番外編:突然のほのぼの1

*時系列は入学前



 当時の僕は、王都滞在期間中のスケジュールや、リヒト殿下やクラウス様が王都でしか会えないことなど、さっぱり把握していなかった。


 その日、コード家別邸へ遊びにきたリヒト殿下は、とてもにこにこしていた。

 今思えば、その笑顔はいたずらを思いついたときのものなのだけど、当然僕はそういった細かな事情を把握していない。


 当時の僕は、殿下を『時々遊んでくれる、絵本の国のおうじさま』と認識していた。

 そのため、愛らしいにっこり笑顔にも、一切の警戒心を抱いていなかった。



「ベル、目を閉じて、口開けて」


 後ろ手でなにかを隠したリヒト殿下が、にこにこ微笑む。

 なにひとつ疑うことなく、素直に従った僕は、今よりもっと純粋だったと思う。


 開いた口に、殿下がなにかを入れた。

 甘くてかたい、ころころしたものだった。


「おいしい?」


 びっくりして目を開けた僕に、小首を傾げた殿下が問いかける。

 口の中を転がる甘いものは言葉通りおいしくて、こくこく頷いた。

 ふんにゃり、リヒト殿下の表情がゆるむ。


 そのまま内緒話をするように、僕の耳に顔を近づけた彼が、潜めた声で囁いた。


「ベルが今食べたのはね、実はね、お星さまなんだよ」

「ほっ、んとうですか?」


 驚きに大きくなりかけた声を、慌てて両手でふさぐ。

 内緒の話なのだと、ひそひそ尋ね返した。


 ――今思えば、リヒト殿下はにやにやしていたんだと思う。

 口許を笑ませた彼が、僕の手に小さなビンを乗せた。


「わあっ! きれい!」

「これがお星さまだよ。ベルにあげる」

「ありがとうございます!」


 ビンいっぱいに詰まっていた、きらきらしたもの。

 青やピンクと色とりどりの、小さなお星さまだった。

 つやつやと光を弾くそれは可愛らしく、真っ先にお嬢さまへ見せようと心に誓う。

 色んな角度からお星さまを眺める僕に、リヒト殿下はにこにこしていた。


 ――やっぱりリヒトさまは絵本のおうじさまで、お星さまを食べてるんだ!


 当時の僕は、本気でそう信じていた。

 あ、今笑いましたね?


「おじょうさまー!!」

「あ、やっぱり最初はミュゼットなんだ」


 廊下を走っちゃいけない、なんて約束事さえ忘れて、お嬢さまの元へ向かう。

 リヒト殿下と一緒に、お星さまでいっぱいの小ビンをお見せした。

 驚いたように目を丸くさせたお嬢さまが、ふわりと微笑まれる。


「リヒトさまにいただきました!」

「よかったわね、ベル」

「おじょうさまも、お星さま、どうぞ!」

「あら! ありがとう」


 お嬢さまの御手にお星さまをお渡しし、傍に控えていたアーリアさんにもお星さまをわける。

 お嬢さまはお勉強中だったため、家庭教師の先生にもお星さまをお渡しした。


 次に向かったのはヒルトンさんのところで、お嬢さまへご説明した内容と同じようなことを伝え、彼にもお星さまをわけた。


 旦那様、奥様、メイド長、ケイシーお兄さん、ロレンスさん。

 屋敷中の人に配って歩いた。

 みんな驚いたように目を丸くしたあと、にこにこ微笑んでくれる。


 ――さすが、絵本の世界のお星さまだ! みんな、にこにこしてくれる!


 当時の僕は、割りと本気でそう思っていた。

 ……だから笑わないでくださいって!


「……お星さま、すっかりなくなっちゃったね」


 リヒト殿下にそういわれて、ビンの中を確認する。

 ころんと、青色のお星さまがひとつ残っていた。


 ビンを逆さまにして、最後のお星さまを取り出す。

 ずっとお屋敷ツアーに参加してくれたリヒト殿下へ差し出した。


「リヒトさまにあげます!」

「いいの? ベルの分、なくなっちゃうよ?」

「リヒトさま、まだ食べてないです」

「……ありがとう、また持ってくるね」


 お星さまを受け取ってくれたリヒト殿下が、それを口に入れる。

「おいしいね」笑った彼が、僕の頭を撫でた。






「その数年後に僕は、そのお星さまが『ドライシュガー』と呼ばれる食べものだと知り、まんまと殿下にからかわれたのだと悟ったのです」

「からかっただなんて、人聞きの悪い。可愛がってただけだよー」

「いやー。殿下、そんな幼少の頃から詐欺ってたんですねー」

「失礼だなー、クラウスー」


 白いお皿を彩るクッキーと、ちりばめられたドライシュガー。

 僕の思い出に耳を傾けていたお嬢さまは、懐かしそうにくすくす笑っていらっしゃった。


 ポットから注いだ紅茶を坊っちゃんの前にお出しし、ふう、ため息をつく。


「あのヒルトンさんですら、僕のお星さま発言を訂正してくれなかったんです」

「ミスターは、率先してベルのことをからかってる節があるよね」

「くっ、腹黒執事め……ッ」

「お前はどうしてそう、メルヘン谷の住人なんだ……」

「僕の住所はコード邸です!」


 坊っちゃんの呆れ声に、めそめそしてしまう。

 リヒト殿下とクラウス様の前にもお茶をお出しし、坊っちゃんのお隣まで戻った。

 にこにこ、殿下が口を開く。


「そのあとなんだっけ? ホシブドウあげたんだっけ?」

「そうです。ころっと騙されました」

「騙しただなんて、人聞きの悪い」


 にんまり、微笑んだ殿下がカップを傾ける。

 上品に笑みをこぼしたお嬢さまが、楽しそうなお声を出された。


「ベルったら、『お星さまのブドウなんです!』ってにこにこして、本当に可愛かったわ」

「お嬢さまに喜んでいただけたなら……本望……ですッ」

「無理はするな……」


 胸を押さえて羞恥に苦しむ僕を、坊っちゃんが憐れむような目で見上げる。

 だ、大丈夫です、坊っちゃん! まだ傷は浅いです……!


 クラウス様がドライシュガーをつまんだ。

 爽やかな笑顔でこちらへ差し出される。

 あ、そんなまさか……!


「ほーら、ベル。お星さまだぞー」

「わ、わあい!! お星さまだー!!」

「お前、そういうところだからな」


 どうやら僕の周りは、いじめっこが多いようです。

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