04
ひとりでいただくごはんは、ひどく味気ない。
義務的にフォークを動かし、口の中へ押し込む。
ビュッフェ形式の食堂は明るく開放的で、天井から垂れ下がる観葉植物や照明が、気取らない雰囲気を作っていた。
並んだ料理も女子寮ともあり、年頃の女の子を気遣った彩り豊かな食事が並んでいる。
目で楽しませるそれは、現にわたくしの前の席の子たちにも好評だった。
「……アーリア」
「はい、お嬢様」
「わたくしも髪を切って、男の子の制服を着たら、男子寮へ入れるのかしら?」
「…………そうしますと、私のお役目がなくなってしまいます」
困惑した調子のアーリアの言葉に、しょんぼりと肩を落とす。
アーリアがいなくなるのは、いや。
それでも、ひとりぼっちで食べるごはんもいや。
わたくし、こんなにも我がままだったのね……。ため息を零す。
ベルは、今頃リヒト様やクラウス様とお食事をともにしているのだろうか?
……いや、ベルのことだから、アルがいなくても使用人として控えているのだろう。
この一年間は、コード家の使用人ではなく、ベルナルド一個人として振舞って欲しかったのに、あの子にはその思いは伝わらなかったみたい。
「……ベルに会いたいわ」
初日からこの調子で、わたくしは今後やっていくことが出来るのだろうか?
毎晩、寝る前にベルと他愛ないお喋りをすることが楽しみだった。
彼の淹れてくれる温かな紅茶が好きだった。
他寮に異性が入ることは出来ないから、これらの日課も続けることが出来ない。
習慣が崩れることは、ひどく恐ろしい。
わたくしのベルなのに、どうして彼はここにいないのだろう?
……わかっている。ただの駄々だ。
「恐らく、ベルナルドも近くに主人がいないため、狼狽していることと存じます」
「あ、あら、大丈夫かしら……? ……急に心配になってきたわ」
そうだ。すっかり忘れていた。
思い出したのは、大怪我をした日のあの子の姿だった。
療養を命じた際のベルは、それはそれは泣きそうな顔で、余計に症状を悪化させた上に、いつでも自害出来るよう準備をしていた。
……静かにフォークを置く。
「アーリア。男子寮のエントランスまでなら、わたくしも入れるかしら?」
「問題ありません」
「行きましょう。ベルを呼んで、決して自害しないよう言い聞かせないと」
「畏まりました」
テーブルナプキンを畳んで急いで席を立ち、後片付けを済ませたアーリアを伴って、食堂を後にする。
ベルの思い込みの激しさと、即断力は危険だ。
彼の扱うナイフは手軽で、あっさりと自害を決めてしまう。
それはいけない。絶対にいけない!
どうして今まで気付かなかったのかしら!
お役目に固執しているあの子から仕事を奪うということは、あの子の価値観を揺るがすものだと、わかっていたのに……!!
隣のエントランスは間違えそうなほどに、女子寮と似通っていた。
建物自体もシンメトリーに配置され、見分けがつきにくい。
管理者さんが男性か女性かで見分けなければ、違えたときが、恥ずかしい……。
エントランスの隅に設置されたソファに座り、ベルを呼びに向かったアーリアの帰りを待つ。
好奇の視線に晒されることは気恥ずかしいが、翌朝ベルが血まみれで発見されることの方が、もっといやだ。
膝の上に置いた手を固く握り、今か今かと帰りを待つ。
「お嬢さま!」
「っ、ベル!」
廊下から現れたベルが、若干小走りでこちらへ駆け寄る。
驚いたような顔は心配そうで、そのときわたくしは、自分の表情がとても強張っていることに気がついた。
元気そうに動いている彼の姿に、安堵から肩の力が抜ける。
「どうかなさいましたか? 何なりと、ベルナルドにお申し付けください」
「ベルが自害していなくて、本当によかった……」
「はい?」
彼のお辞儀の仕草を遮り、両手を取って固く握る。
初日からこんな調子だなんて、本当に調整不足だわ……。
でも、早目に気付けてよかった。
困惑しているベルの後ろから、アーリアとともに、リヒト様とクラウス様がお顔を出された。
「やあ、ミュゼット。どうしたの? こっちの寮に来るなんて」
「御機嫌よう、リヒト様、クラウス様。ベルが思い詰めているのではないかと、心配になりまして……」
「あー……」
静かにベルが顔を背けた。……わかりやすい仕草だ。
無抵抗な彼の手首を取り、ぽんぽん触診していく。
……確かベルは両手首に一本ずつと、ショルダーホルスターと、両足首にナイフを仕込んでいたはず。
腰……は、今日は携帯していないようね。
他にもあるのでしょうけれど、こんなに持ち歩いていたら、いつでもさっくり出来てしまうじゃない……。
「あの、お嬢さま……?」
「いいこと? ベル。わたくしも寮にアーリアしかいなくて寂しいの。だからベルも、決して、決して決して決して悪い方へ思い詰めて、自害しようなんて考えないで頂戴」
「ミュゼット嬢には、千里眼があったみたいだな」
クラウス様の苦笑いと、青褪めたベルの愛想笑いから、既に彼がそのような思考に陥っていたことが明白になる。
珍しく手首に暗器を仕込んでいないベルの顔を、じっとりと見上げながら、彼の弁明を待った。
「……その、……畏まりました」
「その『畏まりました』は、わかってはいるけれど衝動は抑えられません、の畏まりましたね」
「ぐ、ぐう……」
「ぐうの音を出しても許しません」
「ぐうの音って、こんな直接的な表現だったっけ?」
リヒト様が首を傾げ、はたと手を叩く。
にっこりと笑みを浮かべた彼に、長年の経験から身構えた。
彼のこの手の笑顔は、何事か自身へ有利に進めたいときの第一手だ。
「ねえ、ミュゼット。さっきベルにも提案してみたんだけど、アルバートが入学するまでの一年間、寮内でのぼくの面倒をベルに見てもらうのはどうかな?」
やっぱりベル絡みか。
頭を抱えたい気持ちを抑え、リヒト様からベルへ視線を移す。
困惑しているベルは、縋るような目でわたくしを見ていた。
恐らくは、彼の中の忠誠心と奉仕精神が、せめぎ合っているのだろう。
リヒト様の提案を蹴ることは容易い。
彼はやたらとベルに甘い。
幼い頃よりずっと、砂糖菓子と比較出来るだろう甘さで接している。
わたくしも人のことを言えないのだけど、だからこそ一種のライバル心を抱いてしまっている。
ついつい「ベルはうちの子です!」と主張してしまうのは、そうでもしなければ持って帰られそうだからだ。
幸いなことに、リヒト様が特別ベルに優しいことは、クラウス様もお気付きになられている。
彼がさり気なく距離を保ってくれるため、とても助かっていた。
「ベルは、その条件でいいかしら?」
「ですがお嬢さま、……その、背信行為にはなりませんか……? 僕の忠義はお嬢さまと坊っちゃんへ捧げております」
「それでベルが次の朝冷たくなっていたら、元も子もないわ。リヒト様、後ほど正式に書類をお渡しいたします」
「うん、ありがとう」
ほんのりと頬を染め、それこそプレゼントをもらった子どものように、リヒト様が微笑む。
恐らく彼自身は無自覚なのだろう、教えてあげる気もない。
ますます困惑した表情のベルが、真っ赤になって言葉を発せなくなるまで、わたくしにはあなたが必要なのだと、繰り返し言い聞かせた。
場所がエントランスであろうと構うものか。
しっかり言葉にしなければ、思い込みの激しいこの子は自己犠牲に走ってしまう。
それでは、リヒト様に預ける意味がない。
期間は一年、アルが入学するまで。
アルが入寮を果たせば、ベルの情緒不安定も治まるだろう。
それまでの間、リヒト様ならクラウス様もお近くにいらっしゃる。
きっと酷いことにはならない。
そも、リヒト様は紳士的なお方だ。
ベルも、給仕する相手が定まれば、落ち着くだろう。
家にもそのような契約をかわしたことを、手紙で伝えよう。
ついでにアルに呆れてもらおう。
「わたくしだって寂しいのだから、明日ベルに会えないのはいやよ?」
「はい……っ」
「それでは長々と失礼いたしました。リヒト様、クラウス様。ベルをよろしくお願いいたします」
「……本当、逞しくなったよね、ミュゼット」
若干引きつった笑顔で、リヒト様が頷かれる。
繋いだままのベルの両手を、もう一度強く握り、少し早いおやすみなさいを口にした。
耳まで真っ赤なベルは視線が泳いでいて、それでも微かな声で返事をくれる。
……少し、やり過ぎた気がしないでもない。
けれど、全て本心だ。両手を解放して礼をする。
「アーリア、戻ったら契約書を作るわ。お茶をお願い」
「畏まりました」
女子寮へ帰る道すがら、いつも静かなアーリアに話しかける。
ちなみに先ほど使った、わたくしの必殺技である『ほめごろし』だが、勿論彼女にも行ったことがある。
普段表情を変えないアーリアが、必死に両手で顔を覆って震える姿は貴重だった。
アーリアは、ベルとは違う方面で注意が必要だ。
暗躍とか、情報収集とか、怪我の多そうな仕事を請け負っているらしい。
危険な目にあった彼女にわたくしも怒ってしまい、小一時間は褒め殺した。
全くどうして、わたくしの家の侍女も従者も、主人を不安にさせることが得意なのかしら!
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