L
色の変わる足音
「コードの」
実技訓練の最中にかけられた声。
最初、誰を呼んでいるのかわからなかった。
わたくしの肩を叩いたエリーゼ王女殿下に、思わず過剰に身体が跳ねてしまう。
驚くわたくしを背の低い彼女が見上げ、小さな唇が薄く開かれた。
「これ、落ちたわ」
「えっ? あ、ありがとうございます」
差し出された真白いハンカチを慌てて受け取り、はてと瞬く。
今日のわたくしのハンカチは、このようにシンプルなものだっただろうか?
ふいと背けられた白い頭が横を通り過ぎ、ふわふわとした御髪が歩幅に合わせて揺れる。
見送った後姿から手許のハンカチへ視点を落とし、四つ折のそれを摘んで開いた。
かさり、音がする。
「!」
中から二つ折りの紙が現れ、動揺する胸中を取り繕う。
そっと壁際まで移動し、さり気ない仕草で紙面を開いた。
『今晩20時、私の部屋に来て』
簡素な文字の羅列を飲み込み、畳んだハンカチを手早くポケットへ仕舞う。
訓練場内へ視線をさ迷わせ、ベルの姿を探した。
クラウス様と手合わせを終えた彼が、握手を結んでいる。
「お疲れさま、ベル、クラウス様」
「お嬢さま! 聞いてください、今日はあともうちょっとだったんです!」
「だなあ。そろそろ力技第二形態の力を解放するときか……」
「力技に形態とかあったんですか!?」
「あるある。クラウスさん、ムキムキになるから」
「こわい……」
怯えた顔のベルへ、クラウス様が爽やかな笑顔を振り撒く。
ムキムキなクラウス様……は、わたくしも、ちょっとこわいと思ってしまう。
平和そのものなふたりの会話に、何だか気が抜けてしまった。
思わず笑ってしまう。
「第三形態はムキムキのゴリゴリになるからな。服とか弾け飛ぶから」
「本当ですか!?」
「なんか沸き起こる波動で、木とか家とかが吹き飛ぶんだぜ」
「絶対嘘ですよね!? 冗談ですよね!!」
「くっ、まさかベルに見破られるとは……!」
言葉通り「くっ」といったお顔で、クラウス様が額を押さえている。
はわわ、ベルが震えた。
「どういう意味でしょう!? 僕、そのような冗談に引っかかれるほど、ピュアではありません!」
「まあ、第二形態は本当なんだが」
「ほ、本当なんですか!?」
「あっはっはっは」
満面の笑みのクラウス様が、わしわしとベルの頭を撫でる。
はっと悟った顔をしたベルが、瞬時にじと目で彼を見上げた。
心なしか、膨れっ面のようにも見える。
わたくしもわたくしで、にやけそうな口許を耐えるのに必死だ。
素知らぬ仕草で、口許に手を当てる。
わたくしのベルが、こんなにも可愛らしい。
「お嬢さまっ! クラウス様がいじめてきます!!」
「ふふっ、仲が良くて、わたくしも嬉しいわ」
「いやあ、ベルはからかい甲斐があるなあ」
「悪意しか感じられない!!」
もう! 憤るベルが地団駄を踏む。
ウサギの代表的な仕草を彷彿させるそれに、ますます口許が緩んでしまった。
本格的に笑い出してしまったわたくしに、「お嬢さままで……っ」ベルが悲壮な顔をする。
ゆらり、彼等の背後に、大柄な影が被った。
微かに紫煙のにおいを連れた人物の姿に、わたくしの喉が引きつる。
「よぉし、休憩時間は仕舞いだ。とっとと戦場に戻れや、ひよこども。そのぴいぴい喚くクチバシを引っこ抜くぞ」
「ひゃぐっ」
「ジル、教官……っ、これは、その……」
勢い良く肩を組まれたベルとクラウス様が、顔色を真っ青にさせる。
見るからに震えている。
にんまり、口許だけを笑ませたジル教官は、今日も険しい顔付きをしていた。
低く脅すために囁かれた声音に、知らず背筋が過剰なまでに伸びる。
「アリヤ、オレンジバレーは俺が直々に手解きしてやろう」
「え、遠慮します……!」
「あっ、エンドウさん! 今空いてますか!? 僕、そちらへ」
「コード。エンドウと組め」
「は、はい……!」
苦笑いを浮かべるエンドウさんへ向けられたベルの手が、ぱたりと落ちる。
くつくつ笑う教官に引き摺られ、彼等が死地へと連れて行かれた。
「あの兄ちゃんら、大丈夫かいねぇ」
「命までは……取られないかと……」
「ははは。半殺しか。こえぇなあ」
見送った先で、ベルとクラウス様が、悲鳴を上げながらジル教官と交戦している。
……何となく、護衛のハイネさんに勝てないベルとアーリアの構図を思い出した。
遠い目をするわたくしの傍まで歩み寄り、エンドウさんが優雅に左手を差し出す。
軽やかに片目を閉じた彼が、にんまりとした唇を開いた。
「じゃあ、お嬢さん。お手柔らかに頼むぜ?」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
軽快に繋いだ利き手。
明るく笑うエンドウさんはいたずらっ子のような顔をしていて、見ていて微笑ましい。
粗暴な口調が目立つ彼だが、何気ない仕草や気遣いのある姿勢に、度々どきりとさせられることがある。
エンドウさんは、女の子にとびきり優しく、男の子にも優しい。
編入してまだ二ヶ月も経っていないが、それでも彼のファンは着々と増え続けている。
家柄を重視する令嬢ですら、彼の婿入りを望む声が後を断たない。
男の子の憧憬さえも掴んでいるんだ。人徳に厚い。
わたくしも、彼には好印象を抱いている。
いつでも自然体な彼は、どの派閥にも属しておらず、さっぱりとした人間関係を築いている。
今後どう転ぶかはわからないが、現在の彼は中立だ。
それを維持し続けることは難しい。
けれども、彼は今後も中立の立場に居続けるだろうと、容易く想像出来てしまう。
エンドウさんの戦闘スタイルは独特だ。
武器などを使わずに、グローブを嵌めた手で殴りかかってくる。
剣が主流の貴族社会にとって、それは異質だった。
ぐいぐい間合いを詰める彼に、対戦相手は何れも狼狽している。
かく言うわたくしもnそのひとりだ。
接近されないよう、防護壁を練り上げ展開する。
「よっと、お嬢さんは防御タイプだったよな。よしきた」
回し蹴りを阻んだ見えない壁に、エンドウさんがにっと口角を持ち上げる。
軽やかに飛び退き、数度利き手をぶらぶら振った彼が、再び拳を固めた。
その際僅かに魔術の使用を感知し、念のために壁を二重に張る。
助走とともに振り被られた彼の腕が、ひび割れた視界を作り上げた。
「うそ……!」
「おっと、二枚仕込みか。そうだよなあ!」
ははっ! 愉快気な声を立て、流れる動きのまま、彼が踵を上げる。
硝子が砕けるような硬質な音を立て、一枚目の壁が崩れ去った。
……これまで、誰にもわたくしの防護壁は破られたことはない。
それをいとも容易く攻略されてしまい、焦燥が生まれた。
……これでは、わたくしの守りたいものを守ることが出来ない。
それでは意味がない!
二枚目の壁に、拳が入る。
走る亀裂。次の打撃で、この壁は崩れる。
彼の身体がしなやかに半回転した。――今!!
「――っと、ははっ。こいつは参ったな」
防護壁が破れるけたたましい音と、エンドウさんが体勢を整える空白の時間。
――ベルはすばしっこくて全然捕まらないから、座標を定めるために、動作の切れ間を狙うのがポイントなの。
――エンドウさんを閉じ込めた狭い箱の、密度を上げた。
……っは、息が切れる。
両腕を伸ばし切る前に、壁と触れる、助走のつけられない窮屈な空間。
こつこつ壁面を叩いたエンドウさんが、苦笑いを浮かべた。
「こーさんだ、嬢ちゃん」
「では、わたくしの勝ちでよろしいですわね?」
「おう。このとーり」
肩まで両手を上げたエンドウさんに、防護壁を解除する。
いくらか戻ってきたエーテルに、人心地ついた。
大きく腕を伸ばしたエンドウさんが、快活な笑みを見せる。
「いやあ、まんまと一杯食わされたぜ」
「いえ、わたくしも今回は肝を冷やしました」
笑顔で握手をかわし、額に浮いた汗を拭う。
……まだまだ、修練を積まなければ。
これでは、怪我ばかりするあの子を守るなんて、出来はしない。
頭の後ろで手を組んだエンドウさんへ、微笑みかける。
「初めて、壁を突破されましたわ」
「そうかい? ははっ、こいつぁ名誉なことだねぇ」
「エンドウさんは、どのような術をお使いなのでしょう?」
素朴な疑問だった。
彼は確かに魔術を行使していたはずだが、多くの人が用いる攻撃型とは、異なるように見えた。
どちらかといえば、ベルが用いる補助型が近いだろうか?
わたくしのような回復ではないことは確かだが……。
エンドウさんが、眉間に皺を寄せ腕組みをする。
考え込むように首を捻った彼が、悩ましい表情のまま口を開いた。
「なんつったかな……? 光の、……攻撃じゃねぇ方から、攻撃タイプに変わった? とかなんとか」
「はい?」
「いや、悪ぃな。ろくな説明も出来なくてよ。何か突然変異らしくてな。俺もよくはわからんのだが、とりあえず、殴るために強度を上げてる? とかか?」
「は、はあ……」
「えーーーー、あーーーーっ! あれだ! 身体強化! とか言うんだろ?」
「は、はあっ」
必死に言葉を探すエンドウさんが、ぴんと人差し指を立てて『身体強化』と言う。
そのような魔術まであるのね……。
世界は広いわ……。
何度も頷くわたくしに、彼が人懐っこい笑みを見せる。
「あの王子の兄ちゃんも使えるみてぇんだが、それやるとまあ、強くなれるんだ!」
「そ、そうですの……!」
「おう! 雑な説明で悪いな。詳しくは、王子の兄ちゃんにでも聞いてくれ」
にしても、教官えげつねぇなあ。
彼の呟きに後ろを振り返ると、ジル教官によってぼろぼろにされている、ベルとクラウス様がいた。
思わず音のない悲鳴を上げてしまい、慌ててふたりの元まで駆け寄る。
目を回している彼等に、「一発ずつ入ったから、一点ずつだ」教官の教官ポイントが加算された。
何点ためれば何が起こるのかわからないけれど、ジル教官はこうして謎ポイントを進呈してくれる。
良いことが起こるのか、悪いことが起こるのか、それすらもわからない。
けれども教官ポイントはじわじわたまっていく……。
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