荒ぶる乙女と優雅なお茶会
ほんのりとミュゼたんが微笑む。
窓硝子から差し込む陽光を受けて、ますます輝いて見える。
私の穢れた心が浄化される。
ふへへ、今日も私の妹(概念)が清らかだ。
私はリサ・ノルヴァ。転生者だ。
前世はこのゲームに尽くし過ぎて、ちょっぴり危ない人になっていたおたくだ。
最推しはベルナルドだ。
ベルにゃんと半径300メートル以内の同じ空気を吸っているのかと思うと、悶え過ぎて呼吸困難を起こしかける。
画面という絶対的な隔たりを失った世界で、動いて喋っているベルにゃんがいつもにこにこしているから、お姉さん涙が出そうなほどに嬉しいんだ。
ただひたすらに眩しい……。
迂闊に楽園へ近付いたら、滅されて煉獄に連れて行かれる……。
それでもやっぱり今後の展開が心配だから、お姉さんもお姉さんなりに気にかけていたりする。
多分、そろそろヒロインちゃんが編入される時期だろう。
ついにゲームの本編が開始されちゃうのかと思うと、気が重たくて重たくて仕方がない。
確かに、私はやり込みユーザーだった。
だからといって、皆が悪戯に傷付いていいとは思っていない。
食堂の窓際にあるこの席は、外の景色がよく見える。
時々ちらりと視線を窓へ向けながら、にこやかに茶器を手にした。
それとなくミュゼたんから色々と聞き出し、自分の持ち得る情報と照らし合わせる。
ミュゼたんいわく、編入生は今日やってきたらしい。
リヒトきゅんの隣の席というのも、ヒロインちゃんの座席のままだ。
……ゲーム上のミュゼットは、始めはヒロインに対して、友好的に振舞う。
本当に優しかった。
聖女だと思った。
しかし、じわじわと違和感が見え隠れし出す。
そして対立戦後、違和感を完全な悪役として確立させる。
真っ白な羽でも背負っているんじゃないだろうか。
そう感じてしまうくらい穏やかな微笑みで、真っ黒な毒を吐くんだ。
初めてミュゼたんが開花したシーンを見たときは、ショックの余りセーブするのも忘れて画面を消した。
そのまま静かに天井を見上げた。
つらかった。
だってミュゼたん、可愛かったんだもん……。
ミュゼたんを称するなら、『白い悪魔』か『緑の悪魔』が適切だろう。
後者は髪色を揶揄されたものだ。
ミュゼたん自身は、白百合とかが似合いそうな清純な女の子だ。
この顔から毒を吐かれたら、精神的にくる。
前半で披露される違和感は、ヒロインがミュゼたんの前で、特定の人物と話すことで発生する。
ベルナルド、アルバート、リヒト、クラウスの四人だ。
リヒトきゅん、クラウスくんはちくっと皮肉を言われる程度だが、アルにゃんになると、ミュゼたんはアルにゃんへ向けて皮肉を言う。
これが結構痛ましい。
ベルにゃんに至っては、ベルにゃんが口を開いた段階で遮られる。
だから、やり込めばやり込むほどに悲しくなる。
嫉妬心、独占欲、優越感。
どれがミュゼたんの心を占めているのかわからないけれど、それじゃだめだよと教えたくなる。
「それでベルとケイシーさん、ふたりとも大荷物で。全部お菓子なものですから、アルも呆れてしまって」
「いやあ、微笑ましいですね~」
「はい。ふふっ、ベルもとても嬉しそうで、みんなに配って回りましたわ」
「あっ、あのお菓子はそういうお菓子だったんですね!」
目の前のミュゼたんが、にこりと頷く。
そのときのことを思い出しているのだろう。
淡く頬を染め、嬉しそうにはにかんでいる。
……今のミュゼたんは、ベルにゃんを束縛していない。
現にこの場にベルにゃんはいないし、自由に行動させている。
これが、ゲームのミュゼたんとの最大の違いだ。
「ベル自身は余り食べないのですけど、彼はお菓子がすきで。ふふ、つい、甘やかしてしまうんです」
「ベルナルドさん、あんまり食べないんですか?」
「体重が増えると、動きが鈍るからと言って」
「……充分機敏だと思うのですけどぉ……」
「わたくしもそう思います。アルも小食ですし、これではわたくしが大食らいのようですわ」
つんと唇を尖らせたミュゼたんが、拗ねたように紅茶を含む。
わかるよ~。女の子って、身体の造りからして丸っこくなるもんね。
そんな中、かっこいい男の子が、自分より細くて小食なんだもん。
私だったら、口におにぎり詰めちゃうなー。
暴動起こしちゃうなー。
まあまあと年頃の女の子を宥めて、ちらと視線を窓へ向ける。
遠目に窺えた人影に、思わずぎょっとした。
「……あら? ベル、リヒト様……」
私の視線に気付いたミュゼたんが窓を見詰め、言葉尻を途切れさせる。
裏庭へ続く道を行くのは、リヒトきゅんに手を引かれ、脚を縺れさせるベルにゃん。
そしてそれを追いかける、藍色の髪の男の子。
少し間を空けて、桃色の髪の男の子が、頭の後ろで腕を組んで笑っている。
白髪の女の子は、呆れ顔だ。
更にその後ろ。アルにゃんの周りをリズリットくんが歩き、身振り手振りを加えて、何かを話している。
お、おやあ……? ヘビープレイヤーが、思わず目を擦っちゃったぞぉ?
三人くらい、咄嗟に名前の出なかった人がいたぞ?
おやおや~?
「……わたくしも、男の子だったらよかったのに」
「ミュゼたん?」
「あっ、ああ、すみません!」
小さな呟きに尋ね返すと、ミュゼたんはあわあわと胸の前で手を振った。
こほんと咳払いを挟み、彼女が穏やかな笑みを取り戻す。
「先ほどの、王女殿下のお隣にいた、桃色の髪の方が、編入生さんですの」
「へ、へえ~。男の子なんですねー」
「はい」
にこりとミュゼたんが肯定する。
ヒロインちゃん!?
いや、ヒロインくん!?
ど、どういうことかな!?
ヒロインちゃんが女の子でないと、このゲームは乙女ゲームとして成立しないよ!?
私、何のゲームをやり込んでいたのかな!?
それに王女殿下って、エリーゼ王女殿下!?
エリーたん髪短くなったね……?
ボブヘアっていうのかな?
びっくりするくらい短くなったね……?
あと、外歩いてるね!?
病弱設定、どこ行ったのかな!?
じゃ、じゃあ、消去法で、藍色の髪の子は、ギルベルトかな……?
ギルくんが、走る、だと……?
運動音痴最前線のギルくんが、自ら走るだと……!?
は、はわあ……、情報量が多いなあー……。
「お姉さま?」
「ああっ、その、若いなあと思いまして!」
「そんな、ひとつふたつの違いですわ」
眉尻を下げるミュゼたんに、おほほと空笑う。
これでも中身はオフィスレディから、オールドレディに転身しているからね……!
自称してて悲しくなってきた!
こほんと咳払いし、登場人物を纏める。
これで、まだ会ってない人は、ノエルくんだけか……。
手許のお茶をゆっくりと飲み、平常そうな見た目を取り持つ。
ノエルくんは、パソコン版から家庭版へ移植されたときに、増やされたキャラクターだ。
『Chronic garden』には隠しキャラがいる。
それが保険医のフィニール先生だ。
フィニール先生を攻略するためには、保健室に用事がなければならない。
そうでない限り、保健室へ入ろうとしても、「怪我したらお世話になろう」の一言とヒロインの顔グラが表示されるのみで、中へ立ち入ることすら出来ない。
ここで本家であるパソコン版は、『死神とのエンカウント』であるリズリットくんの登場が必要となる。
そう。彼と遭遇すると必ず怪我を負わされるので、強制的に保健室へ連れて行かれるのだ。
つまりフィニール先生……隠しキャラのルート発掘は、完全な運ゲーだったんだ。
何度セーブとロードを繰り返したことか……。
あんなに恐れていたリズリットくんとの邂逅を、心の底から待ち望むようになるなんて……。
家庭版には、この死神システムがない。
リズリットくんは顔のいいモブキャラへと変えられてしまったので、代わりに保健室送りにしてくれるキャラクターが必要だった。
それがノエルくんだ。
ノエルくんは、ギャンブラーである。
ギャンブルといっても、かわいらしいイタズラだ。
両手に隠されたお菓子を、「どーっちだ♪」と選ぶだけだ。
ただこのお菓子、気絶するほどマズイものが仕込まれている。
何が仕込まれているのかについては、どこにも明言されていない……。
ここでも運要素は絡んでくるが、死神を探し求めるより、遥かに良心的な設計へと変更されている。
気絶内容も、攻撃的なレッドアウトより、イタズラで起こるブラックアウトの方が、心に優しい。
つまり、ノエルくんがいるかいないかで、この世界がパソコン版機軸か、家庭版機軸かがわかるというわけだ。
……とは言っても、家庭版は内容をぼかしただけだ。
起こってる事象は、パソコン版のままだよ……。
あと、フィニール先生についても、他と少し毛色が違っている。
他の攻略対象とはミュゼたんが起こす事件を追うが、フィニール先生のルートだけ事件とは関わらない。
対立戦後、リズリットくんはいなくなるため、フィニール先生との接点は、空中庭園に変わる。
そこでヒロインは、徐々に身体を弱らせる。
ついには歩くこともままならなくなってしまう。
困惑するヒロインの主治医として、フィニール先生は学園を辞めてしまう。
そしてふたりで田舎で療養する、といった内容だ。
ちなみに、ヒロインに病弱設定なんてものはない。
それこそ毎日リズリットくんと遭遇しても、翌日にはぴんぴんしている健康優良児だ。
発生条件が厳しく、私もあまりフィニールルートを攻略していないので、うろ覚えの部分が多い。
何とも不思議なルートだったことは覚えている。
選択肢もあるが、ほとんど一本道で、エンディングも変わらない。
これがフィニール先生を、不思議キャラとして確立させた。
普段からベルにゃんとは違う意味で、全く喋らないし。
「ミュゼたんは、実技Aクラスでしたよね?」
「はい」
「はわあ……」
こくりと頷いたミュゼたんに、思わずため息が漏れる。
そう、何よりの前提である対立戦に、私は参戦出来ない。
私に出来ることなんて、微風を起こす程度だ。
扇風機にもならない。
だからこそ、入学ぎりぎりまで気付かなかった。
そもそも、ミュゼたんたちAクラスがおかしいのだ。
貴族は見栄っ張り社会だ。
それこそ私程度の微風や、土がちょこっと盛り上がるだけで、秀才だ、神の使徒だと誉めそやされる。
しかしこれが普通だ。
マッチの火ほどの炎が起こせれば、胸を張って自慢していい世界だ。
何故なら「今は力を抑えてある」とでも、にやりとうそぶいておけば、事情を知らない外の人は、事実を確かめられないからだ。
ユーリット学園は、魔術の実技クラスを3クラス用意している。
一番人数が多いのが、Cクラスだ。
卒業までにBクラスまで進めれば、大したものだろう。
だからといって、Cクラスであろうと、魔術師の端くれを侮ってはいけない。
くしゃみが思った以上に激しく発せられるように、魔術を暴発させると、想像以上の威力を発揮してしまう。
暴発による抉れた壁を見たときは、心からぞっとしたものだ。
だからこそ私たちは、制御訓練を受けなければならない。
クラス編成の例外を上げるならば、ミュゼたんやベルにゃんのような安息型は、自動的にAクラスへ送られることだろうか。
安息型は、魔術師の中でも更に人数が少なく、保護対象とされている。
ゲーム中のミュゼたんは、魔術が苦手だったけれど、Aクラスに在籍していた。
……目の前のミュゼたんは、魔術が得意なAクラスだ。
ひゅう! ミュゼたんかっこいい!!
「……お姉さま。魔術の暴発とは、訓練を受けていても起こるのでしょうか?」
「ええ?」
「いえ、その……。学園に通っているのに、暴発事故がなくならないことを不思議に思いまして……」
声を潜めたミュゼたんが、辺りに注視しながら疑問を述べる。
確かに、学園は徹底的なまでに制御の仕方を教えているのに、暴発事故は度々起こる。
ゲームではその辺りのことについては触れてなかったからなあ……。
やんちゃかな? くらいにしか思っていなかったなあ。
かわいいかわいい後輩の質問に、かっこよく答えてあげたいのに、解答が見つからない。
悩み唸る私に、ミュゼたんが小さく笑んだ。
「すみません、困らせてしまいました。忘れてください」
「ううんっ、立派な解答を用意しておきますね!」
「ありがとうございます」
ふわりと目許を緩めたミュゼたんに、メイドのお姉さんが静かに囁きかける。
はたと顔を上げた彼女が残念そうな顔をした。
時計を見ればお開きの時間で、私とのお茶をこんなにも楽しみにしてくれるミュゼたんに愛しさが爆発した。
お姉さんが、この楽園を守るからね……!!
「お姉さま、本日はお誘い、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「また一緒にお茶しようね!!」
「はい」
はにかんだミュゼたんが眩し過ぎて、私は浄化された。
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