03
ローゼリア・フロラスタが金色の髪を好むことには、理由がある。
自国ルトラウトでは、金の髪は神の使いと崇められ、尊ばれてきた風習があるためだ。
ローゼリア自身、生まれつき金の髪に恵まれ、それはそれは大切に手入れしている。
彼女は自身の出生や容姿に対し、絶大な自信を持っていた。
それが何故、地味で取り得のないミュゼット・コードばかりが持てはやされるのか。
何故あの女が、リヒトの婚約者の座を勝ち得たのか。
魔術の性質だけで贔屓され、当然のように評価されているのか。
――あの女が一体何をしたというんですの?
いつもいつも人の後ろに隠れて陰険な顔で、だんまりばかり。
覚えておりまして? あの子が初めて茶会へ出た日。
根暗を笑って差し上げましたら、真っ青な顔でそそくさと逃げ出したんですのよ? 傑作ですわよね!
あの女は、公爵家に生まれたくせに弱虫ですわ。
だからわたくしが食って差し上げているのよ。
弱肉強食は社交界の常ではありませんこと?
彼女には解せなかった。
ローゼリアの方が、華やかで財力もある。
美貌も体型も優れている。
話術や作法も磨き、公爵家の令嬢に恥じぬよう、自身を磨いてきた。
当然ローゼリアも、リヒトの婚約者の候補として名を挙げた。
足繁くリヒトの元へ通い、彼にローゼリアの存在を認めさせようと、様々なことを話した。
――自身の家が裕福であること。
たくさんの領地と領民を従えていること。
ローゼリアが睨めば、みんな大人しく従うこと。
先日もメイドを3人も辞めさせたこと。
彼女たちはグズでのろまで、ローゼリアの意向に全く沿えなかったこと。
ローゼリアの希望を聞けないため、家庭教師を何人も辞めさせていること。
今の家庭教師は、いつも青褪めびくびくしていること。
あと何日続くか、見物なこと。
彼女の饒舌は止まらない。
――新しいドレスを仕立てたこと。
珍しい布をふんだんに用いた、他にはない一点ものであること。
けれども腰のリボンが気に入らず、一度も着ずに捨てたこと。
代わりに真新しいアクセサリーをたくさん仕入れたこと。
高価で貴重な宝石を、きらびやかに散らしていること。
リヒトが退屈そうに足を揺らす。
ぷらぷら、揺れるそれはテーブルの下に隠れ、彼女からは窺えない。
少女の拙い声は止まらない。
――おいしいお菓子をすきなだけ食べられること。
けれども食べ過ぎると太ってしまうため、お腹がいっぱいになる前に残していること。
残ったものを、いやしいメイドにくれてあげること。
犬のように這いつくばって食べさせることが、今一番楽しいこと。
ローゼリアは下賎なメイドより、見目麗しい従者の方がすきなこと。
そして、ローゼリアとリヒトが夫婦になれば、高い確率で金の髪の子を成すことができること。
当時幼かったローゼリアは、自身を売り込むために様々なことを話した。
数多の自慢を口にした。
リヒトの反応など顧みることなく、時間まで彼女自身の話をした。
迎えが来ても泣いて嫌がり、リヒトの時間を拘束した。
ローゼリアにとって、リヒトは理想そのものだった。
童話から抜け出したような、金の髪と碧い瞳の王子様。
整った顔立ちは美しく、いつもにこやかな笑みを浮かべている。
声音もやさしく耳に残り、彼女を夢中にさせた。
ローゼリアは美しいものがすきだ。
自身の美貌を絶対としている彼女は、周りに置くものへも美しさを基準とした。
美しいと賞賛されることが、何よりも心地好かった。
美しいものを従属させることに、何よりの喜びを感じた。
リヒトはローゼリアの理想だ。
リヒトは美しい。それが自分のものになる。
リヒトを手に入れることができれば、ローゼリアはこの国で最上のものを手に入れることと同義となる。
誰もローゼリアに歯向かうことはできない。
ローゼリアは、この世で一番素晴らしいものへとなることができる。
誰もがローゼリアの前にひざまずく。
誰もがローゼリアを崇めるようになる。
誰もがローゼリアを愛するようになる。
貴族社会において、子どもの教育は乳母や教育係の仕事である。
癇癪を起こしたローゼリアが乳母を辞めさせて以来、彼女は自身の快不快を機軸に、物事を判断していた。
両親はローゼリアの癇癪を宥める手っ取り早い手段として、彼女の要求を叶え続けた。
使用人を辞めさせることも、食料を用意することも、ドレスを仕立てることも、何ら苦労はない。
積み重なったそれらはローゼリアの価値観を歪め、周囲は彼女の顔色を窺いながら過ごすこととなった。
そもそも両親は、ローゼリアに対して何の期待も抱いていなかった。
ローゼリアが安息型として生まれなかった時点で、彼女に価値を感じていなかった。
直系の血筋へ取り入るためには、得られないと確定しているものを売り込まなければならない。
フロラスタ家が求めていたものは、安息型の女児だった。
一足先にミュゼットという安息型の女児を用意したコード家を、フロラスタ卿は激しく憎んでいた。
ローゼリアが何よりも欲していたものは、愛情だった。
拗らせた承認欲求は、他者を服従させる爽快感で補っていた。
——しかし彼女は、何も出来ない泣き虫のミュゼットに対して嫉妬した。
ミュゼットを取り巻く環境に嫉妬した。
ローゼリアがおさまるべきはずの、リヒトの隣を奪われた。
ひたむきにミュゼットを敬愛する、ベルナルドの存在に羨望した。
地味で穏やかな空気を渇望した。
——だったらこれまで通り、奪ってしまえばいい。
ローゼリアは考えた。
ベルナルドの容姿は、ローゼリアの好みから外れている。
しかし彼は見目がいい。彼女の中で、充分合格点に達している。
ミュゼットへ向けるベルナルドの心酔しきった目が、ローゼリアへ向けられる。
その姿を想像しただけで、ローゼリアの胸に歓喜が沸き起こった。
――わたくしのものになれば、きっと彼もわたくしをそのように見詰める。
それでこそ、わたくしは正しく評価される!
彼女の要求は止まらない。
――早く彼にわたくしを賛美させたい! わたくしの美しさを褒め称えさせたい! わたくしだけを見詰めさせて、わたくしだけを愛させて、あの忠誠を聞きたい!
あれが欲しい! 今すぐ欲しい!!
わたくしの邪魔をするものは、全て消してしまえばいいの!
わたくしには、それだけの力がある!!
まずはコードを潰して、ミュゼットをわたくしの奴隷にするの。
みすぼらしい服を着せて、犬のように這わせてやるわ!
言葉も禁止よ。全て「ワン」と言わせてやるの!
ふふっ、いい気味。今よりもっと素敵になるのではなくって?
*
ベルナルドのベストのポケットへ手帳を差し込み、ノアが腫れた頬を押さえる。
ハンカチを絞ったベルナルドが、彼の頬へそれを宛がった。
「……ノアさんは、こうなることがわかっていたんですか?」
ノアの主人であるローゼリア・フロラスタは、彼等侍従への暴行を苛烈にしていた。
今日も派手にものを投げ、アイザックとマシューを負傷させている。
彼等はエドとともに保健室へ向かっていた。
加減なく扇子で頬を打たれたノアも、こうして患部を冷やしている。
ベルナルドからハンカチを受け取り、ノアが睫毛を伏せた。
「対価は渡した。これで契約は終了だ。ここまで付き合わせて、悪かったな」
「ノアさん……」
「俺は戻る。誰もいないのは、都合が悪い」
淡々と打ち切ったノアが、踵を返す。
途端、耳をつんざく悲鳴が響き渡った。
女性が複数人で上げたようなそれに、ノアの表情が強張る。
瞬時にベルナルドが音の方へと駆けた。
「ベルナルド! 待て! 俺が行く、そこで止まれ!!」
遅れて駆け出したノアが叫ぶも、ベルナルドは止まらない。
周囲の気配を探った彼は、近くにミュゼットの存在を見つけていた。
――お嬢さまをお守りしなくては……!
彼の行動は、最早反射的なものだった。
曲がった廊下の先に、人だかりが見える。
顔色の悪い女子生徒たちが、悲鳴の発生源らしい。
ベルナルドがはっとした。
――どこかで見た顔。
――そうか、フロラスタ様の取り巻きのご令嬢方だ!
顔ぶれに気がついた瞬間、ベルナルドの中の『嫌な予感』は、ますます濃度を増した。
この廊下の先にあるものは、あの手摺りは、階段だ。
彼の目に、金の巻き毛をした令嬢の後姿が映る。
彼女の突き出した両手が、ミュゼット身体を押した。
傾いだミュゼットの踵が、空を踏む。
崩れる体勢に合わせて、若草色の髪がふわりと揺れた。
「お嬢さま!!」
咄嗟にミュゼットの腕を掴んだベルナルドが、勢いのまま主人を廊下へ突き飛ばす。
代わりにベルナルドの身が階段へ投げ出された。
転んだミュゼットが愕然と目を見開く。
彼女が懸命に腕を伸ばすも、手は届かない。
ようやく追いついたノアがベルナルドの腕を掴んだ頃には、ベルナルドの背は段差に叩きつけられていた。
青年は年下の彼の頭部を守るよう抱え、雪崩れるまま階下まで滑り落ちた。
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