番外編:ティンダーリアくんと

(コードくんとワトソンくんと)


 早足気味の靴音が廊下に響く。

 さり気なく後方へ視線を流したギルベルトが、笑顔を引きつらせて、前を歩く人物の肩を組んだ。


「ああっ、アルバート! 先ほどの講義について語り合いたいことがあるんだが、少しばかり時間をくれないか!」

「断る。文末には感嘆符ではなく疑問符をつけろ。触るな。離せ」

「ははは! ワトソンも聞いてくれるか! いやあ、助かる!!」

「えっ。えーっと、ティンダーリアくん、喜んで。あっちで話しましょうか」


 背後から突然肩を組まれ、アルバートとノエルが驚いた顔をする。

 そのままギルベルトの早足のまま連れ去られ、ずるずる、ふたりが脚を動かした。


 ノエルが背後を確認する。

 目を爛々とさせているのは、ギルベルトに取り入ろうとしている同級生のひとりだった。

 見れば他にも、虎視眈々と彼を狙うものがいた。


 ……俺も同類なんですけどねえ。


 ひとりごちたノエルが示した方向へ、素早くギルベルトがふたりを道連れにする。


「おい! 離せ!! 僕を巻き込むな!!」

「離したら逃げるだろう!?」

「当然だろう!? いいから離せ!!」


 必死にアルバートが腕を振って身を捩る。

 極力触れないよう暴れるその抵抗は、か弱かった。

 鼻で笑ったギルベルトが逃亡を続行する。

 アルバートの黄橙色の目が、苛立ちのまま中央の少年へ向けられた。


「貴様ッ、巻き込むなら、そいつだけにしろ!!」

「良いのか? ワトソンが消えれば、今度はお前が奴等の餌食になるんだぞ?」

「くそッ!!」

「わ、わあ。何でか知らないけど、俺が取り合われてる……」


 魔よけの人形かな? ノエルが首を傾げ、ずるずる引き摺られる。


 注釈を述べるならば、中央に立つギルベルトはノエルよりも背が低く、背の高いノエルは若干腰を屈めた歪な体勢を強いられていた。

 対するアルバートはギルベルトよりも背が低いため、そのような心配はない。


「ティンダーリアくん、次の角を右です」

「よし、わかった!」

「お前、いい加減にしろ!!」

「さてはアルバート、息切れだろう? お前、ずっと喚いているからな!」

「突き飛ばすぞ!?」

「え。やめてください、コードくん! 俺が巻き込まれます!」

「お前ら、大概ひどいな!?」


 人気のない廊下まで辿り着き、ノエルが背後を確認する。

 追っ手がないことに安堵の息をついて、彼がギルベルトへその旨を伝えた。

 緩められた歩調がようやく止まる。


「ここ、何でか知らないんですけど、いつも閑散としているんです」

「……ああ、そういえばここだったか? 自殺した女子生徒の霊が出るとか言われる階」

「何で!! そういうこと!! 言うんです! かッ!!!!」

「な、何がだッ!?」

「おい! いい加減離せ!!」


 ギルベルトの腕を振り払ったノエルが、頭を抱えて大声を出す。

 びくりと肩を跳ねさせた真ん中がアルバートへ寄るも、肘を駆使して暴れられた。


「そういうデリカシーのないところがいけないんです!! だからティンダーリアくん、王女様に遊ばれてるんですよ!!」

「なっ、エリーは関係ないだろう!!!!」

「貴様等うるさいぞ!? その喧しい息の根を止めてやろうかッ!!!!」

「コードくんが一番物騒で、一番うるさいです!!」

「ど正論!!!!」

「うるさい!! 貴様を今ここで怪談にするぞ!?」

「お前のその殺意は何なんだ!?」

「ああああッ、死んだ女子生徒の生年月日まで調べ尽くさないと、この階に二度と来れない……! ティンダーリアくん! 責任持って一緒に調べてください!!」

「いやっ、何処にでもあるただの噂だろう!?」

「もし本当だったらどうするつもりなんですか!!!!!」


 えええええ……。ギルベルトが表情を引きつらせる。

 騒がしいふたりに、今日の俺はうるさくないぞ……。少年が唇をとがらせた。






(菓子友と)


 ギルベルトの父親は、この国の宰相をしている。

 長い藍色の髪と、羽のような睫毛に囲われた琥珀色の目。

 整った鼻筋は高く、柔らかな微笑みをたたえる彼の父は、年齢を感じさせない美貌を保ち続けていた。


 彼の息子であるギルベルトも、年若いながらも、その容姿を受け継いでいる。

 父譲りの藍色の髪と、琥珀色の目。

 整った顔は、口を閉じていれば、観賞用の人形のように見るものを魅了する。


 ――そう、口を閉じていれば。


「ベルナルドッ!! 親父から菓子をもらってきたぞ! 受け取れ!!!!」

「ぎ、ギルベルト様っ、お声をもう少し、えええっ、お父上を親父などと呼ばれるのですか!? あの美しさの集大成である宰相閣下をですか!?」


 ひいっ、肩を跳ねさせたベルナルドへ、いっそ清々しいほど雑に、高級菓子の箱が押し付けられる。

 銘柄を見下ろしたベルナルドが、ますます顔色を悪くさせた。


 お嬢さまと坊っちゃんとリヒト殿下へ献上しよう!!

 彼の中でお菓子の譲り先が決まる。


「親父は親父だろう? 何がそこまで問題だ?」

「た、確かに宰相閣下は二児の父ですが……! ここはお家柄からして、『父上』や『お父様』が定石ではないでしょうか!?」

「親父も親父で、俺のことを『馬鹿息子』や『どら息子』と呼ぶぞ?」

「ああああっ! 宰相閣下、あのお顔でそのような言葉遣いをしてはいけません……!」

「お前、うちの父親に夢を見すぎじゃないか? キャッチボールをしようと言い出して、顔面でボールを受け止めるんだぞ? あの親父」

「想像していた以上に運動音痴!!」


 呆れ顔で腕を組んだギルベルトが、父との思い出を口にする。

 運動音痴と名高い宰相の、まさかの運動能力の低さに、知ってしまったベルナルドが顔色をなくした。


「隣を歩くと、途中で消えることがある」

「どちらに!? 迷子ですか!?」

「いや、足元に。転んで尻餅をついていた」

「ギルベルト様! こ、このようなお話、僕にして国賊とかで訴えませんよね!?」

「何がだ? この程度の話、腐るほどあるぞ?」

「宰相閣下……!!」


 ベルナルドが両手で顔を覆う。

 あの美の結晶である宰相閣下が、尻餅とか嘘ですよね!?

 涙の溢れそうなそれを不思議そうに見詰め、ギルベルトが首を傾げた。


「ああ、そうだ。この頃親父が城で監禁されているんだが、」

「誤解を招く言い方、やめませんか? お忙しいんですね?」

「先月の末頃から帰っていないらしい。昨日の休みに会いに行ったんだが、あれは相当きてるな」

「待って、大丈夫ですかそれ!? 過労死しません!? 大丈夫ですか!?」

「二週間空を見ていないらしい。とりあえず肩くらいは揉んでやったが、……親父のああいう姿を見る度、絶対に宰相にはなりたくないと、心から思う」

「お労しい……」


 遠くを見詰め、ギルベルトが哀愁に駆られたため息をつく。

 涙を禁じえないベルナルドが、口許に手を添えた。


「だがな、あのくそ親父、俺がそう思う度に『次はお前の番だ』と腹立つ笑顔で抜かしやがる。腹癒せに淹れてやった紅茶に七味を混ぜてみたんだが、全く気付かんでな。あれは駄目だ」

「……えっ。ティンダーリア家、そんな感じの家族のコミュニケーションなんですか?」

「そこでな。親父の気分転換のためにも、親父の菓子友であるお前に会ってもらいたいんだ」

「菓子友!? いえっ、一使用人の僕が、そう易々とお城へ行けるわけないじゃないですかー!!」

「許可はもう出してある。適当にティンダーリアと言えば、勝手に案内されるだろう」

「いやっ、……やだ!! 権力者のこういうところがやだ!!」

「親父を元気付けるためだと思って、のんでくれ。ああ、あと、白髪の相談をされると思うが、適当に抜いてやってくれ」

「し、白髪!?」


 あの年齢と無縁そうな宰相閣下が!?

 今にも倒れそうな様子で、ベルナルドが叫ぶ。


「親父にも白髪くらいあるぞ? 見つけたときに抜くか聞いたんだがな。迷った末に三時間後に抜いてと言われた。帰る間際だぞ? 帰るわ」

「いえっ、だからって、そんな、僕に閣下の御髪へ触れと?」

「まあ、確かに長くて掻き分けるのも面倒だが、少し相手してやってくれないか?」

「僕とギルベルト様の温度が違う!!」

「風呂とか面倒だろうなあ。『張り付いて冷たい』とか言い出すから、切れと言ってるんだがな。『これがお前の未来の姿だよ』とか。うるっせーわ! 誰が伸ばすか!!」


 襟足にも届かない短い髪を乱雑に掻き、ギルベルトが悪態をつく。

 ……仲がよろしいのですね……。

 肩を落としたベルナルドが、諦めたように呟いた。


「あと何だ? ああ。多分、世界で一番、コード卿の王都到着を喜んでいる」

「……はい? 旦那様をですか?」

「ど下手くそスキップで、コード卿の腕を掴んで部屋に連れてったわ。あれは監禁だな」

「もっとマイルドな言い方にしませんか? 犯罪のにおいがします。篭城とか、缶詰とか。そんな物騒な言い方しないでください……」

「俺、小さい頃親父は城に住んでるんだと思っていたからな。むしろ家にいる方が違和感だからな。家に帰りたいと訴える親父を見て、ようやく親父は住んでいるじゃなくて、帰れないんだと知ったからな」

「惨い……」

「まあ、そんな感じでだいぶんきてるから、会いに行ってやってくれ」


 じゃあな! 片手を上げたギルベルトが勢い良く扉を開ける。

 上品さが全て見た目に吸収されたかのような仕草で部屋を出る彼を、諦め顔が見送った。






(王女殿下と)


「エリー! 次の休みに買いものへ付き合ってくれ!!」

「嫌よ。めんどくさい」

「エ リ ー !!!!」


 片手で耳を塞いだエリーゼが、言葉通りの面倒そうな顔で、ギルベルトを見上げる。

 見た目だけなら美人の彼が、悔しそうに彼女の机を叩いた。


「休みの日に外へ出たら、休みじゃなくなるじゃない」

「休みは休みだろう!?」

「はい、引きこもりとの線引きがここで成されましたー。入場禁止でーす」

「いやっ、待て! 何がいけなかったんだ!?」


 机の上をびーっと滑ったエリーゼの右手に、ギルベルトが慌てる。


 鼻で笑った王女殿下が、読みかけの本を開いた。

 目の前の存在を無視する仕草に、被害者のギルベルトが目尻に涙を浮かべる。


「エリー!!」

「あははっ、あなたって本当実直ね。話くらいなら聞いてあげるわ?」


 にやにやと笑うエリーゼが本を閉じる。

 机の脇に置かれたそれに、ギルベルトが安堵の息をついた。


「親父に頼まれてな、」

「あなた。その顔であの顔の父親をそう呼ぶのはやめなさいって、何度言ったらわかるの」

「な、何故だ!? 父とでも呼べばいいか!?」

「あー、もういいわ。さっさと続きを言いなさい」


 赤い目を半分まで閉じた少女が、面倒そうに促す。

 ぐぬぬと唸ったギルベルトが口を開いた。


「なんとか屋というところで、マカロンを買ってこいと使いを受けた」

「ほんっと雑ね」

「ば、場所は覚えている! 美術館の近くの、青白い店だ!」

「風情壊滅。ムードなし。デートのお誘いなら、もう少しときめけるように言いなさいよ」

「で、でっ、デートではない!!!! ただの使いだ!!!!!」

「うるっさいわね! 少し黙りなさいよ!!」


 顔を真っ赤にさせたギルベルトが渾身の力で叫び、エリーゼが眉間に皺を寄せて苦情を訴える。


「だっ、断じて! デートではないからな!? 違うからな!?」

「はいはい。申し訳ございませんねぇ? 勘違いしちゃって」

「ち、ちがっ、ちが、いや、ちがわ……ちがっ」


 耳まで真っ赤に染め、ギルベルトが必死に首を横に振る。

 小刻みに震える肩に、拗ねさせた顔をエリーゼがにやりとさせた。

 くつくつ、彼女が笑みを零す。


「仕方ないから、お使いに付き合ってあげるわ。感謝しなさいよ?」

「い、いいのか? 本当か!?」

「はいはい、本当本当」


 一瞬で表情が晴れやかになった少年を見詰め、エリーゼが頬杖をつく。

 待ち合わせ時刻を決める嬉しそうな顔を見上げ、彼女があしらうように手を振った。


 約束の日に寮を出たエリーゼは、待ち合わせ場所である門にいるギルベルトと、従者のユージーンを見つけた。

 目許に手で、影を作る。

 ……眩しい。彼女の感想はそれだった。


 クラシックな服装に身を包んだギルベルトは、口さえ閉じていれば父親似の繊細な見た目をしている。

 伏し目がちな睫毛も長く、画家の良いモデルとなっただろう。


 エリーゼの発した靴音に気付いたらしい。

 顔を上げたギルベルトが表情を綻ばせた。

 柔らかな陽光を受ける琥珀色の目が、うるりと色彩を変える。


「エリー!! おはよう!!!!」

「……本当、あなた、そういうところを直せば、満点なのに……」


 がくりと両手で顔を覆ったエリーゼが、「はいはい、おはよう」雑な挨拶をした。






『なんとか屋』なる『青白い』菓子屋で希望のマカロンを購入し、ギルベルトがエリーゼの隣を歩く。

 土産にと与えられたマカロンは、後ろに控えるユージーンが持っており、彼女は手ぶらだった。

 手持ち無沙汰なそれを動作に合わせて振りながら、右隣の少年を見遣る。

 本当にただ『お使い』をこなすだけの彼に、彼女がため息をついた。


「ギル」


 端的な呼びかけに振り向いた彼へ、エリーゼが右手を差し出す。

 少女の顔と手を幾度か見比べたギルベルトが、首まで肌を真っ赤にさせた。


「なっ、なななッ!?」

「エスコートくらいしなさいよ。本当に気が利かないんだから」

「こここ、婚前の女性と! 手を繋ぐなど!!!!」

「……あなた、心底難儀ね……」


 呆れたようにため息をつき、大人しくエリーゼが手を下ろす。

 口惜しそうに顔を背けたギルベルトに、再度ため息をついた彼女が徐に顔を上げた。


「……じゃあ、美術館へ行きましょう? あなた、館内では静かにするのよ?」

「お、俺だって! 時と場所と場合くらい守れる!!」

「どうかしら」


 すたすたと先を行くエリーゼを、慌てた様子でギルベルトが追いかける。

 更におろおろとユージーンが後に続き、入館手続きを終えた従者が静かに後ろに控えた。


 広い館内は疎らに見学者を置き、過去の偉人たちの作品を展覧していた。

 絵画が日焼けしないよう配置されたそれらを巡り、再びエリーゼがギルベルトへ目を向ける。

 つぶさに作品を見詰める琥珀色の目は真剣で、物珍しい様子と見目の良さもあり、彼女はぼやりとその横顔を眺めていた。


 はたと長い睫毛を上下させ、ギルベルトがエリーゼへ顔を向ける。

 やんわりと微笑んだ彼が、尋ねるように小首を傾げた。


「どうした?」


 微かな声だった。

 しっかりと場所に合わせられた声量だった。

 大きく目を瞠ったエリーゼが、瞬間的に絵画の方へ顔を向ける。

 真っ赤に染まった彼女の頬に、彼が困惑の表情をした。


「大丈夫か? 顔が赤いが、具合が悪いのか?」

「いいえ。何ともないわ。大丈夫。でもそうね、少し外へ出たいわ」


 エリーゼは身体が余り丈夫ではない。

 心配そうに腰を屈めたギルベルトが、囁きながら彼女の額に手のひらを当てる。


 まさかここまでの破壊力があるとは……!


 内心で叫んだエリーゼの静かな訴えなど露とも知らず、ギルベルトが労わるように彼女の腰に手を添えた。

 道順を逆に歩いた彼が、紳士的な声音で係員に声をかける。


(手は繋げないくせに、腰は大丈夫って、どういう了見よ!?)


 怒声として発したい思いをごくりと飲み込み、真っ赤な顔を俯けたエリーゼがスカートを固く握った。

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