05

「他人のお金で経済を回しましょう!!」

「ベル、落ち着いて」

「うわーん! もうやだー! おじょうさまーっ、おじょうさまー!!」


 リヒト殿下のお部屋で、盛大に駄々を捏ねる。


 あんまりだと思う!

 これはもう、尋常じゃない金額を浪費しなければつり合わないくらいの精神的被害を受けた!

 僕への賠償金だ!


 ソファに突っ伏して、めそめそ両手で顔を覆う。

 困り顔のリヒト殿下が僕の前に屈み、頭を撫でた。


「だって、ろくにおじょうさまとお話すら出来ないんですもん! 僕がお嬢さまに近付いた瞬間、戦いのゴングが鳴り響くんですもん! 何度ノアさんの頬っぺたが引っ叩かれたことか! わああんっ、ごめんなさいノアさん……!!」

「うん、ベルは悪くないよ」

「それでもおじょうさまとお話したいんです! わーんっ、おじょうさまにお会いしたいですー! おじょうさまー!! おじょうさまのお声が聞きたいよー!」

「そうだな……」


 届かないとはわかっているけれど、叫ばないと僕のフラストレーションがどうにかなりそう。

 えぐえぐっ、嗚咽が漏れる。


 ちなみに壁を殴ったら、殿下に全力で止められた。

 大袈裟なくらい手当てをされて、懇々と修繕費についてお話を受けたので、二度としない。


 困ったように考え込んだリヒト殿下が、ぱっと表情を明るくさせた。

 ずいとソファに頬杖をつく。


「そうだ! ベル、ミュゼットに手紙を書いたらどうかな?」

「リヒトさま、天才です」

「えへへ、ありがとう。ぼくも書こうかな。ぼくも迂闊に近付けないし」

「他人のお金で経済回す……」

「落ち着いて。不正扱いになると厄介だから、ね?」


 くっ、制約がいろいろと厄介だ……。

 ギリギリのところを狙うしかない。


 大人しく頷いて、便箋の用意に席を立つ。

 戻ってきた僕の手許を見て、リヒト殿下が笑顔を引きつらせた。


「ねえ、ベル。何枚書くつもり?」

「お嬢さまとお話出来なかった日々の思いを詳細に、一日ずつ」

「うん。ミュゼットが訓練場で紙の束を抱えていたら、誰でも手紙のやり取りしてるって気付いちゃうよ? 妨害されたら困るでしょう?」

「くっ、致し方ありません……!」


 テーブルに便箋の束を置き、口惜しいと歯噛みする。

 苦笑を浮かべる殿下が右手を差し出した。

 その手へ万年筆を手渡す。彼が目許を緩めた。


「ぼくも一枚書くから、ベルも一枚だけ。分厚くなるだけ、ミュゼットに不利だよ」

「……はい」


 僕の主人なのに、こんな密書のようなやり取りをしなければならないなんて……。


 しょんぼり落ち込んだ心地でペンを走らせ、はたと気がついた。


 そうだ! 遠回りだけど、ポストを経由してお嬢さまにお手紙を書こう!

 それならご迷惑にならない!


 手渡し用の簡素なお手紙と一緒に、封筒に収められる容量で、別にお手紙を綴る。

 封筒には念のため、ハイネさんへ送るときのように、適当な名前を記した。

 切手を貼って完成させる。


「えへへ。明日の朝一番に投函して参ります!」

「うん、ミュゼットも喜ぶよ」


 嬉しそうに殿下も微笑まれる。

 本当は今すぐにでもポストへ向かいたいけど、外出禁止の時間帯だ。

 無理を言うわけにもいかない。


 ヒルトンさんへの報告書も書き上げ、封をする。


 坊っちゃんのご提案であった、ご家族の親睦会では、旦那様は大変憔悴されたお顔をされていた。


 順に僕たちを抱き締め、「すまない」と謝罪を口にされていた。胸が苦しい。

 奥様もおつらそうなお顔で、「わたくしたちは、ともにあります」と励ましてくださった。


 ヒルトンさんも、つらそうだった。

 呼び出された養父の部屋で、言葉もなく抱き締められたときは、僕の方が泣きそうになった。

 だから、必ず全員無事に生還しないといけない。


「……あ、あれ? リヒト殿下、僕、今、すっごく無作法働いてますよね……?」

「うん? そうかな?」


 心情が落ち着いたことで、現状を振り返る余裕が生まれた。

 にこにこ、殿下は笑っている。


 そうかなって、雇用主と一緒にソファに座って、仲良くお手紙書いてるよ!?

 もうちょっと遡れば、雇用主の前で駄々捏ねていたよね!?

 わ、わあっ、どうしよう……!


「あれ? もうお仕事モードに戻っちゃうの?」

「た、大変失礼いたしました……!」

「ぼくしかいないから、いいのに……」


 リヒト殿下が残念そうなお顔をされるが、慌てて立ち上がって、速やかに控える。

 首をぶんぶん横に振って、非礼を詫びた。


 リヒト殿下は王子殿下なんだって、僕は何度認識して、何度忘れ去る気なんだろう……!




 *


 例年通りであれば、街中が星祭りで浮かれる頃。

 対立戦の予定が発表された。


『星降りの月の天気雨の日』


 曖昧で伝承的な日取りは、厳密な日時を全く明かしていない。

 それでも僕たち対立戦参加者は、馬車に乗せられ、いわくの地へと送り出される。


 街路を騎士団によるパレードが列を成し、紙吹雪と花びらが宙を舞う。

 鼓笛隊が高らかに行進曲を奏で、押しかけた人々が喝采を上げた。

 天使の紋の描かれた連続旗が、青空に映える。


 このパレードはカモフラージュであり、僕たちは参列していない。

 無用な混乱を防ぐためだ。


 今日よりだいぶん前に、一同揃って国王陛下より勅命を奉じた。

 王城にて行われたそれに、震えそうになったことを覚えている。

 初めてお顔を拝した国王陛下は、温度のない目をしていて、それが余計に恐ろしく感じられた。

 何処かで、リヒト殿下のような温和な方を想像していたのかも知れない。


 傅くリヒト殿下は凛としていて、応答も淡々とされていた。

 ただ純粋に命令を受けるだけの姿勢に、彼の放った『ぼくの敵は陛下だよ』の言葉が脳内を回る。

 父子とは、親子とはなんだろうか。


 リヒト殿下を絶対に死なせない。

 勿論お嬢さまも、坊っちゃんも。

 みんなで生きて帰ろう。



 大通りを逸れるように、フェリクス教官が先頭を歩く。

 最後尾をノイス教官がまとめ、華々しい演奏と歓声を背後に、Aクラスの面々が緊張した面持ちで大通りから遠退いた。


 ふと、前を歩かれるお嬢さまの御髪に、白い花が乗っていることに気がついた。

 心持ち早足でお嬢さまへ追いつき、小さく声をかける。


「お嬢さま、御髪に花が」

「ありがとう、ベル。あら、アジサイね」


 こちらを振り返ったお嬢さまが微笑まれ、僕の手からひとりぼっちになったアジサイを受け取られる。

 大切そうに手のうちに包み込まれたそれに、記憶を掘り起こした。


「白いアジサイって、学園の何処かのお庭に咲いていましたよね」

「ええ、中庭ね」


 軽やかに微笑んだお嬢さまが、ご自身の御髪からヘアピンを抜かれる。

 こちらへ伸ばされたそれが、僕の髪に白い花びらを留めた。

 ……複雑な胸中に陥ってしまう。


「ふふっ、似合っているわ」

「……ありがとうございます……」


 全く嬉しくありません、おじょうさま……。


 ご機嫌そうにお嬢さまが列へ戻られる。

 馬車へ着いた頃、何ともいえない顔をした僕の頭に留められた白い花に、神妙な顔をしていた一同が噴き出した。


 若干呼吸困難気味で「兄ちゃん、似合ってるぜ」と笑ってくれたエンドウさんのことを、僕は忘れない……。

 みんなが元気になってくれて嬉しいけれど、「今度花冠買ってあげるね」と笑い上戸を発揮させたリヒト殿下のことも忘れない。

 何処からともなく花を調達してきて、頭の花を増やしてくれたクラウス様のことも忘れない。


 みんな、僕のことをおもちゃにし過ぎじゃないかな?

 緊張が解れてよかったね……!




 *


「ノイス教官。ここ、宿というより古城ですよね」

「そうだな。私も驚いている」


 目の前にそびえる、石造りの建物に戦慄する。

 濃紺の屋根と尖塔の印象的な『宿』は、大変伝統的な造りをしていた。


 呆気に取られたように眼鏡を押し上げたノイス教官が、フェリクス教官へ振り返る。


「フェリクス。本当にここで合っているのか?」

「ああ」

「……どうやら私と彼の間に、認識の不一致があったようだ」


 短く嘆息したノイス教官が、門前にいる壮年の男性へ話しかけた。

 恐らくは制服だろう、気品ある服装をしている。


 きいきい錆びついた音を上げながら、鉄門が開かれた。

 恭しく頭を下げた男性に促されるまま、教官が古城の敷地内へと足を踏み入れる。

 肩越しに振り返った彼女が、来いと仕草で手招いた。



 領地と王都しか知らない僕は、他の土地へ行ったことがない。

 馬車に揺られて、いくつかの街を経由した三日目の昼に、ここ、名前のない町へと到着した。


 この間、フロラスタ様がいないことをいいことに、『他人のお金で経済を回す』と繰り返し訴えた。

 宥められるだけで、叶えてもらえなかったけど……。残念だ……。


 静かな町並みには人の気配が少なく、閑散とした印象を受ける。

 頭上は快晴で、『星降りの月の天気雨』を降らせる気配も見せない。


 きょろきょろと忙しなく辺りを見回す一同の点呼を取ったあと、ノイス教官に連れられるまま『古城』へとやってきた。



 宿と銘打つだけあり、古城の中は清潔に整えられていた。

 門前にいた男性と同じような制服を着た受付の女性が、微笑とともにノイス教官へ鍵を差し出す。


 ボードに名簿を挟んだ教官が、ふたりずつ名前を読み上げた。

 真鍮製のタグのついた鍵を、各組へひとつずつ渡していく。


 僕はクラウス様と同室で、坊っちゃんはノエル様と同室だ。

 お嬢さまは三年生の先輩とご一緒される。

 リヒト殿下、エリーゼ殿下、エンドウさんは一人部屋だ。


 リズリット様がフェリクス教官と同室な辺り、警戒具合が凄まじい。

 リズリット様、がんばって……。


「ええー。俺、本当にフェリクス教官と同じ部屋なの!?」

「ジルと変えられるが?」

「わ、わーい! フェリクス教官と一緒の部屋だー!」


 淡々としたフェリクス教官の提案に、涙を浮かべたリズリット様が僕に抱き着く。

 ぽんぽん、彼の背中を叩いて宥めた。


 この遠征だが、戦闘に関わる人数の他に、生徒の使用人がついている。

 忘れてはいけないが、彼等のほとんどは貴族だ。

 多分、僕とエンドウさんくらいじゃないかな? 一般の生徒って。


 そのため、坊っちゃんとリヒト殿下から鍵をお預かりし、一足先にお部屋を調えに向かった。

 ……僕の荷物は、ありがたいことにクラウス様が届けてくださる。

 置いていて構わないとお願いしたのだけど、ウインクとともに軽々と運ばれてしまった。


 坊っちゃんのお部屋を開けるに当たり、ノエル様と同道する。


 ノエル様がご自身で荷物を運んでいる様子に、これまで疑問だった使用人の有無についての事情が解決された。

 あれ? でもノエル様の家って、伯爵家だったような……。

 いくら三男でも、使用人のひとりくらいつけるよね……?


 内心首を捻りながら、部屋番号を確認する。

 階段でも、鍵を回している間も、ノエル様は静かだった。

 何となく不気味に感じるそれに、やはり首を傾げながら扉を開ける。


 ……こじんまりとはしていたけれど、清潔感のある部屋だった。

 そういえば、フロラスタ様の件に振り回されていたからか、ノエル様から話しかけられることって、なかったような。


「ノエル様、どちらのベッドがよろしいですか?」

「…………」

「ノエル様?」

「……っ、……何ですか?」


 はっとしたような声に振り返ると、ノエル様は非常によろしくない顔色をしていた。

 思わずぎょっとしてしまい、鞄を下ろして彼の額に手を当ててみる。

 丸くなった緑色の目が、即座に俯けられた。


 そのまま僕の横を通り過ぎ、片方のベッドにどさりと転がる。

 無造作に手放された鞄が、鈍い音を立てた。


「ノエル様? 具合、悪いんですか?」

「別に。……寝るんで、起こさないでください」

「……お水いただいてきますね。鍵、お預かりします」


 リヒト殿下の鞄だけを持って、廊下へ出る。

 急ぎボトルとグラスをもらって戻ると、ノエル様は変わらぬ体勢でベッドにいた。

 いくら半袖の季節とはいえ、何かかけないと風邪引くよ!?


 空っぽに等しいクローゼットを開けて、ブランケットを探し出す。

 手触りや広げた状態を確認して、大丈夫そうだったのでノエル様にかけた。

 ぴくりとも動かない彼はこちらに背を向けているので、本当に寝ているのかもしれない。

 極力音を出さないように、坊っちゃんのお荷物を解いた。


 よし! 坊っちゃんお荷物少ない!!


 あっさり終わってしまった整備に、ちょっとだけ空しい心地を抱く。

 鞄の重量からして軽かったもんなあ。

 ベッドにリネンウォーターを散布したくらいかなあ。


 ノエル様に起きる気配はなく、鍵の所在について思案した。


 ……お部屋の大体真ん中に置かれたテーブルに、備え付けのメモ用紙でお手紙を残す。

 お水のボトルと、ふたつのグラスも卓上に、鍵をかけて坊っちゃんの元へと向かった。


 ノエル様

 お加減いかがでしょうか?

 お水をいただいてきましたので、よろしければお飲みください。

 鍵はかけて、坊っちゃんにキーをお渡ししています。

 ちょっと肌寒い地域のようですし、お腹を出して寝られませんように。

 お夕飯の時間までによくなっているといいですね。

 ベルナルド

 』

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