02
「なあ、ベル。クラウスさんとお散歩行かねぇか?」
今日も爽やかな笑顔で、爽やかに告げたクラウス様に、「構いませんが」と首を縦に振る。
爽やかに微笑んだ彼が海色の目を緩め、「ありがとな」と爽やかに片手を上げた。
クラウス様のこの清涼感って、一体何なんだろう……。
苦笑しても爽やか。
げんなりしても爽やか。
スポーツ飲料の宣伝に使えそうなくらい、いつでも爽やかだ。
「シトラスミントの香り……」
「うん?」
「クラウス様の周りだけ、いつでもスカッと爽やか……」
「はははっ。清々しいだろ?」
軽やかに片目を閉じた彼は、隣の席なので、何かと駄弁ることが多い。
頬杖をついた彼が、にっと口角を上げた。
「放課後な、ちょっと外まで付き合ってくれ」
「畏まりました。……あ。坊っちゃんをおひとりには出来ないので、ご同行の許可を願いたいのですが」
「……アルバート、なら、いいか」
爽やかに微苦笑を浮かべたクラウス様が、わしわしと僕の頭を撫でる。
だから何でそう、手軽に撫でるんですか!?
ぐぬぬと抵抗する僕に、クラウス様がけらけら笑う。
同い年のはずなのに、何だろう、この遊ばれている感じ! 解せない!!
時間は流れて放課後。
今日は問題なく過ごせた一日に深く感謝して、先導するクラウス様の後ろを坊っちゃんと一緒に歩く。
日没までの時間が徐々に延びていく空は青い。
心地の良い気候だった。
雑踏を進んで辿り着いた先は、遊具のない公園だった。
散歩に適したそこを、ジョギングしている人が過ぎる。
平和な風景に、のほほんとした。
ひとつのベンチへ向かったクラウス様が、こちらに背を向けたまま、額に手を当てため息をつかれる。
珍しい仕草に、坊っちゃんと顔を見合わせ瞬いた。
「クラウス様、どうかなさいましたか?」
「なあ、ベル。俺、結婚出来ないかもしんねーんだわ」
「はい!?」
こちらを向いたクラウス様は、大層お疲れなお顔をしていた。
普段の爽やかさを三割減させた、苦渋の表情だ。
く、クラウス様の清涼感を打ち破る大事件が……!!
「ど、どういうことでしょうか……!?」
「今、母上が王都に来てるんだがな」
「……それでリズリットはいないのか」
坊っちゃんのご指摘に、はっとする。
僕と坊っちゃんが揃っているところには、大体リズリット様も混ざられる。
それが今日に限っては同行されなかった。
真っ青な顔色で「行かなきゃ……行かなきゃ……」と震えていらっしゃったので、心配だった。
そうか……クラウス様のお母様のニーナさん、お越しだったのか……。
顔色悪く頷かれたクラウス様が、ベンチに座る。
膝で肘をついた彼が、神妙なお顔で指を組んだ。
「俺んとこな、縁談がずっっっっと難航してんだわ」
「そ、そんな! クラウス様ほどのお方でしたら、誰もがお喜びになられるでしょう!?」
「ははっ、ありがとな。ベル」
苦笑いを浮かべた彼が、深く息をつく。
顔を上げたその目には、だいぶん光がなかった。
思わずぎょっとしてしまう。
「母上の出す条件がな、厳しすぎるんだわ」
「どのような……?」
「母上のブートキャンプについてこれる女性」
「詰みましたね」
「詰んでるだろ? 無理だろ? 軍隊式トレーニングについてこれるご令嬢って、何もんだよ。無理だわ。いねぇわ。アリヤ家俺で途絶えるわ」
頭を抱えたクラウス様が、あああああ、長音を伸ばす。
坊っちゃんが引き切ったお顔で彼を見詰め、慰めるようにハンカチを差し出した。
あああああすまねえぇぇぇ、クラウス様がハンカチを受け取り、譲渡が完了した。
ニーナさんの軍隊式トレーニングを、僕は実際にお見かけしたことがない。
しかし幼少期からご参加されている、クラウス様とリズリット様のご様子を見る限り、恐ろしい現場なのだと推測している。
11歳のリズリット様が、迎えに来たニーナさんの馬車を見ただけで泣き出し、必死に僕にしがみつきながら拒絶していた姿を思い出した。
そしていつも飄々としているクラウス様が、軍隊的な空気になった瞬間に、人が変わる現象。
……何があったのかは存じ上げないが、それをご令嬢へ求めるのは、些か酷ではないだろうか?
もしもお嬢さまの嫁ぎ先が、訓練参加型なら、僕の心臓は発作を起こして止まるかも知れない。
……クラウス様には、大変申し訳ないけど……。
「……令嬢ではないが、……アーリアはどうだろうか?」
「アーリアさんですか!? た、確かにスタミナ面は心配ですが、克己心は勝ると思います」
「……2秒で断られた」
「あ。既にお声掛け済みでしたか……」
遠くを見詰めるクラウス様のお顔は、虚無的な笑みを浮かべていてこわかった。
お隣に回り、必死にお背中を擦る。
だ、大丈夫です、クラウス様……!
アーリアさんはっ、……クラウス様の奥様が、アーリアさんかあ……。
何だか想像つかないなあ……。
2秒でお話を蹴っているアーリアさんもアーリアさんで、全く持って容赦がない……。
「俺もな、アーリアくらいしかこの条件を満たせる人はいないと思ってな、書面上だけでいいからサインしてくれってお願いしたんだ。まあ、ばっさりだったんだが」
「アーリアさん……」
「子どもも養子でいいし、年に二回、領地で母上の相手してくれるだけでいい。ミュゼット嬢の侍女続けていいからって、お願いしたんだがな……」
「破格の条件じゃありませんか!?」
何でお断りしたんですか、アーリアさん……!
確かに僕たち思考回路が似すぎていて、結婚願望が壊滅的にありませんけど!
お嬢さまと坊っちゃんのために全てをお捧げする決意は揺るぎませんけど!
心からわかりますけど、その気持ち!
「『アリヤ夫人の訓練法には個人的な興味があります。挙式を含めた公の場に、私の代わりにベルナルドを立てることを認めていただけるのでしたら、お受けいたします。私の存在は紙面上の名だけお使いください』って言われたらなあ……」
「アーリアさん!?」
「いやさすがに、それはベルにとってあんまりだろって返したら、『ではこのお話はなかったことに』ってな」
「アーリアさんッ!!!!」
しれっと言いのける先輩の顔まで思い浮かべることが出来てしまい、苦渋に滲む胸中のまま、先輩の名前を叫ぶ。
ひどい! あんまりだ!!
常々僕の扱いが杜撰だと思っていたけど、まさか替え玉にまで抜擢されるとは思いもしなかったよ!?
僕がかわいそうだし、誰よりも一番クラウス様がおつらいからね!?
「『弟分は、他人の割りに私と見た目がよく似ているので』……いや、だからって、ウエディングドレスは不味いだろ。あんまりだろ。びっくりしたわ。
ベル、何かもう、本当にすまねえ。お前がドレス着ないように、俺、頑張って回避するわ」
「クラウス様はもっとお怒りになっていいんですよ? アーリアさん、今回のはちょっといじわるです……。クラウス様は悪くありません。もっとご自愛ください……っ」
「何が問題って、母上はアーリアのことを知っているところだよな! そんでもって、母上の訓練には乗り気なアーリアがいることだよな!!」
「あああああッ!! 現実がつらい!!」
じわじわと茜色が差す空に、僕たちの悲鳴が上がった。
あんまりだと思う! あんまりだと思う!!
きっとあれだ。
メイド服は制服だから着れるけど、ドレスなどの華美な服が嫌い過ぎる、アーリアさんのわがままだ!
それでもって、ニーナさんも男装の麗人なんて呼ばれる人物だ。
い、いやだ……! 罰則のメイド服だって着たくないから大人しくしているのに、ウエディングドレスなんて屈辱以外の何ものでもない!
隣を歩かせられるクラウス様がかわいそう!!
ただひたすらにかわいそう!!
何が悲しくって、人生の晴れの日に、女装した友達と歩かないといけないんだろう!? 辱めかな!?
「く、クラウス様、お気を確かに! いざとなれば、式当日にダンタリオン様のいらっしゃるお国の方へ亡命しますので!」
「だ、駄目だ! あそこは俺ん家からのが近い! コード領の方が安全だ!」
「それこそいけません! コード家はアリヤ家と親密です! この場合、奥様は黒です!!」
「そ、そうか。くそ……! どうすればいいんだ!?」
顔を覆って、ふたりして喚く。
静かに傍観していた坊っちゃんが、繊細な仕草で顎に手を添え、ふむと小首を倒した。
「アーリア・アリヤになるのか?」
「そ、それです!! 語感が気に入らないから、余計に無茶苦茶言ってるんです、あの先輩!!」
「すまない! 俺の姓がアリヤなばかりに!!」
「クラウス様は何ひとつ悪くありません!!」
ますます落ち込まれたクラウス様の肩を支え、必死に慰める。
怪訝そうなお顔で、坊っちゃんが口を開いた。
「……アーリアに家名はあるのか?」
「アリアナです」
「は?」
「アーリア・アリアナ。男爵家の次女です。公爵家へ奉公に来たと、ご本人より伺いました」
「……そうか」
呼んでしまった先輩のフルネームに、即座に索敵を巡らせ、他の気配がないか確認する。
左右と前後をしっかりと改め、ばくばくとうるさい心臓を服の上から押さえた。
「……決してアーリアさんご本人の前で、家名とフルネームを呼んではいけません。零下の眼差しで見下され、手合いで泣くまで甚振られます」
「……そうか」
「僕だって、故意じゃなかったんです! メイドの皆さん、大体家名で呼ばれてますもん。『アリアナ先輩』って呼んだだけです! なのにフルボッコでした! 痛かったです!!」
「……そうか……」
「すまないっ! 俺の家名のせいでこんなことに!!」
「クラウス様は悪くありませんッ!!」
両手で顔を覆うクラウス様を、必死で慰める。
あ、あんまりだ!!
こんなのってあんまりだ!
クラウス様ほどの良い人がこんな目に遭うなんて、あんまりだ!!
「……そうか。書面だけ……。……養子か。……なるほど」
「坊っちゃん……? 何かお気付きですか?」
「いや、何でもない」
そのときの坊っちゃんのお顔はひどく満足そうで、僕の肩を叩き、「アーリアには、僕からも伝える」珍しく柔らかく微笑んでいた。
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