02

 入寮日当日。

 既に疲労困ぱいな坊っちゃんをお連れし、寮内をご案内する。


 出発前に繰り広げられた、坊っちゃんと旦那様の攻防戦は見事なものだった。

 長年敗戦が続いている旦那様も作戦を練られたのか、今年の戦法は一風変わっていた。


 静かに両腕を広げ、待たれたのだ。


 さすがに坊っちゃんも鬼ではない。

 照れ隠しが多少攻撃的ではあっても、その実、素直になれない男の子だ。

 来るものは避けられようと、待たれることに慣れていなかった。


 結果として、旦那様のジャケットの裾を握った坊っちゃんに、感涙した旦那様がようやくその両の腕で、坊っちゃんを抱き締めることに成功した。


 坊っちゃんがコード家の養子になられて、実に七年目の白星。

 スタンディングオベーションが巻き起こった。


 そんなわけで、坊っちゃんは既にお疲れだ。

 もう嫌だ、養子やめる等々零されている。

 僕はこの日の良き思い出を日記に残し、後世に伝えたいと思っているのだけれども。


「食堂と浴場は時間交代制になっています。食堂は使用人が先、浴場は貴族階級の生徒方が先です」

「わかった。先と後だな」

「坊っちゃん? 坊っちゃんは坊っちゃんですよ?」

「いい加減、その坊っちゃんというのをやめないか?」


 坊っちゃんの苦いお声に、歩幅を緩めて止まる。

 主人へ振り返り、疑問符に満ち溢れた心地で口を開いた。


「アルバート様?」

「……様も外してくれ」

「ご無体な!!」


 何処の世界に、主人を呼び捨てにする使用人がいるんですかー!!

 いや、探したらいらっしゃるかも知れませんが! 僕には無理です!


 懸命に首を横に振って、ご要望に従えないことを訴える。

 ため息をついた坊っちゃんが、僕の肩を小突いた。

 先を歩く主人を追いかける。


「他の奴等の部屋は何処なんだ?」

「リヒト殿下が9階、クラウス様が5階、リズリット様が3階です」

「よし、上がいたか」

「はい。いい筋トレになります」


 もうすっかり慣れたリヒト殿下のお部屋だけど、始めはさすがにくるものがあった。

 僕のいる2階から、殿下の9階までの階段昇降。

 特に急いでいるときが苦しかったなー。


 そう思うと、今年からお伺いする契約がないことを、寂しく思ってしまう。

 殿下があの広いお部屋にひとりぼっちでいることを知っているから、余計にそう感じるのだろう。


 それに入寮した直後、お嬢さまと坊っちゃんのお世話係を一時的に解任された僕は、ものすごく荒れた。

 ……多分、僕自身、切り替えが上手に出来ないのだろう。


 だからといって、片手間に殿下のお世話をするわけにはいかない。

 そもそも新規に従者を雇われるかも知れない。


「……どうした?」

「いえ、……リヒト殿下の生活力のなさを思い出してしまい、……その、早急に付き人の派遣をお願いしなきゃと」

「お前如きの要請に頷くくらいなら、殿下の横には既に付き人がいるはずだ」

「何で皆さん、おつきを取ってくださらないのでしょう……」

「さあな」

「僕はおつき仲間が欲しいです……」


 しょんぼり肩を落とす。


 僕も主人自慢したい。

 お嬢さまと坊っちゃんの素晴らしさを語りたい。

 もっと良質なサービスをご提供出来るように、相談とかもしたい。


 はっ、ギルベルト様のところの、ユージーンさん!

 あの方がご同行されるかはわからないけれど、一縷の望みにかける!


「説明が途中でしたね。お部屋のお掃除は僕にお任せください。洗濯物は指定のカゴに入れていただいて、扉の横に置いてください。係の者が取りに来られます」

「そうか」

「あっ、シーツなどは僕が替えますので、そのままにしておいてくださいね」

「わかった。替えておく」

「どうしてそんな意地悪言うんですかー!!」


 めえめえ泣きながら、坊っちゃんに続いて階段を下りる。

 擦れ違った生徒の方が、ぎょっとしたお顔をされていた。

 すみません、黙ります。


「ぐすっ。奇数階に談話室があります。僕はお世話になったことはありませんが」

「そうか」

「待ち合わせに使われる方が多いそうです。あ、勿論エントランスにもソファはありますので、ご利用ください」

「使うことはなさそうだな」

「坊っちゃん、もっとご自身を解放的に!」


 階段をくるくる下り、一階へと到着する。

 そのまま食堂へ入られようとされる後姿に、はたと懐中時計を引っ張り出した。

 示した文字盤に慌てる。


 坊っちゃん、本気で有言実行されようとしてませんか!?

 今は使用人の時間帯ですよ!?


「坊っちゃん! この後の時間の方が、献立も豪華で、種類も豊富にあります!」

「興味ないな。軽食で構わない」

「あああっ、そうでした! デザート、デザートがつきますよ!」

「お前にやる」

「ありがとうございます、じゃなくって! デザートがつくのは、このあとの時間帯のみです!」

「なら、なしだ。今度菓子を買ってやる」

「わかりました、僕がご用意します! なので坊っちゃんは、こちらでお待ちください!」

「ああ……?」


 ごはんの時間は、使用人の休憩時間なんです!

 他所のお家の使用人さんもいらっしゃるので、主人の枠にいる坊っちゃんには、あんまり立ち入ってもらいたくないんです。ごめんなさい!!


 繰り返しお待ちいただくよう念を押し、急ぎ足で注文を済ませる。


 トレイを手に大急ぎで戻ると、ギルベルト様とお話している坊っちゃんのお姿を見つけた。

 ギルベルト様も入寮されたんですね!


「ギルベルト様、お久しぶりです」

「ああ、お前か! はははっ、久しぶりだな!!」


 快活な笑みを見せるギルベルト様が、気軽に片手を上げる。


 彼とは過去にごたごたがあったが、今ではこまめに文通する仲だ。

 ギルベルト様の文字は、意外に繊細で読みやすい。

 何処となくリヒト殿下に通ずるものがあった。


 坊っちゃんが、こちらを振り向かれる。


「こいつも7階らしい」

「やっぱり、爵位的なあれですかね?」

「爵位とともに階段を上る実働をさせられて、嬉しいのか? 俺は嬉しくないぞ」

「えーっと、身の安全を考慮して、とかでしょうか?」

「この閉鎖された空間で、何を警戒するんだ。隣人か?」

「守れない……」


 隣人が最大の敵だなんて、どうやってお守りすればいいんだろう? 夜警?

 おふたりの指摘に答えることが出来ない。

 力及ばず、申し訳ございません……。


 ふと、ギルベルト様もおひとりでいらっしゃることに気付いた。

 さっと血の気が引く。


「ギルベルト様、おつきは……?」

「ん? ああ、ユージーンか? 置いてきた」

「どちらに!?」

「2階だ。早速鍵をなくしたとかでな、そそっかしいから先に探検している」

「ユージーンさん……!!」


 知らなかった。結構おっちょこちょいな方だったんですね!

 で、でも、ご一緒されてるということは、お供友達になれるかも知れないということで……、喜ばしいです!


 大慌てな僕の胸中を置いて、手許のトレイに気付かれたギルベルト様が、きょとんと瞬く。

 片手を上げた彼が、身体の向きを変えた。


「食事を運んでいたのか。呼び止めて悪かったな」

「いや」


 僕に食堂の利用時間を尋ね、ギルベルト様が懐中時計を取り出される。

 階段の方へ一瞥を向けた藍色の髪が、困ったように嘆息した。


「……あいつ、飯間に合うのか?」

「お取りしましょうか?」

「あーいや、平気だ。俺が頼んだやつを、あいつの部屋で食わせる」

「左様ですか」


 ギルベルト様のお優しさに、ほわほわと心の中があたたかくなる。

 ほのぼのとした僕の脇を肘で小突き、坊っちゃんが歩き出された。


 あわあわ、一礼の後に主人のあとを追いかける。

 ギルベルト様が気楽な仕草で手を振った。


「僕たちは失礼する」

「ああ、じゃあな」


 階段を上る坊っちゃんの後ろに続き、思考を巡らせる。


 ギルベルト様も、クラウス様も、本来であれば長いはずの髪を、短くされている。

 何よりギルベルト様は、快活明瞭な性格になられた。

 攻略ノートに記述していた『繊細』という特徴から、正反対の位置にいらっしゃる。


 この変化が、どのように作用するのかわからない。

 始まりは近付いているというのに、僕は何の対策も取られないままでいる。


 今年の冬も、お嬢さまに笑っていただけるために動かなくちゃ……。


「ベルナルド、どうした?」

「はい!?」

「具合が悪いのか?」


 心配そうなお顔で、僕の額に手を当てる坊っちゃんに、慌てて表情を取り繕う。

 胡乱な目を向けてくる彼へ、「お友達が出来るか、心配してたんです」適当だけれど、それなりに本音の誤魔化しを口にした。




 *


 入学式が終わった瞬間、リズリット様が坊っちゃんへ飛び掛り、鳩尾にぐーぱんを食らわされて沈められていた。


 周りの新入生たちが、完全に引き切っているけど。

 坊っちゃん顔色ひとつ変えてませんけど!


「アルくん、制服、似合ってるよ……!」

「そうか。次回からは普通に褒めろ」

「イエス、女王様!!」

「蹴られたいのか?」


 そういうところが女王様に結びつくんだと思う。

 蹲りながらもいつも通りなリズリット様、さすがだなあー。


 僕の隣でクラウス様が天井を見上げている。

 目頭を押さえて、耐えるような仕草をしている。

 お疲れさまです、クラウス様……。


「どーん」

「わっ」


 背中を軽く突かれ、慌てて振り返る。

 視点を下げると、白い髪に赤目の少女がおり、にんまり笑っていらっしゃった。


 彼女の顔には見覚えがある。

 しかし、記憶の中の彼女は、御髪がとても長かった。

 椅子につくくらい長かった。


 目の前の彼女の、肩の上で切り揃えられたふわふわの白髪に、あわわと震えてお名前を呼ぶ。


「エリーゼ様!?」

「久しぶり。ちびっこが良く伸びたじゃない」

「御髪が……!!」

「入寮するから、面倒に思えて切ったの。どう?」

「思い切り良く切りましたねー、王女殿下」

「あらクラウス。あなたまた伸びたの? 少し寄越しなさいよ、身長」

「無理っすわー」


 小柄なエリーゼ王女殿下が、腰に手を当て、斜に構えた態度で笑みを浮かべる。

 彼女の白い手が、髪を払った。


「似合わないかしら?」

「いえっ、そのようなわけでは、大変よくお似合いです!」

「綿毛っぽくなった?」

「王女殿下っ、お戯れを!」

「冗談よ。あなたすぐ泣くから、面白いわ」

「娯楽ですか!?」


 くつくつあくどく笑われる王女殿下に、指摘通り涙目になる。

 世界が僕に優しくない!


 苦笑いを浮かべるクラウス様に頭を撫でられ、ぐすぐす泣きそうな心情を保った。


「うわっ。エリー、髪どうしたの!?」

「あらお兄様、御機嫌よう。鬱陶しかったから、置いてきましたわ」

「装着型だったの……?」


 ひょっこり現れたリヒト殿下が驚いたお顔をされ、お嬢さまが慌てて頭を下げられる。

 片手で制した王女殿下が、口角を持ち上げた。

 徐に伸ばされた腕が、僕の袖を掴む。


「ねえ、あなた。校内を案内してくれないかしら?」

「僕ですか!? ……畏まりました。坊っちゃんをご案内しますので、よろしければご同行ください」

「……あなた、そういうところが女の子にもてないのよ」


 呆れたようにため息をつかれたエリーゼ殿下に、もてるもてないの話だったのかな? 疑問に首を傾げる。

 お隣でお嬢さまが嘆息され、リヒト殿下とクラウス様が苦笑を浮かべているから、そういう話だったのかな……?


 表情を持ち直したエリーゼ殿下が、淡く笑みを浮かべられる。


「まあ、いいわ。どうせだから、あの猪も誘うわ」

「いのしし……ギルベルト様ですか……」

「あれでも多少は大人しくなったのよ。登場の度に高笑いが上げるけれど」

「……チャーミングなお方ですよね」

「あなたって、真面目ね」


 肩を竦めた王女殿下が半身を引き、ひらりと手を振る。

 歩みに合わせてふわふわ揺れる白髪を見送り、ぽつりと呟いた。


「殿下両方、何故おつきを取ってくださらないんですか……」

「え? だってベルがいるでしょう?」

「僕はコード家所属の使用人です。そして女子寮へは入れません」

「うーん、エリーも人間不信だからねー」


 苦笑を浮かべたリヒト殿下の言葉に、怒涛の収穫祭を思い出し、心臓がきゅっとした。

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