02

 ――そこへ駆けつけたときには、既に手遅れだった。


「あ、セドリック」


 こちらを振り返った彼が、にっこりと明るい笑みを見せる。

 その身体には返り血が飛び散り、当然にこにこした笑顔にも張りついていた。

 彼が乱雑に袖で顔を拭う。

 ねとりとした赤色が、線になって伸びた。


「対立って、こんなとこにも出てくるんだね」


 愛嬌に満ちた顔を笑ませ、彼が足許を見下ろす。


 ――直視したくなかった。

 部屋いっぱいに血のにおいが充満している。

 吐き気が込み上げる。


 ぐらぐら痛む頭をゆっくり動かし、床の惨状を見下ろした。


 悲壮な顔を強張らせて事切れていたのは、彼の恋人だった。


「行こう、セドリック。早く動かないと、対立寄ってきちゃうよ」

「……対立戦は終わった」

「え? でも、ここに」

「対立戦は終わったんだ!!」


 不思議そうに瞬く彼の肩を掴み、言い聞かせるよう声を張る。

 ゆっくり瞬いた親友の顔が、徐々に強張る。

 手放された刃物が、床を転がった。


 彼が震える両手を見下ろした。

 袖に滲んだ血液が、暗色から赤色へ伸びている。


「……じゃあ、俺が殺したの、だれ?」


 か細い声だった。

 両手で頭を抱えた彼が、その場に崩れ落ちる。

 彼に合わせて屈み、不規則に収縮する瞳孔と目を合わせた。




 *


 ノックもなく開かれた国王の書斎に、警備兵とアーリアが身構える。

 乱入者はエリーゼだった。

 にんまりとした笑みを口許に、左右にリヒトとベルナルドを引きずっている。


 驚いた様子のミュゼットが声を耐え、国王が厳格な顔をしかめた。

 にっこり、白髪を揺らした王女が口を開く。


「はあい、お父様。今よろしくて?」

「エリーゼ、時と場所と立場を弁えろ」

「私の新しい従者を紹介しようと思って参りましたの」


 不敵な笑みのまま、「入りなさい」エリーゼが開きっ放しの扉へ呼びかける。

 現れた金髪の青年に、王は怪訝そうな顔をした。


「紹介しますわ、ノアお兄様よ」

「……お前が従者などとな」

「ええ、とっても気が合いましたの」


 静かに腰を折るノアを手で示し、にこにこ、エリーゼが笑みを深める。

 繰り広げられる茶番に眉をひそめる国王を顧みることなく、エリーゼがノアとリヒトの肩を小突いた。

 渋々、ポケットに片手を入れた彼等が、何かを引きずり出す。


「聞いてくださいな、お父様! ノアお兄様ったら、私とリヒトお兄様とお揃いのペンダントをお持ちなの!」

「!」


 しゃらり、音を立てた華奢なチェーン。

 三つの赤い石が空中に揺れ、愕然と立ち上がった国王が驚愕に目を見開いた。


「クロエの子か!!」

「ああ、そんなことも言っていましたわね? ノアお兄様」


 エリーゼを見下ろした無表情を嫌そうにしかめ、ノアが恭しく腰を折る。

 彼の態度を鼻で笑ったエリーゼが、尊大な態度で国王を見上げた。


「聞きましてよ、お父様。私のお友達のベルナルドに、ノアお兄様を探すようお話なさったんですって?」

「エリーゼ、お前には関係ないことだ。口を慎め」

「あら、ただの親子の語らいですわ。私たち、いつもいつも言葉が足りませんもの」


 うふふ、含みを持った笑みを浮かべ、エリーゼが前へ出る。

 眉間に皺を寄せた国王の厳格な顔に怯むことなく、彼女は饒舌だった。


「人が悪いですわ、お父様。いくらコード卿がお気に入りだからといって、そのような方法で独り占めなさるだなんて」

「お前は口が悪いな。即刻その喧しい口を閉じろ。今すぐ首を刎ねられたいのか?」

「あら違いまして? か弱い少年を人質に、コード卿を強請ったのはどこのお父様でしょう? かの人はそれはそれは働き者ですもの。お父様が嫉妬なさるのもわかります」

「エリーゼ」


 国王の声音が低くなる。

 対するエリーゼは、にこにことご機嫌に微笑んでいた。


 この場に巻き込まれたベルナルドは今にも泣きそうに震え、ミュゼットとリヒトは蒼白な顔で天井を見上げていた。

 ああ、シャンデリアがきれいだなあ。

 現実から逃避するも、親子の語らいは白熱している。


 警備兵が狼狽したように、国王とエリーゼへ交互に顔を向ける。

 ただひとりノアが無表情を貫いているが、どうやら彼の心は長年の抑圧により、荒んでいるらしい。


 書斎に真冬が訪れた。極寒の地だった。

 暖炉で火をたいてもすぐさま凍てつきそうなほど、体感温度が下がっていた。


 仰々しく、エリーゼが腕を広げる。

 彼女の温感機能は停止しているらしい。


「ですが、こうしてノアお兄様が見つかりましたの! さあ、お父様! 彼等をお離しくださいな」

「ならば従者の任を解くことだな」

「立場の制約は設けられておりませんでしたわ。ですのでノアお兄様は、私エリーゼの従者ですわ」

「小賢しい真似をする」

「お父様ほど拗らせておりませんわ」


 にっこりにこにこ、エリーゼが笑う。

 興ざめしたように鼻を鳴らした国王が、ソファへ身を沈める。

 邪険に片手を振った彼は、低い声を出した。


「……勝手にしろ」

「ありがたき幸せ」


 晴れやかな笑顔だった。

 勝訴!! とばかりにエリーゼがリヒトとベルナルドの手を引いて、部屋を出る。

 彼女等の後ろをノアが追い、残されたミュゼットがおろおろと扉と国王とを見比べた。


「何してるのよ、シロウサギ! 置いていくわよ!」

「お、お待ちください……!」


 片手で額を押さえ、俯く国王へ一礼し、ミュゼットが慌てた仕草で部屋を出る。

 最後尾についたアーリアが、何気なく背後へ目を向けた。

 彼女が目にした、国王の口許。

 彼の口は、緩く弧を描いていた。




 *



「外だーーー!!!」


 両手を挙げたリヒト殿下が歓声を上げる。

 外壁庭園は薄闇に包まれ、夜へ向かって時刻を進めていた。


 はしゃぐ殿下があんまりにも無邪気で、ようやく拘束された環境から脱出できたのだと、目頭が熱くなった。

 うわあああんっ、よかったあああああ!!!


「リヒト殿下!? ま、待ってください! 突然走らないでください!!」

「ベルー!! この色、ベルの色ー!!」

「どの色ですか!?」


 わーい! 走り出した殿下を追って、夜露を纏い始めた草花の間を駆ける。

 薄闇は徐々に暗くなり、視界を不良にさせる。

 僕は夜目が利くから平気だけど、リヒト殿下、転んだら危ないですよ!?


 唐突にリヒト殿下が立ち止まった。

 駆ける速度を殺すことができず、思いっきりぶつかってしまう。

 ずべしゃ!! ふたり纏めて転がった。


 いたい……って、これ、不敬!!


「ご、ごめんなさい! 殿下!!」


 すぐに起き上がろうとした。

 けれど、背中に腕が回され動けない。


 待って待って。リヒト殿下にお怪我を負わせたとか、斬首待ったなしだから起き上がって確認させてください……!


 慌てる僕の耳に、くすん、声がした。

 背に回された腕に力が込められる。


「ありがとう、ベル。……もう二度と、出られないって、思ってた」


 涙で歪んだ、か細い声だった。


 ……正直にいえば、僕も今回はだめだと思っていた。

 毒殺されかけたリヒト殿下は監禁され、旦那様のお命まで秤にかけられた。

 対立戦が終わった直後に、この連鎖は本当につらかった。

 周囲の協力がなければ、今頃こうして外へ出られてはいなかっただろう。


「リヒト殿下が諦めなかったから、皆さんが協力してくれたんです」

「うん……っ」


 ぐすり、しゃくり上げた殿下が、「ありがとう、巻き込んでごめんね」震える声で呟いた。

 僕まで泣きそう。

 やっと念願の解放なのだから、もっとわーい!! って気分を堪能してもらいたい。


「そうだ! 殿下、快気祝いとみなさんへのお礼に、おつかれさま会を開きましょう!」

「ひらくっ」


 ぐすぐすしている殿下の頭を撫で、思いつきを口にする。

 小さく頷いた金色の毛玉が、掠れた声を返した。

 よしよし、乗ってくれた。


「ケーキ食べましょう! お肉焼きましょう! 殿下、なに食べたいです?」

「ベル、ケーキ作って……っ」

「気合い入れて作ります」


 誰だリヒト殿下に毒盛ったやつ。

 殿下まで食べもの不信になっちゃったじゃないか!

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