息を止めるまでの時間

 僕はこの世界の根本を、乙女ゲームだと思っていたけれど、実は戦略ゲームの間違いじゃないのかな?


 エリーゼ様の作戦を受け、僕たちの活動方針が定まった。

 それぞれがバディごとにわかれ、訓練を行っている。


 僕はクラウス様と。

 坊っちゃんはギルベルト様、ノエル様と。

 お嬢さまはアーリアさんを傍につけ、防御壁と治癒の魔術に取り組まれていらっしゃる。


 リズリット様は、お嬢さまといたり、僕たちといたり、色々している。

 調子も戻られたようで、教官からの呼び出しにも元気に従っていた。

 単独行動の指示が出ているエンドウさんも、僕たちといたり、自由にしている。


 リヒト殿下とエリーゼ様は会議へ向かわれたので、ここにはいらっしゃらない。


 今朝方、おふたりをお見送りした。

 おふたりとも、会議がお嫌だったらしい。

 リヒト殿下は、昨日の夜からむうむう言われている。

 今朝は今朝で、僕に同行を誘ってきたのだから、勿論お断りした。

 何て恐ろしい提案をされるんだ、殿下!


 馬車でエリーゼ様と合流した後は、おふたりが意気投合しだした。

 あろうことか僕を馬車内へ引き摺り込もうとされるのだから、とても困った。

 勿論冗談の一環だったけれど、必死に「これ誘拐って言うんですからね!!」と訴えて、離してもらった。


 何より、両殿下が向かわれる会議って、旦那様が緊急招集された、あの会議のことだよね?

 あんな胃の捻じ切れそうな空気、断固としてごめんだから……!!

 あの旦那様ですら、へとへとになられるんだから!




「――一先ずはこんなもんか?」

「おう。兄ちゃんら、おつかれさん!」


 クラウス様と手合いを終わらせ、ふと息をつく。

 離れていたエンドウさんが、快活な笑みとともにこちらへ歩み寄った。


 何だろう、クラウス様とエンドウさんが並ぶと、爽やかさが二乗で更に眩しい……。

 思わず目許に手をかざした。


「ベル、どうしたんだ?」

「ミントアクアと、ミントフォレストの香り……」

「ははっ、爽やかだねぇ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて、エンドウさんが僕の頭を撫でる。


 わしわしとするそれが何だか……あっ、髪が乱れる!

 クラウス様、そんな愉快そうに笑わないでください!


「もうっ、僕同年なんですから! 子ども扱いはやめてください!」

「わりわりぃ。兄ちゃんキレイな顔してんだが、なんかこう、犬っぽさがな」

「犬!?」

「散歩待ちでリードくわえて、尻尾ぶんぶん振ってるタイプの」

「あー。ベルの尻尾、いつでも千切れんばかりに振られてるもんなあ」

「幻覚です! やめてくださいっ、確かに忠犬目指していますが!!」

「よしよし。今度クッキー買ってやるからな」

「わーい! って、ちがうっ!!」


 満足気に微笑んだふたりが、直後には普通に「調子どうだ?」「おう、順調だ」話を始める。

 つ、つらい……! 恥ずかしい……!!

 この弄ばれた感じ!!


「先生さんに色々聞いてみたんだがな。とりあえずは稽古つけてもらってるわ」

「エンドウは単独だったよな? 殿下がいりゃあなあ」

「はは、仕方ねぇぜ。王子の兄ちゃん、忙しいからな」

「それでも、どっかで打ち合わせしとかねーとだろ」

「ちげぇねえ」


 ……クラウス様とエンドウさんが揃うと、何だろう。

 下町の大衆食堂みたいな空気が溢れてくる気がする……。


 ナイフとフォークとかじゃなくて、サバ煮込み定食とか、うどんとか、そういう親しみやすい何かを感じる……。


「ベルはどうだ?」

「わあっ!? 何がでしょうか!?」

「おう? 考え事かい?」


 から揚げは、塩かしょうゆかを考えていたところで声をかけられ、過剰に肩が跳ねてしまう。

 微笑みとともに小首を傾げるクラウス様とエンドウさんは、花でも背負っていそうなほどに整った顔立ちをされているのに、どうしてこうおっさ……げふんげふん!


 失礼いたしました。


「ああっ、その、新しい術の練習について考えていまして……!」

「ほう! どんなだ?」


 エンドウさんが、興味深そうに身を乗り出す。

 苦笑を浮かべるクラウス様は、散々練習にお付き合いいただいたので、既にご存知だ。

 えへへと笑って、エンドウさんと向き直る。


「僕の目を見てくださいね」


 真っ直ぐに目を合わせながら一言告げ、瞬きする。

 エンドウさんはぴたりと動きを止めたまま、二秒ほどの時間が流れた。

 はたと瞬いた若葉色の瞳が、訝しげに細められる。


 緩く頭を振ったエンドウさんが、不可思議そうな面持ちで顔を上げた。


「……何だい? 今のは」

「一瞬の転寝状態です」

「は」

「ざっくり説明すると、意識と行動を一時的に阻害しています」

「こえぇな!?」


 ぎょっとしたお顔で腕を擦ったエンドウさんが、僕から距離を取る。


 ふふん、どうだ!

 効果時間すっごく短いけど、僕の攻撃手段は暗殺術だから、間合いで二秒もあれば充分なんだ!


「まあ、これの攻略法って言えば、目を合わせないことなんだよな」

「だから最近のクラウス様、僕のおでこらへんを見てるんですね」

「おう。警戒中」

「はー。じゃあ俺も、兄ちゃんの口らへん見とくわ」

「早々に対策が練られている!!」


 目の合わないふたりに、ぐぬぬと唸る。

 もっと改善しなきゃ!


「……まあ、対立戦に使えるかと問われれば、微妙なんですけどね……」

「目ん玉のおばけ相手なら、兄ちゃん楽勝だな!」

「まず戦意喪失しますよ、そんなの……こわい……っ」

「そういやベル。お前、暗視もその寝かすのも、目使ってるよな? 狙われねぇように気をつけろよ」


 クラウス様の指摘に、すっと体温が下がる。

 本当だ……。僕も率先して眼球狙うタイプだけど、心から気をつけよう……。


 青褪めた顔で、何度も頷いた。

 エンドウさんが眉尻を下げる。


「あれだ。眼鏡ガードだな」

「破片刺さりませんか……?」

「破片刺さるときにゃ、全身大怪我だわ。そりゃ」

「それもそうですね……」


 エンドウさんの指摘がもっとも過ぎる。

 ううっ、教官に相談してみようかな……?

 ここにヨハンさんがいればなあ……。


 ぽすぽすクラウス様に頭を撫でられ、明るく微笑まれる。

 彼が海色の目を細めた。


「ま、気にしすぎると相手にばれるぜ。こういうのは普通にしとくことだ」

「わかりました」

「……先輩、コードくんが呼んでます」


 唐突に声をかけられ、慌てて振り返る。

 にこにこと笑顔を整えたノエル様のご様子に、思わず目を擦った。

 ……久しぶりに見た、ノエル様の外面の笑顔……。


「わかりました。すぐに向かいます」

「アルバート、どうしたんだろうな?」

「兄ちゃんのご主人さんかい」

「はい! 僕の主人の坊っちゃんです!!」

「ああー……、兄ちゃん、もうちっと光度下げてくれや。眩しいわその笑顔」


 エンドウさんの言葉に意気揚々と返事したら、目許に手をかざされて目を細められた。何で!?


「僕の主人のアルバート様は自立心が旺盛で、何でもご自身でこなされるのです!

 最近では僕の扱いが面倒なのか、ご用命もいただけずお部屋を追い出されることも多々ありますが、それでも坊っちゃんが僕の主人なんです!!」

「……ベルナルド。僕はお前に用があって呼んだんだ。誰が余計なお喋りを頼んだ? その口を千鳥掛けにされたいのか?」

「ごめんなさい坊っちゃん……ッ」


 地を這うようなお声に、肩がびくつく。

 必死に謝罪を繰り返す僕を剣呑な目で睨み、坊っちゃんが苛立たしげに腕組みした。

 おやおやとエンドウさんが目を瞠る。

 クラウス様が爽やかに笑った。


「よお、アルバート。ギルの鳥くっつけて、ははっ。よく似合ってるぜ?」

「うるさい。黙れ。その膝に添え木を括りつけるぞ」

「はっはっは。そう怒んなって」


 坊っちゃんの左肩には、ギルベルト様が生成された、石の小鳥が留まっている。

 ずんぐりとした図体のそれは不覚にもかわいらしいもので、今は静かなその鳥を微笑ましく眺めた。


「それで坊っちゃん、ご用件を」

「ギルベルトを起こしてほしい」

「はい?」


 思ってもみなかったご依頼に瞬く。

 坊っちゃんが片手に持たれた教本を、手の甲でぺんと叩かれた。


 坊っちゃんとギルベルト様は、通信の訓練をされている。

 それぞれが離れた位置から連絡を取り合っているが、坊っちゃんはお喋りをあまりされない。

 それでは訓練にならないので、坊っちゃんは教本を朗読するよう指示を受けた。


 ……ここまでが、僕の知っている前情報だ。


「あいつ、僕の朗読を眠いとか言って、そのまま音信不通になった」

「……いや、コードくんも悪いと思うんですけど……。ティンダーリアくん、ずっと色々言ってましたし……」

「何だ? お前の耳許で環境音を流すぞ?」

「あっ。コードくん怒ってますね? さては環境音と言われたこと、根に持ってますね?」

「ええと、事情をお聞きしても……?」


 ノエル様が致した訴訟に、憮然とした坊っちゃんが、不貞腐れたようなお顔をされる。

 クラウス様とエンドウ様と顔を見合わせ、事情をお聞きしようと話を振った。

 僕を一瞥したノエル様が、一瞬複雑そうな顔をする。


「俺にはコードくんの声はあんまり聞こえないんですけど、受信先のティンダーリアくんが、コードくんの声を『環境音』だと言ったんです」


 環境音とはあれだ。

 川のせせらぎとか、小鳥の囀りとか、雨の音とか、雑踏の音とか、自然に発生する音のことだ。


「最初は『呪文か!? お経か!?』だったんですけど、『息継ぎ! 速度!! こわいわその早口!』の注文のあと、『待て、やめろ。静かな声で落ち着いた話をするな。環境音か。自然に溶け込みすぎてる、やめろ安眠する』から先、『ねむ……い……』で通信が途切れました」

「坊っちゃんのお声は安心するとのことですね!」

「喜べると思うか!? 僕は真剣に注文に応えたんだぞ!?」

「いやあ、うん。ご主人さんいい声してんもんな!」

「ごしゅっ!?」


 うんうん頷くエンドウさんに、坊っちゃんの頬が真っ赤に染まる。

 小刻みに震えた彼が、僕を睨みつけて訓練場の扉を指差した。


「とにかく! ギルベルトを起こしてこい!!」

「か、畏まりました! ギルベルト様は、今どちらに?」

「…………何処だ?」

「え? ええと。寮の自室だったと思いますよ?」


 坊っちゃんから唐突に尋ねられたノエル様が、一瞬素の声を出される。


 ぼ、坊っちゃーん! そんなうっかりなところも、お支えしたいと思いますー!


「畏まりました。では、少々お時間を頂戴致します」

「じゃあ、クラウスさんも行こうかね。バディだからな」

「ありがとうございます、クラウス様!」

「おう、行ってきな」


 ひらひらとエンドウさんに手を振られ、その場を離れる。


 途中、お嬢さまが魔術の訓練をされているご様子をお見かけした。

 こちらに気付いたリズリット様が、小さく手を振られる。

 会釈して、坊っちゃんのご要望を優先させた。


 お嬢さま、お身体にご負担をかけられていなければいいのだけど……。

 あとでご様子をお尋ねしよう。



 ギルベルト様のお部屋には、従者のユージーンさんが入れてくれた。

 僕たちが来たことで起きたらしい。

 眠たげなギルベルト様が、決まり悪そうなお顔を両手で覆われる。


「アルバートのあれはだめだ。眠くなる。もっと別の方法を考えてくれ」


 苦渋の訴えが通信先の方々と悩み考え抜き、坊っちゃんとギルベルト様は『しりとり』をすることになった。

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