05
リヒト殿下のお部屋が割り振られている9階は、流石は代々王族専用というだけあり、それまでの8階とは別世界の装いをしていた。
昨日、一通り部屋主に案内してもらった。
けれど、やっぱり何だかこう、圧倒されてしまう。
階段を上り切ったところに警備兵が配置され、学生証とコード領の紋章を掲示する。
ここの警備兵は交代制らしい。
伝言を受けているのか、厳しい顔のおじさんが僅かに表情を緩めた。
9階には、扉が5枚しかない。
この内の3枚が王族用の私室、内1枚が予備室だ。
この時点で僕は恐れ戦いている。
その扉の向こう、何部屋に区切られているの?
予備室って、なに……?
残りの1枚の扉には、厳重な施錠が施され、中に入れないようになっている。
リヒト殿下いわく、水源などの陣が管理されているらしい。
迂闊に入ってはいけないそうだ。
言われてみれば、施錠されている方角には、他の階層でもトイレやお風呂、調理場など、水を使う設備が集められている。
陣かあ、ファンタジーだなあ……。
リヒト殿下からお預かりした鍵を用い、最初の扉を解錠する。
直ぐに次の鍵を用意して、二重扉を開けた。
この扉から扉までのスペース、最初見たとき、役所か総合病院かと思った。
傘立てとか置いてある、あの空間。
防衛面を考慮して、この構造らしい。
その話を聞いた瞬間、絶対に鍵をなくせないと心の中で震えた。
扉を抜けると、広い部屋に出る。
窓から差し込む陽光が、うっすらと調度品を照らしていた。
拙い言葉で表現するなら、ホテルのスイートルームが適切だろうか。
実物見たことないけど。
コード邸も公爵家とあり、大きなお屋敷だ。
部屋面積も広く、小さな頃はすぐに迷子になったりもした。
……今し方入室した広間に、心許ない感覚に陥る。
多分、この階層に人がいなさ過ぎるから、不安なのだろう。
無意識に行う索敵が、入り口のおじさんと、部屋の主しか感知出来ない。
何だかんだ、今まで大勢の中にいたのだと実感した。
リヒト殿下の寝室まで赴き、そっとカーテンを開ける。
鉄柵越しの高い景色が眩しい。
……今頃、坊っちゃんはお一人でお目覚め出来ているだろうか?
思わず心臓がきゅっとしてしまう。
坊っちゃんは繊細な面持ちの通り、朝に弱いお方なので、カーテンを開けても中々起きてくださらない。
お声掛けして、ようやく起床される具合だ。
週末に帰還したら、真っ先に調子をお尋ねしよう。
場合によっては付き人を配置してもらおう。
ぐるぐる考え込んでいると、背後で微かな声が聞こえた。
「…………べる……?」
「おはようございます、リヒト殿下。良いお天気ですよ」
人ふたりが楽に寝られるだろう、大き目のふかふかベッドで身動ぎしたリヒト殿下が、ぼんやりとこちらを見上げる。
……殿下にも、寝癖ってつくんだ。
身を屈めて、跳ねた毛先を指で払う。
瞬間、起き上がった殿下が、そのまま膝を抱えて顔を埋めた。
「お、おはよう、ベル。……わあ、間抜けな顔しちゃった。……恥ずかしい」
「大丈夫ですよ。殿下いつでもかっこいいですよ」
「ありがとう、結構心に刺さるね。……ちゃんとかっこよくしてくる。待ってて」
「はい……? あ、リヒト殿下。こちらの資料、お纏めしてもよろしいですか?」
「うん……! うん……!!」
ぱたぱたと奥へ走って行ってしまったリヒト殿下に、不思議に思いながらもベッドに散らばる数枚の紙を拾い上げる。
二冊の本と一緒に埋もれていたそれを整え、ベッドサイドに重ねた。
多分殿下、寝る前に本を連れ込んで、枕周りに要塞を作るタイプだ。
広大なリビングを暖めながら、お茶の準備をする。
現れたリヒト殿下は、いつものきちっとしたリヒト殿下になっていた。
「改めておはよう、ベル」
「おはようございます。お呼びいただけましたら、お召し替えのお手伝いをしましたのに……」
「ううん! それより、紅茶が欲しいな」
「畏まりました」
高速のお断りに、坊っちゃんもお召し替えは手伝わせてくれないんだよなー、と思い至る。
やっぱり年頃の男の子だから、気恥ずかしいのかな?
微笑ましい気持ちで、ソファに座った殿下の前に紅茶を差し出す。
ふんわり微笑んだ彼がお礼を述べた。
やっぱり従事してこそ、生きてる実感が湧くね!
茶器に口をつけたリヒト殿下が、ふふっ、吐息を震わせた。
「ベル、いいことあったの? 嬉しそう」
「そんなに表情に出てますか!? ……いえ、従事出来る喜びを、噛み締めていたところです」
「ベルって、稀有なタイプだよね。ぼくは助かるけど」
「僕に出来ることがあれば、何なりとお申し付けください」
「じゃあねー、今日寮に戻ったら、ぼくの部屋に来て? 書類が溜まっててね、前みたいに手伝ってもらいたいんだ」
「畏まりました!」
思わず声の跳ねた僕を、殿下がくすくす笑う。
誤魔化すように咳払いをし、わざとらしく懐中時計を広げた。
「殿下、あと十分ほどで食堂が開きます」
「ベルはもう済ませたの?」
「はい。使用人ですので」
「ふーん……」
何事か思案気なリヒト殿下が、考え込む仕草をする。
入寮手続きを行った日に、寮長から説明を受けた。
食堂や浴場は、時間交代制で区切られているそうだ。
一般学生はどちらの時間でも利用して構わないが、全体的に使用人枠に利用する人が多いらしい。
現段階では、一般学生に区分されている僕だけれど、来年には使用人枠に入る。
だったら、最初からそちらに属している方が都合が良い。
僕は使用人仲間を作りたい。
とは意気込んでみても、坊っちゃんはお手間のかからないお方だ。
今ではお食事も、傍に控えるだけだ……し……、待ってどうしよう。
ここのごはん、料理長のじゃない。
坊っちゃん食べてくれるかな? 大丈夫かな?
今から不安なんだけど、いざというときはお部屋でお食事しましょう……!!
「ねえ、ベル。今からクラウスの部屋に突撃しに行こう?」
「今からですか!? 同室の方、驚かれませんか!?」
「一回驚かせてるから、多分大丈夫! 眼鏡の人だった!」
「殿下、何をなさったんですか!?」
お茶を飲み終わったリヒト殿下が、きりっと立ち上がる。
行こう行こうと急かす彼に、慌てて茶器を片付け、従った。
結果から述べると、ノックもなく元気いっぱいに扉を開けたリヒト殿下に、クラウス様より同室の眼鏡の方が驚いていた。
慌てて黒髪の彼の背中を擦る。
ちっとも驚かないクラウス様へ、リヒト殿下が不満を述べた。
涼しい顔のクラウス様が仰るには、「ガキの頃に、俺の靴の中に殿下が蜘蛛のおもちゃを仕込んだ辺りで、耐性つきましたわ」とのこと。
何してるんですか、殿下。
「えー? そんなことしたかなあ?」
「ほーら。いじめた側はいじめたことを覚えていないって、そーゆーことっすわ」
「クラウスー、人聞き悪いよー?」
「……お二人とも、仲良しですね……?」
「部屋を変えてくれ……」
眼鏡さんに涙声でしがみつかれたが、使用人なので……とお断りした。
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