02

「んで? お前が聞いた怪談って、どれだよ?」


 こつこつ、廊下を進みながら、クラウス様が尋ねる。

 僕の腕を掴むノエル様がちらりと顔を上げ、すぐさま前を向いた。


「『わらう絵画』です」

「お、怪談っぽい」

「俺は! 知りたくなかったのに!! ティンダーリアくんがッ!!!」

「いだだだっ、痛いです、ノエル様!」


 俄然増した握力に、解放を促してノエル様の腕をたたく。

 肩で息をする彼が、元の状態まで戻ってくれた。……よかった。


「ギルベルト様からお聞きになったんですか?」

「そうなんです……ッ」


 すぱーん!! ひとつの教室の扉を開け放ったノエル様が、ずかずかと室内へ踏み入る。

 見上げたプレートには『美術室』と書かれていた。


 教室内には石膏像を中心に椅子がバラバラと置かれ、傍らに寄せられた大きなキャンバスには製作途中の人物画が描かれている。


 紙と木炭、そして油絵のにおいの混じる室内を、ぞろぞろと歩く。

 キッと顔を上げたノエル様にならって、高い天井を見上げた。

 光を多く取り入れられた室内に、点々と額縁に入れられた絵画が飾ってある。


「俺、美術なんてほとんど参加してないんですけど、今日久しぶりに授業受けたんです」

「真面目に受けられて、えらいですね」

「馬鹿にしてるでしょう、先輩。そしたらティンダーリアくんがいて、ぐるっと絵画を見回したかと思ったら、『この前、エリーがな』って話し始めたんです!」


 なんとなく情景が想像できてしまう様子に、揃って納得の顔をする。

 天井を見上げたクラウス様が、「ギル……」呟いた。

 お嬢さまも、あらあらといったお顔をされている。


「『どっかの絵画が笑うらしいぞ。最近の絵画はすごいよな』って!! そんな意味不明な最先端技術の紹介をするなら、もっと確実な情報と現場を押さえてから流布してください! 曖昧すぎます!!」

「ギル、また天然な……」

「どの絵画のことかしら……?」


 地団駄を踏むノエル様を、憐れむようにクラウス様が見下ろしている。

 お嬢さまは考え込むように絵画を順に見ておられ、その後ろをアーリアさんが追っていた。


「ですけど、そのお話が七不思議だと決定したわけではないのでは……?」

「とどめを刺したのは、コードくんです」

「坊っちゃん……」


 恨みがましくこちらを向いたノエル様が、鬱々とした空気を背負う。


「コードくんが、『七不思議のあれか。最近流行っているんだな』って」

「流行ってるんですか!?」

「流行ってたまるかッ!!! おかげで動揺して、筆箱忘れてしまったんですよ!? もう二度とひとりで美術室に来れない!! もう二度と来るものか!!!」

「そーいや、食堂にもでっかい絵が飾ってあったよな?」


 不意に投げかけられたクラウス様の言葉に、ぴしりとノエル様が硬直する。

 ひとつの椅子から素早く筆箱を取った彼が、痛いほど僕の腕を掴んだ。


「アリヤ先輩って、そういうところありますよね!!」

「……天井画も、絵画といえば絵画ですわよね……?」

「コード先輩!?」

「はっ! す、すみません!!」


 ノエル様の剣幕に、お嬢さまがきゅっとお口を閉じられる。

 はわはわされていらっしゃるお姿は、何というか微笑ましい。


「うーん、『わらう』というからには、人物画だと思うんですけど……」

「人物画なあ。この学園にどんだけあるよ?」

「王都は天使画が多いように思いますわ」

「あー、確かに!」

「先輩方、無神経っていわれませんか!?」


 涙目でノエル様が地団駄を踏んでいる。

 ええっ、でも、調査するからには、踏み込んで調べないといけないんじゃ……?


「あっ! 殿下のところへ行く時間です! すみません、ノエル様。調査はまた明日行います」

「先輩!?」

「お嬢様、移動のお時間です」

「あらっ、もうそんな時間なの!?」


 はっと引っ張り出した懐中時計を確認し、ぺこりとノエル様へ頭を下げる。

 アーリアさんがお嬢さまへ耳打ちし、残念そうなお顔をされたお嬢さまが、しゅんと肩を落とされた。

 愕然とノエル様が震える。


「ここまで人のこと怖がらせておいて、丸投げですか!?」

「すみません、また明日……。あ! 坊っちゃんに七不思議の件をお聞きしてまいりますね!」

「わたくしも、リサお姉さまにお尋ねしてみますわ」

「そういう問題じゃないんです!!」


 必死に僕に縋っているノエル様は、今にも泣きそうだ。

 本当にオカルトが苦手なんですね……。

 僕もがんばって究明できるよう、お手伝いしますね!


 ぽんぽん、ノエル様の肩をたたく。

 ふるふる、彼が首を横に振った。


 クラウス様が、さっぱりと爽やかなお顔で微笑まれる。


「んじゃあ、ノエル。リズリットと発端のギル呼んでやっから、ぼちぼちっと調べに行くぞ~」

「俺、リズリット先輩のこと苦手なんですけど!?」

「大丈夫だ! リズリットはお前のこと、なんとも思ってない!」

「そういうところですよ!!!」


 爽やかに「気をつけろよ!」と手を振るクラウス様へ手を振り返し、美術室をあとにする。

 後ろから、「オレンジバレーせんぱいいいいいッ!!!」悲痛な声が聞こえて心配になった。

 大丈夫かな、ノエル様……。

 絵画、見つかるといいですね!

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