02

「せーんぱいっ」


 翌日から、ノエルの標的にベルナルドが追加された。

 僕へのしつこさもますます上がった。

 ……理解しかねる。


 何故こいつはこうも、僕たちに付き纏うんだ?


「聞いてください、せんぱい。コードくんてば、俺のこといっつも無視するんですよー」

「わかっているなら話しかけるな」

「ふっふふー。コードくんとお話するには、せんぱいと仲良くするのが効果的のようですね!」


 意地悪く口角を吊り上げたノエルが、おろおろと状況を見守るベルナルドの腕にしがみつく。

 ……おい、振り払え。そのくらいの判断、自分でしろ!


 昼休憩に入ってしばらくした教室は人の流れも落ち着き、ようやく呼吸が出来たような心地を得た。

 眉間に皺を寄せる僕に、困惑の表情を笑みに変えたベルナルドが、丁寧な仕草で身を引いた。


「ワトソン様、お戯れも程々に」

「ノエルって呼んでほしぃーなぁ」

「……ノエル様」

「えへへー」


 音符やハートが可視化出来そうなほど、語尾を弾ませたノエルが、ベルナルドに擦り寄る。

 内情がますます苛立つ僕を置いて、他者との接触に抵抗感を抱かないベルナルドが温和に微笑んだ。


「ノエル様。僕を懐柔しても、あまり得はありませんよ」

「そんなことありませんよ~! 現にコードくん、人殺せそうな顔してますし」

「ぼ、坊っちゃん! お気を確かに……!」

「うるさい!!」


 怒鳴った僕に肩をびくつかせたベルナルドが、直後に素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 慌てて振り返った彼の後ろには、ぐったりとした白髪の少女がいた。

 うちの従者の背に張り付いている。


「あー……、しんどいー……」

「エ、エリーゼ様!? どうなさいましたか?」

「……公園に投げ込まれたパン屑の気分よ。寄って集って鳥に突かれるの」

「どのようなご気分ですか!?」


 先ほどまで机に伏せっていた白い頭は、王女殿下のものだったらしい。

「愛想笑いで、顔面筋肉痛よ」平坦な声が吐き捨てた。


 どうやらこの国の王女は、僕と同類の気質らしい。

 妙に親近感を覚える。


「ああ、お前、丁度良かった! なあ、断りの文言を一緒に考えてくれないか? 毎日会食のようで、気が休まらないんだ!」

「ギルベルト様! 予備動作なしで肩を組むのはおやめください!」

「腹痛だと言ってしまったからな。食堂には行けないな。参ったなあ」

「ギル。あなた人の話を聞く努力をしなさい」


 唐突に現れたギルベルトが、流れるようにベルナルドと肩を組み、うちの従者をびくつかせる。

 心臓の辺りを押さえるベルナルドは涙目で、よくリヒト殿下に驚かされては、身を縮めている姿を思い起こさせた。


 そんなうちの従者に構うことなく、ギルベルトが考え込むように顎に手を添える。


「なあ、エリー。どうするべきだろうか」

「知らないわよ。私が知りたいくらいだわ」

「もう2、3ヶ月すれば、皆さん落ち着かれますよ」


 非常にベルナルドと密着した距離で会話する重鎮等に、頭が痛くなってくる。

 曖昧な笑みを浮かべる支柱はされるがままで、それが余計に頭痛をひどくさせた。


 そんな中、俄然ノエルが目を爛々とさせているのだから救えない。

 ベルナルドには、二度と一年の教室には近付くなと言い含めるか。


「よかったら、お昼ごはん買ってきましょーか?」

「あ? ああ、いや。同級にそこまで頼む気はない」

「まあまあ、そう言わずに。ね、せんぱい!」


 にっこりと愛嬌を滲ませたノエルに、ギルベルトが片手を上げて断りを入れる。

 しかし直後に狡い手で話を振られ、従者の彼が瞬いた。

 肩を組む相手へ、ベルナルドが顔を向ける。


「……ギルベルト様、ユージーンさんはどちらに?」

「寮の方だろうな。あいつ気が弱いせいで、いっつも順番譲るんだ」

「……では、お食事のご用意をいたします。場所のご希望がございましたら、そちらへお運びいたしますが」

「空中庭園なんてどうでしょうか! 今日はお天気もよくて、気晴らしにもなると思いますよー!」


 毒のない顔で朗らかに微笑む、ノエルの手腕に戦慄する。


 彼は何としてでもこの大物を釣り上げたいらしい。

 思い通りになることも癪だが、ベルナルドが従者らしく懐中時計を気にした辺り、時間は刻々と減っている。


 ギルベルトが王女殿下へ了解を求め、僕からは見えない位置にいる彼女が短く応答した。

 ギルベルトの琥珀色の目がこちらを向く。


「アルバートは構わないのか? お前の姉貴、食堂だろ?」

「今更食堂へ行ったところで、席が取れるとも思えない」

「あー。それもそうか」


 乱雑に頭を掻いたギルベルトが、ベルナルドに「すまないな」と短く謝辞を述べる。

 温和に微笑むベルナルドは見本のように礼をし、場所の移動を提案した。

 エリーゼ殿下を引き摺りながら、案内するように珍しく前を歩く。


 ……踊らされている。

 その事実が、非常に不愉快だった。

 ベルナルドを利用して、ノエルは明け透けに踏み込んで来ようとする。


「エリーゼ様、そろそろお離しください」

「あなたってあれよね、パワースポットみたい」

「土地ですか!?」

「あっ! せーんぱい、お菓子はいかがですか?」


 どっちでしょ! ノエルが差し出した、両手に乗った銀包みの菓子を、ベルナルドが困ったように見下ろす。

 そろりと取られた片手のひとつが、飴包みのそれをくるりと回転させた。


 剥がされた中身を昨日と同じようにノエルの口内へと押し込み、ベルナルドが一層困惑したような顔をする。

 小麦色の何かを頬張ったノエルが、にんまりと口角を吊り上げた。


「……先輩が『当たり』を引くまで、運試し続けますからね」

「随分、身体を張られていますね」

「幸運が欲しいんです。三男なんて、頑張らないとパパとママに認めてもらえないんですよ~」


 前半をうっそりと囁き、途中からいつも通りの喧しさでノエルが笑う。

 顔をしかめたエリーゼ殿下が、ようやくベルナルドの背から離れた。


「あなた、またたらし込んだの? 本当物好きね」

「また、って何でしょうか!? 誤解です、エリーゼ様!」

「コードくんに王女様にティンダーリアくんと知り合い……。ふふっ、例え先輩が『当たり』を引いても、俺、これからも先輩に付き纏い続けますね!」

「ノエル様何に似てるって、猛禽類に似てるんですね! こわいです!!」

「このまま行けば、王子様とも知り合えるかも……」

「あなた、呆れるくらい野心家ね」


 僕の従者を挟んで、ノエルとエリーゼ殿下が何やら騒いでいる。


 僕の従者が、またわけのわからないやつに気に入られた。……頭が痛い。

 これならリヒト殿下に預けていた方が、まだマシだった。


 ……昼の迎えを断ろう。接点を断とう。

 これ以上、愉快な仲間たちを増やしてなるものか。


 ギルベルトがベルナルドの背を叩き、「急ぐぞ、時間がない」と行動を急かす。

 ……こいつくらい、あっさりとした付き合い方をしてほしい。


 懐中時計を開いたベルナルドが、無言のまま泣きそうな顔をした。

 恐らく、義姉と過ごす時間がなくなったことを嘆いているのだろう。


 ……やはり、リヒト殿下に預けよう。

 欲を言えばクラウスが適任だが、彼とはニーズが合っていない。


 だったら、誰もが手を出しにくい場所に、一時的に隔離しよう。




 *


 坊っちゃんにお使いを頼まれ、インクを買いに行くことになった。

 徒歩で向かった大通りは時間帯のせいか混雑しており、目的の文具店へ向かうまでに何度も道を逸れた。


 弾き出された道端で困惑してしまう。


 人混みに慣れていないせいか、波に上手く乗ることが出来ない。

 刻々と傾いでいく日差しが、夕陽へ変わり行く景色に焦りを覚えた。


 ――お店が閉まる前に買いに行かなきゃ。


 大きく息を吸い込み、意を決して早足の往来へ踏み込んだ。


「――おっと、大丈夫かい?」

「わわっ、すみません!」


 うっかりぶつかってしまった人物に、肩を支えられる。

 もつれた脚を再び路肩へ押し戻され、慌てて頭を下げた。


 ……この感じ、知ってる。

 大縄跳びが跳べないあれだ。


 持ち上げた視界が、ユーリット学園の制服を映す。

 はたと瞬き勢い良く顔を上げると、桃色の髪の見た目男子がそこにはいた。


 驚いたように目を丸くさせた、どう見ても『彼』なエンドウ様が、にっかりと快活な笑みを見せる。


「ああ、兄ちゃんだったか。奇遇だな!」

「エンドウ様! すみません、お手を煩わせました」

「あー……、その、様っての、どうにかなんねぇか?」

「エンドウさん……」

「……まあ、仕方ねぇか。兄ちゃん腰低いもんな」


 苦笑いを浮かべて頬を掻いたエンドウ様が、僕の肩をばしばし叩く。

 意外と攻撃力の高いそれに、喉の奥で呻いた。

 ははっ、軽やかな笑い声が響く。


「何処行く予定だったんだ? 案内してやるよ」

「いえ! そこまでお世話になるわけには……!」

「早く行かねぇと、店、閉まるぜ?」

「……文具屋さんです……」

「おう、任せろ!」


 悪戯に微笑んだエンドウさんが、慣れた仕草で左手を差し出す。

 緩く腰を折られるエスコートのポーズに驚いた。


 な、何だろう、この男子力……!


 エンドウさんの周りに、何だかキラキラした幻覚が見える気がする!

 これが主人公補正かな!?


 いや、え? 僕がそっちなんだ!?

 いやっ、確かに案内してもらうけど、……えええええ。


 戸惑う僕を楽しそうに笑い、エンドウさんが左手を伸ばす。

 掴まれた右手が引かれるまま、人混みの中へ飛び込んだ。


 先ほどまで苦戦していた人波を、エンドウさんがすいすい渡って行く。

 す、すごい……。


「あれだな。兄ちゃん、やんごとない感じだから、こういう雑多なの慣れてなさそうだよな」


 文具店の前で流れから排出され、足りない酸素を大きく取り込む。


 呼吸の上がった僕に対して、エンドウさんは慣れたもので、いつものように頭の後ろで腕を組んでいらっしゃった。

 けろっと笑った顔が、驚きの感想を述べる。


「や、やんごとなくは、ありません。僕これでも、スラム出身なので」

「そうか? じゃあ、先生さんのご指導がよかったんだろうな!」


 先生さん、の言葉に養父を思い出し、何となく照れた心地に陥る。

 咳払いを間に挟んで、エンドウさんに頭を下げた。


「助けていただき、ありがとうございます」

「ああ、いいって。こんだけ若ぇのに、しっかりした坊主だなあ」

「……エンドウさん、度々おじさんっぽくなられますね」

「ははっ。おっさんだからな」


 にっと口角を上げたエンドウさんが、「行った行った」手で払う仕草をする。


 度々彼女から感じる違和感は、年配の男性らしさだ。

 何だかこう、枝豆と缶ビールと野球観戦が似合う雰囲気を感じた。


 慌ててお店を確認し、去り際に会釈する。

 背を向けた肩が、後ろからがしりと掴まれた。

 こういうどっきりイベントいらないからあああああ。


「待った、兄ちゃん。帰り、帰れるか?」

「……行き着くところまで、流されてみようと思います」

「門限、間に合うか? あの反省文、結構手間だぞ」

「…………何とか、してみせます」

「おう、わかったわかった」


 エンドウさん、門限破ったことあるんだ?


 背中をぽんぽん叩かれ、肩を竦めたエンドウさんも一緒に入店する。

 戸惑いから眉尻が下がるも、「欲しいもん、買ってきな」と促され、温和な言葉に従った。


 坊っちゃんがいつもご利用されるインクを探し、店員さんに尋ねる。

 購入手続きをしている間、桃色の頭は興味深そうに辺りを見回していた。

 小さな包みを手に、エンドウさんの元へ戻る。


「その、すみません、買いものに付き合わせてしまって」

「気にしなさんな。おっさんの若者孝行だ」

「おっさ……エンドウさんは、同年でしょう?」

「ははは」


 彼女、と表現すべきはずなのに、彼と称した方が適切ではないだろうか、戸惑ってしまう境地でエンドウさんの笑い声を聞く。


 再び握られた右手が力強く引かれ、ますます反応に困った。

 潜った店の扉が閉まる。


「さっきも思ったんだが、兄ちゃん、手、綺麗だな」

「……ええと、エンドウさんのご用事は、大丈夫なのでしょうか?」

「お? 褒められ慣れてないのか? 勿体ねぇな、こんな別嬪さんによ」

「っ、ええと!」

「ははは! わりぃな。俺の用事は終わってるぜ。帰る途中でお前さんと会ったんだ」

「ソウデスカ」


 あああっ、この人、すっごく話しにくい……!

 雰囲気はクラウス様に通じるものがあるのに、そこにリヒト殿下のナチュラル口説きが追加されたみたいで、苦手なタイプだああああ。


 大通りを横断し、エンドウさんが細い道をすいすい歩かれる。

 このような細かい路地へは、枢機卿の件以来入ったことがないので、こんな道があるのかと驚いた。

 角を曲がったエンドウさんが、僕の手を解放する。


「お育ちがいいからな。お前さん、ひとりのときは路地に入んじゃねぇよ?」

「……そこまで子どもではありませんが」

「はははっ! 子どもは『子どもじゃない』って言うんだぜ。そんでもって、大人は『大人じゃない』と言う」

「……エンドウさん、妙に貫禄ありますね」

「おっさんだからな」


 夜の近付く薄闇に染まった空気の中、にんまり口角を持ち上げた見た目男子が、僕の肩を組む。

「帰るぞ、若造!」の言葉に、一層この人の人物像がわからなくなった。


 ヒロイン……ヒロインって、何だろう?


 その後自然な流れでエンドウさんが男子寮へ入ろうとしたので、心の底からこの人の性別がわからなくなった。

 ヒロインって、なんだろう……。

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