02
リヒト様と同様に、エリーゼ王女殿下も、寮の最上階にお部屋がご用意されている。
わたくしには縁のない場所だと思っていた昨日までが、とても恋しい。
ベルもこんな気持ちだったのかしら?
キリキリと痛むお腹を擦った。
アーリアと一緒に、警備兵さんに連れられて、王女殿下のお部屋へお伺いする。
小気味良いノックの音が、扉を開く音を続けた。
「……コードの。急に呼び立てて、悪かったわね」
現れた王女殿下は、学園でお見かけするご様子同様に、半眼でぶっきら棒な口調だった。
緊張のまま頭を下げる。
通された広間で、静々礼をした。
「本日はお招きいただきありがとうござ、」
「そういうの、いらないわ。私、社交のためにあなたを呼んだわけではないの」
「……はいっ」
ぴしゃりと言い放たれて、泣きたい心地に陥る。
社交のためでなくても、王女殿下と公爵家の人間の会談なのよ?
無礼を働いてしまえば、最悪家がなくなってしまうわ……。
震えるわたくしを見ることなく、「適当に座っていて」とソファを示され、王女殿下がキッチンスペースへ入ろうとする。
機敏に動いたアーリアが、さり気ない仕草でその進行方向を塞いだ。
丁寧なお辞儀をする。
「ご用命を」
「……お茶をお願い」
「畏まりました」
淡々としたアーリアが、音もなくキッチンスペースに消える。
わたくしのお姉さんの豪胆さと洗練された所作に、はわわと震えた。
ベルがアーリアに憧れている理由が、この瞬間だけでわかってしまう。
こちらを向いた王女殿下が肩を竦めた。
柔らかな白髪を歩幅に合わせて揺らせ、ソファの脇に立つ。
「座りなさい、コードの」
「っ、失礼致します」
王女殿下の対面のソファへ腰を据え、強張りそうな表情を懸命に笑みの形に保つ。
何故わたくしが呼び出されたのか、全く心当たりがない。
……ベル絡みだろうか? だとしたら、嫌だ。
背筋を正して、王女殿下の言葉を待つ。
彼女の赤い目が、呆れたように細められた。
「そう緊張しなくていいわ。今日、あなたに相談があって呼び出したの」
無茶を仰らないでください! リヒト様と違って、わたくしとあなたは顔合わせもろくにしていないのです!
引きつる内情を懸命に飲み込んで、「相談、ですか……」掠れた声を振り絞る。
ますます半眼になる王女殿下に、生きた心地がしない。
――お父様、お母様、アル、ベル……。
ごめんなさい、わたくし、このまま家を没落させてしまうかも知れません……。
「……あなた、来たばかりの頃のちびっこにそっくりね。その悲壮さなんか、瓜二つよ」
「は、はい?」
「話を続けるわ。あなた、『対立』について、どこまでご存知?」
「え、ええっ?」
世間話から急角度で回答を求められる質問を投げられ、完全に笑顔を引きつらせてしまう。
た、対立? 対立って、あのおとぎ話の『対立』のこと?
どうして王女様に呼び出されて、神話の一節を答えなければいけないのか?
混乱に頭がぐるぐるした。
「……ええと、創世記に出てくる、『天秤の外の者』のことでしょうか?」
「そうよ。それ、今度来るから」
「ええっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
そんな、王女様は一体何を言っているのかしら!?
だってあれは、『悪いことをしたら、悪魔が連れ去りにくる』類の、教訓のお話でしょう!?
アーリアが静かな仕草で茶器を置いた。
彼女がわたくしの後ろに控える。
王女殿下は、相変わらず平静な顔をしていた。
「まあ、妥当な反応よね。あなた、王都の人間じゃないもの」
「ど、どういうことでしょうか……!?」
「前回の対立戦が、10年か、11年前ね。
あれ、ただの寓話ではないの。実際に……何かよくわからない敵が押し寄せてきて、戦わなくちゃいけないの」
「ええ……っ」
途中で説明を放棄した王女様の、ざっくりとした説明に困惑してしまう。
狼狽えるわたくしを半眼で睨みつけ、小柄な彼女が盛大にため息をついた。
「私が実際に見たわけではないもの。仕方ないでしょう? 当時4歳の幼女が何を知っているの」
「それは、そうですけど……」
「でも、セドリックお兄様は、この戦いで命を落としていらっしゃるの」
「え?」
淡々としたお声が発した言葉に、思考が停止する。
おとぎ話の絵空事が、『命を落とした』の一言で、寒々しいものへと塗り替えられた。
強張るわたくしを一瞥した王女殿下が、茶器を手に取り口をつけられる。
「当時の資料には、セドリックお兄様は16歳で対立戦へ臨まれた、と書かれていたわ。ユーリット学園へ入寮していたから、私と最後にお会いしたのは、2歳か3歳のときかしら?」
「……セドリック様とは、リヒト様のお兄様でしたよね……? 第一王子の……」
「ええ。セドリックお兄様がお隠れになった今、実質リヒトお兄様が第一王子のようなものだけれども」
エリーゼ王女がソーサーを鳴らし、小さく息をつかれた。
確か王妃殿下は、最愛の息子、セドリック様を亡くして以来、お心を痛めて公の場に出られなくなったとお聞きしている。
以降もお子をもうけることはなく、リヒト様が王位を継承するだろうと周囲は語っている。
「王都では、『対立』の話は禁句になっているの。厄災とでも言えばいいかしら? セドリックお兄様は優秀なお方だったから、傷跡も深いのよ。だからまだ公にはしないで頂戴」
「何故、そのような話を、わたくしに……?」
「あなたは確実に、対立戦に組み込まれるから」
いっそ清々しいほどあっさりと言われ、心臓が竦み上がる。
わたくしの後ろで、アーリアが緊迫しているのがわかった。
「あとは、リヒトお兄様と、あなたのとこの元ちびっこも確定ね」
「ベルの、こと、ですか……?」
「ええ。あなたたちは貴重な安息型だもの。選ばれないはずがないわ」
「……ッ」
王女殿下のお話が、全く理解出来ない。
いいえ、理解することを拒んでいる。
命を落とすかも知れない、忌避すべき危険なものと、戦えと言われている。
……訳がわからない。困る。
そんなよくわからないもののために、わたくしもあの子も、リヒト様も危険に晒されたくない。
「……順を追って説明するわ。『対立』は、神話に出てくる、天秤の均衡が崩れることによって、現れるの」
ため息混じりに、目線を俯けた王女様が、淡々とした口調で言葉を重ねる。
冷え切った指先を握り締めて、その言葉に耳を傾けた。
「私たち魔術師は、対立と抗争するために魔術を与えられた。そう神話は語っているわ。
天秤の均衡を守るために対立と戦い、調停を待つ。無事調停を迎えれば世界の均衡は保たれ、安息を得られる」
「調停、とは……?」
「さあ? 諸説あるわ。選定者とも、大いなる神とも、天秤を弾ませる装置とも。けれども全て、体験者の話を未体験者の学者がまとめた、憶測の論文よ」
王女様が茶器を手に取り、水面を見詰める。
徐に真っ赤な双眸がこちらへ向けられ、肩が跳ねた。
「対立戦は心身……特に精神を激しく損傷するの。過去これまでに、多くの犠牲者が出ているわ。詳しくは歴史書でも読んでみて。
ゼンズフトの戦い、ローズダスト聖戦、ノイギアの悪夢、英雄レグホーン……色々あるけれど、対立戦で有名なのはこのくらいかしら?」
歴史の授業でもよく耳にする、有名な戦争の話。
争いの話は恐ろしくて、わたくしは名前と年号、そして貢献者の名前くらいしか覚えていなかった。
「とにかく、不定期に対立はやってくる。ここユーリット学園は、その戦いに備えた砦よ」
「『対立』とは、一体何なのでしょうか……?」
「あなたが答えを言ったじゃない。『天秤の外の者』よ」
ひとくち紅茶を煽り、華奢な指先が茶器を鳴らす。
王女様が、真っ直ぐにこちらを向いた。
いつも通りの半眼だったが、その表情は真剣そのもので、固唾がこくりと喉を鳴らす。
「……嫌なら、拒否すればいいわ。決定権はあなたにあるもの」
唐突に告げられた王女殿下の言葉に、思わず目を瞠る。
「ただ、あなたが欠けることで、戦力が大きく削がれることを覚えておいて」
「っ、何故……?」
「回復も壁も、味方を守るものでしょう?」
「……っ」
「本来なら、私も戦力になるはずだったのよ。上手く制御出来れば、私はリヒトお兄様以上の力になる」
悔しげに俯いた少女が、ぎりりとスカートを握り締める。
それまでの朗々とした声音とは違い、搾り出すような無念の声だった。
「でもね、私の身体は、器になるには脆かったの。……暴発しないよう、抑えるだけで精一杯よ。
散々揶揄された『魔女』ってあだ名も、髪が白いことだけが原因じゃない。幼少期は特に、制御が利かなかったのよ。おかげで寝込んでばかりだったわ」
エリーゼ様は、実技訓練を一戦しか行わない。
その一戦ですら、真っ青な顔色で、今にも倒れそうな身体で行っている。
度々教官やギルベルト様、リヒト様、そしてベルに支えられているそのお姿が、これまでずっと不思議だった。
けれども、そうか。
暴発すれすれのところで、いつもお耐えになられていたのか。
顔を上げたエリーゼ様は、いつもの王女様のお顔に戻られていた。
声音からも感情が排除され、元の淡々としたものへと戻っている。
「……あなたに話したのは、あなたがコード卿の娘だからよ。失う可能性と、残される悔恨。よく考えて答えを出して欲しいの」
「…………」
「リヒトお兄様を助けてくれたあなたたちへ、妹の私から出来る、たったひとつのお礼よ。……こんなものしか用意出来なくて、ごめんなさい」
以上よ。衣擦れの音を立てた王女殿下がソファから立ち上がり、扉の方へと身体を向ける。
言外の見送りの仕草に、静々立ち上がった。
アーリアとともに扉の前まで赴き、ドアノブを捻る前に、背の低い少女へ頭を下げる。
「本日は貴重なお話、ありがとうございました」
「くれぐれも、他言しないでちょうだい」
「勿論です。それであの、」
真っ直ぐに、わたくしと色の似ている、けれども全く異なる赤い目を見詰める。
半眼を瞬かせる彼女へ、微笑みを向けた。
「わたくしは、『ミュゼット』です。コードはこの学園に、もうひとりおりますので」
「ああ、そうね。……じゃああなた、『シロウサギの』ね」
「う、ウサギ、ですか……?」
狼狽えるわたくしを、くくっ、と笑い、王女様が赤い目をにんまりとさせる。
楽しげな口調で、彼女が続けた。
「もう持ち歩かないの? あの白いの」
「……今は部屋におります」
「ふふっ。女の子って馴染みがなかったから、あなたみたいなメルヘンな子、憧れていたのよね。あなたウサギっぽいし、丁度良いあだ名が出来たわ」
「……王女殿下の方が、ウサギっぽく思えますが……」
「エリーゼでいいわ。殿下って、この学園にもうひとりいるもの」
「畏まりました……」
仕返しとばかりに口角を持ち上げられ、ぐぬぬと口を閉じる。
わたくしの様子を見て、エリーゼ様が愉快そうに笑った。
「あなたみたいなの、からかうと面白いから、すきよ」
「……エリーゼ様、……わたくしが思っていた以上に、いじめっこなのですね……」
「知らなかったの? 趣味は、ギルと元ちびっこを泣かせることよ」
「そ、そうですの……」
「あと、お兄様に喧嘩を売ること」
いっそ晴れやかな笑顔だった。
リヒト様の困った顔が、脳裏に浮かぶ。
「そして今、あなたを困らせることが追加されたわ」
「……っ、変えませんか?」
内心冷や汗を掻きながら、にまにま笑う王女様へ直談判する。
軽やかにドアノブを捻った部屋の主が、先程までの半眼を拭い捨てた爽やかな笑顔で手を振った。
ひらひらと揺れるそれが、「おやすみなさい」可憐な声を添える。
ぎこちない声で、同じ台詞を返した。
ぱたん、背後で鳴った扉の閉まる音。
二重扉のそれを潜り抜け、青褪めた顔で隣のアーリアを見上げた。
女性の中では背の高い方にいる彼女へ、縋るように声をかける。
「アーリア、わたくし、家を没落から守れるかしら……?」
「ご安心くださいませ、お嬢様。王女殿下とお友達になられたのです」
「ほ、本当に? 本当にそう思うの? わたくしには、『あなたをいじめるから覚悟してなさい』と聞こえたのだけれども……」
「ベルナルドも同じようなことを言っておりました」
アーリアのさっぱりした声に、ベルの顔を思い出す。
困った顔で「おじょうさま」と鳴く姿に、心がときめいた。
「ベルは、……あの子は可愛らしさと愛らしさの集大成ですもの。あの子を困らせたくなるのは、自然の摂理だと思うの。目いっぱい甘やかしたいわたくしと、意地悪したいわたくしが喧嘩してしまうの」
「……お嬢様、お部屋へ戻りましょう」
「そ、そうね」
アーリアに促されるまま、静まり返った廊下を歩く。
緊張からの反動だろう。
思い浮かべたベルの姿に、ほう、とため息をつく。
わたくしを見つけた瞬間、ぱあっと笑顔になるところが、可愛くてたまらない。
おじょうさま、と呼びかける声に、喜びがいっぱいに詰まっているところも愛らしい。
仕事のときは澄ました顔をしているのに、からかわれたり褒められたりすれば、ころころと表情を変えるのだから、わざとお澄まし顔を崩したくなる。
ああ、いけない。思い返したらにやけてしまう。
だから、ベルをからかいたくなるのは真理だと思うの。
仕方ない、あんなに可愛いあの子がいけない。
女の子があの子に言い寄るのは我慢出来ないけれど、多分エリーゼ様のあれは、リヒト様やクラウス様と似た性質のものだと思う。
大体いつも、ベルへ向ける笑顔があくどい。
……勿論、心情は微妙だけれども。
でもだからって、その矛先をわたくしに向けるのは、おかしいと思うの。
とにかく、妙なことを口走って、家を没落させないように気をつけなくちゃ。
みんなを路頭に迷わせないためにも、わたくしがしゃんとしなきゃ……!
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