ジョーク混じりに反撃準備

「ミュゼット、アルバート。良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」

「お父様も、そのような冗談を言うのね」


 コード邸の談話室にて、当主であるサマビオン・コードと向かい合ったミュゼットとアルバートは、常にない父のにこにこ笑顔に、嫌な予感をさせていた。

 両の指先を合わせた隙間から、サマビオンがふたりの子どもを見詰める。

 外交用の笑顔を張りつける父へ、固唾を呑んだミュゼットがぎこちなく微笑みかけた。


「なら、良いニュースを頂戴。お父様」

「オーケー。ベルナルドが国王陛下へ献上されることになった」

「全くもって悪いニュースだわッ!!」


 淑女らしくない仕草でテーブルを叩き、ミュゼットがソファから腰を浮かせる。

 茶器が派手な音を立て紅茶を揺らしたが、彼女に頓着できる余裕はなかった。

 長い髪が肩から零れ落ちる。


「どういうことなの!? お父様!!」

「そこで更に良いニュースだ。取り下げの条件として、ミュゼット、きみに指令がある」


 舞台役者のように大仰に腕を広げ、サマビオンが笑みを深くした。

 チェスの先攻後攻を決めるかのような気軽さで、彼が口を開く。


「きみの癒しの術で、ソフィア王妃殿下のご病気を治すことができれば、ベルナルドを解放すると仰せだ」

「そんな……!」


 これまでソフィア王妃の治療に、国内外の治癒術師たちが集められた。

 元々治癒術師の絶対数は少ない。

 その彼等が揃って『不可』と声を揃えた。

 その人物の治療に、今度はミュゼットが抜擢された。


 サマビオンが笑みを浮かべる。

 ――実質脅しだ。愛娘と、愛娘が誰よりも可愛がっている従者を天秤にかけられ、その責任をコード家当主は負っている。


「大丈夫だ。例え失敗したとしても、きみに罰は下らない。それに、うちには心強い特別講師がいる」


 入りなさい。短く告げられた促しに、談話室の扉が開かれる。

 現れた人物に、ミュゼットはおろか、アルバートまでもが驚いたように立ち上がった。


「ヨハン!!」

「やあ! 久しぶりですね、お嬢様、坊っちゃん! いやはや、子どもの成長は速いなあ!」


 灰色の髪を片側で括った白衣の青年が、のん気な仕草で片手をあげる。


 ヨハンは、領地で責任者を任されている青年だ。

 学者として好奇心を極めている彼は、コード領から一歩も外へ出たがらない。

 その「この楽園から出てなるものか!!」が常套句の彼が、何故か王都にいる。


 特にヨハンに懐いているアルバートが動揺の顔をした。

 少年の傍まで歩み寄ったヨハンが、朗らかな笑顔で薄茶色の頭をわしわし撫でる。


「ヨハン!? 一体いつこっちへ……、むしろ、出られたのか!?」

「ほんの5分前かなー。旦那様に、研究費を削減する! なぁんて言われたら、意地でも飛んできますよね~」


 ハーブ園用の白衣のまま来ちゃったよ~。にこにこ笑うヨハンに、アルバートが疑問符を大量に敷き詰める。

 5分前に到着? 彼は一体、いつ召集されたんだ?


「……当主、この話は、いつされたんだ?」

「昨日だよ」

「……ヨハンをいつ呼んだんだ? 領地は馬車でも日数が……」

「ああ! それならね、限りある時間と資源を無駄にしないように、ちょっと工夫したんだよ!」


 軽やかに片目を閉じたヨハンに対して、サマビオンは苦笑いを浮かべている。

 アルバートとミュゼットが、じっとヨハンの顔を見詰めた。

 根っからの研究者が、飛び切りの笑顔を見せる。


「ほうきで飛ぶのって、ロマンだよね~」

「窓硝子が3枚ほど割れたよ」

「……規格外だな」

「人って、飛べるのね……」


 唖然とするふたりに、「今、ヒルトンがカレンを送り出すために、急遽支度しているよ」サマビオンが言葉を加える。

 つまり、当主代理であるカレンが領地へ辿り着くまで、かの地の責任者は不在ということになる。

 それもまた、サマビオンの気苦労の種だった。


 気を取り直すように咳払いしたサマビオンが、ヨハンを手で示す。

 研究者は変わらずにこにこしていた。


「こうして魔術に詳しいヨハンもいる。……ほんの少し、挑戦してみないかい?」

「……わたくしが失敗しても、お父様に罰は下らない?」

「ああ、もちろんさ」


 これまでで一番、サマビオンが形良く笑った。

 軽く目を瞠ったミュゼットが、震える手を握り締める。

 にっこり、彼女が笑みを浮かべた。


「……わかったわ。必ず、やり遂げてみせるわ!」

「ありがとう、ミュゼット。私の方からも、そのように伝えさせてもらうよ」

「行きましょう、ヨハン! 時間は有限よ!」

「その意気ですよ、お嬢様!」


 ミュゼットがヨハンの腕を引き、談話室をあとにする。

 残されたアルバートは、コード家当主へ顔を向けた。


「期限と報酬、そして罰則について、改めて聞かせてくれ」

「期限は二十日間。報酬はベルナルドの解放。罰則は、……もしもの際は、アルバート、きみに全権を託す。大丈夫だ。ヒルトンもカレンもヨハンもいる。しっかり教えてもらいなさい」


 立ち上がったサマビオンが、にこりとアルバートの肩を叩く。

 その手を振り払わなかった少年が、当主を見上げた。


「義姉さんは気づいていた」

「……ああ、そうだね」

「何故、明かさない」

「私には魔術の素養はないからね。どういった感覚なのかはわからないが、緊張するより気兼ねなく試す方が、負担は少なそうじゃないか」


 アルバートが固く手を握り締める。

 悔しげな様子で、少年が口を開いた。


「他に道はないのか?」

「相手が相手だ。今は招き入れられるまま、前へ進むしかない」

「だが!」

「私も、ただでは死なないさ」


 茶目っ気を込めて閉じられた片目に、アルバートが力なく俯く。

 震える声を、少年が絞り出した。


「……ベルナルドと喧嘩した。どうすればいいのかわからない。僕はただ、あいつの負担を軽くしたかった。喜んでもらえると思ったんだ。……けれど、そうならなかった。それで、とても腹が立った」


 アルバートがサマビオンの袖を掴む。

 深い皺を刻んだシャツは、強い力で握られていた。


 顔を上げた少年は、ひどく頼りない表情をしている。

 自身のものと似た髪色を、養父がそっと撫でた。


「なあ。何故、三人も奪われなければならないんだ? 僕は、僕の狭い世界を守りたいだけだ。これだけ広い世界の、ほんの限られた数人だけなんだ。その人たちさえいれば、僕は満足する。他などいらない。……何故、たったそれだけの願いすら、踏みにじられるんだ?」


 幼い問いかけだった。

 サマビオンがアルバートへ腕を回す。

 彼を養子にしてからこれまでで、実に三度目の抱擁だった。


 そしてアルバートが述べる三人の内訳が、ベルナルド、リヒト、サマビオンだということが、彼を喜ばせた。


 数に入ることのできた養父が、感動に、じん……とした顔をする。

 絶対生き残る。パパがんばる。彼が思いを改めた。


「アルバート。まずきみは、その大切な人とよく話し合うんだ。思いは言葉にしなければ届かない。言葉にしても、的確に届くとは限らない。だから、よく話し合うんだ」


 優しく背を撫でられ、促され、ようやくアルバートが口を開く。

 ぽつりぽつりと語られる『ベルナルドとの喧嘩』の様子に、サマビオンが「あれ?」といった顔をした。


 契約書だけの婚約者? 相手も同意している? 随分思い切ったことしたね!?

 サマビオンの意識が一瞬遠退く。パパも初耳だよ!?


 聞き役に徹したサマビオンのおかげか、アルバートの心情が回復する。

 落ち着いた彼を微笑みとともに見送ったサマビオンが、ひとり壁に向かって泣いた。


 ――何がなんでも生き残って、あの子に情操教育を施さないと……!

 このまま死ねるか!! 絶対生き残る!


 薄っぺらい外向けの笑顔をかなぐり捨て、枯渇していた彼の気力は、別種類の気力によって補われた。

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