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収穫祭
外へ出られたリヒト殿下を待っていたのは、収穫祭の準備だった。
コード卿こと旦那様も行動を制限されていたため、今年の準備期間もカツカツから始まっている。
あんまりだ。こんなのって、あんまりだ!!
「でも、不思議と心は安らかだよ」
「リヒト殿下、目が死んでます」
ふふっ、虚無の顔でリヒト殿下が微笑む。
場所は学生寮の最上階、リヒト殿下のお部屋だ。
ようやく復学されたのに、またこうしてお部屋にこもられる日が続いている。
誰だ殿下をいじめるやつ。
殿下には休みがないの?
過労死しちゃうから、本当にやめて? ゆっくり休ませて?
「うん。でも、こうして日常を享受できるって、素晴らしいことなんだね」
「殿下、16歳で悟りを開くのは、まだ早いです」
「あはは」
おかしそうに笑ったリヒト殿下が、仕上がった書類を机で揃える。
とんとん、乾いた音が響いた。
先日、お疲れさま会をコード邸で開催した。
激しかった。
多分みんな、アドレナリンがすごかったんだと思う。
解放されたリヒト殿下と旦那様が、ひとりひとりハグして回り、坊っちゃんが「3秒!! 3秒だと言っただろう!!」と暴れていらっしゃった。
うっかり転びかけたギルベルト様をエンドウさんが颯爽と横抱きで支え、「お前、それ反則だろおおおおお」と泣かせた事件もあった。
まず顔ぶれが豪華で、僕の心臓は死にかけた。
王子王女両殿下に、うちの旦那様。
宰相閣下がお菓子を手に遊びに来られ、そして大変な血筋をお持ちのノアさんが使用人としてキビキビ働いていた。
ところでノアさんは、淹れるお茶も、作るお菓子もとてもおいしい。
この頃教えてもらっている。
クラウス様とギルベルト様、エンドウさんがわいわい盛り上げられ、お嬢さまもにこにこされていた。
こっそり裏でクラウス様が涙していたのは、僕と彼だけの秘密だ。
「もうだめだと思ってた」彼もそう感じていたそうだ。
リズリット様はほとんど僕に引っついていたので、僕はそろそろ『リズリット様運転免許』を取得してもいいと思う。
たまに物理的に締められるけど、この頃は事故を起こしてないし。
ノエル様もほとんど僕に引っついていて、途中で鬱陶しく感じられたアーリアさんによって、僕ごと戦力外通知された。
泣いた。僕もお役に立ちたいって泣いた。
不憫に思われた坊っちゃんが、「これが食べたい」とケーキを指差され、わけっこした。
憐れに思われたリヒト殿下が、「一緒に食べよう?」とプリンを持ってこられ、わけっこした。
あれ? さては僕、食べてばかりだな!?
色々なことがあったけれど、賑やかで、とても楽しかった。
みんなが無事で、本当によかった。
この日を思い出すと、ついにこにこしてしまう。
その日の晩、ヒルトンさんはお酒を空けたらしい。
養父もよっぽどうれしかったそうだ。それがまたうれしい。
リヒト殿下から書類を受け取り、ばらばらにならないよう紐でまとめる。
下を向いたからだろうか? くらりと一瞬目が回り、驚いた。
対立戦が終わってから、何かと不調を感じている。……不便だな。
「ねえ、ベル。今学園では、なにしてるのかな?」
「授業は教本の通りに進んでいます。話題はやっぱり収穫祭ですね」
「そっか」
リヒト殿下が小さく笑われる。
彼にこうして、学園での出来事を話すことも多くなった。
殿下、まだ学生なのに! いっぱい遊びましょう!!
一緒に授業受けましょう!!
……本当はフロラスタ様のことなど、仄暗い噂もある。
フロラスタ様がお嬢さまを階段から突き飛ばそうとしたあの日。
あの日を境に、フロラスタ様をお見かけすることはなくなった。
どうやらお家の方で不祥事が明るみとなり、口を封じるため、ローゼリア・フロラスタ様を学園から撤退させたそうだ。
坊っちゃん方がお調べになられていたのは、その糸口だったらしい。
叩けば叩くほど埃が出てくる。
転落するようだと称された。
フロラスタ様の背景を見てしまうと、同情心が顔を出してしまう。
正直、とても複雑だ。
あの方のご事情は、他人事ではない。
本来であれば、お嬢さまもそのような道を歩まれた。
余計にそれが、心痛を起こさせる。
坊っちゃんが僕をフロラスタ様の件に近づけなかった真意は、恐らくここにあるのだろう。
僕が深入りしてしまえば、切り捨てることができなくなる。
ノエル様のときとは違い、僕自身も融通の利かない状態に陥っていた。
負担を増やさず、確実にリヒト殿下たちを助けるため、坊っちゃんは僕を情報収集のツールとしてでしか活用しなかったのだろう。
外部へ助けを求め、こうして結果を得た。
意地悪ばかりだったし、お嬢さまへ危害を加えたことも許しがたい。
けれども、排除したかったかと問われれば、そうじゃない。
ノエル様は、「加害者の視点から言わせてもらいますけど、ああいうときって周りが見えてないんで、相当殴らなきゃ気づかないんです」と言っていた。
彼なりに気遣ってくれているらしい。
この頃、ノエル様はお優しくなられた。
フロラスタ様の従者、アイザックさん、エドさん、マシューさんとも、お別れの挨拶を済ませた。
ノアさんはエリーゼ様の管轄化へ入られたので、まだ学園に残られている。
アイザックさんにめいっぱい抱きつかれ、頭をぐしゃぐしゃに撫でられ、お礼を言われた。
何となく彼からは、コード邸の御者ケイシーさんと同じにおいを感じる。
陽気でフレンドリーなお兄さんを思い出す。
あんまり話したことのないマシューさんは、フロラスタ様の侍従を続けるといっていた。
周囲の反対と心配を押し切っての決断だったらしい。
『ごめんなさいを聞いてくれる人がいないと、つらいから』
困ったように微笑む彼を、同室のエドさんは特に心配していた。
アイザックさんたちは、暴力という実害を受けていた。
まだ、手当てのあとがそこら中に残っている。
彼等は逃げられない環境下にいた。
……僕も、お嬢さまや坊っちゃん、リヒト殿下から暴力を振るわれても、逃げられないだろう。
そう考えると、やはりつらい。
せめてお嬢さまをお守りしよう。今年の冬の景色をお届けしよう。
――もう、収穫祭は目前だ。
「殿下、今度お散歩へ行きませんか? 街中が収穫祭をお祝いして、華やかなんです!」
「そっか、ベルはよく外へ行くもんね」
「はい。連絡係なので」
気持ちとともに、話題を切り替える。
特に準備が大詰めを迎える頃、僕はあちらこちらへ派遣される。
その際見かける街並みは賑やかで、見ているだけで気持ちが弾む。
行き交う人々も楽しげなので、お使い任務はすきだ。
「お店にかぼちゃが飾られたり、民家のお庭にお星さまがついていたり、あ! この前、お庭のきれいなお家を見かけたんです!」
「ふふ、そっか」
「木々も色がついて、川に映る景色がきれいなんです。この頃お天気もいいですし、のんびりしたくなります」
「ベルの話聞いてると、ぼくものんびりしたくなった」
くすくす笑う殿下が、右手でカップを持つ。
確認することなく口をつける様子は、僕への信頼の現われなのだろう。
ちょっと危うい気もするけれど、彼の安心でいたい。
「それじゃあ、あまり忙しくならないうちに出掛けたいな」
「はい!」
目許を緩めるリヒト殿下の返答に、明日書類を届けたときに相談しようと決意する。
あ、あれ? さては僕、勝手に殿下の予定を組んでいるな? 越権行為では?
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