荒ぶる乙女と入学式

 初々しい黒い制服が翻る。

 清楚に揺れた若草色の髪の向こうで、瞬いた石榴色が喜色に染まった。


「お姉さま!」

「ミュゼたああああん!!!」


 小走りでこちらへ駆けて来た春の妖精が、私に向かって満面の笑みを見せる。


 おさわりはハンドまで。これは純粋な挨拶です。

 しっかり両手を繋いだ。

 女の子の手のひら、柔らかいよおおおお!!


 思わずにやけてしまいそうな不審な笑みを胸の奥へ引っ込め、荒くなりかけた呼吸を落ち着ける。


 ふあああああっ、ミュゼたんいいにおいするううううう!

 キラキラした眼差しで見られてるううううう!!

 思考回路がおっさん寄りでごめんねえええええ!!!


「お姉さまの入学先も、ユーリット学園でしたのね!」

「そうなんですよー! ギリギリ直前で変更することになって、バタバタしたんです」

「まあっ、さぞお忙しかったでしょうに……。ですが、こうしてお姉さまと同じ学び舎に通えることを、喜ばしく思います」


 ふわりと微笑んだミュゼたんの周りに、花畑が見えた気がした。


 見てくれ。私の妹(概念)の純真培養さを。

 ピュアハートが眩しいだろ?

 ふへへ、私の穢れた心が滅されるんだ……。


 天を仰いで、震える心を噛み締めた。


 私はリサ・ノルヴァ。

 ざっくり説明すると、転生者だ。

 もう少し細かく説明するなら、私はこのゲームのどぎついファンだ。


 最推しはベルナルドだ。

 ベルにゃんの微かな声ともつかぬ微量な吐息ひとつで、床を転がれる自信がある。


 いやだって、ゲーム中のベルにゃん、ちっとも喋らないんだもん。

 存在を感知させてくれないんだもん。

 しかしだからこそ、そこにいてくれる、ただそれだけで幸せになれるんだ!



 ところでこの『Chronic garden』だが、元々は同人ゲーム……個人サークルが作成したパソコンゲームだったりする。

 それが人気を博して、家庭用ゲームへ移植となった。


 これにより、様々な点が変更されている。


 まずは全体的にスタイリッシュになった。

 パソコン時代では苦痛でしかなかった戦闘システムも、アクション性が上がり、操作しやすくなった。


 通常のマップ画面も自由度が上がり、書き下ろされた立ち絵や、スチル絵の増量。


 何より音声の追加!

 発売前に、何度告知サイトでサンプル音声を聞き続けたことか!

 ヘッドホン装備で音量上げまくったよね!!


 しかし、良い面ばかりでもない。


 特にストーリーに関しては年齢制限に引っ掛かるのか、大幅な変更がされた。

 本来あるべき話が削除され、その部分を補うように、ふわっとした説明が成される程度に修正されている。


 これには非常にがっかりしたが、大人の事情が仕方ないと叫んでいる……。

 だがしかし! 肝心な部分は、もうちょっと丁寧に修正してもらいたかった!!


 例えば、今私の目の前で、ベルにゃんを絞め殺さんばかりに抱き締めている、リズリットくんとか!


 突然の公式の暴走と、新規絵の追加に、私の心臓が荒れ狂っているけれど、ひとまず私の内情は置いといて。



 家庭版では無名のキャラクターと化したリズリットくんも、パソコン版ではきちんと役割が組まれている。

 これが結構こわい。

 同じクラスだと知ったときは、思わず息が止まりかけたくらいだ。


 リズリットくんは、クラウスくんのストーリーへ分岐したときに、その真価を発揮する。


 ふたりは幼馴染なのだが、幼い頃にリズリットくんの家族が惨殺され、リズリットくんは残虐な性格へと変貌してしまう。

 クラウスくんは彼を救えなかったことを悔やみ、荒れるリズリットくんを止めようとするも、聞く耳を持ってもらえない。


 ついにはリズリットくんは対立戦で死んでしまい、ますますクラウスくんは落ち込んでしまう。

 ここまでが、クラウスくんの傷心深度1だ。


 そのリズリットくんだが、まず授業を受けない。

 喧嘩をすると、いとも容易く相手を殺しかける。

 ふらっと現れたかと思うと、ヒロインの首を笑顔で絞める。


 にっこりしながら物を蹴るのは、呼吸と同じくらい自然な動作で、にこにこ笑いながら、階段の上から蹴り飛ばそうとする……、などなど。


 界隈ではリズリットくんとの遭遇を、『死神とのエンカウント』と呼んでいた。

 ランダムなのがまた性質が悪い。


 ヒロインは理不尽な暴力に遭い、目が覚めると保健室のベッドにいた、という処理を取られる。

 リズリットはプレイヤーにとって、一日も無駄に出来ないステータス上げを邪魔してくれる、危険な存在だった。


 家庭版には、この死神システムがない。

 そのため、難易度が大幅に下がった。


 そんな死神がにこにこしながら隣の席にいるのだから、思わず震え上がったよね。

 リサ・ノルヴァとリズリット。

 ははーん、さては名前の順だな?


 この制度を採用した教師を、心の中でぼこぼこにした。

 何故ノルヴァの『N』じゃなかったんだ。



 しかしだ。

 肝心のリズリットくんは前情報とは違い、非常に温和で、机を蹴ることもない。

 勿論ぼこぼこにもされない。


 普通に意思の疎通も取れるし、三分に一回は「ベルくん」と呟き、七分に一回は「アルくん」と呟く人になっていた。


 何より、この目の前の新規絵だ。

 抱き締められたベルにゃんが、リズリットくんの背中を優しく叩いている。

 それも本編内の、感情の削ぎ落とされた表情ではなく、慈愛に満ちた柔らかい微笑でだ。

 控え目に言って天使かな?


 震える私の視線に気がついたのか、ミュゼたんがはたと振り返って、慌てた様子で口許を覆っている。


「す、すみません、お姉さま。リズリットさん、ベルと会えたことを喜んでいるみたいで……!」

「スクショ……げふげふっ! 仲が良くて、微笑ましいですね!」

「そ、そう言っていただけると、ありがたいです!!」


 く、くそ! 目の前の光景が現実のせいで、キーを押せない!

 手元にボタンがない!!

 ミュゼたんがほっと表情を和ませている隣で、無意識にキーを捜す指先が震えている。

 今ここに、新たな扉が開いたというのに……!!


「ベルくん入学おめでとう……っ。この日をずっと待ってた。これまでの月日の中で、一番長く感じた」

「ありがとうございます。週末振りですね」

「俺、本当は留年してベルくんと同じクラスになりたかったんだけど、担任とサマビオンさんとミスターに止められて、すっごく嫌だったんだけど渋々進級したんだ」

「頑張りましたね、リズリット先輩。学園のこと、色々と教えてください」

「うん。デートしよう、ベルくん」

「校内案内でお願いします」

「ベルくんに紹介しようと思って、いっぱい色んなところを調べたんだよ」

「ありがとうございます。助かります」

「だからデートしよう」

「校内案内でしたらお供します」


 リズリットくんがベルにゃんをぎゅうぎゅう抱き締め、切なげな声で囁いている。


 現実に殺される……。

 ベルにゃんがいっぱい喋ってる……。

 ちょっと呆れた声で、でも仕方ないなって感じの声音で喋ってる……。

 胸がいっぱい……。

 ここがエンディングだったか……。


 安らかに眠りそうな私の隣で、ミュゼたんが苦笑いを浮かべている。

 彼等に近付いた彼女が、リズリットくんの背中を揺すった。


「リズリットさん、そろそろ時間切れです」

「もう? ミュゼットちゃん、延長ないの?」

「これから平日に会えるのですし」

「ベルくん、これから毎日、しつこいくらい付き纏うからね」

「いっそ清々しいですね、その宣言」


 熱烈な抱擁から解放されたベルにゃんが、ちょっと遠い目をしている。

 その姿ですら輝いて見えた。


 推しが情緒豊かになっている……!

 笑ったり、困った顔をしたり、色んな顔をしてくれる……!

 幼い日に見た楽園は守られた!!


 内心ゴールを決めたスポーツ選手のポーズを取りながら、表層を保って心のメモリアルに、新規絵をがつがつ保存していく。


 おたくの魂舐めるなよ!

 網膜に焼き付けてやるからな!!


 ふと、私の横を、艶やかな金髪が通り過ぎたことに気がついた。


「ベルー! 挨拶がんばったよ! 褒めて褒めてー!!」

「げふっ、……リヒト殿下、素晴らしい代表、挨拶でしたね……っ」

「ベルに褒めてもらいたくって、いっぱい考えたんだー!」

「殿下……! ベルが窒息します! 入ってる入ってる!!」

「わあ!? ごめんね、ベル!!」

「ベル! しっかりして……!」


 悲鳴を上げなかった私を、誰か褒めて欲しい。


 ごほごほ噎せるベルにゃんの背中を、リヒトきゅんが必死に撫でている。

 よろめく身体を支えているのはクラウスくんで、ミュゼたんが心配そうに様子を窺っている。


 続々と集まるメインキャラに、動揺が隠せなかった。

 現実が暴走している……?



『Chronic garden』のリヒトきゅんは、パソコン版、家庭版、どちらも差異なく大人しい。

 ミステリアス系と称すればいいのだろうか。

 間違っても、こんなに元気に感嘆符を弾ませるようなタイプではない。


 さて、先ほどストーリーの削除の話をしたが、リヒトきゅんに纏わるエピソードも勿論ある。


 むしろリヒトきゅんは、『Chronic garden』やべえ四天王のトップだ。


 ちなみに四天王の残り三人の内訳は、ミュゼたん、アルにゃん、リズリットくんだ。

 惜しくもエリーたんが届かない。


 まず、リヒトきゅんは、ベルにゃんのことが大好きだ。

 しかしベルにゃんは、ミュゼたんが犯した罪を被ろうとする。

 当然ベルナルドを待ち受けるのは、死罪だ。

 本当、そういうとこだよベルにゃん……。


 ベルナルドに死んでもらいたくないリヒトは、ミュゼットがベルナルドを手放すように仕向ける。


 はっきりとミュゼたんに「いらない」と言わせ、ベルにゃんを自分の所有化に置くことに同意させるシーンなんかは、王子様腹黒……! と震えたものだ。


 ベルにゃんの新しい主人となったリヒトきゅんは、ベルにゃんが外に出ないように閉じ込めてしまう。

 ……ほら、凄く危険な香りがするでしょう?

 私もやべえと思ったもん。リヒトきゅんやべえ。


 それでいて、学園では何食わぬ顔で、にこにこといつも通り過ごすんだよ?


 そう、私の最推しのベルナルドは、ほとんどのルートに於いて、リヒトきゅんの手によって途中退場させられてしまう。

 王子様の執念凄くない?


 いや、そうでもしないと、ベルにゃんが死罪になっちゃうのだけど……。


 ベルにゃんのその後については、クラウスルートで微かに触れられている。

 自分が仕える主人が、幼馴染を監禁しちゃったんだ。


 脱出の手引きをしたのだけど、失敗したそうで、ここでクラウスくんの傷心深度が2になる。


 もう、この辺りからクラウスくんを見ているのが辛くなる。

 心が壊れそう。

 どんなえぐい地獄を見てきたんだよ、きみは……。


 この辺りの事情も、家庭版ではクラウスルートでのみ、さらっと触れられる程度に薄められた。

 他のルートでは、元々気配の希薄だったベルナルドの存在を、ふわっと消すという雑な処理をされている。


 これが私の中の、一番の遺憾の意である。



 なので、あんなに元気溢れるリヒトきゅんだけど、ベルにゃんが誰よりも注意しなければならない人物なんだ。

 ベルナルドにとってのラスボスなんだ。


 あーっ、でもどうやってこれを伝えればいいんだろう!?

 ベルにゃん逃げて、王子様に捕まっちゃうぞ! なーんて言えないし。

 私が投獄されちゃう!


 私の葛藤なんて露知らず、呼吸の落ち着いたベルにゃんが、やんわりとした苦笑を浮かべてリヒトきゅんと話している。

 ベルにゃんの、ミュゼたんへ向ける眼差しの優しいことったら。

 雄大な母の腕に抱かれる、赤子の気分になるわ。


 リズリットくんが輪に加わる。

 にこにこ、穏やかな彼が口を開いた。


「オリエンテーションが終わったら、俺が校内案内してあげるよ」

「わあ、楽しそう! 行く行くー! ベルも行くよね?」

「どうしてリヒト殿下も、クラウス様も、お供をお連れでないのですか……」

「いやー、多分、俺が殿下のお供代わりなせいだろーなあ」

「わたくしも参加させていただきますわ。ね、お姉さま」

「…………はい?」


 不意にこちらへ向けられたミュゼたんの微笑みに、全機能が硬直する。

 私の存在に気付いたメインキャラたちが、不思議そうな顔をしていた。


 う、うわああああっ、ミュゼたんやめてよー!

 お姉ちゃんモブなんだからー!!


「ご紹介いたします。こちら、ノルヴァ卿のご令嬢、リサお姉さまですわ」

「あーっ、ミュゼットがよく話してくれる『お姉さま』だね! ぼくはリヒト。よろしくねー」

「あの『お姉さま』か! ミュゼット嬢がいつもお世話になっています。クラウス・アリヤと申します」

「ええっ、ノルヴァさん、ミュゼットちゃんの『お姉さま』だったの? 全然知らなかったー」


「ふ、ふえええ……っ、よ、よろしくお願いしますううううう……」


 私、そんなに有名人だったの!?

『お姉さま』の認知度高っ! 知らなかったんだけど!?


 まさかの事態だ。モブがメインキャラに認知されてしまった。


 ライトノベルならここから恋が始まるが、私は彼等と同じ画面に入りたくない。

 確かに推しが画面から出てきてくれないと嘆いた日々は長かったが、現実問題、どぎついヤンデレに粘着される趣味はない。


 こんなににこにこと明るい彼等が、来年には過酷な運命に引き摺り回されて、瞳からハイライトを失うの?

 え、惨い。楽園を守らなきゃ……!


「お前たち、いつまでここにいるつもりだ!? さっさと指定された教室へ行け!」


 後ろから教師に叱責され、震え上がっていた心臓がますます竦み上がる。


 ちなみにここ、入学式が行われていた講堂だったりする。

 閉会した瞬間にベルにゃんがリズリットくんに襲われ、そのざわめきのお陰で、私はミュゼたんと再会出来た。


 ……うん。結構な人の目に晒されていたんだよ、あのダブル抱擁。

 今はかなり人も疎らになったけど。


「リズリット! お前はまた黒髪の子を襲っているのか!? 入学式くらい大人しく出来ないのか!」

「フェリクス先生、冤罪です! この子が本命のベルくんです!!」

「本命も何も、手を出している時点で現行犯だ!!」

「リズリット、お前、そんな痴漢常習者みたいなこと……」

「ベルくん、誤解だからね!? つい衝動を堪え切れなくて、やっちゃっただけだから!」

「……いえ、……これまで訴訟を起こされなくて、良かったですね……」

「ベルくんならわかってくれるって、信じてた!!」

「どこから正せばいいのかな?」


 遠い目の彼等に見送られる中、私たちの担任であるフェリクス先生が、リズリットくんの襟首を掴んで引き摺っていく。

 混じっている私にも鋭い目が向けられ、「ノルヴァ! お前もさっさと教室に戻れ!」巻き込み注意を受けた。


「そ、それでは、また後ほど……」

「長々と引き留めてしまい、大変失礼いたしました! 後ほど、お姉さま!」


 可憐に礼をしたミュゼたんに小さく手を振り、そそくさと教室へ戻る。


 あああっ、まさか接点を持ってしまうなんて思わなかった……!

 胸の鼓動が激しい……!

 既に心のスクショが追いついてないんだけど、校内案内とかいうイベントを、私はどうやって乗り切ればいいのかな!?

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