03

 煌びやかなシャンデリアが、高い天井からいくつも吊るされる。

 白を基調とした天井と壁面には、複雑な金縁模様が走り、優美な曲線を描いていた。

 バロック調の終着点は柱にあり、荘厳な彫刻が足許にまで伸びる。


 中央に広がる天窓は、万華鏡のように空を映していた。

 磨き抜かれた白い床に、陽光を届ける。


 慌しく人の行き交う『誕生会の会場』を、壁際に立つリヒトがぼんやりと眺める。


「リヒト様」


 入り口側から高い声に呼ばれ、彼が顔を向ける。

 黒髪の侍女を連れたその人はミュゼットで、リヒトの傍まで進んだ彼女は、深く頭を垂れた。


 はたと瞬いたリヒトが、困惑したように白手套に包まれた両手を上げる。


「ミュゼット?」

「この度のこと、どのようにお声掛けすれば良いか……」

「大丈夫だよ。コード卿にはお世話になったんだし、ミュゼットも律儀だなあ」


 静々顔を上げたミュゼットが、しょんぼりとした顔をする。

 白とエクリュの折り重なるドレスは、彼女の色彩を鮮やかに見せた。


 微笑みかけるリヒトへ眉尻を下げ、ドレスを摘んだ彼女が再び頭を下げる。


「お誕生日おめでとうございます、リヒト様」

「ありがとう、ミュゼット。ドレス似合ってるよ」

「ふふっ、ありがとうございます」


 微笑を浮かべたミュゼットが、やんわりと石榴色の目を緩める。

 誰かを探すように視線をさ迷わせた彼女が、不思議そうな顔で首を傾げた。


「リヒト様、ベルはどちらでしょうか?」

「ああ、うん。ふふっ、今おめかしされてるんだ」

「まあ!」


 楽しそうに笑みを零したリヒトに、ミュゼットが石榴色を丸くする。

 この誕生会の主役であるリヒトは、既に黒の正装に身を包んでいた。


 襟口から裾へ向かって伸びる繊細な金刺繍と、袖口に施された同色のもの。

 左肩にさがる蒼の外套は、ドレープを描いた裾と重なり、すらりと伸びた体躯を見せる。

 整えられた金の髪と、晴れ渡る空の瞳は、童話を飾る王子様そのものだった。


 対するここにいない彼の付き人は、社交の場自体が初めてだった。


「使用人の制服じゃ、だめなんですか?」と尋ねた彼へ、彼の養父が表面上穏やかに、内心愉快気に彼を別室へと連れて行った。

 老執事の雇用主であるコード卿は、リヒトとともに「腹黒いね」と、その様子を見送っている。

 その様子を、少年が少女へ笑いながら話した。


「あらあら。ミスターったら、ベルに何を着せるつもりなのかしら……」

「ぼくの服貸すよ、ともいったんだけどね。遜色なくなっちゃうのはだめなんだって。残念だよね」

「ふふ、ベルが卒倒してしまいますわ」


 くすくす声を立てたミュゼットが、レースに包まれた手を口許に添える。

 上品な仕草には気品があり、かつての内気な姿を払拭していた。


 リヒトが目許を緩める。

 姿勢を正した少女が、ぱっと表情を変えた。


「そうでしたわ! クラウス様からの伝言です。『四日目からは近衛する』と」

「さては今日を避けたな、クラウスめー……」

「何でも、正装は一年に一回しか着られないご病気だとか」

「羨ましい病気だね。ぼくもかかりたい!」


 いーなー、外警備! 不満を上げたリヒトが腰に手を当てる。

 子どもっぽい仕草を楽しげに微笑んだミュゼットが、準備に走る周囲を一望した。


「わたくしも、今回色々と考えましたの。性別の違うわたくしは、ベルのようにはお力になれない。いつもいつも、わたくしも男の子だったならと、羨んでばかりですの」

「男の子のミュゼットかー……。絶対に敵に回したくないから、そのままがいいなー」

「いつか邪教に手を染めますわね」


 冗談を軽やかに囁いた少女が、胸に手を添える。

 彼女の母親が行った仕草よりも淑やかに、繊細な指先が行儀良く並べられた。

 苦笑いを浮かべていたリヒトへ、彼女が睫毛を伏せる。


「ですからわたくし、考えましたの。わたくしに出来ることは、このような騒動があったことなど微塵も感じさせずに、あなたを引き立てることだと」

「引き立てるだなんて、ミュゼットはかわいいよ」

「朝からの努力が報われますわ。その『かわいさ』をもって、わたくしは今日ここに集う、あなたに焦がれる者たちの羨望と嫉妬を、一身に浴びましょう」


 悪戯に口許を緩めたミュゼットに、リヒトが唖然とする。


 6歳の頃より続く彼と彼女の婚約関係は、当然互いの誕生日にも干渉した。

 リヒトの生誕祭は収穫祭の三日目を飾る、盛大なもの。

 大勢に囲まれた中で一番手として踊らなければならない状況に、幼いミュゼットは泣いて嫌がっていた。


 成長した今では堂々とした立ち振る舞いを見せるものの、裏方で顔面を蒼白にさせている姿を、リヒトは知っている。

 内気で引っ込み思案な彼女らしくない挑戦的な言葉に、リヒトは驚いていた。


 睫毛を持ち上げたミュゼットが彼の顔を見詰め、くすりと表情を綻ばせる。

 楽しげに肩を震わせる彼女は、庭先で談笑する彼女と同じ顔をしていた。


「アルが言ってましたの。わたくしたち子どものやることは、ままごとだと。だからこそ、わたくしたちに出来る役を、最高の形で演じようと」

「アルバート……、相変わらず捻くれてるなあ」

「はい、とても。ですので、わたくしも仲間に加えてくださいな。仲間はずれは寂しく思いますの」

「ベルに怒られない?」

「わたくしがいた方が、あの子を御しやすくなりますわ」

「あははっ、腹黒い!」


 声を立てて笑ったリヒトに、ミュゼットもころころと微笑み返す。

 上品な仕草でドレスを摘んだ彼女が、恭しく一礼した。


「必ずや、最高の成果を、あなたに」

「ありがとう。楽しみにしてる!」


 差し出された白手套に、重ねられるレース越しの手のひら。

「そろそろ戻りませんと」少女が零した言葉に、急ぎ足の靴音が重なった。


「大変お待たせいたしました、リヒト殿下……あっ、お、お嬢さま!? お嬢さま、お会いしとうございました!! 本日は一段とお美しゅうございます! 冬の足音を知らせに来た雪の精のようです!! お嬢さまとひと目お会い出来たことをベルナルドは幸いと存じ……ぐすっ」

「ありがとう、ベル。泣かないで頂戴。折角のかわいいベルが台無しよ」

「うん、かわいいよ、ベル。ほら笑って」

「お嬢さまが仰るのでしたらそうなのでしょうけれど、僕もそろそろ分類かっこいいに片足を入れたいです!!」


 駆けつけた瞬間に不当な評価を受け、両手で顔を覆ったベルナルドが、わっと泣き出す。

 彼を宥めるふたりは、にこにこと微笑んでいる。

 その腹に飼われた猛獣を目の当たりにしたアーリアは、心持ち引いた顔をしていた。




 *


 正円を描く天窓の下、互いに手を取り合い踊る男女。

 管弦楽団の優雅な演奏に合わせて踏まれる円舞曲。


 煌びやかなドレスが、瞬くシャンデリアの光を受け、きらきらと光を弾く。


 練習以外で、お嬢さまの踊られているお姿を拝見するのは、初めてのことだ。

 リヒト殿下のお手を取られる優美な仕草に、思わず涙ぐんでしまった。

 お嬢さまが神々しい……。


 そんな目に涙を耐えた僕の隣に、何故かは知らないけれど、隣国の王族の方がいらっしゃる。


 純粋な心でお嬢さまの一瞬一瞬を心に留めておきたいのに、心臓が暴れくるって潰れそう。

 にこにこ微笑む黒髪の麗人、ダンタリオン様が、おっとりと口を開かれた。


「今年は一段と美しいですね」

「そ、う、なの、ですか」

「はい」


 にこにこ、ダンタリオン様がお綺麗な笑みを浮かべる。


 ま、眩しい……!

 この国、美形しかいないのかなとか散々疑問に思ったけど、お隣の国にも美形しかいないのかな!?

 こ、こわい! 美人しか住めない国がこわい!!


「あ、あの、つかぬことをお尋ねしますが、ダンタリオン様は、何故こちらに……?」

「リヒト王子殿下のお祝いですが」

「いえ、そのっ、来賓席は、あちらにございますが……」

「……ああ」


 得心、といったお顔をされた美青年が、ふわりと表情を綻ばせる。

 見上げた彼が、ことりと首を傾げた。


「弟とはぐれてしまいまして」

「はあ」

「タンポポのきみの近くにいれば、見付けてもらえるかと」


 方向音痴の特徴!

 動くものを目印にしてしまうところ!!

 残念なことに僕はそこまで背が高くないので、目印になるとは思いませんよ!?


 いや、でも、無作為に動き回らないだけ、遭難の危険性はぐっと下がるのかな?

 ……ダンスホールで遭難って、どういうこと?


 落ち着いて、僕。しっかりして!

 お嬢さまの一挙一動を見守るんでしょう!!


「そ、そうでしたか」と掠れた声を出して、正面へ顔を戻す。

 にこやかに踊られるおふたりのお姿は、昔読んだ童話を彷彿させた。

 思わずうるりと涙腺が緩む。


「あうう、お嬢さま、華々しくございますぅっ」

「……きみは、王子殿下の付き人ではなかったのですか?」

「僕はコード邸の使用人です。今回は臨時でお手伝いしております」

「そうでしたか」

「はうう、おじょうさま……っ」


 両手で口を覆って、溢れ出る感嘆にため息をつく。


 どうしよう、お嬢さまへ捧げる賛辞の言葉が、僕の語彙力では追いつかない。

 便箋を何枚重ねれば、今日という素晴らしい日を表現出来るのだろう?


 お嬢さまの優雅に伸ばされた指先、穏やかな微笑み、凛と伸ばされた背筋、軽やかな足許……言葉に尽くせそうにありません。お嬢さまが貴い。


 お嬢さまがいらっしゃる、ただそれだけで生きていられます。

 お恵みをありがとうございます。


 お嬢さまにお会い出来ない日々は苦しくございましたが、それも全てこの日のためだったのですね。


 収穫祭明けの週末、お仕え出来ることを心待ちにしております。

 このベルナルドの全力をもって、ご奉仕いたします。

 お嬢さまと坊っちゃんにお仕えするためにも、週末まで何としても生き残ってみせます……!!



 和音に合わせて離れた指先が、優雅な礼をする。

 眩しいほど洗練されたおふたりの姿に、胸がいっぱいになった。

 咽び泣きそうな僕の背を、ダンタリオン様が撫でてくださる。

 喝采に包まれるホールが、伸びやかな間奏を奏でた。


 続々と着飾った貴族各位が、艶やかな演舞場に爪先を載せる。

 恭しくお辞儀した知らない方のお手を、お嬢さまがお取りになった。

 リヒト殿下も違うご令嬢のお手を取り、演奏に合わせてそれぞれのドレスが花開く。


 照明が、装飾が、グラスが、滲んだ視界に乱反射して眩しい。


「ぐすっ、おじょうさまっ、大変お美しゅうございます……っ」

「大丈夫ですか? 少し、休みますか?」

「ふええっ、生きててよかったあああ」

「ど、どうしたものか……」


 おろおろと僕の背を撫でるダンタリオン様に、涙声でお礼を告げる。

 久しぶりのお嬢さまのご健勝なご様子に、感極まって涙が溢れてしまった。

 ハンカチで目許を拭う。


 はたと顔を上げ、安堵したように微笑む要人の姿に、血の気が引いた。


 あ、どうしよう。

 絶対にご迷惑をおかけしてはならないお方に、多大なるご迷惑をおかけしてしまった。どうしよう……!!


「し、失礼、しました!!」

「構いません。いつも世話を焼かれてばかりなので、たまには焼いてみるのも良いものです」


 穏やかな笑みを見せるダンタリオン様が、はんなりと口許に手を当てる。

 長い睫毛が描く陰影に、慌てて顔を伏せた。


 ゲーム画面に『隣国』なんてなかった。

 この王国の、王都を舞台にした話だったはずだ。

 考えれば、国がひとつしかないなんてこと、あるわけない。

 見識が広がれば広がるほど、ゲームにない知識が増えて、困惑してしまう。


 ダンタリオン様を見上げる。

 にこにこ、お優しい笑みを浮かべていた。


 ――こんなにもお綺麗な彼も、あの宰相閣下も、ゲームにいたかな……?


 もしも出演していないとすれば、美人の無駄遣いなのだけど……。

 制作会社、力入れるところ間違ってない?



 この国の名前は、ルトラウト王国という。

 リヒト殿下たち王族は、姓をケルビムとしている。


 ここにも神話が関係する。


 天使の加護を受けたものが魔術を扱え、その直系、つまり王族のみが、加護を与えた天使の名を名乗ることが許される、というものだ。


 王族と所縁のない孤児の僕まで魔術が扱えるのは、長い歳月を経た結果、王族の血が薄く広がったからだとされている。


 ちなみに、ダンタリオン様のお国は、フォルラスカ王国。

 加護の天使はエクスシアだ。

 こういう『天使』とかを絡めたりする辺りが、何となく乙女ゲームだなあと思う。



 リヒト殿下が扱う魔術は、僕たちが扱うものを遥かに凌駕している。


 練習相手として名指しされる機会が多いため、毎回必死で彼の術から逃げ回るのだけど、それでも殿下は本気を出していない。

 僕たちのレベルにまで実力を抑えて、魔術を行使している。


 王族が保有する能力とは、それほどまでに大きい。

 僕がどれほど本気で挑んだとしても、リヒト殿下には敵わないだろう。


「あっ、殿下に休憩をお知らせして参ります」

「わかりました」


 のほほんとダンタリオン様が見送りに手を振られる。


 ……今まで触れないようにしていたけれど、あの王族様のお隣にいると、周りからの熱視線が痛いんです!

 ダンタリオン様はあのお顔ですし、他人の注目など慣れ切った些細な問題なのでしょうけれども、僕はこういう場は初めてなんです!

 こわい、人の目がこわい!!

 獲物を狙う肉食獣とか猛禽類を想像しちゃって、こわかったんです!!


 曲の切れ間の内に、リヒト殿下へ近付こうとする。

 ……ドレスの壁に阻まれて、進めない。


 わ、わあっ! 今すっごく特売の卵とか、物産展の催事場を思い出しちゃった!

 特設コーナーの人だかりって、勝てたことがなかった気がする!


 あああっ、リヒト殿下ー、休憩をお挟みくださーい!

 どうしよう、次の曲が始まっちゃう……!


「失礼。ベル、どうしたの? 何か問題あった?」


 割れたドレスの波が、モーセのようだと思った。

 きらきら眩しい王子様の登場に、ここにも安息はないのだと察する。

 敵意と突き刺さる熱視線が痛い。

 殿下は王子様なんだと、僕は何度実感して、何度忘れ去る気なんだろう。


「休憩を」小声で告げた促しに、本日の主役が綺麗な笑みを見せた。


 かくして、本国の王子と隣国の要人に挟まれた僕は、周囲から様々な念のこもった視線を向けられ、心臓をぎゅっと痛めたのだった。

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