02
「お嬢様、こちらでお待ちください」
模範のような角度で、アーリアが頭を下げる。
ミュゼットは疲労困ぱいといった顔をしており、小さく首を縦に振っていた。
厩舎へ向かったアーリアが、ひとりの人影を見つける。
見知った後姿に見えたその人に、彼女が眉をひそめた。
黒馬を引いた黒髪の人物が、出入り口の方へ振り返る。
きょとん、瞬いた青色の目が大きくなった。
「アーリアさん!?」
「ベルナルド、ここで何をしているのですか?」
「リヒト殿下のところから、今帰りです!」
驚きました! にこにこと泣き黒子を笑ませたベルナルドが、アーリアの元まで向かう。
はっと彼が表情を変えた。
「グラがいるのでもしかして……と思いましたが、お嬢さまもまだいらっしゃるのですか?」
「はい。そちらでお待ちです」
「本当ですか! お嬢さまー!!」
厩舎の外にある木陰を視線で示したアーリアに、ベルナルドの表情が輝く。
満面の笑みをたたえ、彼が厩舎から飛び出した。
ぶんぶんっ、木陰の人物へ向けて、大きく手が振られる。
ベルナルドに手綱を引かれるグリが、ぶるると鼻を鳴らした。
「ベル!?」
「お会いできて、本当にうれしいです! お嬢さまー!!」
予想していなかったベルナルドの登場に、ミュゼットが驚いたように声を上げる。
遠目からでもわかるベルナルドのうれしそうな様子に、彼女は俊敏に反応した。
ぱたぱたスカートをはたき、手櫛で髪を梳く。
リボンが曲がっていないことを確認し、彼女がとびきりの笑みでにっこりした。
そこに先ほどまでの疲労に満ちた様子はなかった。
ミュゼットの元気は回復した。
「――そうでしたか。かの方は、そのように……」
街路を駆ける馬車の中で、ベルナルドが相槌を打つ。
対面にはミュゼットが座り、御者台のアーリアは二頭の馬を御していた。
偶然出会ったベルナルドへ、ミュゼットは彼女が触れた王妃の記憶を『相談』することにした。
彼女ひとりで抱えるには、他人の記憶は重い。
それも王妃を癒す手掛かりを得なければ、ミュゼットは大切な存在を失うことになる。彼女は必死だった。
しばし沈黙したベルナルドが、意を決したかのように顔を上げる。
「お嬢さまがはじめにご覧になった影ですが……、おそらく、小さな影はリヒト殿下だと思われます」
「リヒト様!?」
驚くミュゼットへ、罰が悪そうな顔でベルナルドが首肯する。
おずおず、彼が口を開いた。
「以前、リヒト殿下よりお聞きしました。王妃殿下のお子であるセドリック様が対立戦で亡くなられ、取り乱した王妃殿下から、そのような言葉を浴びせられたと」
「……そう」
痛ましいといった顔で、ミュゼットが俯く。
王妃の記憶で見た小さな影を思い返し、ますます彼女の表情がくもった。
「ベルナルド」
「どうしました? アーリアさん」
「王子殿下は、『対立戦で』かの人はお隠れになったと言われたのですか?」
御者台からの呼びかけに、振り返ったベルナルドがアーリアと言葉をかわす。
前を見据える先輩の質問に、彼が戸惑いの顔をした。
「はい、確かに。ちょうどお話をうかがったのが、対立戦の前だったんです」
「……私の記憶では、収穫祭のかがり火が葬儀に用いられていたはずですが」
「え?」
収穫祭? かがり火? ベルナルドが困惑を深める。
星祭りの時期に起きた対立戦から、収穫祭の最終日までは期間が空きすぎている。
「そんな、リヒト殿下がうそを?」
「当時、あなた方は6歳です。記憶が食い違っていても、おかしくはありません」
調べてみます。淡々と告げたアーリアが、唇を引き結ぶ。
眉尻を下げたベルナルドが、不安そうな顔で元の姿勢へ戻った。
彼の様子に、ミュゼットまでもが眉尻を下げる。
「ベル、顔色が悪いわ。大丈夫?」
「す、すみません! 大丈夫です!!」
はっと表情を戻したベルナルドが、元通り温和に微笑む。
「お嬢さまこそお疲れでしょう。どうかお身体ご慈愛ください」やんわりとした言葉が添えられた。
「ベルも、困ったことがあれば、すぐに言うのよ?」
「はい。あ! 僕、帰りの時間、この時間に合わせますね!」
少しでもお嬢さまのお役に立ちたいです! にこにこするベルナルドは、普段の彼へ戻っていた。
ミュゼットが小さく微笑む。
「ええ。わたくしも、この時間に終わるようにするわ。だから一緒に帰りましょう? ベル」
*
――王妃様の記憶を閲覧して、二度目。
最初の部屋の様子が変わった。
依然、壁に影が張りついている。
怯える小さな子どもと、襲い掛かる大きく膨れ上がった影。
そして飛び交うものの影に、実物が加わった。
部屋いっぱいに散乱したそれはひどい様相で、足の踏み場もない。
千切れたカーテンが床に落ち、滑り落ちたテーブルクロスには足型がついている。
テーブルに乗せられた食器や花瓶は、落ちている真っ最中で静止していた。
ひっくり返った椅子や割れたティーセット。
踏み潰されたスコーンに、ジャムの乗ったスプーン。
様々なものが床をぐちゃぐちゃにしている。
「ティータイムの最中だったのかしら……?」
込み上げてくる不快感をなだめて、自身を奮い立たせるように独り言を呟く。
ふと頭上に影を感じ、顔を上げた。
「白い、布?」
シャンデリアに引っ掛かった、ふわふわとした白い布。
上品なレースのあしらわれたそれには、この部屋特有の影がついていなかった。
……何かに関係しているのかしら?
不思議に思って手を伸ばしてみる。……当然届かない。
きょろきょろ辺りを見回し、誰も見ていないことを確認する。
意を決して、傾いている最中のテーブルに乗ってみた。
……こんなにも不安定な状態なのに、びくともしない。
でもやっぱり安定感がないから、滑り落ちてしまいそう……。
決してベルには見せられない、淑女らしくない格好で、テーブルの上に立つ。
——具体的には、3段のケーキスタンドがいい感じに宙に浮いていたから、それを足場にしたの。
わ、わたくしだって不本意よ!
こんなのこと、普通にしていたら絶対にしないわ!! 本当よ!
うんと手を伸ばして、長い布の端を掴んだ。
そのまま、えい! 引っ張る。
外れた布が、ふわりとわたくしにかかった。
抱えたそれに、不自然なふくらみを実感する。
……この中を確認したくない。
わたくしの勘が、ダメ絶対と告げている。
それでも手掛かりが必要だ。
泣きそうな気持ちで、恐る恐るふくらみをめくった。
中にあったのは、頭蓋骨だった。
必死に「これは模型」だと自分自身に言い聞かせる。
そうでもしないと、だってわたくし、これからしばらくこれを抱えていないといけないのよ?
わたくしの心臓は普通の心臓よ。毛なんて生えていないわ……。
「帰り道はベルと一緒。ベルに会えるの。がんばるのよ、ミュゼット。わたくしならできるわ……!」
目尻の涙を指先で払って、中身を長い布でぐるぐるに巻く。
身体の震えのせいで、もたついてしまった。
それにしてもこの長さ、ウエディングドレスのベールみたいね……。
安直に考えながら扉を開くと、またしても殺風景な部屋に出た。
中央に一台、シンプルなテーブルが置かれている。
な、なにを求められているのかしら……? わたくし、探偵ではなくってよ?
おろおろ困惑しながら、手許の布と目の前のテーブルとを見比べる。
は! もしかして、これ、テーブルクロスかしら……!?
そんなっ、この手触り、シルクでしょう!?
総シルクだなんて、やっぱり王族は違うわ!
恐る恐る中身を開封し、テーブルに布をかける。
脚全体を隠したそれに、景色が変わった。
……また、誰かの視点だ。
「セディ! セディ! どこへ行ったの?」
右へ、左へ、視界が何かを探している。
広い廊下に点在する調度品の陰や、鎧の後ろを見ていく。
やれやれとつかれたため息は、女性のものだった。
ひとつの扉を開けたその人が、長いクロスの引かれたテーブルに目をつける。
――さっきわたくしが触ったテーブルだ。
不自然に動くクロスの裾に、屈んだ視界がそれをめくり上げた。
中にいた小さな男の子が、まろい頬を緩ませ歓声を上げる。
……白い髪の男の子だ。
リズリットさんとはまた違った髪色をしている。
「全く、セディったら」
両腕を伸ばす幼子を抱き上げ、視界が立ち上がる。
振り返ると、数人のメイドが慌てふためいていた。
ふふっ、軽やかな笑い声が響く。
「さあっ、このまま行って、あの人を驚かしてあげましょう!」
腕の中を見下ろし、視界が歩みを再開する。
――この日閲覧した記憶は、ここまでだった。
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