05
さすがに坊っちゃんにもお話出来ない内容だったので、口を噤んで従事することにした。
お部屋のお片付けなどは、ノアさんのところへ行く前に終わらせていたので、久々に坊っちゃんにお仕え出来た気分だ!
上の空にならないように注意していたけれど、どうしてもノアさんとペンダントのことが脳裏にちらつく。
僕に美術品の真贋を見極める目なんてないけど、リヒト殿下のペンダントと並べたためか、どちらも同じようにしか見えなかった。
強いていうなら、リヒト殿下の方が飾りの細工に、ひびや欠けがあったくらいだろうか。
赤い石には、どちらも傷ひとつなかった。
何より、ノアさんの言葉が気に掛かる。
彼はあのペンダントを、自分が落としたものだと認識していたはずだ。
それをあえて僕に持たせた、その真意とは?
彼は僕を信用していないにも関わらず、危ない橋を渡っている。
もしも僕がリヒト殿下へノアさんのことを話せば、ノアさんは調査対象となる。
あのペンダントが偽物であれば、国賊として捕らえられる。
本物であれば、身柄を拘束される。
彼はどこにメリットを見ているのだろう?
もっと視点を変えなければいけないのかな?
ノアさんが王族の人だと仮定して、彼は一体誰なんだろう?
僕が知っている空白の名前は、セドリック第一王子しかいない。
ノアさんは20代ほどの見た目で、セドリック殿下は10年前の対立戦経験者だ。
だからもしご存命されていれば、25歳から28歳くらいかな?
……さりげなくノアさんの年齢を聞いてみよう。
そして、僕に与えられたカード。
今僕は、ノアさんと交渉するための手段を得た。
……人の秘密を握るのって、落ち着かない心地だ。持て余してしまう。
はあ、重たくため息をついた。
「やけに辛気臭いな」
「あっ、も、申し訳ございません!」
「何かあったのか?」
坊っちゃんがこちらを窺う。
黄橙色の目は心配そうだ。
……うう、ちょっとだけご相談してみようかな?
坊っちゃん、頭脳派代表だし……。
「交渉の仕方が、わからなくて……」
「……そうだな。お前、交渉の前に直情に走るタイプだったな」
「猪突猛進みたいな言い方しないでくださいー!」
指摘された今最も痛い部分に、むーむー唸る。
脚を組み直した坊っちゃんが、こちらを見上げた。
「駆け引きなどといっても、お前には無理だ。すぐ顔に出る」
「ポーカーフェイスを習得します……」
「……度々お前の口からその課題を聞くが、達成出来たことがあるのか?」
「……達成出来ていれば、今頃僕はクールな従者としてばりばり働いています」
「愚問だったな」
あっさりとした一言に、悲しい気持ちが込み上げてくる。
僕もアーリアさんみたいなクールな侍従になりたい。
そうすれば、リヒト殿下からの詰問に対しても、あんなにしどろもどろにはならなかった。
腕を組んだ坊っちゃんが、口許に手を添える。
俯けられた視線が、再びこちらへ向けられた。
「こちらの要望を訴えるより、相手の要求を聞く方が話が通りやすい」
「と、いいますと?」
「誰だって損はしたくないだろう。交渉は信頼関係の上に成り立つ。相手の価値観と自分の価値観はイコールではない。相手の要求を知ることで、こちらも要望を伝えやすくなる」
「……結構長期戦ですね」
「参考文献は、人質にされた被害者が、犯人と交渉するための手段を記したものだ」
「何て本をお読みになっているんですか!?」
びっくりした! 僕の可愛いひよひよの坊っちゃんは、一体どこへ行ってしまったんだろう!?
「まずは小さな『お願いごと』から訴えてみろ。いきなり馬車を買えと願っても、誰も応えてはくれない。ノート一冊から始めることだな」
「なるほど……参考になりました」
「……お前の場合、ストックホルム症候群を起こしそうだが」
「どんな印象ですか!?」
坊っちゃんからの指摘に愕然としてしまう。
ちなみにストックホルム症候群とは、人質に取られた被害者が、犯人へ過度な好意を持つ心理状態のことだ。
生存戦略とも言われている。
僕は人質になりに行くわけではないのに、与えられたワードが物騒すぎて泣きそうだ。
坊っちゃんの選書の闇を垣間見てしまったことが、また更に悲しみを誘う。
けれども、いつまでもめそめそしていられない。
参考にさせてもらおう。
そしてノアさんとお話しよう! 話してくれるかわからないけど!
*
「来ると思った」
端的に呟いたノアさんが、ティーポットからカップへ紅茶を注ぎいれる。
アイザックさんはお部屋にいなかった。
手狭な室内で困惑に立ち竦みながら、差し出されたお茶を受け取る。
「……アイザックさんは?」
「エドたちの部屋に行ってもらっている」
……何だか申し訳ないことをしてしまった。
ベッドに腰を下ろしたノアさんにならい、隣へ座る。
……坊っちゃん、切り出し方がわかりません。
早くも挫折しそうです。
「ペンダント、返してくれないか」
「……やっぱり、ノアさんのでしたか」
ハンカチで包んだペンダントを取り出し、ノアさんへ差し出す。
指先で摘まれたそれが、チェーンの長さに合わせて目の前で揺れた。
「驚いた。まさか拾われるとは思わなかった」
「その、……すみません」
「俺のことを話したのか?」
ノアさんのポケットへと戻されたペンダントを目で追い、緩く首を横に振る。
「そうだろうと思った」彼が口許だけで笑った。
「ただ、リヒト殿下の前で出してしまったので、詰問はされています」
「そうか」
「……ノアさんは、セドリック第一王子なんですか?」
「いいや。俺の母親は城勤めのメイドだった」
「そう、ですか」
「気まぐれのお手付きだそうだ。母は俺を宿した段階で身の危険を感じ、逃げ出した」
重い。重いですノアさん!
伏兵でそんな重たい話を忍ばせないでください!!
相槌を打つことも出来ず、手元の水面を見詰める。
ノアさんが話を続けた。
「俺のことは内密にしてくれ」
「……条件によります」
「きみにフロラスタ家の内部情報を流そう」
「っ! ありがとうございます!」
「……やはりきみは、交渉役には向かないな」
苦笑いを浮かべたノアさんが、茶器に口をつける。
……クールとポーカーフェイスまでの道のりは、遠そうだ……。
「くれぐれも、俺の存在は他言しないでくれ。俺はフロラスタ家に勤める、ただのノアだ」
「……わかりました」
「……きみは素直すぎる。悪い大人の一員として、心配になる」
「心配されている段階で、悪い大人ではないのでは?」
「わかっていないな。悪い人とは、いい人のふりをして近付くんだ」
「……よく、わかりません」
「執事を志望するなら、多少のブラフは身につけた方がいい」
ノアさんの助言に、困惑しながら頷く。
ううっ、今日一日で情報量が過多です。
これ以上は知恵熱が出ます……。
「こちらから提示した条件についてはどうだ? きみにとって悪い話ではないはずだが」
再度降りかけられた交渉に、手許の茶器を両手で包む。
一日から三日に一度、フロラスタ様と遭遇するという条件。
……これが一体、何のメリットになるのだろう?
わからないけれど、こくりと頷いた。
「……契約成立だ」
立ち上がったノアさんが、僕の手から茶器を抜き取る。
……今回もやっぱり、一口も飲めなかった。
ノアさんのお部屋をあとにして、ヒルトンさんへ何と報告書を送ればいいのか考え込む。
ノアさんはご自身のことを秘匿にしたいと言っていた。
口止め料として、フロラスタ家の内部情報を教えてくれる。
そして僕が一日から三日に一度、フロラスタ様と遭遇することで、ノアさんは僕が叩かれないよう身代わりになってくれる。
……彼の目的はなんだろう?
僕は一体、何の片棒を担がされているのだろう?
恐る恐るリヒト殿下のお部屋へ行き、そっと執務室を覗く。
執務机についていた殿下が顔を上げた。
「おかえり、ベル」
「ただいま戻りました」
向けられたやんわりとした笑顔に、ほっと息をつく。
ペンダントがふたつあったよ事件のせいで、とても顔を合わせにくかった。
改めて思うと、最悪なタイミングで見つかったなー……。
「ペンダントは無事返せた?」
「はい!」
「そっか、よかったね。で、誰に?」
滑らかに殿下の質問に答えてしまった自分の口を、咳払いで封じる。
にこにこ笑うリヒト殿下は頬杖をついていて、無害そうなお顔をしていた。
「……殿下、根に持ってますね?」
「うん」
端的な肯定を残して、リヒト殿下が机上へ視線を戻される。
いつもと変わらない柔らかな声音で、彼が言葉を紡いだ。
「明日からしばらく、城へ戻るよ。ここだと資料が足りない」
「お城へご帰還ですか?」
「うん。ごめんね、色々と手伝えなくなっちゃった」
顔を上げないリヒト殿下の、左手が万年筆を滑らせている。
ペン先が紙を引っ掻く音を聞きながら、少し、驚いた。
殿下がお城へご帰還されるご予定を把握していなかったし、明日なんて急なご予定も存じ上げなかった。
狼狽する内情を抑えて、背筋を正す。
「ご準備いたします」
「ありがとう。長くて一週間かな? 短期で切り上げるつもりだよ」
「畏まりました」
礼をして執務室をあとにし、リヒト殿下のお荷物を整える。
片付けたばかりの旅行鞄を引っ張り出して、気落ちする内心に蓋をした。
殿下は僕を傍に置いてくれるけれど、僕は雇用主の予定すら満足に把握していない。
僕の主人である坊っちゃんに至っては、ご自身で何でもこなされてしまう。
挙句、僕はフロラスタ様に目をつけられ、お嬢さまへ甚大な被害をもたらした。
つくづく、僕の有用性は低いのだと情けなくなる。
むしろ、デメリットしかないんじゃないのかな?
……やめよう。気分が暗くなってきた。
準備が整ったら、ヒルトンさんに手紙を書こう。
何だったら、話を聞いてもらいに行こう。
みんなが無事なのだと、言葉で知らせたい。
……うん、そうしよう。
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