03
傾ぐ日差しが茜色へ色彩を変調させる中、二年生の教室にアルバートはいた。
窓際のミュゼットの席に集まったいつもの面々が、不思議そうな面持ちで呼び集めた少年を見遣る。
ベルナルドを欠いた集会に、自席に腰を下ろす少年の義姉が、困惑したように頬に手を当てた。
彼女の正面で、窓枠に凭れるアルバートを見上げる。
「アーリアを借りたい……? アル、どうしたの?」
「調べてもらいたい人物がいる」
端的に降ってきた義弟の言葉に、ますます困惑した様子で、ミュゼットが斜め後ろに控えるアーリアへ顔を向ける。
冷淡な表情の侍女は顔色を変えず、いつも通り淡々としていた。
教室に残る生徒は疎らで、下校に追われる彼等の伸びやかな声が遠退く。
ぱたぱたと軽やかな靴音が廊下を駆け、笑い合う声が薄い扉越しに響いた。
平和で気の抜けたそれと、アルバートが浮かべる渋面との、温度差が激しい。
ミュゼットの隣の席を拝借したリヒトが苦笑い、正面の長机に凭れるクラウスがきょとりと瞬いた。
椅子を逆向きに座ったリズリットが、背凭れに組んだ腕を乗せる。
「アルくん、どうしたの? いじめられてるの?」
「ある意味そうかもな。ベルナルドが、また妙なやつに捕まった」
「は? 滅する」
「筆頭が言っていい台詞じゃないだろ、リズリット」
「クラウス、喧嘩売ってる? いくらで買って欲しい?」
「在庫切れでーす」
おどけるように手を開いたクラウスに、剣呑な面持ちでリズリットが頬杖をつく。
ため息をついたアルバートが、物静かな侍女へ顔を向けた。
「ワトソン家。ノエル・ワトソンについて、調べてもらいたい」
「アル、それだけではわからないわ。ベルがどうしたの?」
眉尻を下げたミュゼットが、尋ねるように小首を傾げる。
逡巡に口を噤んだアルバートが、ぶっきら棒な声でぼそりと呟いた。
「前提として、ベルナルドは複数のパイプを持っている。コード、ティンダーリア、アリヤ、王子王女両殿下。彼を懐柔すれば、これだけの子息子女と容易く近付ける」
「……改めて、ベルって稀有な存在だね」
「そう、ですわね……」
リヒトが呟き、ミュゼットが遠い目をする。
順に、公爵、宰相、騎士団、王族との副音声が添えられていそうな並びに、クラウスとリズリットまでもが苦笑いを浮かべた。
「それに気付いたやつが、ノエルだ。彼は頭が切れる。既にベルナルドは踊らされているな」
「今年の一年、おっかねえな……」
「くだらん化かし合いだ。本人も抵抗しているようだが、相手の方が上手だ。立場を取られれば、ベルナルドに勝ち目はない」
「そんなに殺伐としてるの? 今年の一年……」
「王女殿下とギルベルトの周りは普通の人混みだ。僕の周りだけ、そいつが追い払っている。数では助かっているが、性質が悪い」
「両極端な世界だね?」
軽やかに揶揄するリヒトに、赤味を増した斜陽がかかる。
眩しそうに目を細めた姿に、アーリアが静かにカーテンを引いた。
薄い色の布地が橙色に透ける。
「僕ひとりなら、どうとでも対処出来る。しかしベルナルドが増えることで、被害が三重になる」
「ベル……」
「被害なあ。ひどい言い様だな」
「実態が掴めんからな。ただの野心ならそれで構わないが、……多分あれは、僕と同族だ」
目線を落としたアルバートが小さく呟き、凭れた体勢を身動ぎさせる。
組まれた腕は自身の守りのようで、ポケットに両手を入れたクラウスが宥めるように口角を持ち上げた。
「それで調査依頼か」
「ああ。可能であるなら、ベルナルドをリヒト殿下に預けたい」
「ベルはこの話、知ってるの?」
「あいつが帰ってきてから話す」
「そっかー……」
難しい顔をしたリヒトが顎に手を添える。
彼が隣のミュゼットへ視線を寄越した。
眉尻を下げる彼女は、じっと義弟を見詰め続けている。
ぽつりと、小さな唇が開かれた。
「アルと同族とは、どういうこと? その人はそんなに大変なの?」
「伝わり難いことはわかっている。僕も上手く違和感を言葉に出来ていない。大袈裟に聞こえるだろう」
「そうではないの。ただ、ベルはあなたに会えることを、とても楽しみにしていたのよ?」
「わかった上での提案だ」
「そう……」
頬に手を当てる彼女の脳裏に描かれているのは、坊っちゃん坊っちゃんと花畑を振り撒くベルナルドの姿だった。
しょんぼりと落ち込む彼の姿まで容易く想像でき、ミュゼットも合わせて落ち込んだ表情になる。
ぱん、と手を叩いたクラウスが、リズリットへにんまり顔を向けた。
「あれだ。ベルの周りで、お前が騒ぐ」
「ええー? やだよー。ベルくんがいるのに、荒れる理由がないし」
「学園一の問題児は何処に行ったんだ!?」
「やめろよクラウス! アルくんに誤解されたらどうするんだよ!?」
「そういえばリズリット、ぼくたちが入学してから大人しいよね」
背凭れから身を起こしたリズリットが噛み付き、クラウスが爽やかに両手を上げる。
思案気なリヒトの言葉に、学園一の問題児が眉間に皺を寄せた。
「ベルくんが来てから、俺暴れてないよ」
「伝説がね、あちこちに色濃く残ってるから」
「もう時効でいいでしょ?」
「新入生はまだリズリットの脅威を知らない。余り良策とは思えんな」
「アルくん……? 脅威ってなに……?」
「言葉のままだ」
愕然と震えるリズリットを見ることなく、アルバートが淡々と答える。
愉快気に笑うクラウスの足を、リズリットが蹴った。
いって、長身の彼が蹲る。
「ですけど、噂で耳にしたリズリットさんのご様子が、余りにもわたくしの知っているリズリットさんと違っていて、驚きましたわ」
「絶対それ、誇張されてる!」
「実技訓練で相手の子を何人も泣かせたとか、木剣を壊した数は計り知れないとか」
「あ、それは真実」
「お前なー……」
あらあらと瞬くミュゼットに無実を表明するも、指折り数えるリヒトにあっさり首を縦に振る。
蹴られた箇所をはたいたクラウスが、半眼を作った。
悩み深そうにリズリットが腕を組む。
「うーん、何でだろ。あのとき、本当に自制が効かなかったんだ。でも、今はちっともそんなことないし……」
「ベル効果?」
「それは大いにある」
自信満々に頷くリズリットが、再び不思議そうに首を傾げる。
うんうん唸る彼が、ひとつに纏めた髪に指を絡ませた。
長さの不揃いなそれはざんばらで、容易く指に引っ掛かる。
「俺が一年のときも、毎週ベルくんとアルくんに会いに行ってたんだよ? コード邸にいたときだって、俺、さすがに四六時中ふたりに付き纏ってたわけじゃないのになあ……」
「環境が変わったから、とかでしょうか?」
「ええ、俺、そんなに繊細かなあ?」
「繊細ではないが、要注意人物だよな」
「うるっさいわ、クラウス」
茶々を入れるクラウスへ眼光を向け、リズリットが無理矢理潜らせた指を滑らせる。
長い指に引っ掛かった白髪を、彼が天井に透かした。
「今、ベルくんと教官じゃなくても、普通に手合わせ出来てるし、頭が割れそうだった衝動も治まってる。俺、何であんなに荒れてたんだろう?」
「アルバート効果?」
「それは大いにある」
キリッと表情を改めたリズリットに、アルバートが冷めた目をする。
考え込むように顎に手を添えたリヒトが、ことりと首を倒した。
金の髪が動きに合わせて揺れる。
「何だかあれだね、魔術の暴発みたい」
「どうなんだろう? さすがに魔術は暴発させたことないなあ」
「物理の暴発だもんな、脳筋」
「よし。クラウス、表に出ろ」
「閉店でーす」
へらへら爽やかに笑うクラウスへ、苛立ちを込めたリズリットが剣呑な表情で睨む。
彼等を置いて、ミュゼットがアルバートの顔を窺った。
「アル。ベルとお話してから、結論を出しましょう?」
「わかった」
「ぼくは、ベルとコード家が構わないなら、いつでも来ていいからね」
「ああ、助かる」
のほほんと微笑んだリヒトが席を立ち、アルバートが自分の鞄を掴む。
アーリアが元に戻したカーテンの向こうは日没を過ぎ、空の端に深緋色を残す空模様をしていた。
夜の近付く空気は薄暗く、確認した時刻が寮の門限までを逆算させる。
誰からともなく、「帰ろうか」と声が上がった。
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