K
花冷えのワルツ
雪解けも終わり、花が綻ぶ陽気な季節。
るんるんと弾む心地で、学生寮へやってきた坊っちゃんとハイネさんとケイシーさんを迎え入れる。
そう、待ちに待った坊っちゃんの入寮準備の日だ!
馬を係留させ、馬車から下りたハイネさんが荷物を運び出す。
ケイシーさんと一緒にお手伝いする僕を怪訝そうな目で見詰め、坊っちゃんが胡乱な声を出された。
「……ベルナルド、お前、授業はどうしたんだ? ただでさえ単位が足りていなかっただろう」
坊っちゃんが指摘した通り、現在、在学生のほとんどは授業中だ。
ユーリット学園は単位制だ。
そして僕は収穫祭の頃、授業にほとんど出ることが出来なかった。
だがしかし、その点に於いては抜かりない。
何せ、坊っちゃんのお荷物の運び入れの日だ。
僕だって従者として参加したいし、そのために色々と根回しした。
「ご心配ありません。この日のために、免除の申請と追試を受けてきましたから!」
「……そうか」
「えへへ、日頃の評価が高かったので、問題なく申請が通りました。単位の足りていない分も、追試で一発合格しています。進級も出来ますし、今後の都合のつけ方もわかりました!」
「お前が優秀なことはわかった。……方向性が少々おかしいが」
「坊っちゃんに優秀って褒められた!!」
「ハイネ、医者を手配しろ」
「給料外だ」
「お前等、何でそんなに混沌としてんの?」
両腕で荷物を抱えながら、ケイシーさんが表情を引きつらせている。
構わず、晴れやかな笑みを浮かべた。
坊っちゃんに直接的に褒めてもらえたんだ。
労働で還元させていただかなきゃ!
ハイネさんが下ろす荷物を受け取る。
「それより坊っちゃん、お屋敷でお待ちになられてよかったんですよ?」
「いい。僕の荷物だ」
「本が多いかなーって予想してたんですけど、結構少なめで安心し――あーッ! ハイネお前やめろふざけんな!!」
「ケイシーさんとハイネさんって、仲良しですよねー」
「……そうだな」
ケイシーさんが抱える箱の上に、ハイネさんが更なる箱を重ねている。
「落とさないでくださいねー」と声をかけ、坊っちゃんとともに男子寮へ向かった。
管理者さんに部屋番号を尋ね、労わりの言葉をもらう。
後ろからよろよろとやってきたお兄さんたちに、部屋番号を伝達した。
「7階……!!」
「ケイシーお兄さん、大丈夫ですか? 持ちましょうか?」
「ベルナルドお前ッ! ここでお兄ちゃんとか言うなよ! 頑張っちゃうだろ!?」
昨年も苦戦していた階段を、ケイシーさんが上っていく。
重たそうな荷物……坊っちゃん、あの箱の中身、本ですね。
それも図鑑タイプ。
大きな箱に詰めてはいけないと、ご忠告差し上げるべきでしたね……を、腕を震わせながら抱えている。
若くて体力のあるお兄さん。
背が高いから、高いところ要員とか力仕事要員に分類されるお兄さん。
ケイシーさんって、本当良い人だよなあ。
ちょっと軟派なところはあるけど、優しくてかっこよくて面白くて、女の子にもてるだろうなー。
……今度ケイシーさんに優しくしよう。労わろう。
「素か? 策略か? 腹黒いな」
「……お、お兄ちゃん、がんばってー!」
ほんの軽い出来心だったんです!!
ハイネさん、あれ絶対わざと持たせたよね?
日頃の恨みかな?
坊っちゃんに振り分けられたお部屋は、一人部屋だった。
お嬢さまも7階の一人部屋なので、やはり公爵家だからこその待遇なのだろうか。
窓を開けた坊っちゃんが、その開かなさと悲しげな風の音に驚かれ、すぐに閉める。
書き物机を指先で撫で、払う仕草をされた。
「お前の部屋は何階だ?」
「2階です」
「……僕も2階がいい」
「だめですー! 主人と使用人は同室にはなれないんですー!」
リヒト殿下と同じようなことを言われ、必死にだめを叫ぶ。
僕が使用人組合から、村八分にされちゃうから……!
不貞腐れたお顔で、坊っちゃんが腕を組んだ。
運搬が終わり、へとへとになったケイシーさんと、しれっとしているハイネさんへ視線を移す。
腕を解いた彼が、口を開いた。
「世話になったな。ハイネ、ケイシー。あとは自分で片付ける」
「あっ、坊っちゃんもしかして、見られちゃまずいエロ本っすか?」
「お前が所持しているエロ本の表題を読み上げられたくなければ、今後そのような冗談は慎むことだな」
「なんッ、ごほ! 何で知ってるんですか!?」
「屈んだら見つけた」
「ケイシーさん……」
「おおおおとこなら、春本のいいいいっさつやにさつくらい、あるだろ!!」
顔を真っ赤に染めて叫ぶケイシーさんを、憐れみの目で見詰める。
両手で顔を覆った彼が、「そんな目で見るなあ!!」叫んだ。
今、やぶ蛇って言葉を痛感しています……。
「だからあれほど巨乳に拘るなと……」
「うるせえ! 今絶対巨乳関係なかっただろ!?」
「やめてくださいー! 坊っちゃんのお耳に、何て話入れるんですかー!!」
「お前の中で、僕は妖精か何かの類なのか?」
お前こそ眼鏡を、眼鏡の何が悪い。飛び出る応酬を、慌てて仲裁する。
しかし売り言葉に買い言葉。
何故彼等は、ここまで熱く性癖を語って戦っているのだろう?
や、やめてください……っ、坊っちゃんの御前で、何て話を……!
大人の色気? くびれのライン?
そういう込み入ったお話は、坊っちゃんのいらっしゃらないところでやってください!
「そんなに大人で眼鏡で巨乳がお好みでしたら、ヒルトンさんにリンゴ持ってもらいます!!」
「やめて差し上げろ」
底冷えする想像に、体感温度が春を忘れたように下がる。
顔色を悪くさせたお兄さん方の戦いが、無事終わりを迎えた。
「ベルナルド、荷解きをしたい。掃除道具は何処にある?」
「あれ。坊っちゃんがすごく普通にされていらっしゃる」
「慣れている」
「何てことを!! ヒルトンさんに報告させていただきます!!」
しれっとされている坊っちゃんのびっくり発言に、両手で顔を覆って嘆く。
わっと泣き出した僕の恐喝に、ケイシーさんがあからさまに動揺した。
「ま、待てベルナルド。話し合おう。今はそのときじゃないと思うんだ!」
「どのときならそのときなんですか! 僕が不在の間に、蝶よ花よと育てた坊っちゃんが……!」
「……この腹黒の何処に、蝶と花が……」
坊っちゃんのいらっしゃる方角から飛んできた本を、ハイネさんが片手で受け止める。
ため息をついた目付きの悪い彼は、やれやれといった顔をしていた。
ケイシーさんに肩を支えられ宥められるが、坊っちゃんのお耳に猥談が入ったのかと思うと、胸が張り裂けんばかりに苦しい。
坊っちゃんが……!
ひな鳥のような、僕の坊っちゃんが……!
「あっ。坊っちゃん、お食事どうされます?」
「僕はそれより、掃除道具が欲しい」
「畏まりました。少々お待ちください」
「ベルナルドお前! その切り替え、お前……!」
「報告はしっかりさせていただきますので」
「よし、お兄さんもついて行こう。なあ、ベルナルド。世間には色々あってだな」
扉を抜けた僕の肩を組み、優雅な仕草で片手を持ち上げたケイシーさんが、世間について熱弁する。
話半分に聞き流したそれだけど、結論を述べると僕は買収された。
お嬢さまと坊っちゃんにご提供するお菓子を一緒に買いに行こう、という話に釣られた。
勿論代金はケイシーお兄さん持ちだ。
当日は彼のことを目いっぱい振り回そうと思う。心に誓った。
何だかんだ荷解きまで手伝ってくれたおふたりのお陰で、坊っちゃんのお部屋は完璧に入寮に備えることが出来た。
予定より帰還時刻が遅れてしまったけれど、彼等をお見送りしようと、一階のエントランスホールまで赴く。
疲れ切った顔のケイシーさんが、肩を回す。
やっぱりしれっとしているハイネさんは、煙草を吸いたそうにしていた。
彼等から離れた坊っちゃんが、何やら管理者さんのいる窓口へ立ち寄った。
二言三言言葉を交わした彼が、礼を述べて窓口から離れる。
「入寮の手続きとやらは、簡単なんだな」
「そうですね。期限までに一言告げれば良いだけですし。坊っちゃん、いつ頃入寮のご予定ですか?」
「もう終わった」
「はい?」
「入寮の手続きを終えてきた」
淡々と手続きの終了を告げた坊っちゃんに、お兄さん方と顔を見合わせる。
僕と同じようにぴたりと動作を止めている彼等の姿に、彼等にとっても突然の出来事だったのだと察した。
「いえ、あの、確かに入寮手続きは開始されてますが、あの?」
「……明日、当主が別邸へ帰還する」
「旦那様ああああ」
気まずげに目線を逸らせた、坊っちゃんの告白にびっくりする。
領地から遠路遥々来られる旦那様に、涙を禁じえない。
そのサプライズは、確実に旦那様泣いちゃいます!
悲しみの涙で!!
「坊っちゃん、お屋敷にお戻りください」
「どんな顔をすればいいのか、わからない」
「普段通りで構いません。勿論、そのときに感じた通りのお顔をされればよいと思います」
「僕ひとりで、あの熱量を相手しなければならないんだぞ?」
「ご安心ください、旦那様に害意はありません」
「だから困るんだ……!!」
口惜しげに呻いた坊っちゃんが、羞恥心で頬を染める。
僕たちから距離を置いたケイシーさんがにやにやしているが、多分彼はきっと、あとで坊っちゃんから痛いことをされる。
坊っちゃんの照れ隠しは過激だ。僕は知っている。
「坊っちゃん、入寮のお日にちをお教えください。その日、お迎えに上がります」
「今日」
「坊っちゃん」
「……わかった。多少の相手はする」
「はい。旦那様もお喜びになられます」
むくれたお顔で睨まれているが、僕は坊っちゃんのお心に雪解けが訪れて嬉しい。
この頃の坊っちゃんが口にされる呼び方が、旦那様を義父から『当主』、奥様を義母から『代理』と、ビジネスライクな付き合い方をしていることが気に掛かっていた。
けれどもなるほど、素直になれなかったのか。
「では、門までお送りいたします。お気をつけてお帰りください」
「気が重い……」
言葉通り肩を落とした坊っちゃんが、通り過ぎ様ケイシーさんの脛を蹴っていた。
……今度お兄さんのこと、いっぱい労わろう。
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