お腹に寝そべる猛獣
暖かくなってきたので、空中庭園でぼんやりと時間を潰す。
アーリアさんから単独行動を控えるよう指示を受けている。
けれど、授業の関係で、どうしてもこういった空白の時間が出来てしまう。
ユーリット学園に通う生徒のほとんどが貴族なため、学術内容が庶民向けではないんだ。
この隙間の時間に、坊っちゃんのお部屋のお掃除をと意気込んだのだけど、僕の主人は優秀な方だった。
掃除するところがない。
あんなに言った、シーツですら替えられている。
心の中で泣いた。直談判しようと思う。
膝に乗せた本をそのままに、ぼやりと高い空を見上げる。
鳥のさえずりと、そよ風が心地好い。
ここの景色は領地を思い起こさせるので、何となく感覚だけ王都にいない気分だ。
最早癖である索敵が、ざりりと砂を踏む音を感知する。
……この一年で、僕は自分の索敵に得意不得意があることに気付いた。
地水火風の四属性は、容易に気配を掴める。
お嬢さまと坊っちゃんは風の属性で、すぐにお姿をお探しすることが出来る。
クラウス様とリズリット様は、水の属性だ。
度々僕を驚かせようとされるが、事前に気付くことが出来るので、お望みの反応が出来ていない。
ギルベルト様は地属性だが、……お声が大きいので、僕でなくてもわかると思う。
反対に、光属性のリヒト殿下は、気配を消されると全く読めない。
同じくエンドウ様も、突然声をかけられてびっくりしたことがある。
エリーゼ様は闇属性だが、真後ろに立たれて僕を驚かせる遊びを考案されたらしい。
僕の寿命が縮むので、やめていただきたい……。
そして彼、フィニール先生も、音を出してもらわないと気付くことが難しい。
階段を上がる硬質な音が終わり、銀髪の青年が、緑の巻きつく鉄門を潜る。
こちらを向いた細い眼鏡が日差しを反射した。
彼の引き結んだ唇以外、表情がわからなくなる。
「フィニール先生、こんにちは」
「こんにちは。また空き時間ですか?」
「はい」
ベンチに膝の本を置き、立ち上がって礼をする。
フィニール先生とは、度々こうして空中庭園でお会いする。
無口な人柄のようで、いつも物静かだ。
保健室でお世話になったときも、決まった言葉しか話さないように思う。
「……きみは、安息型ですか?」
不意にぽつりと零された言葉に、ベンチへ腰を戻した体勢ではたと辺りを見回した。
他に人のいない周囲に、僕へ向けられた言葉なのかと瞬く。
初めて挨拶以外で話しかけられた事実に、慌てて頷いた。
「は、はい。そうです」
「……そうですか」
「あの、魔術の型って、見ただけでわかるんですか?」
咄嗟に抱いた疑問を口にする。
こちらまで歩み寄ったフィニール先生に席を立とうとするも、片手で制された。
……何となく気まずい。
「普通はわかりません。私は立場上、多くの生徒と接しますので」
「そうなんですか」
たくさんの人と接したら、わかるようになるのかな?
僕は未だに、術師か普通の人かですら、見ただけではわからないのだけれど。
隣に座ったフィニール先生が、こちらに右手を差し出した。
彼の手に視点を落とし、次いで整った顔を見詰める。
変わらない表情に、おずおずと右手を重ねた。
緩く握られたそれが、小さく一度上下に振られる。
「……闇の安息型ですね。きみはわかりやすい」
「ええっ!? すごい、手品見てる気分です!」
「そうですか」
淡々とした相槌を返されるも、ひたすら驚く。
触っただけでわかるんだ!? 先生すごい!
普通、魔術を発動させない限り、相手の属性を見分けることは出来ない。
ジル教官は「特性がある」と言っていたけど、瞬きの内に終わってしまう特性を見分けることは、非常に困難だ。
僕はまだそのコツが掴めていないので、特性と言われてもさっぱりわからない。
リヒト殿下やクラウス様、リズリット様にお聞きしても、「殴れば何とかなる!」と言われて落ち込んだ。
僕には、その力技が足りないんです。
離された手が、静電気を帯びたようにぱちりと痛む。
小春日和に珍しいと手を擦ると、先生が緩く瞬きした。
……間近でフィニール先生の顔を見たの、初めてかも知れない。
あ、怪我の治療のときがあったか。
先生の瞳の色、紫っぽい。竜胆色なんだ。
「……変わった本を読んでいますね」
またしても不意に落とされた言葉に、反応速度が遅れた。
はたと膝の上に戻した書籍を思い出し、あわあわと答える。
『対立調書』と黒い題字の浮かんだ分厚い書籍を、裏に返した。
対立について少しでも備えたくて、図書館から借りたものだ。
リヒト殿下からお借りしなかったのは、彼の洞察力を考慮してだ。
僕は彼に隠しごとをするのがとても苦手なので、色々と明かされると不味い。
特に今年については不味い。
慎重にならなきゃ。
フィニール先生の長い指が、本へと伸ばされる。
背表紙を掴んだそれが浮かされ、呆気なく表紙が開かれた。
ぱらぱらと中身を捲る彼が、無感動な竜胆色を右へ左へ滑らせる。
「面白いですか?」
「面白くは……ないですね」
「そうですか」
ぱたりと音を立てた書籍が膝へ戻され、頭をぽすりと撫でられる。
そのまま立ち上がったフィニール先生は「では」と一言残して立ち去ってしまい、唖然と白衣の後姿を見送った。
ええっ、先生って誰かの頭を撫でたりするの!?
*
僕にはいくつか苦手なことがあるが、その中に『媚びる声』というものがある。
爵位に擦り寄る有象無象もそうであるし、無理矢理笑みの形を取らされた目許を見ると、あの家で飲まされたスープがどうしても脳裏にちらつく。
「ねえ、コードくん」
そのため、しつこく付き纏ってくるノエル・ワトソンという同級生が、入学して幾日しか経っていないというのに、非常に苦手だった。
まだ明け透けに取り入ろうとしてくるだけ、マシの部類に入るのだろうか。
彼が他を牽制して僕に擦り寄っているため、その点については助かっている。
これまで外部との交流を断っていたためか、初日はひどい目に遭った。
怒涛のように人が押し寄せてきて……。
公爵家とは、面倒なものなんだな……。
「ねえってばコードくん、返事してくださいよ~」
「うるさい。僕に構うな」
「あは、やっとお返事もらえました」
茶色の髪をところどころピンク色に染めた男が、邪険にしてもご機嫌に話しかけてくる。
……僕は返事をしたんじゃない。拒絶しているんだ。
何故通じない……?
授業が終わり、昼休憩となった教室内は騒がしい。
ギルベルトとエリーゼ王女殿下の周りにも人だかりは出来ており、近付くことは良策とは思えなかった。
早くこの場を立ち去りたいが、遠巻きからも視線を感じる。
狩りに遭う獲物の気分だ。
その内諦めるとはわかっていても、値踏みされて心地好いと思えるほど、僕は性癖を拗らせていない。
「コードくん、一緒にお昼食べませんか?」
「断る。寄るな。近付くな。僕に話しかけるな」
「いやですね~。俺はこんなにもコードくんと仲良くなりたくて、必死なんですよー?」
「お前の事情など知るか」
教材を纏めて抱え、苛立ちを込めて席を立つ。
ベルナルドは迎えに来ると言っていたが、僕から二年の教室へ行った方が精神衛生面が守られそうだ。
こちらを呼ぶノエルを振り切り、教室の扉を開ける。
はたと瞬く、黒髪の知り合いが目の前にいた。
そのまま彼の腕を掴み、早足で引き摺る。
「ぼ、坊っちゃん、どうなさいました?」
「ストーカー被害に遭っている」
「そのようなことが!?」
「そうなんですか! コードくん、大変ですね~!」
「……何故お前がここにいる」
突き進んでいた脚を止め、混ざっていた間延びした声に顔を向ける。
柔らかな髪を弾ませたストーカーが、にこにこと愛想の良い笑みを浮かべた。
きょとんと瞬くベルナルドが、困惑した様子で僕とノエルとを見比べる。
「何故って、お昼ごはん食べに行くんですよ~」
「……なら先に行け。後を追ってくるな」
「あは! コードくん、本当につれませんねー! 折角ですから、一緒にごはん食べましょうよ。ね、従者のせんぱい?」
「は、はあ……」
きゅるきゅると輝く瞳でベルナルドを見詰め、ノエルが甘えた声を出す。
……ベルナルドの説明を、彼にした覚えはない。
恐らく、顔を合わせたのも今回が初めてのはずだ。
それなのにノエルは、この一瞬でベルナルドが先輩で、従者であることを見抜いている。
……頭の回転が速い。
一筋縄ではいかないな。
横目でひとつ上の彼を見遣る。
僕たち一年生は、臙脂色のネクタイをしているが、ベルナルドのネクタイは瑠璃紺色だ。
ここで彼を上級生と判断出来る。
従者に関しては、先ほどの『坊っちゃん呼び』からの推測だろう。
だから坊っちゃんはやめろと言ったんだ。
ますます困惑したように僕へ視線を寄越す従者に、再び彼の腕を引いて冷たい音を発した。
「お前の誘いを受ける必要性が何処にある」
「社交辞令って大事ですよー? あ、せーんぱい。お近づきの印に、おひとつどーぞ」
「あっ、その……どうも……?」
ジャケットの両ポケットから取り出された銀色の包みが、にこやかな笑顔とともに差し出される。
ノエルの左右両手にひとつずつ乗る一口大の何かに、一層困惑の顔をしたベルナルドが、静々と左手の包みを取った。
両端の捻られた銀色を解き、中から出てきた小麦を焼いた色のものを摘む。
にんまりと笑みを浮かべるノエルの口に、彼がそれを押し込んだ。
思わずぎょっと彼の暴動を見送る。
ノエルが驚いたように緑の目を見開いた。
「むぐ!?」
「申し訳ございません。勤務中ですので」
柔らかに目許の泣き黒子を笑ませ、ベルナルドが丁寧なお辞儀をする。
「それでは、失礼いたします」穏やかな声音で囁いた彼が、洗練された所作で僕を誘導した。
立ち去る間際の背中が、「……甘い」との呟きを拾う。
僅かに見遣ったノエルは、何処か呆然とした面持ちで、口許を押さえていた。
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