対立

 季節はゆっくりと進んで、ジャケットを手放す季節となった。


「国王陛下より、対立戦の勅命が下りた! 我等がユーリット学園Aクラスより、人員の選出を行う!

 なお、以下読み上げる三名は、国王陛下より直々に推薦を賜っている。受ける、受けないは自由だが、良く考えてもらいたい」


 遂にと言うべきか、対立戦がすぐそこまで迫った。


 ジル教官の読み上げた、リヒト殿下、お嬢さま、そして僕の名前に固く手を握る。

 普段ざわめきと遠いAクラスの生徒が、困惑したように互いの顔を見合わせた。

 上級生のひとりが、焦った様子で手を挙げる。


「待ってください、教官……! 対立とは、おとぎ話の方ですか? それとも、災厄の方ですか……?」

「どちらも正解だが、敢えて災厄の方と答えよう」

「そんなっ、勿論教官も参加されるんですよね!? 俺たちだけって、そんなことありませんよね!?」


 必死さのこもった訴えに、ますます周囲がざわめく。


 生徒の反応は二種類だ。

 焦燥と忌避に表情を歪ませるものと、事情を解せず唖然とするもの。


 ……今日は珍しく参加しているリヒト殿下は、諦めの顔をしているから、三種類か。

 生徒の質問を受け、いつもは淀みないジル教官が小さく息をつく。


「これより雑談の時間を設ける。どんな罵詈雑言でも構わない。どのような言葉であろうと聞き入れよう」

「う、嘘ですよね!? そんな、教官も来られますよね!? 俺たちだけって、そんなこと……っ、普段あんなに威張り散らしているのに!? 何でこんなときには役に立たないんだよ!?」


 狼狽した様子で怒声を張る彼は、普段、友人同士でふざけ合う先輩だった。

 教官に注意されては、愛嬌ある笑顔で説教を逃れる、世渡りの上手な人だ。

 彼の声に涙が混じる。


「こんなのずるいじゃないか! 何か言い返してくださいよ!!」

「……すまない」

「謝らないでください!! 欲しいのは謝罪なんかじゃない!!」


 肩を震わせ、袖で顔を拭う彼に、困惑した友人が肩を支える。

 神妙な空気を割るように、エンドウさんがぴんと手を伸ばした。


「わりぃな、先生さん。俺が田舎者なせいか、状況がさっぱりわからん。説明を頼みたいんだが、構わねぇか?」

「……ああ、そうだな。……では、全員の認識を共有するため、フェリクスより説明を行う」


 顔を伏せたジル教官が後ろへ下がり、代わりにフェリクス教官が前へ出る。


 顔に大きな傷のある彼は、今日も静かな顔をしている。

 話し始めた声音も、凪いだものだった。


「説明を代行させてもらう。まず『対立』についてだが、……もう、10年経つのか。当時俺が経験した話を交え、説明を行う。

 なお、この件に関わる一切の情報には、緘口令が敷かれてある。王命に背きたくなければ、口を噤むことだ。

 先に創世記を朗読させてもらう」


 フェリクス教官も、対立戦の経験者!?


 物騒な単語に周囲がざわめくが、続いた朗読に全員が押し黙る。

 広い訓練場に、フェリクス教官の声が響いた。


「天秤は清らかなる循環により、均衡を保たれる。

 されど悪しき障りが悪魔を呼び、天秤の均衡は崩される。

 互いに干渉し合う天秤は天秤の外の者を招き、悪しき魂を連れ去るだろう。


 崩れた均衡は調停によって正される。

 裁定の間にて、真理を待つ」


 音として耳から情報を取得し、僕の持ち得る知識との差異に、すっと体温が下がった。


 僕の『対立』に纏わる知識は、前世のゲームのものだ。

 何だかそういうシステムで、物語上避けては通れないイベント。


 中途半端に知っているからこそ、辞書で調べず言葉を使うような不確かさを抱えていた。

 使用方法が強ち外れでもないため、会話も成立してしまう。


 固定観念が『ゲームの世界観とそういう設定』から離れないため、どれだけ調べても、『えぐいファンタジー』の感想から抜けられなかった。


 ……これでは、お嬢さまをお守りすることなど出来はしない。

 これは死んでもリセット出来ない現実なんだ。


「『対立』とは、ここに出てくる『天秤の外の者』のことだ。おかしな話だと思うが、実際に奇妙な相手と戦うことになる。

『裁定の間』は、具現化された深層心理の世界だ。精神面に不安のあるやつはやめておけ」


 つくづく突拍子もない話だ。

 創世記なんて神話に振り回されるなんて。


「今現在、この世界を支える天秤が傾いている。『天秤の外の者』と対抗するため、戦闘員として若年層の魔術師が選定される」

「なるほどなあ。戦争しろってことかい」

「ああ、そうだ。どういう仕組みか、年齢層が上がるにつれて、死亡率が跳ね上がる。……勿論個人差はある。貢献数や技量、個人の状態、深度の差。一概には言えない。

 例題として、当時15歳だった俺と、22歳だったジルとでは、精神への負担が大幅に異なっていた。

 具体例を挙げるとすれば、ジルは対立戦を含めた前後の記憶を失っている。恐らくは自衛のためだろう。

 対する俺は、顔の傷と精神的ショック、磨耗程度で済んだ。……それでも当時は苦労も多かった」


 ジル教官も、対立戦の経験者……?

 けれども年齢が……。

 思ったそれが、不意にゲーム画面を思い起こさせた。


 基盤のルートであるため、何周か対立戦を行った気がする。

 緊迫感を上げるための演出として、リズリット様を含めたモブキャラが死亡していたように思う。


 思い出したそれにぞっとする。

 俯いた僕へ、隣にいたリズリット様が気遣わしげに「大丈夫?」と囁いた。


 下がっていたジル教官が、ため息混じりに乱雑に頭を掻く。

 舌打ちとともに、言葉が吐き出された。


「……ただの腰抜けだ。褒められたもんじゃねぇよ」

「あなたは今も昔も勇猛果敢だ。卑下しないでください」


 静かなフェリクス教官の声が、説明を続ける。


「『裁定の間』を含め、『対立』は個々によって見え方が異なる。あれには個人の印象深いものが投影される。……俺の場合は、家の庭と幼い頃に死んだ妹だった。

 妹に似たものが、俺を殺そうとする。俺は『対立』として、妹に似たものを殺して回る。

 斬った感触も、噴き出た血の温さも、庭のにおいも血のにおいも、やけに現実感があった。

 ……気分が悪くなったなら、ノイスとともに外に出ていろ。……無理はするな」


 何人かの生徒が具合悪そうに口許を押さえ、ノイス教官とともに訓練場の外へ出る。


 ひとりの生徒が恐る恐る手を挙げた。

 彼女の顔色も良いものとはいえない。


「もしも、全員が参加を拒否したら、どうなるんですか……?」

「そのときは他のものがやる。研究棟のもの、俺たち教員、騎士団。王命があれば、俺たちは従う。

 ……そうだな。強いて言えば、死亡率が上がることと、さすがに二度は耐えられないからな。お前たちとは、ここでさよならだ」


 逃げ道を用意してくれた教官の微笑みが、つらくて見ていられない。


「無理に引き受けたところで、動けなければ犬死だ。意思がないのなら、それで構わない。こちらで調整する。……無理はするな」

「……対立戦で負けたことは、あるんですか?」

「もしも負けているのなら、とっくに滅んでいるだろうな。

 対立戦は防衛戦だ。『天秤の外の者』を扉に近づけないよう、掃討する。

 俺のときは下方に階段が伸びていた。上方の年もあるらしい。

『裁定の間』は深層心理の投影だ。深部へ進むにつれて、心理の内側へと踏み込む。

 ……失認すると厄介だ。発狂する者もいる。くれぐれも、第一階層以上先へは進むな」


 顔色悪く沈黙してしまった僕たちを見回し、フェリクス教官が苦笑を浮かべる。

 声音が少しばかり明るくなった。


「少しは明るい話をしよう。勿論、この戦いの参加者には、国王陛下より褒美が授けられる。ひとつ、願いを叶えていただける」

「教官は、何を願いましたか……?」

「俺のは参考にならんぞ。でも、そうだな。……友人を助けてくれ、と願ったな」

「……叶いましたか?」

「……ああ。ある意味な」


 ちっとも明るくないです、フェリクス教官!!

 その薄幸そうな微笑みを仕舞ってください!!


「改めて、個人の意思を問いたい。参加の意思のある者はこの場に残り、ない者はジルの案内に従え。

 強制はしない。……お前たちがやらなくとも、誰かがやる」


 ざわめいた周囲が、ばらばらと頭を動かす。

 リヒト殿下へ声をかけたクラウス様は、苦いお顔だった。

 殿下の苦笑に、諦めたように肩を竦める。


 坊っちゃんは変わらず正面を向き、その様子を見下ろしたノエル様が、後ろ手で手を組んだ。


 エンドウさんもその場から動く様子を見せず、思案気にされている。

 お嬢さまはしばし俯かれたあと、毅然としたお顔で前を向かれた。


 思ったよりも人が残った。

 ぱらぱらとジル教官に続く生徒を見送り、ふとフェリクス教官が苦い顔をする。

 僕の隣に立つリズリット様へ、彼がその顔を向けた。


「リズリット、お前は外れろ。やめておけ」

「何で!? 俺もやるよ!?」

「やめておけ。……お前は普段から情緒が不安定だ。持たない」

「やだやだ! やる前からだめって言ったら、のびしろがなくなっちゃうんだよ!?」


 僕へしかと腕を回し、リズリット様が泣きそうなお顔で、やだと繰り返す。

 いつもの無理矢理我を通す姿を、呆れ顔のフェリクス教官が窘めた。


「リズリット……、」

「やだやだやだやだ!! ベルくんが行くんだもん、俺も行く!!」

「リズリット、お前のそういうところが、」

「だってそれ、死んじゃうかも知れないんでしょ!? ベルくんが死んだらどうするの!?」

「勝手に殺さないでください!!」

「いやだ……っ、ベルくんは俺のだよ? 俺が先だもん。あげない、あげないから。誰にもあげない、俺が先だよ。ずっと前からそうだもん。

 ……そっか、先に殺せばいいんだ」


 気がついたときには、リズリット様に首を絞められていた。

 あぐっ、喉が鳴る。


「何をしているんだッ、リズリット!!」

「いろがちがうッ、いろがちがう! いろがちがう!! うるさいうるさい!! ざんねんだなあッ!!」


 周囲が悲鳴を上げる。

 フェリクス教官が駆け寄ろうとするも、激しく頭を振ったリズリット様が、怒声を張る。


 僕の背後を取るリズリット様の位置は、人質を盾にのそれで、狭まる気道が苦しい。

 懸命に彼の手に爪を立てた。


「ベルくん、先に死んで。俺に殺されて。誰にもあげない。俺が最初だもん。俺が最初に殺す。一緒に死んで?」


 まさかの心中発言だ。


「もうひとりぼっちは嫌だよ? ずっと鼻歌が聞こえるんだ。

 やあ、りとるりとるぷりんせす。きせかえごっこはいかがかい? いろがちがう、ざんねんだなあ。ずっと頭から離れない。あいつ、笑ってた。

 どうして俺だけ残されちゃったのかなあ? 俺も一緒に殺してくれれば、こんなに苦しくなかったのに。俺のせいでみんな殺されちゃったのかな?

 ねえベルくん。ベルくんは優しいから、俺のことひとりにしないよね? 俺、ベルくんに嫌われないように、あの日からいっぱい頑張ったんだよ? 話し方だって態度だって変えた。ニーナさんに教わって、ねえ、ひとりにしないで。ひとりにしないで」


 酸素の回らない頭ががんがんする。

 リズリット様は、細身の割りに筋肉質だ。


 誰かがリズリット様を説得しようと言葉を重ねている。

 食い込む手のひらが苦しい。焦点がぶれる。


「ベルくん、俺のことひとりにしないで。どこにも行かないで。暗いところが嫌い。ひとりはやだ。ねえ一緒に死んで。ずっと一緒にいて」


 あ、これ本気で殺される。


 えっ、待って、だめだめ。

 お嬢さまの花嫁姿を見るまでは死ねないんだって!

 お嬢さまを死亡フラグからお守りするんだ!

 死ねるか!! 無理心中駄目絶対!!!


 袖口から暗器を滑らし、首を圧迫する手の甲に突き刺す。


 いたっ、怯んだ隙に彼の身体を背負い投げた。

 派手な音が床を打ち鳴らす。

 そのまま僕は膝をついて盛大に咳き込み、リズリット様はフェリクス教官に取り押さえられていた。


 無呼吸でここまで出来た!

 もう二度とやりたくない!!


「ベルくんッ、いたい……っ」

「奇遇、ですねっ、僕は苦し、いですッ」

「ベル……! 大丈夫!?」

「リズリット!! 自分が何をしたのか、わかっているのか!?」

「わあああんっ!! フェリクス教官離してよー! ベルくんが死んじゃう!!」

「さっき殺しかけたのは、何処の誰だ!?」


 お嬢さまに背を撫でられ、涙目で顔を覗き込まれる。

 口許を手の甲で拭い、切れ切れながら無事の旨をお伝えした。


 怒涛のように空気が押し寄せて、噎せる。

 く、空気がおいしいな……?


 教官に押さえつけられているリズリット様は、子どものように泣きじゃくっていて、彼の時間はあの日から進んでいないのだと悟った。


 でもだからって、今回のは本気で苦しかった。

 最近の僕が、色んな意味で即死しそうでつらい。


 やだ、お嬢さまをお守りするまでは死ねない……!

 まだ生きたい! 僕だって必死だ!


「セルフ発狂決めないでください、リズリット様。次、僕のことを想像内で勝手に殺したら、肖像権とか名誉毀損とかそういう権利駆使して、賠償金請求しますからね」

「お金で解決するんだ……!」


 リヒト殿下にも適応しよう。

 彼も僕のこと、想像内ですぐ殺す。


 まだ身体に力が入らなくてへたり込んだままだけど、口は達者に動いてくれる。

 唖然とする周囲に構わず、働き者の口を動かした。


「お金に興味はありませんが、一番明快なので。

 つまり、僕が死ななければ問題ないんですよね? 死ぬ気はありませんので。お嬢さまの花嫁姿を見るまでは死ねませんので! 勝手に心中持ち掛けないでください。お断りします!!」

「わーんっ! ベルくん一緒に死んでー! ひとりにしないでー!」

「はい、今僕が死ぬ想像をしたので、1点入りました。5点で一週間口利かない刑を執行します。いいですね?」

「わーん! 一週間とか無理ぃー!!」

「ではそのネガティブ思考をどうにかしましょうか。勝手に殺さないでください」

「……だってベルくん、弱いもん……」

「ボーナスポイントで3点進呈しますね。現在4点。リーチです!」

「やだーっ!!」


 周囲の人たちから「こいつ正気か?」といった目で見られてつらい。

 ここでリズリット様を拒絶すれば、心中確定になっちゃうんだよ?

 僕はまだ死にたくない。


 あのお嬢さまにどん引きのお顔をさせ、クラウス様に死にそうなお顔をさせ、リヒト殿下が目許に手を当て、天井を見上げている。

 殿下、つい最近僕がお説教しましたもんね。傷抉れましたね。


 えぐえぐ泣きじゃくるリズリット様へ向き直り、ぴしゃりとお説教を続ける。


「今度僕のことを殺そうとしたら、背負い投げなんて生易しいことはせずに、鼻の骨折る勢いで蹴りますからね。人体の急所には詳しいんです」

「やだあぁっ」

「では、僕が死に掛けていたら?」

「俺がとどめを刺す」

「生かしてください」


 どすっ、両の拳で訓練場の床を殴る。


 何とも言えない空気の中、お嬢さまにお礼を述べて立ち上がる。

 まだふらつくけれど、感覚ははっきりとしているから大丈夫そうだ。


 僕に抱き着こうとするリズリット様の襟首を押さえるフェリクス教官へ、深々と頭を下げた。


「お見苦しいところを晒してしまい、大変失礼いたしました。リズリット様がご迷惑をおかけしましたこと、誠に申し訳ございません」

「……いや、……オレンジバレー、その、……大丈夫か?」

「大丈夫です! この頃ショックな出来事が多いので!」

「そうか……」


 フェリクス教官の憐れむようなお顔が、胸に突き刺さる。


 僕に腕を回したリズリット様は、とりあえず殺意の波は引いたらしい。

 嗚咽が止まらないので、背中をぽんぽん叩いてあやした。

 クラウス様が警戒するように真横に立っている。


 どうしようもないほど何とも言えない空気になってしまい、心が苦しい。

 フェリクス教官がため息とともに頭を掻き、ぴしりと伸ばした背を曲げた。


「改めて、残ってくれて、ありがとう。きみたちの勇姿に感謝する」


 対立戦の話でしたね! ごめんなさい……!!

 顔を上げた教官が、思案気に顎に手を添えた。


「足りない戦力は、研究棟に声をかけるか」

「フェリクス教官。戦力が足りないなら、ぼくが補うから大丈夫だよ」


 ひらひらと手を振ったリヒト殿下が、温和なお顔で微笑む。

 その様子に、フェリクス教官の表情が強張った。


「むしろ多くなってしまうと、巻き込んでしまうかな。このくらいの人数が丁度良いよ」

「ケルビム、……あいつ等と同じことを言うのは、やめろ」

「あいつ等?」

「彼等の心が、安らかならんことを……ッ」


 固く指を組んだ両手を口許に当て、睫毛を伏せた教官が、早口に呟く。

 顔色の悪い様子に、殿下が怪訝そうな顔をした。


 即座にフェリクス教官が姿勢を正す。


「っ、すまない、取り乱した。……日時の詳細については、直前に知らされる。くれぐれも口外するな。……きみたちの健闘を、祈っている」

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