三拍子で刻むセレモニー

「ハイネ、少し良いか?」


 開いた裏口の扉を手の甲で叩き、アルバートがハイネを呼ぶ。

 壁に背を預けて座り込み、紫煙を昇らせていた護衛が、煙草の火を消した。


「何だ」

「ここに記した奴等について、調べてもらいたい」


 煙るにおいに僅かに咳き込んだ少年が、しかめた顔のまま、青年へ半分に折られた紙を差し出す。

 ハイネの眉間に皺が寄った。

 立ち上がった彼が衣服をはたきながら、眼下の薄茶の頭を見下ろす。


「悪いが、給料外だ」

「なら、この名前をお前の雇用主に流す」


 沈黙をもって、ハイネの鋭い眼光が圧迫感を伝える。

 しかしアルバートの様子は変わらない。

 黄橙色の目は、一瞬たりとて逸らされなかった。

 挑むような表情で、少年が口を開く。


「……話を聞く気になったか?」

「場所を変える」


 庭へ向けられていた爪先が、裏口へと進路を変える。

 無造作にジャケットのポケットに手を突っ込んだ青年は乱雑な大股で、彼の後ろに続く少年が、口許だけで笑みを浮かべた。


 案内された青年の部屋は質素で、物がない。

 腕を組んで壁に凭れたハイネが、扉を閉めたアルバートへ呆れ顔を向けた。


「何処まで知っている?」

「推測を立てた。お前を連れて来たのは、ベルナルドだ。そして雇用審査をしているのはミスター。

 お前たちは仲が良いが、護衛間と考えればアーリアが遠い。ケイシーに聞けば、お前とベルナルドは度々話し込むと教えてもらえた」

「あの口軽……」

「お前がベルナルドに、何か有益なものを与えているのだとすれば、裏に必ずミスターがいるはずだ。あの古狐が、愛息子を管理下に置かないはずがない」

「……辛辣な物言いだな」

「これでも尊敬しているんだ。僕はああいう大人になりたい」


 軽く息をついたアルバートが手許の紙を広げ、無感動な目で見下ろす。


 長身の男へ突きつけたそれには、走り書きで人名が並べられていた。

 淡々とした口調で、アルバートが続ける。


「今年、実行委員に選ばれた連中だ」

「何処から手に入れた」

「迂闊だったな。まさかこんな騒ぎになるとは思いもしなかったのだろう。伏せるのが遅過ぎた」

「……盗み見か。悪趣味だな」

「領主について、教えを請うていただけだ。僕だって勉強の邪魔をされた」


 手を下ろした少年が、無表情で紙を畳む。


 突然小さく笑った彼に、ハイネが訝しむ表情を見せた。

 思い出し笑いの表情で、アルバートが上品に口許へ手を添える。


「あいつ、僕への謝罪を述べながら、こいつらへの闇討ちを零していたんだ」


 くつくつ笑みを零しながら、「全く、お人好しだな」楽しそうな声音が呟く。

 眉間に渓谷を刻むハイネを顧みることなく、アルバートが続けた。


「リヒト殿下のことは、友人だと思っている。ベルナルドに告げたことも本心だ。だが、僕が利口で大人しい子どもだと、誰が決めた? 口外するだけが真実ではないだろう?」


 問い掛けに対して、返答は得られない。

 しかし大して気にするでもなく、少年の言葉は止まらない。


「収穫祭と誕生会が、成功しても、失敗しても、こいつらは泥を被る。宰相の耳に入っているため、相応の制裁は下る。

 ……社会的に消すことも、簡単だと思わないか?」

「やめておけ。子どもは大人しく、部屋で遊んでいろ」

「これは子どもの駄々だ。僕から奪うことがどういうことか、身をもって知らしめてやる」

「話は終わりだ。なかったことにしてやる」

「ベルナルドにこの名前を教えれば、あいつは喜んで闇討ちに向かうだろうな?」


 立ち去ろうとした青年を止めた言葉に、彼が忌々しそうにため息をつく。

 その仕草はアルバートにとって、針に掛かった獲物そのものだった。


 にっこり、少年が綺麗な笑みを見せる。

 ハイネが舌打ちした。


「悪趣味に付き合う気はない」

「僕からことを起こす気はない。向こうから勝手に来るだろう。……だからこそ、手数は多いに越したことはない」

「給料外だ」

「お前が『良い人』で助かっている」

「……ッ、ひとり。それ以外も、今後一切の要望も聞かない」

「ああ。駄々を捏ねて悪かったな」


 清廉さまで感じる笑みをたたえて、アルバートが紙面を指差す。

 予想した通りの位置に置かれた指先に、ハイネを深く息をついた。


 ――実行委員会会長。


 横髪を揺らして微笑んだ少年が、穏やかな声音で囁く。


「こいつを吊し上げる」

「俺の今の仕事は、お前の護衛と屋敷の警備だ」

「ああ、わかっている」


 少年の手から紙面が抜き取られ、乱雑な仕草でジャケットのポケットに突っ込まれる。

 くしゃりと鳴った紙のひしゃげる音を無視して、ハイネが顎で扉を示した。


 アルバートがドアノブを捻る。

 肩越しに振り返った少年が、黄橙色の目を細めた。


「今度お前に何かを頼むときは、普通の外出の付き添いだ。そのくらいは叶えてくれ」

「……さっさと行け」

「邪魔したな」


 開いた扉が微かな風を起こし、ぱたりと音が鳴る。

 前髪をぐしゃりと混ぜたハイネが、深々と息を吐き出した。




 *


 収穫祭は、神話になぞらえられている。


 一日目に神へ祈りを捧げ、二日目に天の恵みに感謝し、三日目は現世……リヒト殿下のお誕生会が開かれる。

 四日目に生命の畏敬を讃え、五日目にかがり火をたき、天へ還す。


 この五日間を乗り切れば、収穫祭は終わる。


 最も、街は収穫祭の月に入った途端に、お祭り気分一色となる。

 そのため、一ヶ月間はそわそわしているのだけど。


 認識としては、月末の五日間が収穫祭の本番で、お祭りは月初めから始まっているといった感じだろうか。

 準備の間に合っていない内情を知っているだけに、飾り付けられる街の賑わいに、心臓が冷や冷やした。



 さて。収穫祭には、他国の要人も来賓として参加する。


 名簿を片手に、ぎりぎりと痛む心臓を、胸の上から擦った。

 時間と予定を告げるだけの置物に徹するつもりだけど、孤児出身の一使用人には、荷が重い。

 ……吐きそう。


 ついに収穫祭の五日間が始まった。

 正直何処も突貫工事だが、何とか形にすることが出来た。

 何となく、一夜城を連想してしまう。


 恒例行事のため、資料が豊富にあることが幸いだったのだろう。


 リヒト殿下はあのあと、「篭城するなら、いっそ城でする」と新実行委員会とおこもりになられた。

 僕は殿下のお世話係を解任されていなかったため、王城から寮から学園からと、走り回ることになった。


 お嬢さまにお会いしたい一心で、学園へ通っていたけれど、外へ出るならついでとお使いを頼まれる。


 次第に嵩んだお使いは、一日仕事となった。

 授業に出られなくなった僕を、ひと目お会い出来るお嬢さまが、慰めてくださった。


 けれども、苦しいばかりでもない。

 あっちこっち顔を出したおかげか、関係者のお顔とお名前を覚えることが出来た。

 例年の流れなども教えてもらえ、何だか一気に収穫祭に詳しくなったように思う。

 きっと今なら、親切丁寧な観光案内が出来るだろう。


「ベル、次は?」

「10時、天秤です」

「わかった」


 早足でリヒト殿下が踵を鳴らす。

 彼の纏う白の正装には、金縁の刺繍が施されてあり、細かな装飾はますます王子様らしさを演出していた。


 対する僕は、用意が間に合わないからと、コード邸の制服で臨ませてもらっている。

 久しぶりにジャケットを飾った銀細工が、長い廊下に差し込む日差しを反射させた。


 城内の所定の部屋に辿り着いたリヒト殿下が、先に待機していた教会の人たちに挨拶する。

 純白の法衣を纏う老人が、穏やかそうな笑みを浮かべた。


 彼こそが、教会の最高責任者だ。

 普通に生きていたら、絶対にお目通りなど叶わない。

 極力目線を下げて、失礼に当たらないよう頭を下げた。


 天秤の儀は、神話をなぞっている。

 窓辺のバルコニーは外壁庭園を見下ろす位置にあり、収穫祭一日目のこの時間帯だけ、外壁庭園は一般解放される。


 教皇が、祈りの言葉を捧げる。

 リヒト殿下が神話の一項の通り、バルコニーから下がる、天秤を模した五つの皿へ魔術を流した。

 可視化された光の粒子が、水のように天秤を流れる光景は、幻想的だ。


 リヒト殿下も、例え中身が弾けるいたずらっこであろうと、外見は美しく整った王子様だ。

 お嬢さまとご婚約されていようと、リヒト殿下に思いを募らせる女性は多い。


 覗き込めない窓の向こうから、感嘆と歓声が上がる。

 ――これより収穫祭は開幕。

 気を引き締めて、開いた懐中時計を握り締めた。




 挨拶の終わった来賓のお名前に斜線を走らせ、リヒト殿下のあとを追う。

 しばらく引きこもっていたとは思えないほど軽快に動く彼からは、普段ののんびりとした気質は微塵も感じられなかった。


 懐中時計の文字盤を確認し、予定と正確に照らし合わせる。


 ……次の挨拶が終わったら、お昼休憩だ。

 殿下に少し休んでいただこう。


 入り組んだ城内の廊下を直進しながら、お客様のお名前を読み上げる。


「次のご挨拶が、ダン、……ダンディライオン、さま?」

「……ダンタリオン様?」


 怪訝そうに振り返ったリヒト殿下の訂正に、もう一度しっかりと細かな文字を見詰める。


Dantalionダンタリオン』と綴られたお名前に、音を立てて血の気が引いた。

 僕が読み間違えた『Dandelionダンディライオン』は、タンポポだ!


「空目しちゃった!?」

「あっあはは! 待ってベル、突然笑わせないで……!」


 悲鳴を上げた僕とは違い、柱に手をついたリヒト殿下がけらけら笑い出す。


 こ、こんなところで笑い上戸発揮しなくてもいいじゃないですか!

 噎せないでください! 僕が恥ずかしい!!


 殿下の背中を擦りながら、件のお名前を見直す。


『ダンタリオン・ルク・エクスシア』


 ……あれ? エクスシアって、お隣の王族のお名前じゃなかったかな……?

 えっ、僕、お隣の王族のお名前をタンポポにしちゃったの?

 あ、どうしよう、打ち首かな?


「よし。話のネタにしよう」

「やめてください!?」

「ほら、急ごう? ふふっ、ベルってタンポポすきだね」

「タンポポ恐怖症になってしまうので、絶対にやめてください! あーもう、笑わないでくださいってば!」


 時折くすくす笑い出す殿下が、恐ろしい冗談を口にするので、生きた心地がしない。

 必死に制止を訴え、廊下を突っ切り、客室の前まで辿り着いた。


 扉をノックして開ける仕事は、僕に割り振られている。

 中から聞こえた了承の返事に、静々扉を開けた。


 黒い髪をひとつに束ねた綺麗な顔の青年と、同じく黒い髪を肩口で揃えた少年が、そこにいた。

 背の高い従者が脇に控え、立ち上がった青年が、やんわりと表情を緩める。

 右手が差し出された。


「この度はお招きいただき、ありがとうございます」

「貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございます。ご挨拶が遅れましたことを、深くお詫び申し上げます」

「構いません。お誕生日おめでとうございます、リヒト王子殿下」


 握手をかわし、ゆったりとした上品な声音で青年が微笑む。


 ……多分だけど、彼がダンタリオン様だ。

 王族特有の、キラキラ眩しい空気が目に痛い。

 要人の種別が高位すぎて、心臓も痛い。

 何より、彼のことをタンポポと間違えてしまった直前の自分が恨めしい。


 ヒルトンさんからもらった懐中時計を、ぎゅっと握る。


「ご健勝なご様子、安心しました。ふふっ、先ほど彼と名簿を見ていたのですが、彼はタンポポがすきで。ダンタリオン様のお名前をタンポポと間違えてしまったのです」


 ふふっ、と軽やかに微笑んだリヒト殿下の率直な暴露話に、思わず下げた顔を上げてしまった。


 殿下あああ!? そんなに僕の死期を早めたいんですかあああ!?


 きょとんと瞬いた美丈夫が、声を立てて朗らかに笑い出す。

 隣の少年の呆れた目が痛い。

 そして僕の冷や汗も止まらない。


 あ、目眩がする。

 ついに不敬罪が適応されるのか……。


「それはそれは、はははっ。花に例えられることは多くとも、タンポポは初めてです」


 上品な仕草で口許を隠した青年が、くつくつ音を立てる。

 何を思ったのか、優美に靴音を立てた彼が、こちらへ近付いてきた。

 壁際にいる僕の前に立ち、お隣の王族様が、緩やかに右手を差し出す。


「わたしはダンタリオン・ルク・エクスシア。そこにいるのはわたしの弟、セイル。タンポポのきみ、お名前をお聞きしてもいいですか?」

「失礼しました! ベルナルド・オレンジバレーと申します」


 即座に頭を下げるも、右手が下ろされる気配が見られない。

 恐る恐る右手を差し出すと、しっかりと両手で握られた。

 上下に振られるそれに、頭の中が真白になる。


 とても気安い王族さまですね……?

 リヒト様といい、エリーゼ様といい、ティンダーリア家の妖精さんといい、国の中枢は、こういう方が多いんですか……?


「我が国では、黒い髪は幸運の使いといわれています。あなたに幸多からんことを」

「兄上、困っています。ご自重ください」

「ははは、すみません」


 朗らかに微笑んだダンタリオン様が、僕の手を解放する。

 お兄様を諌めたセイル様は、呆れたようにため息をついていた。

 リヒト殿下はにこにこ笑っている。


 多分あれは、自分の思い通りにことが運ばれ、喜んでいるお顔だ。

 性格が悪いです、殿下。


「それでは、私はこれで。是非収穫祭をお楽しみください」

「ありがとうございます。ご成功をお祈りしています」


 優雅に一礼したリヒト殿下が、いっぱいいっぱいの僕を連れて部屋を出る。

 しばらく進んだところで、リヒト殿下は笑い出し、僕は泣き出した。


「ひ、ひどいです、殿下……! いわないでっていったのに……!」

「ごめんごめん、ふふっ。泣かないで、ベル。ダンタリオン様は冗談の通じるお方だから」

「ですけど! 相手は王族ですよ!?」

「ぼくも王族だから、大丈夫」

「それとこれとは話が別です!」


 めそめそする僕の目許を指の背で撫で、リヒト殿下が柔らかく微笑む。

 さすがはみんなの憧れの王子様、顔がいい。


 だからって、僕は騙されませんからね!

 優しくされたって、誤魔化されませんからね!!


「ベル、次は?」

「お昼休憩です。ううっ、旦那様に言いつけてやる……」

「タンポポを?」

「くすん」


 ちなみにこの話を聞いた旦那様は、苦笑いを浮かべていらっしゃった。

 ヒルトンさんは、「幸運の使いかどうかはわからないが、これまで首の繋がっている状況を思えば、確かに君は運がいいね」と言っていた。


 僕の養父が率先してとどめを刺しにくるんだけど、これ如何に……。

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