03

「七不思議?」


 はてとお顔を上げられた坊っちゃんが、思案気に口を噤まれる。

 再び元通り俯かれ、ぱらりと教本をめくられた。


「この頃、よく耳にする。内容自体は詳しく知らない」

「へ~。僕、全然知りませんでした。坊っちゃんは、どちらでお耳に入れられたのですか?」

「人気のない場所」


 ざっくりとした一言が何よりも僕の主人らしくて、つい諸々と察してしまう。


 詰まるところ、坊っちゃんは人混みを避けた先の人気のない場所で、こそこそとかわされた噂話をお聞きになられたのだろう。

 最近になってそういった場面に出くわすことが多かったから、『流行っている』との認識に至ったのではないだろうか?


 ……なるほど。

 坊っちゃん、もうちょっと賑やかな場所へ行きませんか?


「ちなみに、どのようなお話を聞かれましたか?」

「絵画が笑っているところを見ると、気が触れるそうだ」

「それはまた……穏やかじゃない……」

「馬鹿馬鹿しい」


 ため息をつかれた坊っちゃんが、ノートの上にペンを置く。

 伸びた横髪を指先ではらい、こちらへ黄橙色の目を向けた。


「子供だましの怪談だろう。そんなくだらないものを真に受けてどうする」

「ま、まあ、不安に思われている方もいらっしゃいますし……」

「ノエルか……。あいつの方がホラーだろ」


 あはは……。僕はなんともいえません……。


 短く嘆息し、坊っちゃんが腕を組まれる。

 むすり、そのお顔は不服そうだった。


「お前もあまり厄介事には首を突っ込むな」

「大丈夫ですよ! ただの噂話です!」

「どちらにせよ、僕はこのような類の話を好まない」

「あうぅ」


 しれっとされた坊っちゃんが、払う仕草をする。

『下がれ』のご指示におやすみのご挨拶をして、リヒト殿下のお部屋へ向かった。


 制服を着替えるため、殿下からお借りしているすみっこのお部屋に入る。

 窓から見える景色は今年も謎の赤い花畑を作っており、結局あれらがどこに咲いているのか未だにわからない。

 花びらひとつ見つからないのだから、不思議で仕方ない。


 あれから一年経ったのかと感慨深く思いながら、ぱぱっと着替えてリヒト殿下の元へ向かった。


「失礼します、リヒトでん……か?」


 開いた執務室の中で、リヒト殿下は書類を束ごと持ち上げて、あわあわしていた。

 よく見れば、執務机からはぽたぽたと雫が滴っている。

 僕に気づいた殿下が、顔を真っ赤にさせた。


「だ、大丈夫だよ、ベル! ちょっと片づけてただけ! うん! 零してない!!」

「ご自分で答えを言われてませんか? 待ってくださいね。拭くものをお持ちします」

「ううっ、ありがとう……」


 しょぼんと肩を落とされた殿下を置いて、急いでタオルを引っ張ってくる。

 水浸しの机と床を拭いていると、ますます殿下がしょんぼりされた。


「ごめんね……。ちょっと集中しすぎちゃって、コップが倒れた音で我に返ったんだ」

「構いません。殿下のお茶目なメモリアルとして、僕の心に留めておきます」

「やめてよー!!」


 リヒト殿下は必死だ。

 普段が完璧王子様なだけに、こうやって慌てふためいている姿はとても貴重に感じられる。


 うん。末永く僕の心のアルバムに刻んでおこう。

 にこり、笑みを返した。殿下はショックを受けているらしい。震えている。


「……くっ。こうなったら、三倍で返す」

「やめてください、物騒です。あ、殿下殿下」

「なあに?」


 濡れた書類をタオルではさんで、ソファテーブルの上に並べながら、浸水を免れた書類を整えるリヒト殿下へ尋ねる。


「学園に伝わる七不思議って、ご存知ですか?」

「七不思議? ううん、知らないよ」


 きょとん、瞬いたリヒト殿下がゆるく首を横に振る。

 あ、あれ? 殿下に聞いたらわかると思ったんだけどな……?


「今日、ノエル様からお聞きしたんです。ノエル様はギルベルト様よりお聞きになられて、坊っちゃんもふわっとご存知だったので」

「へえ。そんなのがあるんだ? どんな内容?」

「『わらう絵画』と呼ばれるものだそうです。絵画が笑っているところを見ると、気が触れるのだとか」

「へえ~、面白いね」


 にこにこ、微笑まれた殿下が、椅子に座られる。


「それで、今日ノエル様たちと、件の絵画を探しに行ったんです」

「そんな楽しそうなことしてたの? いいなあ、ぼくも混ざりたい」


 ぷくり、頬を膨らませ、殿下が万年筆を右手に構える。

 以前、ペンは利き手で持つと、インクを擦って汚しちゃうから、専ら右なんだよね。と話していたのを思い出した。


 ううんっ、殿下のことお誘いしたいけど、ご公務がな……。


「リヒト殿下は、そういった怪談とか、お好きなんですか?」

「怪談自体は別に。でも、みんなで探検したりとかって、楽しそうだよね」

「ああ……なるほどです」

「ぼくも行きたかったな。……こうやって青春を経験しないまま、ぼくの16歳が終わるんだ」


 物憂げなため息に、ぐっと胸が痛くなる。

 多分僕、リヒト殿下に甘いんだと思う。

 お外へお出掛けしましょう、殿下!!


 こちらを向いた彼が、ふわりと目許を緩めた。


「ベルは、こわい話とか平気なの?」

「そうですね。不気味だなあとは思いますが、取り立ててこわがったりは、あまり」

「うーん、残念」


 言葉通り残念そうに微笑んだ殿下が、ペンを動かす。

 数行筆記した彼が、手を止めた。


「お城にね、後姿の女の子がいるんだって」

「何ですか? それ」

「さあ? ぼくが小さい頃から聞くんだけど、誰ひとりその子の顔を見たことがないんだって」

「……不思議ですね」

「こわかった?」


 にこり、温和な笑顔を向けられる。

 対する僕はじっとりとした目を向けてしまっていて、軽やかに笑ったリヒト殿下が両腕を広げた。


「一緒に寝る?」

「結構です」

「ええー、残念」


 すっとぼけた顔で、「もっとこわい話考えなきゃ……」呟いていたのを僕は忘れない。

 わざわざ怪談を生成しないでください! 不気味だと思う心はあるので!!

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