02
「リヒト殿下!? どうされましたか!?」
ばたん、ばさばさ。
書籍を捲っては床へ落とし、リヒト殿下が何かを探している。
鬼気迫る様子は普段の温和さが欠片も見当たらなくて、おろおろと乱雑に落ちた本を拾い上げた。
焦燥に駆られたお顔で資料棚へ向かい、リヒト殿下が手荒く書類を捲る。
「兄上が生きているかも知れない」
端的に零された声は強張っていて、驚いた。
ファイルを掴んでは中を改め、放り捨てる。
あっという間に彼の足許にはファイルが山と積まれ、ずるりと滑ったそれらが雪崩を引き起こした。
ばさっ、無情にもその上に書類が放り捨てられる。
「兄上……セドリック様のことでしょうか……?」
「うん。確証はないけど、多分そうだ」
「何故?」
「フェリクス教官の祈りの言葉が引っ掛かる。普通、死んだ人を弔うなら、心より魂を悼むよ」
ファイルから目線を上げず、リヒト殿下が淡々とした声を発する。
書類の年月を遡った彼が、苛立たしげに棚を殴った。
「保存期間は5年か」悔しげな声が重なる。
「リヒト殿下、何をお探しですか?」
「当時兄上が使っていただろう資料。……他の部屋か? 城の書庫の閲覧許可が下りれば……。規制さえどうにか出来れば。……くそ、権力が足りない」
「殿下より上の権力!?」
「ぼくの敵は陛下だよ。……閲覧許可が下りているのは、陛下を除いて宰相だけだ。でも宰相に話を通したところで、決定権を持っているのは陛下。あの人に勘付かれるのは不味い」
考え込むように顎に手を添えた殿下が、ぶつぶつと呟く。
不意にこちらを向いた彼が、眉間に皺を寄せたまま口を開いた。
「ベル、ごめん。お茶淹れてきて。少し落ち着きたい」
「か、畏まりました……!」
重ねていた本を床に置き、急ぎお湯を沸かしへ向かった。
紅茶を携え執務室へ戻ると、リヒト殿下は床に座り込んで資料を捲っていた。
くらりと目眩を覚える。
殿下、ちゃんと椅子かソファにおかけください……!
「ねえ、ベル。仮説なんだけど、セドリック兄上が生きていたとして、どうして死んだことになっているのだと思う?」
「殿下っ、もう少し言葉遣いを……! あとせめてソファにおかけください!」
「ひとつめ。兄上が重篤な状態で、とてもではないが王位を継承する状態にないため。
ふたつめ。兄上が存命していると、都合が悪いため」
僕の小言など耳を通さずに、殿下が左から右へ視点を滑らせる。
速読する彼は、用紙を捲る速度も早い。
お盆に茶器を載せたまま、その傍らに膝をついた。
ありがとう、端的な声が左手を伸ばす。
「ひとつめはそのままの意味だから、ふたつめを細分化する。
いち、兄上が重罪を犯した。に、兄上が重罪を庇った。さん、本人の希望」
一口つけられた茶器がソーサーへ戻され、彼が書類を捲る。
険しい表情が並べた仮説は、確実に聞かれては不味いもので、懸命に索敵を行った。
……よし、今日も人がいない。
「兄上は対立戦で亡くなったとされている。つまり、隠蔽された事象は対立戦の前後にある。戦争の混乱の中で、何かが揉み消された」
「ですが、リヒト殿下のお話の中では、セドリック様は人格者だとの印象を受けました。そんな重罪なんて……」
「当時のぼくは、5歳か6歳の子どもだよ。世界も視野も狭い」
深くため息をついたリヒト殿下が、顔の前で両手の指先を合わせる。
空を睨む碧眼が長い睫毛に閉ざされ、彼が眉間の皺を深くした。
はたと、5歳か6歳の言葉に引っ掛かりを覚えた。
殿下のお誕生日は、収穫祭だ。
「前回の対立戦は、収穫祭にあったんですか?」
「ううん? 今回と同じ、星祭りの時期だよ」
「そういえばこの前も仰ってましたが、星祭りに血生臭い思いしないといけないんですねー……」
「あ。緘口令だからね。他の人に言っちゃだめだよ?」
うへー、と苦い顔をした僕に、リヒト殿下がはたと口を押さえる。
取り繕うように苦笑を浮かべた彼が、ようやく床から立ち上がった。
「星祭りはセドリック兄上のご担当だったんだ。ベルは星祭りの意味、知ってる?」
「祭祀行事のひとつだとは思っていますが……」
「うん。本当はもう少し後ろの月にあったんだけど、兄上のお誕生日に合わせられたんだって。そのまま定着して、今に至っている。
星祭りは死者を繋ぐお祭りだよ。マスケラで顔を隠すのは、死霊に連れて行かれないためのおまじない。この場合の死の国は、天秤の外」
驚く僕まで振り返り、殿下が皮肉に目許を緩める。
ソファの背凭れに腰を乗せた彼が、口許を笑ませた。
「そして収穫祭は、五つの天秤を模している。重要なのは、最終日のかがり火だよ。収穫祭の大きな目的は、豊穣より慰霊」
次々と明かされる祭祀行事の真相に、絡まっていた紐が解ける心地を得る。
幼い僕は星祭りの意味合いを、お盆やお彼岸に近いものだと解釈していた。
そして伝統工芸品であるマスケラも、悪霊から身を守るためと聞き、不思議に思っていた。
街中がひと月丸々お祭り騒ぎになる収穫祭も、リヒト殿下が実際に動く日数は、五日間だ。
殿下が表情を皮肉気に笑ませる。
「慰霊祭である収穫祭の頃に生まれたぼくは、鎮魂に丁度良い供物なんだよ」
「殿下、またそんなこと言って!」
「……あれ? ベルが拾われたのって、6歳だったよね? ぼくがミュゼットと婚約した年だから、そのはずだ」
「はい……、っ!?」
リヒト殿下の問い掛けに頷き、さっと青褪める。
手にしたお盆がかたりと震えた。
僕がお嬢さまに拾われたのは、今から10年前。
前回の対立戦も10年前。
当時、スラムで惨殺事件が起きて、それから毎年人が殺されている。
それも、誰かの年を追うように、被害者の年齢を徐々に上げながら。
けほんっ、咳払いが思考を中断させた。
肩が過剰に跳ねる。
「ベル、改めて言うけど、これはフェリクス教官が、セドリック兄上を指して言っていた場合の仮説だからね。もしも違うなら、この仮説自体無意味なものになるんだよ」
「で、殿下……?」
「ぼくは彼の友人なんて知らないし、彼が対立戦の経験者だということも、今日初めて知ったんだ」
「殿下、急にどうしたんですか……?」
先ほどまでの意見を180度変える発言に、狼狽してしまう。
僕の手からお盆を取り上げたリヒト殿下が、それをソファテーブルへ載せた。
話を打ち切るように屈んだ彼が、散らばった書類を手にする。
慌ててそれに倣った。
「そのままにしていてください、殿下。僕が片付けます」
「……ありがとう、ベル」
目線の高さが同じになった彼が、僕の顔を覗き込む。
はたと瞬いたこちらを真っ直ぐに捉え、リヒト殿下が唇を開いた。
「余計なこと聞かせてごめんね。……きみは、これ以上この話に加わらないで」
「なっ、何故ですか!?」
「ベル、最近ぼうっとしてること、多いんだよ? ……無理させたくないな」
「っ!」
動揺から、思わず紙で指を切ってしまった。
時間差でうっすらと赤い線が浮かび上がる指先に、僕の手を取ったリヒト殿下が立ち上がる。
「消毒しよう」断定的に告げられた言葉に、大人しく従う。
不意に脳裏で再生された、「虚空を凝視して、怯えた顔してたんですよ?」ノエル様の言葉。
……疲れるような日程は組んでいない。
屋敷にいたときの方が、ずっと動き回っていた。
……仕事量が足りないから、ぼうっとしている?
なら、もっと働こう。
「いだいいだいいだいです殿下ッ!!」
「ベル、手袋して書類片付けようか。儀礼用のだったら、すぐ出せるし」
「金額!!」
その後、無造作に差し出されたシルク製の白手套に、泣きたい心地で首を横に振った。
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