03
先日のお話以降、リヒト殿下との接し方に悩んでいる。
業務は滞りなく行えている。
悩みごとがあっても身体は自然と動くもので、今日も淀みなくお茶の準備をすることが出来た。
リヒト殿下はいつも通りだ。
いつもの通り温和な笑みを浮かべ、柔らかい声でお礼をくれる。
それが余計に罪悪感を刺激するため、悩みごとを深くしていた。
「ベル、アルバートのところに戻っていいよ」
「……え?」
執務机にいるリヒト殿下が、困ったようなお顔で微笑んでいる。
彼から告げられた言葉の内容に、さっと血の気が引いた。
「失礼いたしましたッ、ご気分を害されましたでしょうか!?」
「や、ちがうよ。落ち着いて、ベル」
即座に頭を下げた僕に、殿下が慌てる。
肩に置かれた手に促されて、おずおず顔を上げた。
「この前のこと、気にしてるんでしょう? 顔色が悪いから、少し休んでほしかったんだ」
困り顔の微笑みで言われ、見抜かれていたことに俯いてしまう。
「無理してほしくないな」告げられた声音は、どこまでも優しかった。
「……殿下は、とてもお優しい方ですね」
「本当? そう思ってもらえて、嬉しいよ」
やんわりと緩められた表情に、ますます困惑してしまう。
……ヒルトンさんの一言が引っ掛かっていた。
学園という多くの他人がいる場へ出て、これまでの完結されていた世界の狭さに気付いた。
余りある自由な時間は、僕に考える時間を与えた。
リヒト殿下は、僕に対して異様にお優しい。
壊れものを手袋越しに扱うような、そんな丁寧さを感じる。
彼は基本的に、誰に対しても柔和な態度で丁寧に接している。
けれども、殊更その仕草が顕著だ。
坊っちゃんにも潔癖症な一面があるが、恐らくリヒト殿下にも似たようなものがある。
彼は立場上、迂闊な行動を取ることが出来ない。
立ち振る舞いは整然としており、隙もない。
クラウス様への揶揄と、僕への猫かわいがりくらいではないだろうか?
「殿下、また少し、お話よろしいでしょうか?」
「うん、構わないよ」
「……殿下はお嬢さまのことを、どのようにお思いですか?」
リヒト殿下のご婚約者は、お嬢さまだ。
彼はお嬢さまのことを、とても丁寧に扱ってくださる。
お嬢さまもお気を許していらっしゃり、おふたりのご様子は、見ていてとても微笑ましい。
けれども、それだけだ。
お互いが信頼している、そのくらいはわかる。
政略結婚に恋慕が必要なわけではない。わかっている。
リヒト殿下はお嬢さまを大切にしてくださるだろう、そのこともわかる。
けれども、何か違和感がついて回る。
何かがおかしい。
こちらを見上げたリヒト殿下が、おかしそうに目許を緩めた。
口角の上がった唇が、楽しそうに開かれる。
「かわいいと思ってるよ」
「そう、ですか」
「仕草とか、話す声の置き方とか、年々ベルに似てきてる」
「……っ、」
「ミュゼットも無自覚だろうね。見ていて微笑ましいよ」
心臓がひやりとした。
何故、数あるお嬢さまのお話の中から、わざわざそのお話を選ばれたのだろう?
うっすらと、そのような感じはしていた。
お嬢さまとは、話すタイミングがよく被る。
別段気にしていなかった。
むしろ、お嬢さまのお好みになれるのなら、この上なく光栄なことだと思っている。
「ご婚約者様としては?」
「そうだね。泣き虫だった頃を知っているから、ミュゼットの成長を著しく感じるよ。本当、素敵な人になった」
柔らかく微笑むリヒト殿下の目はあたたかく、お嬢さまを尊重してくださっているご様子が見て取れた。
小さく吐息を震わせた彼が、こちらを向く。
「昔、クラウスにも言ったことがあるんだけどね。ぼくはミュゼットから色んなもの奪うことになるから、せめて今は自由にしてあげたいんだ」
「自由、ですか」
「うん。ふふっ、次の質問は?」
「……僕がお暇を頂戴した場合、あなたはどうしますか?」
「時と場合と内容によるけど、そうだな。……色々あるけど、対立戦が終わるまでは、きみのことを手引きして、誰にも見つからないところに隠すよ」
はっきりと違和感を口にされ、目を伏せてしまう。
柔和な笑みのまま、殿下が言葉を繋げた。
「初めて会ったときのこと、覚えてる? ぼく、あの頃結構擦れてたんだけど、きみに会うときだけ、心が安らかだった」
「ええっ、絵本の王子様~って言ってたあの頃ですよね!? あんな小さな頃に、反抗期を迎えられていたんですか!?」
「そうそう、絵本の王子様。ぼく、マセガキだったから」
上品な仕草でくすくす笑うリヒト殿下に、当時を振り返る。
……いや、当時から紳士的だったよ!?
どの辺りが擦れていたんだろう?
見た目の王子様らしさにそぐわぬ、楽しいことと冗談のだいすきな、のんびりした子じゃなかったかな?
「ベルはぼくに媚びることも、怯えることもなかったし、いつもにこにこ笑ってくれた。無邪気に懐いてくれて、ぼく、きみのお父さんになりたいって、本気で思ってたんだよ?」
「ものすごく無茶なお願いですね!?」
「子どもの発想力ってすごいよね。結構真剣に考えてたし、クラウスにも相談したよ」
「そうなんですか!?」
夢見がちだったなあ。懐かしむように殿下が頬杖をつく。
可愛らしさの集大成といっても過言ではなかったあの少年期に、そのような並外れた夢を抱いていたとは、全く知らなかった。
何度思い出しても、僕のことをからかっては甘やかすリヒト殿下しか出てこない。
「……ベルだけだよ。ベルがいてくれるから、ぼくはがんばれるんだ」
「何故。お嬢さまも、クラウス様もいらっしゃいます」
「クラウスの始点は、諦めと同情だよ。彼、ぼく以上に優しいから、見捨てられなかったんだろうね。ミュゼットは生来の人見知りもあるだろうけど、始めは怯えていたし」
「……、」
「きみだけだったんだよ。打算もなく、いつもにこにこ接してくれた子。
少し大きくなって生意気になったらさ、ぼくのこと雑に扱ったりして。……本当、きみといる間だけ、普通の子になれた気分だった」
頬杖を下ろした殿下が、温くなっただろう紅茶に口をつける。
微かに鳴らされるソーサーを見詰めることしか出来なかった。
「ぼくね、殺されるために、生かされてるんだよ」
「リヒト殿下ッ、一体何を仰っているんですか!?」
「久しぶりに名前呼んでくれたね。最近『殿下』ばっかりで、寂しかったんだ」
嬉しそうに目許を細められるのだから、狼狽から口を噤んでしまう。
小さく吐息を笑わせた彼が、机の上で指を組んだ。
「ベルは、セドリック兄上のこと、知ってる? もう10年は前にいなくなってしまった、第一王子なんだけど」
「リヒト殿下が第一王子では、なかったのですか……?」
「ベルくらいの年代になると、知らない人も出てくるのか。
……セドリック兄上が正妃の子で、一番目。ぼくは側室の子で二番目。エリーゼも側室の子で、三番目だよ」
リヒト殿下の説明に驚く。
……知らなかった。
お嬢さまの嫁ぎ先なのだから、最低限の礼儀として調べておくべきだった。
出来なかったのは、リヒト殿下ご本人を前にして、こそこそと王家のことを調べることに、後ろめたさがあったからだ。
「兄上は、対立戦でご不幸に見舞われたんだ」
「!?」
「それ以来、お優しかった王妃殿下が変わられてね。あの方は兄上を心から愛していらっしゃったから。……本当に、お優しい方だった」
目を伏せるリヒト殿下のお姿は、とても悲しげなもので、言葉を挟むことが出来ない。
ぽつり、ぽつり、落ち着いた声音が零される。
「本来、春待祭はエリーの担当ではなく、王妃殿下のご担当だったんだよ」
「そう、だったの、ですか」
「花と音楽がお好きで、よく兄上と一緒に庭を散歩されていた。この頃は陛下も外へよく出られて、仲睦まじくされていたよ」
語られる情景はあたたかいのに、それを語るリヒト殿下は、顔を上げることはない。
俯くお顔は横髪によって遮られ、様子を窺うことも出来ない。
「ぼくの親も、エリーの親も、王妃殿下のような人ではなかったから。とても眩しく見えた。あたたかくて、ぼくたちにも分け隔てなくて、兄上もお優しくて。……もう、お顔も思い出せないけど」
「……殿下、」
「ベル。ぼくとエリーが、城でなんて呼ばれてるか知ってる? 化け物だよ。……自分で一番自覚しているのに、わざわざ言わなくたっていいのにね」
「殿下! ご自身でそのようなこと、言ってはいけません!」
机に手をつき、殿下に呼びかける。
ゆるゆるとお顔を上げた彼は、弱々しい笑みを浮かべていた。
「魔術師の証明は、魔術の暴発から始まる。
……ぼくもエリーも、ひどいものだったよ。生みの親でさえもぼくたちを避けて、周りは貼り付けた笑顔で、定型文しか喋らなかった」
……僕の暴発は、ソーサー一枚で済んでいる。
僕は彼等のような苦労を知らない。
「そんな中、お優しくしてくれたのは、王妃殿下とセドリック兄上だけだった。
……対立戦で兄上をなくし、錯乱状態になった王妃殿下がね、ぼくにいったんだ。『お前も同じように死ね』」
「いつも整えられている髪を振り乱して、血走った目で口から泡を飛ばして、兵に押さえられながら、それでも哄笑してた。――笑ってた。泣くことも出来なくなって、呼吸が出来なくなるまで笑ってた」
「陛下は彼女を深く愛していらっしゃるから、お心が壊れても、手放すことができなくてね。今も塔に幽閉されているよ」
こちらを向いたリヒト殿下が、優しげな笑みを作る。
傾げた首に合わせて、柔らかな金糸が揺れた。
「ベル。ぼくはきみのことがすきだよ。でもそれ以上に、ぼくはきみに依存している。
……きみの無知さが、ぼくには心地好い。きみが笑ってくれるだけで、ぼくはがんばれるんだ」
……喉を絞められているようだ。
息苦しさを感じる。
「対立戦で、きみの名前を入れたのは陛下だよ。あの人は最愛の人のために、ぼくを殺すつもりだ。
だからねっ、だから、……きみをしなせないように、精一杯がんばるから。
だから、……そんな顔、しないで……?」
伸ばされた手が頬に触れ、ゆっくりと目許を撫でる。
瞬きと同時に滲んだ視界が晴れ、机にぱたたと水滴が落ちた。
固く手を握り、姿勢を正す。
大きく息を吸い込んだ。
「馬鹿ですかッ、殿下!!」
「えっ、ご、ごめんね……?」
「あんまりです! ネガティブ振り切れてます!! あんまりですッ!!」
「ご、ごめんね。泣かないで? ど、どうしよう……」
声を荒げたと同時に頬が濡れた。
乱雑に袖で拭って、ぐっと唇を噛む。
狼狽している様子の彼は、離れた手をおろおろとさ迷わせていた。
普段滅多に出さない大声を上げる。
「まず怒ってます! 列記とした殺害予告を受けて、それを真っ向から受けるリヒト様に怒ってます!!」
「あっ、こんなときだけぼくのこと様付けするの? えっ、ひどい」
「うるさいです! 『殿下』は愛称みたいなものです!」
「敬称じゃなかったの!?」
愕然とするリヒト様は、あまり見ない。ふええ、と震える姿は貴重だ。
……今はそれどころじゃないけど。
「次に、過ぎたことばかりに目を向けていることに怒ってます!」
「……はい」
「始めから仲良く出来る人なんて、そんなにいません! 大体、リヒト様のお話には、坊っちゃんもリズリット様もいらっしゃいませんでした!
坊っちゃんをのけ者にするとは、どういう了見ですか!?」
「あっ、はい。すみません」
あのリヒト殿下が肩身を狭くさせているけれど、今の僕はそれどころじゃない!
「坊っちゃんはリヒト様のことを、ご友人だと思っています。お嬢さまだって、ご成長されました!
リズリット様は気分にむらの多い方ですが、それでも仲の良い方にしか時間を使おうとしません。
偏屈さを除けばパーフェクト侍女のアーリアさんだって、リヒト様のご用命には素直に従っています。
それに、一番お付き合いの長いクラウス様なんて、リヒト様のいたずらを笑って許してくださいます! 寛大です!」
ばん! 机を思いっ切り叩く。
びくりっ、彼の肩が大袈裟なくらい跳ねた。
「もっと周りを見てください! あなたの協力者は、たくさんいます! 僕の大切な方々は、あなたにとって信用に足りませんか!?」
僕が最も訴えたい部分は、ここだ。
リヒト様は異様に僕に固執している。
ご自身でお嬢さまの成長を感じているにも関わらず、今を見ようとしない。
取り巻く環境は刻々と変わっているのに、何かしらが原因で、過去に重きを置いている。
……多分、それが彼の思想を拗らせている。
はたはたと瞬いたリヒト様が、ゆっくりと泣き笑いの表情を浮かべる。
……賢い彼だから、これだけで充分だろう。
「……うん、……そうだね。ありがとう、ベル」
「ぼくの将来設計図は、リヒト様とお嬢さまが無事にご結婚する様子を見届け、おふたりが幸せな家庭を築けるよう全力でお手伝いし、生まれてきた子を全力で甘やかすことです!」
「……ぼくが王位にいなくても?」
「リヒト様は王子様やってますけど、ぼくのすきなリヒト様はリヒト様であって、王位云々は存じません。確かにお嬢さまとのご婚約に際して地位は必要となるかも知れませんが、難しいお話は旦那様にお願いします!
僕はただひたすらに、お嬢さまのお幸せを願っています!」
「あはは、ベルらしい」
だって僕は、お嬢さまの死亡フラグをどうにかしないといけないんです!!
「大体! 以前から思っていましたが、僕ひとりの存在に揺れ動きすぎです!! 僕は従者ですが、護衛です! 主人をお守りすることが仕事です!!」
「それはわかってるけど、でも、ぼくにとってベルは、とっても大事な人なんだよ?」
「だからといって、僕が大人しく守られるだけなんて、そんなのあるわけないじゃないですか!」
リヒト様の晴れていた表情が、即座に曇る。
眉尻を下げる彼が、訴えるようにこちらを見上げた。
「お願いだから、危ないことしないで? ぼく、本っ当に、きみが怪我するだけで心臓止まりそうになるから」
「その心臓を止めに行く気満々の人が、何を言っているんですか? 悔しかったらその破滅願望を捨てて、生き残って僕に苦情を言うことですね。そのときでしたらお聞きします!」
「……ベルがかわいくない……」
「かわいくなくて、結構です。
有用性のない人質同然の無知な僕ですけど? これでもかってくらい、飛んだり跳ねたりしてきますんで。駆けっこならリヒト様にも負けないんで。スタートダッシュ一番なので!」
「あああっ、根に持たれてる……!!」
「無知でもナイフくらい振れますんで。人質でも身体は自由に動かせますので。有用性がなくても、ナイフ自体が有能なので」
「ご、ごめんって、ベル……! 機嫌直して……?」
おろおろと困り果てるリヒト様から、つんと顔を背ける。
腕を組んでそっぽを向くとは、自分でも子どもっぽい仕草だと思う。
慌てて椅子から立ち上がった彼が、弱り切った声で僕を呼ぶ。存じません。
「……わかった。意地でも生き残るから」
「本当ですか?」
「意地でも生き残って、きみに文句言う。怪我の数だけお説教するし、ものすごくしみる方法で手当てする」
「その嗜虐趣味、何なんですか?」
「絶対に平静じゃないぼくの行動についての保険。前置き」
「平静になってからでお願いします」
「無理。ぼく、きみが死んだら国滅ぼすからね。本気出したら、王都消し飛ばすくらい余裕だから」
「やめてください。規模が大きすぎます」
「じゃあ、ベルもしなないで。絶対に生き残って」
「勿論です。お嬢さまと坊っちゃんを残して、先に行くなど出来ません」
「……いつも真っ先に自害しようとするくせに」
「それはそれ、これはこれです」
解いた腕で区切りを作る僕を、リヒト様が笑う。
久しぶりに見た無邪気なそれに、ようやく息をつけた。
「ありがとう、ベル。ベルのおかげで元気出た」
「それは何よりです。最近の殿下はお元気がなさそうだったので、心配していました」
「ええっ、もう殿下呼びに戻しちゃうの? 名前の方がいいなあ」
「愛称ですので。それにこちらの方が、お仕えしている感じがして、僕はすきです」
「……エリーは名前なのに」
「エリーゼ様はそのようなご用命でしたので」
「ぼくもお願いしてるのに!?」
ショックだと言わんばかりの訴えを、にっこり笑って受け流す。
多分これは、殿下への対抗手段の少ない僕に与えられたカードだと思う。
そう易々と使って堪るものか。
冷めたお茶を下げ、いつも通り礼をする。
顔を上げると、いつもより自然に笑うリヒト殿下がいた。
「お茶のおかわりをお持ちしますね」
「ありがとう。ねえ、ベル」
歩き出したところにかかった声へ、振り返る。
目許を緩めて、彼が綻んだ口を開いた。
「きみがいてくれて、本当によかった」
「お役に立てて、何よりです」
微笑み返して部屋を出る。
しっかりと扉を閉めて、足音を立てないように速やかに、迅速に台所へ駆け込んだ。
あああああっあんの天然たらし王子……!!!!
心臓に悪い! 変な汗かいた!
そして暴言の数々!!
絶対に、僕のお役目以上のことを仕出かした!
国賊として訴えられても反論出来ない!
せめてお嬢さまの花嫁姿を見るまでは……!
お嬢さまを死亡フラグからお守りするまでは死ねない!! 断固として!!
両手で顔を覆って、胸の内で叫び回る。
お湯が沸騰するまでの間、即席ひとり反省会を繰り広げた。
大体、殿下も殿下だ!
収穫祭のときもそうだったけど、溜め込んだ末のネガティブ爆弾の威力が凄まじい!
軽々しく死ぬとか言っちゃ駄目!
命大事に!
みんなで守ろう、明るい未来!!
でも、貴重なお話を聞くことが出来た。
僕が無知なのは否めない。
僕は拾われる以前の記憶が混濁している。
始めに与えられた知識は下男としての教育で、従者となるべくマナーに重点を置かれていた。
他の同世代の子どもに対して、知識の幅が偏っている。
それが余計に僕を『普通』に見せて、足りない知識が何なのか、わからなくしているのだろう。
セドリック様と、王妃殿下。そして国王陛下、リヒト様と、エリーゼ様の関係。
僕が思っている以上に、リヒト殿下を取り巻く環境は、いいものではないのかも知れない。
たまたま僕がコード卿こと旦那様の配下にいるから、悪いものは見えにくいのだろう。
……奥様がお亡くなりになられていれば、旦那様も『良い主人』から外れていたのだろう。
……人の安息は容易く崩れるのだと、身にしみて実感した。
沸いたお湯をティーポットへ移し、蓋を閉じる。
はああああ、ため息が零れた。
ゲーム内で、死亡が確定しているのがリズリット様とお嬢さまだけだったから、完全に油断していた。
まさか他にも生死に関与する人がいただなんて。
それもメイン攻略キャラ。
最近自室へ戻っていないから、あとでちょっと戻って、手作り攻略ノートを確認しよう。
……お嬢さま以外のこと、ちっとも書いていないんだけど……。
カップを温めたお湯を捨て、紅茶を注ぐ。
……ひとまず、リヒト殿下に生きる意志を持たせよう。しっかり持たせよう。
対立戦後についても、全力でお手伝いしよう。明るい世界に引っ張ろう。
それでもって、うっかり王都を破壊しないように、街を散歩させよう……。
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