02
時刻はお昼時。
お嬢さまは大変お疲れだった。
無理もない。お嬢さまは作戦上、とても重要な位置にいらっしゃる。
同時に五つの防護壁を生成し、連続して治癒の魔術を維持しなければならない。
そのお身体にかかるご負担は、相当なものだ。
代われるものなら、代わって差し上げたい……。
お嬢さま、お労しいです……!
事件が起きた場所は、食堂だ。
コード公爵家は、立場上敵が多い。
旦那様は宰相閣下のお気に入りでもあり、そして昨年の収穫祭では、功労を讃えられた。
更にはお嬢さまは、リヒト殿下のご婚約者様であらせられる。
味方も多いが、敵視する貴族も勿論多い。
所謂勢力争いと呼ばれるそれは、交流会などに付き添うことのない僕にとっては、水面下のものだと思っていた。
お嬢さまへ向けて振り被られたグラスから、水が飛び出す。
宙を舞う水流は咄嗟のもので、流動するそれの影を押さえ込むことは、中々難しかった。
お嬢さまは既にお席につかれていらっしゃり、身動きが取り難い。
何とか影を固定して、瞬時に前へ飛び出した。
ぱしゃん! 音がした。
ううっ、冷たい……。
「ベル!?」
「兄ちゃん、大事ないか!?」
「ごめんなさぁい。地味過ぎて見えませんでしたの」
お嬢さまとエンドウさんの驚かれるお声に、高飛車な声が被る。
何処かで聞いたことのあるようなそれは、顔を確認したことで、誰だか判明した。
金の巻き毛の女生徒。
冬の舞踏会のときに、僕にちょっかいかけたあの人だ……!!
取り巻きのご令嬢と何人かの従者を連れた彼女は、高圧的な態度で不敵に笑っていた。
数人のくすくすとした忍び笑いが耳に障る。
「……お嬢さま、ご無事ですか?」
「わたくしは大丈夫よ。それよりベルが……っ」
「濡れただけです。お嬢さまがご無事で、何よりです」
騒動を起こすなんてご免だから、ぐっと言葉を飲み込んで耐える。
それよりお嬢さまだ!
ぱっとご様子を確認すると、どうやらお言葉通り、水は避けられたようだ。
よかった。お嬢さまがご無事で、身体張ってよかった!
おろおろとされたお嬢さまが、ハンカチを取り出される。
丁寧な仕草で、僕の顔や髪を拭ってくださった。
お優しい。お嬢さま、この程度大丈夫です。
どうかお心を痛められないでください!
「あー! この人、あの傲慢お嬢さんだ!!」
「まあっ、何て口の利き方ですの? これだから弱小貴族は。教育がなっていませんわ。コードはどんな教育をしてきましたの?」
「ミュゼットちゃん家は関係ないよ!」
立ち上がったリズリット様がご令嬢を指差し、大きな反応をする。
対するご令嬢は金の巻き毛を右手で払い、蔑んだ目でため息をついていた。
は、腹立つ……!
でもやめてー! ただでさえ注目浴びてるから!
食堂で争わないでー!!
クラウス様がリズリット様の腕を引っ張った。
むっとした顔で、けれどもリズリット様が口を噤む。
ご令嬢が大袈裟なまでに呆れた仕草を取った。
「全く。このような輩と親しくするなんて、コードの程度も知れていますわね」
「ローゼリア様。今後は後ろに控えておられる、見目麗しい従者方に水を運んでいただいては如何でしょうか。あなた様には重荷のようです」
「数が足りませんの。ねえ、あなた。わたくし、いつまでも待てませんの。早くお決めになってちょうだいな」
お嬢さまを背に庇う僕の顎を、人差し指でくいと引き寄せ、ローゼリア様と呼ばれたご令嬢が笑う。
取り巻きの黄色い歓声が鬱陶しい。
努めて無表情と無音を返し、さり気なくかわして姿勢を正した。
……怒っちゃだめ。
お嬢さまとリズリット様が公衆の面前で愚弄されたけど、怒っちゃだめ……!
「では、ごめんあそばせ。良い昼食を」
にこりと優雅に微笑んだご令嬢が、足音高く奥のテーブルへと進む。
殺気立つ胸中を何とか宥めて、アーリアさんへ目配せした。
僕と同じく表情を消した先輩が、目礼する。
――二度とお嬢さまに、コード家に歯向かえないよう、整地しよう。
僕とアーリアさんの心がひとつになった。
「むっかつく、あの人」
「やめとけリズリット。あのご令嬢、フロラスタ公爵家の愛娘だぜ」
「公爵だったら、ミュゼットちゃんの方が断然かわいいよ! 俺、あの人きらい!」
「おっかねぇ嬢ちゃんだなあ。お嬢さん、兄ちゃん、大丈夫かい?」
「ありがとうございます、リズリットさん、エンドウさん。わたくしなら、大丈夫ですわ」
「平気です」
苛々と怒りを露にするリズリット様を、クラウス様が宥める。
なるほど、氏名は手に入れた。
あとでアーリアさんと作戦会議だ。
健気に微笑まれるお嬢さまに、胸が苦しくなる。
今日この場にいる人は、お嬢さま、クラウス様、リズリット様、エンドウさん。
そして僕とアーリアさんだ。
ノエル様対策が発端だったが、そもそも坊っちゃんは食堂が苦手なので、一度もお顔を出されたことがない。
違う場所で、お弁当を召し上がられている。
ノエル様は、そんな坊っちゃんに引き摺られているらしい。
ノエル様がいると、大人数を避けられるからとかなんとか。
ギルベルト様も、そこに便乗したりしなかったりするそうだ。
ノエル様って、一体……。
どうやらフロラスタ公爵家のご令嬢は、リヒト殿下やエリーゼ殿下がいらっしゃらない日を狙ったらしい。
この場に足りない人は、両殿下と、ときどきギルベルト様だ。
……権力者のいないときを狙うなんて、何とも狡い。
「ベル、わたくしなら大丈夫よ。風邪を引いてしまうわ。着替えてきて」
「……畏まりました。お目汚し失礼致しました」
「ベール、アーリアも。顔! リズリット、お前も! 全く、ちょっとは表情隠せよ」
「……申し訳ございません」
「だってぇ……」
クラウス様の苦笑に頭を下げ、立ち去るために一歩脚を下げる。
膨れ面のリズリット様が、パスタをフォークに絡めながら、唇を尖らせた。
「あの人、俺が貴族だって、わざわざ調べてるんだよ? 俺、家名公開してないのに」
*
「アーリアさん。どうやって血祭りに上げましょう」
「計画的に行きましょう。相手は権力者です。着実に追い詰め、より長くこの世の地獄を味わわせましょう」
「了解しました」
「お前たちは、いつもそんな物騒なことを話し合っているのか……?」
頭痛に耐えるようなお顔で、坊っちゃんが米神を押さえられる。
アーリアさんと顔を見合わせた。
ちなみにここ、学内にある談話室のひとつだ。
内容が内容なので、坊っちゃんにお立会いを願った。
お嬢さまはリズリット様たちとご一緒に、訓練場へ戻られている。
このようなお話、お耳に入れるわけにはいかない。
「……それで、どうして俺までいるんだろーな?」
頬杖をついたクラウス様が苦笑されている。
笑顔が若干引きつっているが、それでも爽やかだ。
にこり、体裁を整えた笑みを向ける。
「クラウス様は、色々とお詳しいので」
「さいで」
「まずはフロラスタ公爵家についてお伺いしたいのですが」
にっこり、笑顔を保つ。
顔色を悪くさせたクラウス様が、僕の淹れたお茶をお手に取った。
「まあ、あれだ。金持ちだ」
「はい」
「あの通りミュゼット嬢と年が近いだろ? 家も公爵家で、色々張り合ってるんだろうさ」
「その話は当主から聞いている。フロラスタ家は何かと突っかかってくるから、注意しろと指導を受けた」
「なるほど。闇討ちですね」
「待て待て待て待て」
にこにこ! 笑顔で気合いを入れるも、クラウス様に止められてしまった。
……やはり短絡的過ぎましたか。
もっと論理的に具体的な案を持って攻めようと思います。
「リボンの色が松葉色でしたね。三年生ですか」
「ああ。だから余計に気に食わねーんだろうな」
「なるほどな。それでリズリットの個人情報を調べてまで、粗探しをしているのか」
坊っちゃんが考え込むように顎に手を添えられる。
リズリット様は、ご本人様のご要望により、家名の公表を控えられている。
コード家に身を置くそのお立場も、居候や使用人に近い。
学園内では、名しかない彼は、一般生徒として見られていることだろう。
調べない限り、リズリット様の本家が貴族であるなんて、知りようがないはずだ。
僕へのしつこい勧誘も苛立ちのひとつだ。
がるるるるっ、心の中がささくれ立つ。
「……僕なら、義姉に悪評が立つよう、噂を広めるな」
「腹黒いな、その発想」
ぽつりと呟かれた坊っちゃんのお言葉に、胸中が冷える。
クラウス様が呆れ顔をしているけれど、不安の芽は存外に大きいのかも知れない。
お嬢さまは設定上、悪役の立場にいらっしゃる。
ゲームヒロインを蔑み、最後には処刑されてしまう。
もしも嫌がらせの冤罪を受けてしまったら?
お嬢さまの身の潔白の証明に、使用人の言葉は使えない。
「……万が一そのようなことが起きた場合、どのように撤回すれば良いのでしょうか?」
「火のないところに煙は立たない。根も葉もない噂は空虚だ。高潔にしていれば、そのうち廃れる。潰して回る方が不審だ。事実無根であるなら、放っておけ」
「まあ、精神的にはくるだろうけどな。とりあえずは、ミュゼット嬢がひとりにならないよう、これまで通り護衛してればいいんじゃねぇか?」
坊っちゃんとクラウス様のご助言に、アーリアさんへ目配せする。
……鬱憤は募ったままだ。
とても悲しいし、遣る瀬ない。
けれども、僕たちが勝手な行いをすれば、コード家にご迷惑をおかけしてしまう。
苦渋の顔で、アーリアさんが頭を下げた。
「……畏まりました」
「ベルとアーリアが怒るのも無理はねぇけどな。ま、訓練中は安全だろ。件のご令嬢は、Aクラスじゃねーしな」
「……はい。……お話をお聞きくださり、ありがとうございます」
「ははっ。じゃあ戻ろうぜ? リズリットより、アーリアがついてる方が安心だろ?」
「承知いたしました」
席を立つクラウス様に、アーリアさんが礼をする。
片付けは僕が行うことを告げ、先輩には先に戻ってもらうことにした。
クラウス様と一度お別れし、後片付けを始める。
「坊っちゃん? お戻りになられないのですか?」
「少し気になったことがある」
部屋に残られた坊っちゃんが、扉を一瞥する。
閉まっていることを確認し、彼が潜めた声量で囁いた。
「僕ならこうするという前提で聞いてほしい。
対立戦で、どれだけの金銭が動くのかは知らないが、戦争である以上金はかかる。件の家は金持ちだと言っていたな?」
「公爵家ですし、クラウス様はそのように……」
「なら、相手は金で恩を売るだろう。うちは生憎と節制を強いられている。今回の会議も臨時だ。金がかかり過ぎている。そして当主はふたりの子どもを差し出している。今後の保険が必要だ」
坊っちゃんのご指摘に、はっとする。
旦那様は子煩悩なお方だ。
コードの名を持つお子がおふたり、コード家所属の子どもがふたり、合わせて4人の子どもを失う危険に晒されている。
「義姉さんもそうだが、当主と代理にも気を配った方がいい。僕たちが潔白であったとしても、家の不祥事は連帯責任だ」
「……はい」
「今日が会議だと言っていたからな。口の軽い家なら、明日には吹聴して回るだろう。
それをリヒト殿下がどう見るかは知らないが、わざわざ渦中に身を置く必要はない。食堂の利用を控える方がよくないか?」
「提案します」
僕たち護衛は、混乱を想定して動いている。
もしも大衆が混乱すれば、少数で抑えることなど不可能だ。
それに今日のようなことで、お嬢さまにご不快な思いをさせたくない。
会議を甘く見ていた……。
そっか、意地の張り合いとかもあるんだ……。
「義姉さんについてだが、猜疑心は孤立から生まれる。孤立さえしなければ大丈夫だろう。一先ず、リズリットを含めて、週末に別邸へ帰還するぞ」
「はい。旦那様も奥様もお喜びになられます!」
「そのくらいだろうか。……思いついたら、また知らせる」
僕の腕を手の甲で小突いた坊っちゃんが、とすりと椅子に座られる。
目線で促されたそれは、片付けの終了を待ってくださるらしい。
急いでお片付けを済ませます!!
坊っちゃんとクラウス様にご相談してよかった!
だいぶん冷静になれた! アーリアさんにも伝達しよう!
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