シーン3:空中庭園

 空中庭園から食堂の建物を見上げる。

 ——うんと背伸びしたところで、屋上なんて見えないのだけれど……。


 うんうん唸っていると、ざりり、砂利の踏まれる音がした。


「あ、フィニール先生!」

「オレンジバレーくん」


 銀髪の保険医が、眼鏡を押し上げこちらへ歩み寄る。

 徐に伸ばされた手が、僕の額に当てられた。


「……今日の具合は?」

「そんな、いつでも体調不良なわけではないので……!」


 ひんやりとした手のひらと、尋ねられた質問に、口許が引きつる。

 このままだと、先生まで僕が虚弱体質だと誤認してしまう……!

 ちがうんです! あれはただの事故なんです!!


 一歩踵を引くと、何事もなかったかのように腕が下ろされた。

 無表情な先生は、なにを考えているのか正直ちょっとよくわからない。


 ……そうだ。先生にも聞こう。


「あの、先生。この辺で、赤い花畑ってありますか?」

「赤い?」


 レンズ越しに瞬いたフィニール先生が、平坦な声音で尋ね返す。

 今年も学生寮の窓から見える景色に、赤色が加わった。

 一夜にして一面に広がったそれが、どこに咲いているのか、未だに見つけることができない。


 フィニール先生が首を傾げた。


「……どこで見かけましたか?」

「学生寮です。窓が小さいので見えにくいんですけど、多分、食堂の上にあると思うんです」

「そうですか。……心当たりはありません」

「ううーん、先生でも知りませんか……」


 空中庭園の管理者が、知らないって言ってるもんなあ。

 でも、今年も咲いてるし、昨年はリヒト殿下にも確認を取ってもらったんだよ?

 ううん……。でもあの赤いの、突然ばっと出現して、ばっといなくなるんだよな……。

 変なの……。


「うーん、もやもやする……」

「花畑なんて規模のものは、この学園にありません。この学園の庭は、前庭、中庭、裏庭、そしてここ、空中庭園の4つです」

「そう……ですよね……」


 先生の呆れた声に、しょんぼりと俯く。

 それでも、リヒト殿下のお部屋に戻る度に、目につくんだよ?

 遠くだと見えるのに、近づくと見えないなんて、どんなトリックだろう?


「でも、不思議なんです。あんなに赤色が咲いているのに、今まで花びらのひとつも見つけたことがないんです」


 ぽつぽつ、独り言をこぼす。

 フィニール先生は、水源の水質を確認していた。

 ボードに何かを書き込んでいる。


「部屋からは見えるのに……」

「……そういえば君は、怪談を収集していましたね」


 万年筆を胸ポケットへおさめた先生が、こちらへ振り返る。

 ――怪談って、七不思議のことかな?

 肯定すると、僅かに眉を寄せられた。


「……参考までに、今までどのような話を聞きましたか?」

「え? ええっと、『わらう絵画』『トイレのメアリー』『雨の降る階段』『異次元の鏡』と……あ、『走る影人間』です」

「……そうですか」


 5本の指を立てた僕に、フィニール先生が顎に手を当てる。

 思案気な様子で眼鏡を伏せ、彼がこちらを向いた。

 ざり、先生が歩み寄る音が聞こえる。


「……生徒から聞いた話です。その怪談のひとつに、『死者の花畑』というものがあります」

「先生、詳しいですね!? へえ、……え? 花畑?」


 盛り込まれた単語と、僕の探しているものの類似点を見つけ、先生の顔を見上げる。

 僕の前までやってきた彼は、やっぱりというか、無表情だった。


「真っ赤な花が一面に咲いているそうです。しかし、一輪一輪よく見てみると、それが血濡れた手首であることがわかるのだとか」

「カラーリング、赤なんですね。……はい」

「掴まれると、引きずり込まれるそうです」

「あ、掴んでくるタイプですか! 握手会かな!?」


 引きずり込まれるって、どこに!?

 地下だから、死者なのかな!?

 先生の淡々とした話し方が、怖がらせようとしてくる話し方よりも、恐怖を煽ってくるね!?


 おもむろに右手をあげた先生が、僕の頬に触れた。

 ぎょっと身を引くよりも先に、ぶつんと意識が暗転する。


「オレンジバレーくん、くれぐれも注意するように」


 遠くで先生の声が聞こえる。

 最近、意識の強制終了、多過ぎないかな!?






 ぼう、と天井を見上げていることに気がついた。

 身体が鉛のように重たくて、まばたきさえも億劫に感じられる。

 瞼を下ろしているのか、上げているのか、曖昧な感覚。


 ――ふと、視界に顔のないマネキン人形が映りこんでいることに気づいた。


「…………」


 視界から追い出すように、寝返りを打つ。

 対立戦が終わってからこれまで、あれらが見えることに対して、あまり考えないようにしてきた。


 ……はじめの頃は、ぬいぐるみがちらついていた。

 やけに『あか』が目立って、不気味に感じられる。

 見ないようにすればするほど、視界にまとわりついて、だめだった。

 ヒルトンさんに相談してからは、多分吹っ切れたんだと思う。

 気味が悪いけれど、別段危害を加えてくるわけでもない。

 ただ見えるだけ。それだけだ。


 それに、位置さえ変えれば、それらは見えなくなる。


「……?」


 ——はずだった。


 左半身を下に、白いカーテンを見つめて、あれ? 瞬く。

 右上――先ほどと変わらない位置に、マネキン人形がいる。

 僕の体勢では、ありえない角度でそこにいる。


 ――あれ?


「起きましたか、……オレンジバレーくん?」


 飛び起きた状態で、両手で目許を覆う。

 心臓が早鐘のように鳴って、息が苦しい。

 震える手は冷え切り、けれどもそんなことに構っていられる余裕もなかった。


「……いる」

「オレンジバレーくん?」

「……あかい……」

「あかい?」


 瞬きをしていたから、気がつかなかった。

 幻覚は、景色に映っているのだと思っていた。

 でもちがった。

 かたく目を閉じる。

 光を受けた瞼の裏が、赤く透ける。

 あかい中に、人形がいる。

 ……まぶたにいる。


「あかっ、あかい、……あかッ」

「ッ! やめなさい、オレンジバレーくん!!」


 咄嗟に眼球をえぐり出そうとした。

 まぶたに爪を立てる僕の手を、誰かに掴まれる。

 引いても振っても離れないそれに、いやだと頭を振った。


 ——こちらを見てる。

 ずっと見てる。

 赤いまぶたの裏から、人形がこちらを見てる。

 景色に同化するように、当然のようにそこにいる。

 目を開くと、反転した残像が現実に転写される。

 ……影絵みたいだ。


「ッ、なーにが『影絵みたい〜』ですかあ!! 詩的な表現をしたらなんでも許されると思わないでください! もうやだあああああああッ!!!!」

「オレンジバレーくん!?」


 わああああん!!! 盛大に取り乱しながら叫ぶ。

 多分、過去最悪の暴れっぷりだと思う。

 誰かの腕に顔を押しつけて、透ける赤い視界を暗くしようとした。


「現実にハローワールドして映り込むくらいなら、このまままぶたの裏で見詰め合いますよ!! やっぱやだ! 現実にッ! 侵食してこないでください!!!!」

「お、落ち着きなさい、オレンジバレーくん……!」

「大体、僕のまぶたは僕のなんですよ!? なんで断りもなくいるんですか!? 滞在料もらいますよ!! 通行手形発行しますよ!!!」

「君の世界観はどうなっているんだ……。落ち着きなさい」


 頭ごと抱き寄せられ、視界が闇に染まる。

 消毒液のにおいがした。

 同時に人形の輪郭がぼやけ、叫びすぎて荒れた呼吸がぜいぜい鳴る。

 相手の背中に腕を回し、ぎゅっと服を握った。


 ……この手を離したら、また人形とご対面するのかと思うと、心の底からつらかった。


「ちーっす、フィニールせんせー。ベル引き取りに来ましたぁ……って、なにしてんすか?」


 ガラッ! 景気良く開かれた扉の音に、意識がそちらを向く。

 聞き馴染んだお声に、現実感と安堵感が生まれた。

 ぐすり、思わず涙ぐんでしまう。


「その声はクラウス様……! ううっ、すみませんっ! 今取り乱していまして……!」

「んんん?」


 頭に回された腕が離されそうになり、やだやだと必死に相手の服を握りしめる。


 ……今更だけど、僕、誰と一緒にいるんだろう?

 ……この気配を読みにくい感じ。……フィニール先生かな?


「……おい、ベルナルド。この状況は何だ?」

「そのお声は坊っちゃんですか!? っ、申し訳ございません! 少々立て込んでおりまして、この体勢から動くことができないんです!」

「どうしてそうなった」


 坊っちゃんのお声に、びくりと肩が跳ねる。

 そんな、坊っちゃんのお声が聞こえるまで、坊っちゃんがいらっしゃることに気づけなかった!?

 今、索敵能力まで落ちてるのかな!? ポンコツじゃないか!


 扉を閉める音と、誰かの靴音が響き、傍で立ち止まる。

 そちらを向きたいのだけれど、この部屋は明るくて顔を上げたくない。

 頭上で声がする。


「……先生、いたいけな青少年になんてことを……っ」

「誤解です」

「おい。いつまでそうしているつもりだ」

「わわっ!? ちょ、お待ちくださッ」


 肩を掴まれ、ぐいと後ろへ引かれた。

 明度を取り戻した視界が、再びまぶたの裏を赤く透かす。


「ああああッもおおおおおお!!!! やっぱりまだいるんですね!? お帰りいただいて構わ、なんでちょっと動いているんですか!? センター陣取る気ですか!? やめてくださいっ、僕のセンターは! お嬢さまと坊っちゃんです!!!」

「おい、お前、いきなりどうした……?」

「先ほどから幻覚に苦しんでいるそうです」

「は!?」


 ギャーギャー喚く僕の目許をふさぎながら、先生が淡々と状況を説明する。

 ひしとその腕にしがみついて、明度を落とそうと顔を押しつけた。

 ……やっぱりこの人、フィニール先生だったんだ。


「わああん! 今精神分析盛大に失敗したんです!! リアルアイデアが冴え渡って、正気度一気に持ってかれました! これ、右目と左目のどっちで見てるんでしょう!? 眼球えぐったら治るかな!?」

「待て待て待て待て!?!? 何でそんな惨たらしい発想に着地したんだ!? 混沌這い寄ってんじゃねーか! 追い返せ!」

「できたらやってますー!!」

「……包帯を取ってきます。アリヤくん、暴れるので、しっかり押さえていてください」

「ういっす!!!」

「扱いが猛獣!!!」


 フィニール先生が離れたことにより、言葉通り暴れた僕は即座にクラウス様に押さえ込まれ、厳重に視界をふさがれることになった。

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