02

 エンドウさんは、相変わらず洗濯物がよく乾きそうな笑顔をしている。

 よ、よし……!


「……えっと、坊っちゃんとご婚約されていらっしゃると、お聞きしたのですが……」

「おう、そうだぜ」


 カラカラとした明るいお声が、肯定した。

 覚悟していたはずなのに、くらりと目眩を感じる。

 よろめきそうな足許を、懸命に正した。


「そ、そう、ですか」

「兄ちゃんのご主人さん、人見知りだからってよ」

「……そ、う、ですね。坊っちゃん、人見知りなので……」


 空笑いを浮かべ、苦しみ紛れに相槌を打つ。

 どうしよう……。お嬢さまが毒薬の送り主なわけないけど、危険因子がこんなにも近くにいらっしゃる……。


 こちらを向いたエンドウさんが、はてと小首を傾げられた。

 伸ばされた指先が、僕の額に添えられる。


「……兄ちゃん、顔色悪ぃぜ。大丈夫かい?」

「だっ大丈夫です! ご心配、おかけしました……」

「お前さん、体温低いな」


 エンドウさんが、困ったようなお顔をされる。


 そういえば、ベルナルドのルートで、こういうやり取りがあったような気がする。

 内容自体はさっぱり覚えていないけど、一枚絵で、こうやって体調を気遣うシーンだったような……。


「ベル!? どうしたの? 具合悪いの!?」

「だ、大丈夫です、お嬢さま!」


 前を歩いていらっしゃったお嬢さまが、こちらの様子に気づき、慌てたお顔で引き返される。

 いつの間にか、先を歩くお嬢さま、クラウス様たちから距離が離れていた。


 クラウス様もこちらに気づき、広い歩幅で戻ってこられる。

 エンドウさんが僕から手を離し、代わるようにお嬢さまが頬へ手を添えられた。


「ベル、また無理をしているのではなくって? この間も調子を崩したばかりよ」

「本当に大丈夫です! 多分顔色が悪く見えるの、髪の色が濃いせいですから!」

「そんなことないわ!」


 まじまじと僕を見上げた石榴色の瞳が、困惑に揺れる。

 音もなく控えるアーリアさんへ一瞥を向け、お嬢さまが眉尻を下げられた。


「お願いよ。わたくしを不安にさせないでちょうだい」

「……申し訳ございません、お嬢さま」

「わたくし、あなたがいないと……」

「あっ! ミュゼたあああーん!!」


 背後から軽やかな足音が聞こえ、お嬢さまのお手が離れる。


 廊下を駆けて来られたのは、お嬢さまのご友人、リサ・ノルヴァ様だった。

 彼女の後ろにはリズリット様もいらっしゃり、無邪気な仕草で大きく手を振っている。


 お嬢さまが、驚かれたご様子で目を瞠られた。


「お姉さま!」

「ミュゼたん、あのね! 七不思議もういっこ調べたんだよー!」

「まあっ! ありがとうございます、お姉さま!」


 お嬢さまの御前で止まられたノルヴァ様が、膝に手をつき、にこにこと告げる。


 ……そういえばギルベルト様って、エリーゼ様から七不思議を聞いたんだよな。

 この頃耳にするって坊っちゃんも言っていたけど、いつからブームが到来しているんだろう?

 最近流行ってるのかな?


 エンドウさんがクラウス様へ、「なんでぇ? ななふしぎ?」尋ねられている。

「怪談の一種らしいぜ」さっぱりとしたクラウス様の返答に、納得された顔をしていた。


「ベルくん! ここで会えるなんて、運命だよね!!」

「運命の範囲、広いですね」

「そこの3年!! 廊下を走るな!!」

「げっ、ジル教官……」


 対向する廊下から現れた、大柄な男性。

 実技Aクラス担当のジル教官の登場に、僕たちの背筋がしゃんと伸びた。

 クラウス様に至っては、模範のような直立だ。


 ノルヴァ様のお顔が、さあっと青褪める。


「す、すみませんでしたあ!!」

「以後気をつけろ。リズリット、お前もだ!」

「はーい」


 僕を背後から抱き締めたリズリット様が、気のない返事をする。

 嘆息したジル教官が、彼の頭を小突いて通り過ぎた。

 あっ、つい呼び止めてしまう。


「あの、ジル教官!」

「どうした、オレンジバレー」

「えっと、……教官が学生の頃に、七不思議とか、流行りましたか?」

「七不思議?」


 折角だから、先達者に尋ねてみよう。


 強面の教官は目を瞠ったかと思えば、豪快に笑い出した。

 えええ!? 笑うポイントだったかな!?


 どきどきと心臓を怯ませながら、彼を見守る。

 みんなで揃って、子ウサギのように震えた。


「ははは! まだ流行っているのか! あれも息が長いな」

「えっ。教官の学生時代にも、あったんですか!?」

「研究生のときだ。下級生がやけに騒ぎ回り、当時の教官から禁止されていたな」


 おかしそうに笑みを滲ませ、ジル教官が答える。

 お嬢さまが驚いたご様子で、口許に手を当てられた。


「まあっ、禁止されるような、危ないことがありましたの?」

「どこの時代にも、ハッピー野郎はいるものだ。わざわざ検証だと抜かして、深夜の校舎に忍び込んだそうだ」

「ははは、肝試しかい」

「当然騒ぎを起こしてな。それ以来、学生寮の門限の徹底。認可のない校内への侵入の厳罰化。巡回の強化が行われた」


 懐かしそうな面持ちで肩を竦めた教官が、当時の様子を語る。


 けらりと笑ったエンドウさんは、こんなにも美少年なのに、何故だろうか、すごくおっさんくさい。

 視覚情報はジル教官との年齢差を的確に見せ付けているのに、同世代くらいの貫禄を感じる。


「七不思議の内容って、覚えていらっしゃいますか?」

「何つったか……、鏡がどうとか、窓がなんだとか。詳しくは覚えていないが、若人がピーピー騒いでいたな」

「窓?」


 はて、とノルヴァ様を見詰める。

 ぱっと頬を赤らめた彼女が、慌てた様子で俯いた。

 ……ノルヴァ様も、結構な恥ずかしがりだよなあ。


 これまで僕たちが集めた七不思議は、『わらう絵画』『トイレのメアリー』『雨の降る階段』『異次元の鏡』の4つだ。


 この中に、『窓』がキーワードの怪談は含まれていない。

 残り3つのエピソードの中にあるのかな?


 それとも、長年語り継がれることで、伝言ゲームみたいに内容が変わってしまったとか?


「え、ええっと、……私が聞いたのは、ですね。……『走る影人間』というもの、なんです」

「何だ。今どきの怪談は、影が走るのか」

「気味が悪く思いますわ……」


 ノルヴァ様が語ったエピソードに、ジル教官が驚いたような顔をされ、お嬢さまがしょんぼりと肩を落とされる。


 へえ、と相槌を打ったリズリット様が、僕の顔を覗き込んだ。


「じゃあさ、影が走って行っちゃったら、影のない人もいるんだろうね」

「……リズリット様、リアルアイデア冴えてますね」

「うん? ありがとう?」


 にこにこ笑うリズリット様の着眼点に、ぞっとする。


 そんな、影って誰にでもあるんじゃないの?

 ない人とか、この世のもの感が失踪しちゃうから、影は影としてしっかりと地面に広がっていてほしい。


 大体そんな人、闇属性の僕が圧倒的に不利だから。

 影がなかったら、干渉できないじゃん……!

 ただでさえ、安息型でサポートしかできないのに!!


 ジル教官が、腰に手を当てる。

 彼は眉間に皺を寄せていた。


「……お前等、くれぐれも問題を起こすんじゃないぞ」

「はい」


 ぴしり、気をつけの姿勢で答える。

 整列するように揃った僕たちを見下ろし、ジル教官が満足そうに頷いた。

 立ち去る教官を見送り、ばくばく訴える心音を宥める。


「……死ぬかと思った」

「クラウスの直立っぷり、面白過ぎて笑う」

「笑った瞬間、強めのでこピン食らわすからな、リズリット」

「あっはっは」


 けたけたリズリット様が笑った瞬間、クラウス様が廊下を走り、リズリット様が逃げ出した。

 廊下、走っちゃだめですよ、おふたりとも……。


「……昔の七不思議と、今の七不思議って、セット内容が違うんですねー」

「お得そうだな。あれかい? 昔の火起こしは、木をすり合わせてたとかかい?」

「さすがにそれは、原初に戻り過ぎなような……」

「妖怪、火種喰らい」

「なんですか、それ!」


 しみじみと呟いた僕に、エンドウさんがおどろおどろしい声音でおかしなことを言う。

 思わず笑ってしまったそれに、彼女がからりと笑みを浮かべた。


「おう。やっぱ兄ちゃんは、笑ってる方がいいぜ」


 談話室行こうぜ。エンドウさんがさくさくと歩みを進める。


 思ってもみなかった男前な発言に、うっかり頬が熱を持った。

 こほん、無理矢理咳払いをはさむ。


「し、失礼いたしました。お嬢さま、参りましょう。……お嬢さま?」

「あっ、……ええ。行きましょう」


 物憂げなお顔を俯けられていたお嬢さまへ、再度呼びかける。

 はっとこちらを向かれた石榴色の瞳が、ふいと逸らされた。……あれ?

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