04

 フロラスタ公爵家の令嬢ローゼリア様は、従者を四人連れている。

 ノアさん、アイザックさん、エドさん、マシューさんだ。


 このうち僕が接点を持っているのは、リーダーのノアさんと、ノアさんの同室者であるアイザックさん。

 ふたりの説明いわく、彼等従者は穏健派らしい。

 フロラスタ家はコード家を目の敵にしている節があり、お嬢さまも旦那様もお困りになられている。


 正直に述べるならば、ノアさんたちと協力関係を結んではいるが、僕は彼等を信用してはいない。

 ……悪い人たちじゃないことは、わかるんだけど……。


 彼等の共通項を挙げるとすれば、みんな金髪だ。

 濃淡と色合いの差はあるけど、全員金髪だ。

 そしてフロラスタ様はリヒト殿下を狙っている。金髪だ。

 フロラスタ様ご自身も金髪だ。


 黒髪である僕に付き纏う理由がわからない。

 もっとご自身のポリシーを貫き通してほしい!



 ノアさんのお部屋の扉を数度叩く。

 ひょこり、顔を覗かせたのはアイザックさんだった。

 ぱっと人好きの笑みが浮かべられる。


「ベルナルド! 無事で何よりだ!」


 両手を握られ、ぶんぶん上下に振られる。

 ……お仕事中のアイザックさんは能面のような顔をしているけれど、本来はとても感受性が豊かな人らしい。


「アイザック。中に入れてやれ」

「ああ、悪いわるい!」


 奥からノアさんの声がし、アイザックさんが部屋へ招き入れてくれる。

 使用人用のふたり部屋は、貴族用の部屋に比べて質素だ。


 ベッドに座っていたノアさんが本を置き、立ち上がる。

 柔和に目許が緩められた。


「おかえり。怪我はないか?」

「……ありがとうございます。問題ありません」

「上が無礼を働いた。すまなかった」


 ぴしりと綺麗な礼をされ、慌ててしまう。

 謝罪するべきはノアさんではない。


 おろおろしてしまう心境で、顔を上げてほしいとお願いする。

 憂いある整った顔がやんわりと微笑むのだから、この世界は美人しか住めない設計が施されているのだと、改めて実感した。


「茶を淹れてくる。適当にくつろいでいてくれ」

「いえ! お構いなく」

「茶なら、俺が淹れてくるぜ。ノアには敵わねーけど!」


 扉を抜けようとしたノアさんを遮り、アイザックさんが片目を閉じる。

「待ってろ~!」部屋を出て行ってしまったムードメーカーへ、空しく伸ばした手が余計に物悲しさを感じさせた。


 振り返ったノアさんと距離感が測れず、身体がぶつかる。

 かしゃん、何かが落ちる音がした。


「あ」

「!?」


 質素な木目の床に落ちた、赤い石のペンダント。

 さっと血の気が引いた。

 ノアさんが屈む前に慌てて拾い上げ、ポケットに仕舞う。


 ど、どうしよう! リヒト殿下にお返しするの、すっかり忘れてた!!


「……それ」

「い、いけない! 今日こそちゃんとお返ししなきゃ! 国の処刑方法一覧って、どこで調べられるのかな!? どれで処されるのかな!?」

「……落ち着け。大丈夫だ」


 腰を屈めたノアさんに、緩く頭を撫でられる。

 見上げた顔は、少しばかり呆れたものに見えた。


「ひとまず、床ではない場所に座れ」

「はい……」


 誘導されるまま、ベッドに腰を下ろす。

 ああああ、お嬢さまの花嫁姿を見るまでは死ねない……!


「アイザックが戻ってくる前に、契約の話をしたい。可能か?」

「あっ、はい! 大丈夫です。すみません、取り乱しました」


 そうだった。その話をしに来たんだ。

 ノアさんの切り口に、こくこくと頷く。

 彼が言葉を続けた。


「条件は達成された。このまま協力関係を終了してもいいが、きみはどうしたい?」

「……次の条件があるんですね」

「協力関係を継続するなら、俺たちはこれまで通り、きみを守り抜こう」

「条件次第です」


 潜められた声音は、扉や壁越しの音を微かに聞こえさせた。

 誰かの話し声や談笑とは程遠い交渉内容に、膝に置いた手を固く握る。

 隣に座ったノアさんが、こちらを覗き込んだ。

 紫苑色の目が、瞬きの度に長い睫毛を被る。


「一日に一度、長くて三日に一度。上と遭遇してほしい」

「……何故。僕があの方と遭遇すれば、あなた方は体罰を加えられます」

「きみは俺の指示に従ってくれればいい」


 ノアさんは全体的に温和で憂いのある雰囲気だけれど、結構威圧感がある。

 彼は僕にフロラスタ様と会えと言っているけれど、それが一体何の得になるのだろう?

 ……被虐趣味? え、まさかまさか。


「僕からもお願い、よろしいでしょうか?」

「何だ?」

「フロラスタ家の内部情報について、教えてください」


 交渉は不得手だ。

 真正面から切り込んだ要望に、ノアさんがはたりと瞬きする。

 彼が笑い出した。

 おかしそうに、上品な仕草で口許に手が当てられる。


「きみに、それに見合う対価が出せるのか?」

「……僕に出来ることならば」

「交渉に自身を安売りしてはいけない。きみに与えられたカードをよく見るんだ」


 立ち上がったノアさんが腰を屈める。

 耳の傍に口が寄せられた。


「きみが思っているほど、俺は『いい人』ではない。きみが俺を信用していないように、俺もきみを信用していない」

「では何故、僕を選んだんですか」

「きみが一番『都合のいい人』だからだ」


 そんなの言葉遊びだ。

 頭脳戦と心理戦を強いられても困る。

 僕はどちらかといえば、実技的な戦闘の方が得意だ。

 ……脳筋っていわないで。


 体勢を戻したノアさんが、にこりと微笑む。

 憂いを感じる儚げな笑みだ。


「忘れものがあるのだろう? 届けに行ってはどうだ?」

「ッ!! そ、そうでした! 失礼します!!」

「返事は後ほど、改めて聞く」


 慌ててお辞儀をして、部屋を飛び出す。

 ぶつかりそうになった人物が、「おっと」身軽に避けた。


「ご、ごめんなさい!」

「あれ!? ベルナルド、もう戻るのか!?」

「すみませんっ、お茶、また今度で……!」

「ノア、お前なんかしたのか!?」

「していない」


 お盆を携えたアイザックさんが、狼狽したようにノアさんへ詰め寄っている。

 ご、ごめんなさい! 今思い出したうちに、リヒト殿下へペンダントを返さないといけないんです!

 紛失が一番こわいんです!!


 後ろを振り返らずに、最上階を目指して急いだ。




 *


「ごめんなさい、リヒト殿下!!」

「なにが!?」


 2階から9階までの階段を駆け上り、息が切れたまま殿下の執務室を開ける。

 びくりと肩を跳ねさせた雇用主が、困惑のお顔でこちらを振り返った。


 本棚の前で資料を漁っていたらしい、彼の元まで向かう。

 ううっ、肩で息してる。しんどい……。

 やっぱりちょっと体力落ちてる……。


「ペンダント! 殿下のペンダント、すっかり返すの忘れていました!」

「……ああ、別にいいのに」

「よくありませんよ!? 僕には分不相応です!」


 苦笑を浮かべたリヒト殿下の前で、ポケットから赤い石のペンダントを取り出す。


 ひとつ。坊っちゃんが包んでくださった、白いハンカチの塊。

 もうひとつ。先程拾い上げた、ペンダントチェーンのついている赤い石。


 ……え?


 さっと青褪め、くるりと殿下から身体を背ける。

 ハンカチを解いてみた。

 ……中から、ペンダントトップだけの赤い石が出てきた。

 裏返してみる。台座には天使のレリーフが彫られていた。

 

僕は対立戦で、このペンダントのチェーンを壊した。


 ……恐る恐る、拾った方をひっくり返してみる。

 ……天使のレリーフがあるんですけどぉ?


「ベル、どうしたの?」

「い、いえ! 何でもありません!!」


 慌ててハンカチとチェーンのついたペンダントをポケットに仕舞い、リヒト殿下へリヒト殿下のペンダントをお返しする。

 指先で受け取られた彼が、確認するかのように表へ裏へ赤い石を返した。

 ……うう、心音が激しい……。


「ねえ、ベル。もうひとつのはどうしたの?」

「え!? えぇっ、……な、なんのお話でしょう……?」

「あれ、惚けるんだ。ふぅん?」


 にこにこ、いっそ嘘くさいほどの明るい笑顔を見せられ、冷や汗と動悸に苦しめられる。

 一歩後ろへ下がり、懸命に目を逸らせた。


「僕にはさっぱり、何のお話なのか……」

「チェーンのついている方」

「……ああ! リヒト殿下、僕が破損してしまったペンダントチェーン、弁償いたしますので今度細工師の方に」

「ベル、見せて」

「ハンカチしかございません……!!」

「見せて」


 真顔で詰め寄られ、泣きたい心地が加速する。


 恐る恐るハンカチを取り出し、差し出した。

 殿下の目が一層冷ややかになる。


「……誰を庇っているの?」

「誰も」

「脅されてる?」

「いいえ」

「誰のもの?」

「存じ上げません」

「持っていることは認めるんだね」

「……あの、この問答、やめませんか?」


 胸の前で手を広げ、心理的にも物理的にも距離を置く。

 にこり、リヒト殿下が微笑んだ。


「教えてくれたらいいのに」

「殿下の元へ先にペンダントをお届けに上がったので、これより坊っちゃんのお部屋に戻ります! 殿下、また後ほど!」

「うん。またあとでね」


 ひらひらと手を振るリヒト殿下へ礼をし、急ぎ足でお部屋を出る。


 最上階の廊下には、見張りのおじさんしかいない。

 そっと死角に隠れ、ポケットから件のペンダントを引っ張り出した。


 傷ひとつない赤い石に、天使のレリーフの彫られた台座。

 金古美のチェーンのかかったそれは、全体的にアンティーク調だ。


 ……これ、落としたの、ノアさんだよね……?


 ペンダントを落としたときにぶつかった人物を思い返しながら、途方に暮れる。

 言われてみれば、ノアさんは何処となくリヒト殿下に似ている気がする。


 ……あ。あれだ、ゲーム本来の、儚いタイプのリヒト殿下に似ているんだ。

 いや、でも、ええ……? これってどういうことなんだろう?

 何で王家のペンダントを持ってる人が、貴族の従者なんかしてるんだろう!?


 丁重にハンカチにペンダントを包み、ポケットへ戻す。

 ……知恵熱出そう。

 僕もう、脳筋キャラでいいや……。

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