頭を使うお仕事

「何故あなたは、いつもいつも私が目を離した隙に怪我をするのですか」

「アーリアさんの中で、僕ってそんな印象なんですか!?」


 珍しくクールフェイスを怒らせたアーリアさんが、ベッドの横にある椅子に腰を下ろす。

 保健室へ運ばれた僕に、ノエル様がついていてくれたらしい。

 目を覚ましたら顔を覗き込まれて、驚いた。


 今ノエル様は、僕の右手のひらをひたすらもんでいる。

 そこにどんな意味があるのかさっぱりわからないけど、黙ったまま右手をもんでいる。


「あなたが10歳のとき。あの頃から私は肝を冷やしています。大惨事を起こさないよう気を回しているというのに、何故あなたはこの一瞬を掻い潜って騒動を起こすのですか」

「そこまで遡ります!? え、そんなっ、僕だって怪我したくてしているわけではないんですよ!?」

「オレンジバレーくん、ここは保健室です」

「す、すみません!!」


 アーリアさんのお説教へ口答えしていると、カーテンの向こうからフィニール先生に注意された。

 ううっ、つい声が大きくなっちゃった……。

 静かにします。ごめんなさい……。


 ため息をついたアーリアさんが、緩く頭を振る。

 ノエル様がいるけど……まあ、いいか。

 アーリアさんへ顔を寄せ、小声で尋ねた。


「それより、アーリアさん。坊っちゃんが言っていたものは見つかりましたか?」

「はい」


 簡素な返答が、メイド服からハンカチに包まれたものを取り出す。

 めくられた中には、折れてバラバラになった扇子が入っていた。


「改めて見ると、確かに珍しいですね。透かし彫りの扇子って」


 まじまじと眺めて、ぽつりと呟く。


 ローゼリア・フロラスタ様が、ノアさんの頬を打ったときに使っていた扇子だ。

 ひどい音がしたし、痛そうだった。

 苛立ちがおさまらないのか、フロラスタ様は扇子を折って、ノアさんに投げつけていた。


 バラバラに飛び散ったそれを、坊っちゃんの指示を受けたアーリアさんが回収した。

 お嬢さまが階段から落とされそうになったとき、彼女が傍にいなかったのは、そのためだ。……タイミングが悪かった。


 香木で作られた扇子は、取り巻きのご令嬢が使っているような、ロココスタイルのものからかけ離れている。

 一般的にフリルとか羽とか絵柄とかついてるよね。貴族の扇子って。


 独特な透かし彫りはなるほど、確かに寮の談話室の様式を思い起こさせる。

 高い美意識が敗因になるなんて、世の中わからないものだなあ……。


「あなたの方は?」

「ここに」


 アーリアさんからの問いかけに、ベストのポケットから手帳を取り出した。

 ……ノアさんがくれたものだ。

 紙面には丁寧な筆記体と数字が並んでおり、ノアさんの字のきれいさを実感する。


 ――フロラスタ家の財務に関わる内部資料。

 なんだかスパイになったようで、心が苦しい。

 いやでも、お嬢さまを害するのだから、容赦しないけど!


「……はい。確かに」


 紙面に目を滑らせたアーリアさんが、手帳を閉じてメイド服へおさめる。


 これらのものは、坊っちゃんの指示を受けて集めたものだ。

 エンドウさんの故郷、コールダー領の領主と、フロラスタ家のつながりを調べるために、彼等は動いている。


 坊っちゃんが教えてくれたのだが、どうやらコールダー卿は、フロラスタ卿へ美術的な技術を売ることで、つながりを得ていたらしい。

 学生寮のシノワズリも、コールダーの職人さんが手掛けたようだ。


 不当な売買の皺寄せは職人へ向かい、エンドウさんが最後に見たときには、職を辞している人が多くいたのだとか。

 ……お給料、もらえなかったんだね……。


「……ノアさん、揃いました。動けそうですか?」

「最悪な気分だ」


 隣のベッドへ声をかける。

 目許に腕を乗せたノアさんが、ぶっきら棒に答えた。


 どうしてここにお嬢さまと坊っちゃんがいらっしゃらないのか?

 答えは、ノアさんの赤い石のペンダントを持って、談話室でお待ちだからだ。


 そう、ノアさんとの秘密がバレました!!





「よくも今まで逃げおおせていたわね」


 腕を組んだエリーゼ様が、剣呑な顔でため息をつく。

 彼女の前にはいつもの無表情のノアさんがおり、その隣に立たされた僕がびくびく肩を跳ねさせていた。


 ノアさんのこの強靭な精神力、何なんだろう!?

 何で僕がこわがってるんだろう!?


 時刻は放課後。場所は談話室。

 揃った顔ぶれは、渦中のノアさん、お嬢さまと坊っちゃん、ギルベルト様、ノエル様、僕とユージーンさん、そして呼び出されたエリーゼ様だ。


 ユージーンさんが淹れたお茶にひとくちつけ、エリーゼ様が頭を抱える。

「こんちくしょう、お兄様」小さな悪態が聞こえた。


「ノアといったわね。どういうことか説明しなさい」

「説明することなどございません」

「元ちびっこ! 訳しなさい!!」

「通訳ですか!?」


 しれっとすっとぼけるノアさんを指差し、エリーゼ様が僕の方を向く。

 ぎりぎり心臓が痛んだ。

 ちらとノアさんを見遣るも、彼は鉄壁の無表情のまま前を見据えている。

 ううっ、話していいのかな……?


 ギルベルト様はノアさんのペンダントを照明にかざし、はへー、息をついている。

 坊っちゃんもお嬢さまもノエル様も、リヒト殿下のペンダントを見ている。

 そこにどんな意味があるのかもご存知だ。


 うん。どうしようもないくらいばれている。

 喋ろう! 白状して肩の荷をおろそう!!


「ノアさんのお母様は、お城に勤められていたそうです。その……陛下のお手つきといいますか……」

「男って本当……っ、いいわ。残りにくい血筋だもの。がんばって残さないといけないものね。もっと上手くやってほしいけれども」


 頭痛に苦しんでいる顔のエリーゼ様と、坊っちゃんが無の顔になられているのが、心に痛かった。

 特に坊っちゃんにとってはデリケートな問題だ。

 ……なんだか、その、僕、誠実に生きます……。


 諦めたようにため息をついたノアさんが、ぴしりとしていた姿勢を崩す。

 じっとりとした半眼で、彼が口を開いた。


「ベルナルドを口止めしたのは、俺だ。王から俺を探すよういいつけられたらしい。俺を差し出せば、リヒト王子を解放するとな」

「ベル、そうだったの!?」

「うぐっ、……はい、そうです……」


 けろっと告白したノアさんに、お嬢さまが驚いたようなお声を上げられる。

 ノアさんとの秘密を守るために、ちょこっと誤魔化した部分だ。

 嘘をついた罪悪感で心臓が潰れそう……。くすん。


 僕が持ち込んだ厄介事は、紐解けば案外シンプルなものだった。


 リヒト殿下を亡き者にしようとした国王陛下が、安息型の僕に目をつけ、リヒト殿下の身代わりとなるノアさんを要求した。

 当然ノアさんは動かず、僕が代償となった。

 それを使ってコード家に揺さぶりをかけ、旦那様の身を賭けて、お嬢さまに王妃殿下の治癒を依頼している。


 ノアさんの正体が明らかになっていれば、コード家にまで問題を運ばなかっただろう。

 けれどもそれは、ノアさんの『これから』を潰すことになる。

 ……僕には、その責任が取れなかった。


 ギルベルト様がペンダントをノアさんへ手渡し、まじまじと彼の顔を見上げる。

 はへー、またしても気の抜けたため息をついていた。


「そんなのが、何でまたフロラスタ家で従者なんだ?」

「元々は別の家に勤めていた。フロラスタ家に残ったのは、復讐心からだ」

「後ろ暗いな!?」


 ギルベルト様が叫ぶ。

 よかった、僕もそう思う。

 いつもノアさんとふたりっきりのときに暗黒を垣間見ていたから、段々となにが正常なのかわからなくなっていた。


 あ、あれぇ……? もしかして僕、洗脳されてる……?


 皮肉っぽくノアさんが笑う。


「ローゼリアに俺なしでは生きられないほど愛させ、目の前で自害する方法も考えた。だが、ひとときでもあれの思う通りになるのが嫌でな。崩壊させることしかできなかった。……あと、もう少しだった」

「こわいこわい。おい落ち着け、日の光を浴びろ! 深呼吸は裏切らないぞ! 光合成だ!!」

「人の身体に葉緑体はないぞ」

「知ってるわ! ニュアンス!!」


 ギルベルト様の励ましに、坊っちゃんが茶々を入れる。

 うっ、坊っちゃんがお友達と仲睦まじくされて、ベルナルド、心より喜びを感じております! あ、涙出てきた。


 いや、あの。ノアさん、そんなこと考えていたんだ?

 確かにフロラスタ様は、ご自身の衝動さえも制御できない状態になっていた。

 元々手も出やすく、自制心の低い方みたいだったし、タガを外すのも簡単だったんだろう。


 ……僕、それに使われたんだ……。

 怯えた心地でノアさんを見上げる。

 薄らと微笑む彼は、腹の底を見せない顔をしていた。

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