03
リズリット様の一件以来、僕への嫌がらせなどが、ぴたりと止んだ。
ただしノエル様を除く。
これまで、ちょくちょくと人気のないところへ呼び出されては、「使用人のくせに」など言われて、いじめられていた。
けれども、それらがぴたりと止んだ。
むしろ手のひら返しが激しい。
「今度友人を呼んでガーデンパーティをするんだが、君も特別にどうだい?」などと誘われる。
「使用人なので」の文言を盾に、全力でお断りした。
アーリアさんからは懇々と、「使用人とは主人の影であり手足であり、決して表舞台で目立ってはいけません」と説教された。
じゃあアーリアさんは首を絞められたら、どうしますか? と尋ねたら、「問答無用で引き摺り倒し、二度と立ち上がれないような身体にします」との返答を得た。
僕よりアグレッシブなんだけど……。
アーリア先輩、ひどい……。
「ベルくんごめんね……」泣き腫らした目で謝ったリズリット様は、だいぶん正気に戻られた。
リズリット様は、クラウス様にほっぺを抓られ、坊っちゃんから「次、ベルナルドを殺そうとしたら、石抱きの刑」と指きりさせられたり、リヒト殿下から「もうやっちゃだめだよ? めっだよ」とお説教されていた。
大事には至っていないのだし、この程度で免除してもらいたい。
一番おつらいのは、リズリット様ご本人だ。
お嬢さまはこの頃、心理学の本を読まれ、難しいお顔をされていらっしゃる。
ご様子をお尋ねすると、「意外と心当たりがあるものね」と苦笑されていた。
「ねえ、ベル。久しぶりにお話しましょう? あなたに聞かせたいことが、たくさんあるの」
本を閉じたお嬢さまが、にこりと表情を緩ませられる。
本にはブックカバーが巻かれてあり、白地の生地には、青とも群青とも言えぬ糸で花が刺繍されていた。
お嬢さまのお手製らしい。愛らしい。
お嬢さまからそのようなお誘いを受けて、僕がお断りするはずなんてない。
勿論喜んで! 弾んだ返答に、お嬢さまが目許を和らげられた。
校内にも談話室がある。
事前に申請していれば貸し切ることが出来るらしく、なんとか同好会みたいな方々が定例会を開いているらしい。
僕はこれまで利用したことがなく、先日初めてリズリット様を落ち着けるために立ち入ったくらいだ。
僕と、僕にひっつき虫なリズリット様と、監視役の先生の三人きりの談話室。
……気まずかった。
何度お茶を作って、先生に振舞ったことか。
本来の用途としては、お茶会や交流用だ。
――お茶会用の庭が三種と、何室か設けられている談話室。
ううん、貴族って大変だな……。
お嬢さまが談話室をご希望されたので、早速手筈を整える。
勝ち得た日程をお伝えすると、お嬢さまは嬉しそうに微笑まれた。
お嬢さまとのお話は本当に久しぶりなので、僕もとても嬉しい。
最近特にお仕えしたくてたまらなかったので、お嬢さまにお喜びいただけて、喜ばしく思う。えへへ。
明らかに僕がうかれているので、坊っちゃんからの呆れ顔と、リヒト殿下とクラウス様からの子ども扱いをいただいた。
くうっ、もっと澄まし顔の出来る従者にならなきゃ……!
*
「ロワゾブルーのクッキーです」
「ありがとう。素敵なクッキーね」
お嬢さまの前にお茶をお出しし、本日のおともの紹介をする。
小花型のクッキーにはジャムが乗せられてあり、色とりどりのそれは、見ていて心が弾んだ。
喜んでいただけるか考えながら、お菓子を選ぶ時間は、とても楽しい。
ちなみにこのお店、宰相閣下に教えていただいたところだったりする。
美術館の近くにある、青い鳥がモチーフのお店だ。
微笑まれたお嬢さまが、クッキーをひとつお手に取られる。
さくりと食まれたお顔が綻んだ。
「とてもおいしいわ。ベルも食べたの?」
「はい。是非ともお嬢さまに召し上がっていただきたいと思いまして」
「ふふっ、ありがとう」
一層笑みを深めたお嬢さまが眩しい。
お嬢さま充いっぱいする。お嬢さまのお話いっぱい聞く。
日中の陽光はじわじわと威力を強めているため、窓にはレースのカーテンを引かせてもらっている。
和らいだ日差しがお嬢さまの若草色の御髪を透かし、清浄さが三段飛ばしで跳ね上がった。
お嬢さまは元から清らかなお方だけどね!!
「お嬢さまは、談話室をご利用されたことはおありですか?」
「ええ。何度かお誘いをいただいたわ」
「左様ですか」
僕もお嬢さまにお仕えして、お茶会とかお傍に控えたい。
「リサお姉さまが、同好会にお顔を出されているの」
「ノルヴァ様が。どのような同好会なのでしょう?」
「わたくしもお尋ねはするのだけど、たくさんあるからとお答えいただけないの……」
しゅんと肩を落とされたお嬢さまが、茶器に手を添えられる。
へえ、ノルヴァ様、活動的な方なんだ。
どんな同好会かな? 編み物とか?
「ベルの淹れるお茶、落ち着くわ」
「っ! あ、ありがとうございます……!」
おじょうさまに褒めていただけた!!
頬に熱がたまってつらい! 今、絶対顔真っ赤だ!
僕を見上げたお嬢さまが、上品な仕草でくすくす笑みを零される。
「ベル、もっと気楽にしていいのよ?」
「だって! ようやく久しぶりにお嬢さまにお仕え出来るんですよ!? もうちょっとこう、出来る従者、みたいなのになりたいんです!」
「ベルは充分出来る従者よ」
「おじょうさまに褒めていただけたあっ!! じゃなくって! ありがたき幸せ!!」
ぺん! 頬を押さえる僕を、お嬢さまがころころと笑われる。
ううっ、出来る従者への道は遠い……。
僕もヒルトンさんやアーリアさんみたいな、クールな人になりたい……。
「アルや、リヒト様とはどう?」
「聞いてください、お嬢さま! 坊っちゃん、ちっともお世話させてくれないんです!」
「あらあら」
「せめてシーツの交換だけでもと掛け合っているのですが、それすらも……! いつもお部屋がぴかぴかなんです! お世話する隙がないんです! お茶とお弁当とペーパーナイフをお渡しするくらいしか、僕のお役目がないんです!!」
「ふふっ、アルったら」
くすくす、お嬢さまがおかしそうに眉尻を下げられる。
いつも坊っちゃんに部屋を追い出されることをお話し、肩を落とした。
「リヒト殿下がお世話させてくださるので、甘えさせていただいているのですが、……僕そのうち、本当にコード家から解雇されそうで……」
「大丈夫よ。ベルを手放したりしないわ」
「おじょうさま……っ、ありがとうございます……!」
不覚にもうるっときた。
お嬢さまに拾っていただいたこのご恩、忘れた日は一日たりとてありません!
「あ、そうだわ。ねえベル。折角ナイフを用意してもらったのだけど、やっぱりハサミに変えてもらえないかしら?」
「畏まりました。どのようなハサミをご所望でしょうか?」
お嬢さまのご希望に、内心ほっと安堵の息をつく。
用途をお尋ねすると、困ったように頬に手が添えられた。
「ナイフでは、思ったように布が裂けないのね……」
「横糸が厄介ですよね。裁ちバサミをご用意しましょうか?」
「そうね。革製のホルスターと合わせてほしいの」
「畏まりました」
早急に、お嬢さまに似合いのハサミをご用意いたします!
「……考えたらわたくし、ナイフよりも、ハサミの方が慣れ親しんでいるわ」
「お嬢さま、手芸がお上手ですもんね」
「ふふっ、ありがとう」
表情を緩められたお嬢さまが、茶器を傾けられる。
クッキーを摘まれ、伏せられた睫毛が光を通した。
「……ねえ、ベル」
「はい」
「……いいえ。ねえっ、次のブックカバー、どんな模様がいいかしら?」
ぱっと顔を上げられたお嬢さまが、にこりとお顔を笑ませる。
今のブックカバーが小花だから、……夏っぽいものがいいのかな?
「そう……ですね、何か候補はありますか?」
「いいえ。青っぽいものにしようと思っているのだけど……」
「お嬢さま、青色お好きですよね」
お嬢さまの私物は、何となく青色が多い。
現在のブックカバーも、小物入れのポーチも。
そういえば過去にご購入された栞紐も、青色だった。
にこにこ指摘すると、石榴色の瞳が丸くなった。
ふいと俯かれたお嬢さまが、制服のスカートを握られる。
「お嬢さま?」
「ええ、すきよ」
「そうですか! 僕も青色すきです」
「ふふっ、ベルは何色でもすきでしょう?」
お顔を上げられたお嬢さまが、苦笑とともに目許を緩められる。
傾げられた小首に合わせて、さらりと御髪が揺れた。
「ねえ、ベルはどんな刺繍がいい?」
「そうですねー。これから星祭りの季節ですし、お星さまは如何でしょうか?」
「素敵ね。あなたの案を採用するわ」
悪戯に微笑み、お嬢さまがカップの中身を空にされる。
確認した柱時計の文字盤は、期限の時刻までの残り時間を示し、主人にそのことを告げた。
お嬢さまが残念そうなお顔をされる。
そっと僕の手が両手に包まれた。
「ベル、またお話しましょう?」
「はい、喜んで」
「絶対よ?」
「絶対です」
子どもっぽい応酬に、小さく噴き出したお嬢さまがころころ笑われる。
守りたい、この笑顔。
手早くクッキーを包み、アーリアさんへ手渡せるよう用意した。
定刻通りに扉が鳴り、アーリアさんが静かに頭を下げる。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
「ありがとう、アーリア。ベルもありがとう。また、ね」
「はい。また後ほど」
アーリアさんへクッキーの包みをお渡しし、手を振るお嬢さまへ礼をする。
ぱたりと鳴った扉を見送り、後片付けを始めた。
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