04
「大丈夫かい? ベルナルドくん」
「はい……大丈夫です……」
ぐったりとテーブルに伏せる。
寮の食堂は、現在使用人の時間帯で、各々がわいわいと賑やかに過ごしていた。
僕の正面にいるのはユージーンさんで、心配そうな顔でリゾットを掬っている。
一口運ばれたスプーンが、熱そうに戻された。
「ユージーンさん、お水飲まれます?」
「……はいっ」
涙目で口許を押さえるユージーンさんが、慌てた仕草でお水を飲まれる。
……口の中、火傷してないといいな。
よいしょと立ち上がって、彼の置いたコップを手に持つ。
はたと瞬いたユージーンさんが、こちらを見上げた。
「注いできます」
「悪いよ、置いていて」
「何かしている方が、気が紛れるので」
「……ありがとう」
困ったように眉尻を下げる彼へ微笑み、ピッチャーの置かれた台まで向かう。
レモンの浮かぶ水を注いだところで、背後から誰かに肩を組まれた。
あっ、零れる零れる!
「やあやあ! ベルナルドくん、すまないが少し時間をもらえないかい?」
振り返って窺った人物は、いつもフロラスタ様の後ろに控えている、従者のひとりだった。
思わず身構える僕に、彼が人好きの笑みを浮かべる。
……何だか、ちょっと警戒心を抱きにくいタイプだな……。
金茶の髪色の人だった。
僕よりいくらか年上だろう。
にこにことした親しみやすい笑顔は、日中見かける表情とは遥かに異なっていた。
「……こちらを届けてからでも、よろしいでしょうか?」
「ああ、おっけーおっけー!」
グラスを見せると、人懐こい笑みが浮かべられる。
彼が僕の肩を押して、ユージーンさんの元へと進んだ。
……相手がユージーンさんって知られている辺り、色々と見られているんだろうなあ……。
「ベルナルドくん、おかえ……り、」
こちらを振り返ったユージーンさんが、背後の彼を目に留め、眼鏡を押し上げる。
ぱちぱち瞬いた彼が、困惑した様子で僕の顔を見上げた。
にっこり、後ろの彼が笑う。
「ユジンさん、ベルナルドくん借りてくぜ」
「は、はあ……」
心配そうにこちらへ目配せするユージーンさんへ、席を外す旨を伝える。
こくりと頷いた彼が、小さく手を振った。
後ろの彼に身体の向きをくるっと転換させられ、またしても背中を押される。
にこやかな声が、耳の近くで聞こえた。
「それじゃあ行こうか!」
ぐいぐいとした言動に調子を崩され、食堂を後にする。
いつまでも背中を押されては落ち着かないので、自分で歩くことを告げた。
またしても人好きの笑みを浮かべた彼が、今度は僕の手首を引く。
こっちこっちと明るく笑う姿に、つい警戒心が緩んでしまう。
連れて来られた先は、二階にある誰かの部屋だった。
ドアノブを掴んだ彼が、勢い良く扉を開く。
「ノア! 連れてきたぜ!」
「ありがとう、アイザック」
部屋にいたのは、今日、フロラスタ様からの平手打ちを代わりに受けてくれた青年だった。
あのときは無表情で平坦な声音をしていたけれど、今は柔和な様子をしている。
……仕事用と休憩用なのかな?
「急に呼び立ててすまない。きみに話がある」
「あ、いえ。……今日はその、ありがとうございました」
「構わない。適当に座ってくれ」
使用人用の二人部屋は、あまり広さを有していない。
手で示された室内には、座る場所が床かベッドか書き物机の椅子かくらいしか選択肢がない。
何処が正解なんだろうな……!
「もてなすのに向いてないよな、この部屋。こっち俺のだから、座っていいぜ」
金茶の髪色の彼が、明るく笑ってベッドに座る。
隣の箇所をぺんぺん叩く姿に、渋々従った。
浅く腰掛けた僕に、金髪の青年が紅茶を手渡す。
……毒とか入ってない? 大丈夫?
「改めて、俺はノア。彼はアイザックだ」
「よろしくな!」
「……ベルナルドです」
金髪の青年がノアと名乗り、金茶の髪色の彼をアイザックと指し示す。
にこにこ笑うアイザックさんは、ノアさんの淹れた紅茶を飲んでいた。
ぎこちない僕の挨拶に、ゆるりと目許を緩めたノアさんが、唇を開く。
「きみも知っての通り、俺たちはフロラスタ家の使用人だ」
「あ! だけど俺たち、穏健派なんだぜ。合わせて四人従者がいるんだが、俺たち全員結託しているんだ」
「どういうことでしょうか?」
無害を表明するように手を広げるアイザックさんに、疑問のまま問い掛ける。
ノアさんが言葉を続けた。少し険しい表情をしている。
「その前に、忠告を聞いてくれ。俺には元々、別に主人がいた」
「……鞍替えですか?」
「今のきみと、大体同じ状況だった」
自虐的な笑みを浮かべるノアさんの言葉に、思わず息を呑んだ。
隣のアイザックさんが、困ったように眉尻を下げる。
「あまりノアを責めないでやってくれ。ノアと、あとエドってやつも、無理矢理引き抜かれたんだ」
「フロラスタ家は公爵だからな。抵抗したところで、敵う家など限られている。俺も金と引き換えに売られた。エドのいたところは飼い殺しにあっている」
心臓を鷲掴みにされたような心地だ。
ノアさんの淡々とした声音が事実だけを述べているようで、呼吸が浅くなる。
冷え切った指先で、膝に置いたティーカップを抱え直した。
もしも彼等の言葉が事実なら、僕の存在は、コード家の足枷となっている。
「何故、そこまでなさるのでしょう?」
「さあな。おねだりの延長線上だろう」
「あの人、かなりの面食いだからな。金のかかる従者を四人も引き連れて、悦に入りたいんだろうぜ」
「……あなた方は、あの方を主人として見ていないのですか?」
おふたりの冷淡な声音に、忠誠がないのかと気になって尋ねる。
アイザックさんは大きく瞬いたあと、苦笑を深くした。
「叩かれるのは嫌だけど、羽振りがいいからな。金がたまったら、さっさと辞めて何処かへ行くつもりだ」
「俺の主人は、もういない」
「そう、ですか」
「幸い、きみの雇い主は爵位が高い。迂闊には手を出されないだろう」
彼等の言葉が重たくて、視線を俯ける。
ノアさんが表情を柔和なものへと整えた。
アイザックさんが人懐こい笑みを見せる。
「ノアは俺たちのリーダーみたいな人なんだ!」
「リーダー、ですか?」
「まとめ役のようなものを担っている。勤続年数が長いからな」
穏やかな微笑みを浮かべているが、彼の言葉の裏を読み取ることがこわい。つらい。
「先ほど穏健派と述べたが、俺たちはきみと協力関係を結びたい」
「……何度も申し上げていますが、僕はコード家の使用人を辞める気などありません」
「ああ、ちがうちがう。そんなんじゃなくてな」
「アイザック、席を外してくれ」
「ここで? あーまあ、いいけどさ。ノア、説明に困ったら呼ぶんだぞ」
「心配性だな」
「あんた口下手だからな」
ベッドから立ち上がったアイザックさんが、ティーカップを片手にひらりと手を振る。
そのまま本当に退室してしまった様子に困惑した。
あからさまに視線をさ迷わす僕に、ノアさんが苦笑する。
「大丈夫だ。取って食ったりはしない」
「それはまあ、そうでしょうけど……」
「便宜上、俺たちの雇い主を上と称する。あれは口が軽い。今度の案件で、きみの雇用先が潰えるのだと思い込んでいる」
「っ、……やはりですか」
先ほどまでアイザックさんが座っていた場所に、ノアさんが腰を下ろし、小声で囁く。
想定していた通り不謹慎なことを考えられていたようで、胸の中が悪くなった。
それに会議で知り得た情報を、迂闊に話しちゃだめなんだよ!
守秘義務っていう、難しい約束事に違反しちゃうんだよ!
「それで、殿下と僕に声をかけているのですか?」
「うん。自分のものになるのだと、信じて疑っていない。きみの強固な態度に余裕を持てるのも、先がないと思っているからだ」
「……迷惑甚だしいです」
「だろうな」
「……協力とは、一体何を得て、何を貢献することですか?」
「俺たちはきみが上の被害……主に身体的な罰則に触れないよう、気を配ろう。きみは今度の案件で、きみの主人を守ってほしい。具体的には、生存の確定」
「あの、ノアさんって、結構独特なお話の仕方をされるんですね」
「……よく言われる」
正面を向いたノアさんが、苦い声を出す。
生存の確定かー……。
つまりは、お嬢さまと坊っちゃんを、お怪我なくお守りすればいいのかな?
当然僕はそのつもりで動いているし、それを条件にされても、何ひとつ痛くないけれど。
けれども、何故フロラスタ家所属のノアさんたちが、コード家のご子息ご令嬢を気にかけるのだろう?
完全な敵対関係にあるのに。
「それは、今日のように、ノアさんたちが身代わりになられる、ということですか……?」
「そうなるな」
「何故そこまでして? あなた方のメリットは?」
「さあな。今のきみに明かせることは、俺はアイザックの夢を応援していることだ」
どういうことだろう?
首を傾げる僕を柔らかく見詰め、立ち上がったノアさんが、僕の手からカップを取った。
……結局一口も口をつけることはなかった。
その、ごめんなさい……。
「警戒心があることはいいことだ。俺たちが信用出来ないうちは、ここで提供される飲食物を口にしない方がいい」
「……はい」
「考えが決まったら、声をかけて欲しい。あまり長くは待てないが、寮内であれば自由も利く。呼び立てて悪かったな」
促されるまま立ち上がる。
ノアさんが開けた扉に合わせて、廊下へ出た。
振り返った先の彼が、やんわりと目許を緩める。
……アイザックさんは何処か別の場所へ行ったらしい。姿が見えない。
ノアさんへ頭を下げてお礼を告げ、階段の方へ脚を動かした。
……不思議な人だったし、不思議な提案だった。
坊っちゃんとヒルトンさんへ報告して、それからどうするか考えよう。
……裏に何があるのかわからない。
知らず、何かの片棒を担がされそうだ。
そもそも、フロラスタ様との接触を制限できたらいいのになあ。
うう、無理か……。
あの人の狙いは、お嬢さまのいらっしゃる地位だもんな。
リヒト殿下のご婚約者様という称号と、僕を自身の配下に置きたい。
……何でそこまで僕にこだわるんだろう?
フロラスタ様の従者は、四人とも金色っぽい髪色をしている。
僕の毛色は黒だ。
言っては何だが、好みの外ではないか?
ふと顔を上げると、廊下に人が立っていることに気付いた。
誰かの部屋を訪問しているらしい。
ノックのために伸ばされた腕が、躊躇った末に下ろされる。
「あれ? ノエル様?」
「ッ、せんぱい」
僕の呼びかけにびくりと震えたのはノエル様で、こちらを向いた彼は、顔色が悪かった。
……それにそこ、僕の部屋だ。
ここしばらくめっきり帰っていないから、場所さえも曖昧になってきている……。
「どうかされましたか? お顔色が優れないようですが……」
「……っ、……いえ、……なんでもありません」
何かを言いよどんだ彼が、俯いて踵を返す。
階段の方へと行ってしまった後姿に、首を傾げた。
ご用事じゃなかったのかな……?
不可思議な心地のまま懐中時計を引っ張り出して、慌てて閉じた。
うわあ!? いつも以上に時間が過ぎてる!!
ごめんなさい坊っちゃん、リヒト殿下!
すぐにお仕事へ向かいます!!
*
結局、ノアさんたちの提案を受けることにした。
僕が引っ叩かれたことにより、お嬢さまとリヒト殿下のお顔から、表情が消えたことが切っ掛けだ。
目の当たりにしてしまったそれに、何故だか被害者の僕の方が震えてしまった。
珍しく冴え渡った僕の第六感が、このままでは危険だと訴えている。
リヒト殿下は壁ドンの悪夢や、僕の怪我への過剰反応など前例があるが、お嬢さまの場合は、全く想像がつかない。
けれども明らかにお怒りになられている。
お嬢さまの目が据わってらっしゃる……!
初回のギルベルト様への態度よりも、危険なものを感じる……!
「ノアさん、先日のお話ですが、お受けいたします」
「うん。思っていたよりも早かった」
だって、生きて日の目を見たいじゃないですか。
薄く笑ったノアさんが、右手を差し出す。
少し躊躇ってから、右手を合わせた。
握られたそれが、一度大きく振られる。
「よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ノアさんは微笑んでいるけれど、彼等の交換条件は身代わりだ。
可能ならば避けたい。
誰かが暴力を振るわれていいなんて、そんなこと思いたくない。
幸いな点は、僕たち対立戦参加者は、授業が免除になることだろう。
訓練場は関係者以外の立ち入りが制限されるため、フロラスタ様との遭遇率も下がるはずだ。
このときの僕は、『スポンサー』という形で、フロラスタ家が関わることを知らなかった。
頻繁に顔を出すご令嬢に、精神的なものがごりごり削れていく。
日を追うごとにお嬢さまのお顔から表情が失われることが、最も恐ろしかった。
教官が追い出してくれるけれど、やっぱりスポンサーの力は大きい。
武器の調達にもお金。
訓練に用いられる道具にもお金。
その他移動費、宿泊費、諸々の雑費。
とにかくお金がかかる。
でもだからって、他に出資してくれる貴族はいなかったの?
防衛しないと滅ぶのに? ええっ、うっそだー。
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