければならない。


 ノエルは途方に暮れていた。

 自分ひとりでは説得力のないふざけた内容も、事情を的確に代弁できる人物がいれば、この鬼教官を言いくるめることができるだろうと。

 しかし、集合地点であるはずの図書館にはリヒトの姿はなく、ならばとリズリットたちのいる食堂棟へ向かうも、彼らの姿も見えない。


 ——まさか、はめられた?

 心当たりの存分にあるノエルは、終始真顔だった。

 茫然とハイライトの喪失した目で、食堂棟を見上げる。


「——で、どういうことだ。ワトソン」

「……うっす」


 疑問符すらつけない隣のジルの、威圧感が凄まじい。

 ノエルは直立したまま冷や汗をだらだら流し、静かに現実から目を背けた。

 少し前までのノエルなら、実家からの非難を真っ先に恐れただろう。

 しかし家から切り離された彼にとって、今最も感じる恐怖は、この大男から感じる覇気に他ならない。


「……えっと」


 ひりつく喉から掠れた声をしぼり出し、ノエルはかたく手のひらを握った。


 ——先輩のこといじめたから、バチがあたったのかなあ。


 わけもわからず騒動に巻き込まれ、唐突に孤立した少年は、そう考えた。

 ぐるぐる回る思考が沈殿し、生来の気質ともあいまって、水中に何度も顔を押しつけられるような息苦しさを感じている。


 ——それも、そっか。だってみんなオレンジバレー先輩のオトモダチだし、俺のこと快く思ってなかっただろうし、仕返しされて当然か。


 うっかり浮かべかけた自嘲は、記憶の中で再生されたシーツのにおいによって、ぐにゃりと歪んだ。

『先輩とコードくんは、いつも同じにおいをさせている』

 階層にわけられた記憶が、思考の隙間を縫って勝手に再生していく。


 ——でも、先輩がいない隙に邪魔なやつを排除……するなら、特に効率主義者のコードくんあたりが、既に俺のこと排除してるよな?


 あれれ、と首を傾げたノエルが、沈みかけた意識に待ったをかけた。

 第一に、彼へ同道を持ちかけたのは、エリーゼ至上主義者のギルベルトだ。

 ベルナルドとは確かに友人関係にはあるが、ギルベルトはベルナルドが痛い目にあっても、「ま、そんなこともあるよな! それよりお前に頼みがあるんだが」と自身の事情を優先させるようなやつだ。

 間違っても共感して悲しんだり、あるいはアルバートのように「お前を埋めるための墓アナを掘らせてやる。光栄に思え」との脅し文句を掲げたりするタイプでもない。


 だとするなら、オカルト現象を鼻で笑ってきたギルベルトが失踪したことは、ノエルへのバチなどではなく、ギルベルト自身がおばけを蔑ろにしたことによって、バチを受けたのではないだろうか?

 ハッとひらめいたノエルの目に、生気が宿る。


 ——なんだ! やっぱりオカルトとは国交断絶した方がいいんだ!! これ正当!!


 彼はだいぶんに混乱していた。


「あれ?」


 ぽつ、と頭に感じた衝撃に、ノエルは顔を上げた。

 雨だろうか? 晴れた周囲に首を傾げ、ひらひらと降ってきたものに目を留める。

 逆光を背負ったそれは、くるんと先の丸まった、赤い色をした花びらだった。

 触れてみるとしっとりとしていて、細長いシルエットは見慣れない。

 ぽとぽとと落ちてくるそれは不審で、さすがに気味悪く思ったノエルは、うろうろと後ろへ下がった。


「ワトソン!! 説明しろと言っているだろう!!」

「ひえっ」

「あっ! ジルきょーかあ〜ん!!!」

「りりりりりリズリットくん!?!?!? ああああああぶ、あぶな……っ!!!」


 待てど暮らせど事情を説明しない教子に、痺れを切らせたジルが一喝する。

 その声に対して応答があったのは、彼らの頭上はるか高くからだった。

 唖然としたジルは、食堂棟を振り仰ぐ。

 青空を背負って両手を振るのは、学園一の問題児、リズリットだった。

 どうやって登ったのかわからない屋上から身を乗り出し、無邪気な笑顔で両手を振っている。

 そんな彼の腰に必死にしがみついている、小柄な女生徒。

 リズリットと隣席にいる彼女ノルヴァは目立たない生徒だが、リズリットの起こす騒動に毎度死にそうな顔をしていた。


 今にも転落してしまいそうな生徒たちの姿に、ジルは目を瞠った。

 ひえっ、リズリット先輩!? 怯えるノエルを放って、腹の底から声を張り上げる。


「何をしているんだ!! リズリット!!!!!」

「あのねー! ベルくんにねー! お花あげようと思ってねー!!」

「花屋に行けッ!!!! お前ら、どこからそこへ登った!?」

「でもね、これ『きらい』になっちゃったから、教官にあげるねー!!!」

「聞け!!!!! 言葉のキャッチボールを成立させろ!!!!!!」


 落雷を彷彿させるような怒号だった。

 ノエルへの説教など、そよ風だ。


 恐らく花占いをしたのだろう、ぽーい! と軽快にリズリットは持っていた花の芯を投げ捨てた。

 花びらが全てむしられた無残な姿が、屋上からジルのもとへ、ぽとんと落下する。

 リズリットは塀の上に立っているらしく、彼の腰にしがみつくノルヴァはかわいそうなほどに震えていた。

 膝立ちの彼女は、ひんひん泣きじゃくり、「リズリットくん、もう降りましょうよう!」と泣き声を繰り返している。


 青筋を浮かべるジルは、リズリットの持つ幼稚さと衝動性を警戒していた。

 リズリットの倫理観は歪んでおり、どのような行動に出るか予測もつかない。

 現に今もにこにこと無邪気な笑顔で、「1年くーん!」と両手を振り、「エンドウさんみてみてー! えっとねー、1年くんがねー」とくるりと身体を反転させている。

 手を振られたノエルは真っ青だ。


「先生さん! すまねぇが、扉が開かねぇんだ!」


 ぴょこんとエンドウが顔を覗かせる。

 ジルの米神が痛んだことは言うまでもなく、しかしようやく現れた話の通じそうな相手に、教官は叱責を飛ばしたい衝動をぐっとこらえた。


「どこから登った!?」

「訓練場の入り口にある、鏡でさぁ!」

「俺が向かうまで、全員その場で待機しろ!! わかったかヒヨコども!!!」

「鏡を……待ってくれや、先生さん!?」


 エンドウが伝えたかった「鏡を横へスライドさせる」を聞くことなく、ジルは階段を駆け上った。

 その姿は陸上競技選手を彷彿させる見事なストロークで、すれ違う生徒の度肝を抜かせた。

 咄嗟に壁に張り付いた生徒たちはのちに、「狩られるかと思った……」と証言しており、獰猛な熊のように鏡を叩き割ったジルは、さらに隠された階段を駆けのぼった。


「扉の延長線上から離れろヒヨコどもおオォッ!!!!」


 嵐のような声量とともに、リズリットとエンドウが何をしても開かなかった鉄製の扉はひしゃげ、のたうち、弾み、赤い花畑の一角を根こそぎ抉り取って、石の床へと深々と突き刺さった。

 素手のグーパン一撃だった。

 居合わせた面々は静かに両手をあげ、明日の朝日を拝めることを静かに祈った。

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