04

「な、何の音だ!?」

「ベル! ベル……!!」


 ひどい音を立てて階段を転落したふたりに、令嬢たちが口々に悲鳴を上げた。

 階段を駆け下りたミュゼットが、踊り場に転がったままぴくりとも動かないふたりに、顔面を蒼白にさせる。


 騒音に驚き、階下から顔を出したのは、ギルベルトとアルバート、そしてノエルだった。

 状況を悟った彼等が表情を硬化させる。


「先輩!? 先輩ッ!!」

「おい、揺らすな! 頭を打っているかも知れんだろ!!」

「うわああッ、せんぱい……!!」


 ノアが抱える人物がベルナルドだと気づき、ノエルが血相を変える。

 肩を揺する彼の手を、アルバートが止めた。

 しばし呆然としたノエルの目に、ノアのポケットからはみ出たペンダントが映る。

 赤い石のそれには見覚えがあり、拙い仕草がペンダントを引き摺り出した。


「……コードくん、これ」

「は!?」


 やはり拙い仕草でアルバートへペンダントを押しつけ、ノエルがふらりと顔を上げる。

 階上にいたローゼリアと取り巻きたちが、ひっ、息を呑んだ。


「……先輩がしんだら、ゆるさない」

「落ち着け! ノエルは教官に知らせろ! アルバート、保険医を連れてきてくれ!」

「わ、わたくしは何も知らないわ! そう! コードの田舎娘がやりましたの!! その女が悪いのよ!!」


 顔色を悪くさせたローゼリアが、大声を張り上げる。

 大仰に振られた手には、いつもの扇子はなかった。


 彼女が指差した先にはミュゼットがいる。

 彼女は、ベルナルドとノアの傍らに膝をつき、左回りに陣を展開させていた。


「その女が、わたくしを突き飛ばそうとしましたの!! そうですわよね!? 皆さん!!」


 ローゼリアが振り返った先に並ぶ、蒼白な顔で震える令嬢等。

 権力者の圧力に竦み上がった彼女たちが、がくがくと首を縦に振った。


 勝ち誇ったように、ローゼリアがミュゼットを見下ろす。

 状況を把握している人数は少なく、中でもミュゼットに加勢できるものは無に等しかった。

 そもそもミュゼットの貴重な味方自体が、たかが従者と、コードの親族、伯爵風情のみだ。

 ローゼリアの相手にもならない。


 あとは宰相を父に持つギルベルトを味方につけることができれば、ローゼリアはこの騒動に勝つことができる。


 騒ぎを聞きつけた生徒がそろそろと階段を覗き、辺りにはいつの間にか人混みが形成されていた。

 ローゼリアが怯えた様子で、口許に手を添える。

 声に涙を混じらせ、切々と訴えた。


「本当ですの! 信じてくださいませ、ギルベルト様!!」

「そんなのッ、先輩が落ちる理由にならない!!」

「わたくしはギルベルト様と話しておりますの! おこがましくってよ!? 嫡子にもなれない三男風情がッ!」


 ノエルの怒声を、ローゼリアが叩き切る。

 さらに噛みつこうとしたノエルの手首を、アルバートが引っ張った。


「ッ、コードくん!?」

「教官を呼べ!」


 歯噛みしたノエルが、アルバートに引き摺られるまま人混みの向こうへ消える。

 ——これで黙するミュゼットに味方はいない。

 ローゼリアは内心ほくそ笑んだ。


「わたくし、ただ挨拶しただけですの。それなのにその女、わたくしを突き飛ばそうとして……ッ、こわかったわ……」


 涙を拭う仕草をし、ローゼリアが肩を震わせる。

 ギルベルトは難しい顔で膝をつき、倒れたふたりの脈を確認していた。

 彼が琥珀色の目を上げる。


「それで、何でふたりも落ちているんだ?」

「わたくしの従者が、わたくしを守ることは当然の義務ですわ!」

「誰が、誰の従者なのでしょうか。ローゼリア様」


 冷たい声だった。

 普段の温和さも淑やかさもない、淡々とした声音。


 治癒術を解除したミュゼットの周りから光が失せ、彼女が石榴色の目を覗かせる。

 間近で彼女を見たギルベルトが、げっ、口許を引きつらせた。


「お答え願えますか? ローゼリア様」


 ミュゼットの強い口調に、ローゼリアの柳眉が跳ねる。

 はじめての反抗ともいえるそれに、ローゼリアは苛立ちを感じていた。

 面白くないといった顔で、ミュゼットを見下ろす。


「コードの田舎娘の分際で、このわたくしに盾突きますの!?」

「論点をずらさないでください。誰が、誰の従者か。わたくしの問いにお答えください」


 ひくり、ローゼリアが顔を引きつらせる。

 彼女の握られた手が、苛立ちに震えた。


 一方ギルベルトは真っ青だ。

 彼は少年期にミュゼットと喧嘩している。

 戦いの火蓋が切って落とされたことを、巻き込まれた彼は悟った。


「そのふたりがわたくしの従者だとっ」

「ベルナルド・オレンジバレーは6歳の頃より、コードに仕えております」

「そんなの! とっくにわたくしの元へ寝返りましたわ!!」

「退職を証明した記録がございません」

「逃げられたのではなくって? ふんっ、惨めですわね!」


 鼻を鳴らしたローゼリアが、癖のままに扇子を広げようとする。

 しかし手許にないことに気づき、小さく舌打ちした。

 従者を呼びつけようとするも、彼女の周りからは人が失せていた。

 はっと、ローゼリアが目を見開く。


 従者のひとりは階段から転落し、残りは彼女が怪我を負わせた。

 取り巻きの令嬢等が、口を噤むようになったのはいつの頃からだろう?

 野次馬の生徒たちが、ひそひそと囁き合う。

 ローゼリアはベルナルドを追いかけ回し、その度にベルナルドは一貫した対応を取っていた。

 あちらこちらへ動き回るベルナルドは、『お嬢さま』『坊っちゃん』とコード家に尽くしている。

『フロラスタ様』に微笑みかけたことは、一度としてない。


 ローゼリアの顔から色が消えた。

 動揺を悟られないようにと、彼女がミュゼットを睨みつける。

 毅然とした態度で、ミュゼットが口を開いた。


「わたくしはベルを信じています。彼はわたくしに、コード家に忠誠を誓っております」

「それが見限られたと言っていますの!!」

「あなたは、忠誠を軽んじ、舌の根の乾かぬうちに反旗するものに、信を置けますか?」


 ミュゼットの問いに、ローゼリアが言葉を呑む。

 品格を問われるそれは、肯定も否定も奪うものだった。


 騒がしさが人混みを割り、アルバートとノエルが押し出される。

 彼等に連れられるように、保険医のフィニール、教官のジルとノイスが現れた。


 すぐさまフィニールが倒れている生徒の傍らに屈む。

 ギルベルトが様子の伝達を行った。

 ジルの低い声が生徒を退ける。

 担架で運ばれる怪我人の姿に、ミュゼットが胸の上で手を組んだ。

 担任のノイスが、顔をしかめる。


「一体何の騒ぎだ」

「もう、終わります」


 一度目を伏せたミュゼットが、階上にいるローゼリアへ向き直る。

 これまで見下してきたミュゼットにプライドを傷つけられ、ローゼリアは怒りに震えていた。

 戦慄く唇を、彼女が動かす。


「よくもわたくしに恥をかかせましたわね……ッ!!」

「ローゼリア様。わたくしは自身への誹謗中傷は甘んじて受け入れてまいりました。わたくしはまだ、お父様のように功績を上げられておりません。地味で目立たない。重々承知しております。田舎娘で結構です」


 運び出されたベルナルドに、アルバートとノエルがついていく。

 その姿を見送り、ミュゼットが一層言葉に力を込めた。


「ですが! わたくしの大切なものへ危害が及ぶようでしたら、わたくしはその仮面を取り去り、あなた様へ牙をむくことでしょう! わたくしは、あなた様が目の敵にしているコード公爵家の長女、ミュゼット・コードにございます。以後お見知りおきを」


 スカートをつまんで礼をし、ミュゼットが踵を返す。

 ローゼリアへの興味などはじめからなかったかのように、小走りで保健室を目指した。


 残されたローゼリアがヒステリックに叫び、地団駄を踏む。

 爪を噛んだ彼女が眼光をぎらつかせた。


「不敬!! 不敬ですわ!! あの女、調子に乗って……ッ!!」

「もうやめておけ、ローゼリア」


 ため息混じりに仲裁したギルベルトが、がしがし頭を掻く。

 巻き込まれた上に、後始末を押しつけられた彼が、げんなりと腕を組んだ。


「お前、俺を取り込めば勝ちだと思っているだろ。違うからな? 俺は一学生にすぎない。学園の審判は、教官だ」


 はっ、としたローゼリアが、ノイスへ目を向ける。

 こつこつとヒールを鳴らして階段を上る女教官が、艶っぽい顔に微笑を浮かべた。


「事情を聞こう。もちろん、双方、関係者からな」

「教員風情がわたくしに何の用ですの!? お父様に言いつけるわよ!!」

「ジルが喜びそうな台詞だ。子どもの喧嘩に親を持ち出すとは、ナンセンスじゃないか」


 こつん、ノイスが最後の段差に足を乗せる。

 彼女がローゼリアの耳許へ唇を寄せた。


「きみの行動は目に余ると、その『お父様』より伝言を受けた。残念だよ、私たちはきみに説教する時間すら与えられなかった。……荷物をまとめなさい」

「……は?」


 ローゼリアが唇を戦慄かせる。ノイスの顔に、微笑はなかった。

 ひくりと口許を引きつらせたローゼリアが、顔色を変える。

 何故わたくしが、続く言葉は震えていた。


 それが怒りからか、絶望からかは、口伝する生徒の主観によって異なる。


 ローゼリアはその日を境に、学園から姿を消した。

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